人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から

世界のベストセラー聖書の価値観から、生きるを考えます!

「自分で自分が許せないのですが」どうしたらよいですか。

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「私のしてしまったこと(失敗)で、友人に悪い影響を与えてしましました。友人は過ぎてしまったことだからもいいい、と言うのですが、私は自分で自分が許せません。そんなことばかりを考えていると、やらなければならないことも手がつかなくなってきました。どうしたよいのでしょうか。」18歳女性

 

ご質問ありがとうございました。勇気を出しての質問でしょう。私も真心から答えさせていただきます。

文面からすると、あなたは、純粋で正しく生きようとしている人なのでしょうね。

だから自分してしまったことを、取り返しのつかないこと、と考え、悩んでおられるのだと思います。

 

お友だちは「もういい」と言って下さっているとのことですが、もしかすると、お友だちの「言葉の奥」にある、「感情(気持ち)」を推察して、悩んでおられるのかもしれません。

そう言う意味では、とても繊細な方なのかもしれません。

確かに「人」は、「他人の落度」を「許すこと」は非常に難しいことです。

 

でもここでは、ご質問に書かれている「あなた自身が、あなた自身を許せないこと」に焦点を絞って考えたいと思います。(他の方の感情の重圧、という課題は、別のところで考えたいと思います)

 

あなたに質問をしますが、

もしかするとあなたは、「自分は、本来そんなことをする人ではない」と思っておられるのではないでしょうか。

「正しく生きよう」と考えておられる人は、一般的に「正しさに努め」ますから、自分が「間違ったこと」をするのは、「あり得ないこと(あってはならないこと)」と考えることが多いのです。

人によっては、「自分は失敗してはいけない」と、どこかで決めてしまっている方もおられます。そういう方が失敗を指摘されると、感情的に反発してしまいます。

 

しかしここに落とし穴があります。

残念ながら、人間は失敗をします。私もしますし、どんな人だってしてしまいます。

 

しかし「失敗をしてしまう人間」に「失敗してはいけない」と強制すると、考えられることは「その事実や感情を否定しようとする」ことです。

 

実は、人は自分の感情を「そのまま受け入れられる時」に、「自分らしく生きられ」ます。そして「生きる気力」がわき上がります。

 

しかし、もし「自分の感情を直視できない」「受け入れられない」と考えていると、その失敗の感情を「消そう」「否定しよう」としますから、疲れてしまうのです。消すためのエネルギーが膨大のため、他に使うためのエネルギーを枯渇させてしまうのです。

 

西洋のことわざに、「人は罪を犯す。神はそれを赦す」をあります。

「罪を犯してしまう人間」だからこそ、「赦し(許し)」が必要になってくるのです。

 

もう一度質問ですが、あなたは、自分をそのまま受け止めて下さる方が、近くにおられますか。両親、祖父母、学校の先生、どなたでも信頼おける方ならば、構いません・・・その方に気持ちを全部話してみて下さい。

きっと「すこしだけでも」気持ちが軽くなるはずです。

 

そして、そのような失敗も悪感情も含めて、「自分なのだ」と受け止めることができたならば、楽になります。

 

ぜひ試してみて下さい。あなたにとって、「許せない自分」をそのまま受け止めることは、最初は難しいかもしれません。しかし、今後のためその作業は「大切なこと」なのです。

 

でも、もう一つ大切なことがあります。

あなたは「こうあるべきだ」という「強い基準(ものさし)」を持っておられるように思います。

それは「大切なもの」です。まずそのことは受け止めてください。

しかしその基準が「歪んでいた」なら、あなたは「歪んだ基準」で「自分を滅多打ち」にしてしまうかもしれません。

それは「止めた方がいいこと」です。

ですから、「自分が正しい」と思っている基準も、「もしかしたら間違っているかも」を考えてみることも大切なことです。

 

聖書の中に「義人はいない。一人もいない。」という言葉があります。

もしあなたが、「今の考え」は「上手くいかなくなった、ものさし」だと気がついたならば、別の「もっと良いものさし」を探してみることも大切なのです。

人間は一生かけて、自分の価値観を作り上げていくものです。10代のあなたの考え方は、まだ途中経過ですから、これからどれだけでも成長していく筈です。

 

では他に「どんなものさし」があるのか、と言われるかもしれません。

私は聖書の言葉をお勧めします。

 

☆☆☆☆☆☆

旧約聖書
箴言 29:25 人を恐れるとわなにかかる。しかし【主】に信頼する者は守られる。

伝道者の書7:21 人の語ることばにいちいち心を留めてはならない。あなたのしもべがあなたをのろうのを聞かないためだ。
7:22 あなた自身も他人を何度ものろったことを知っているからだ。

 

新約聖書
Ⅰヨハネ3:20 たとい自分の心が責めてもです。なぜなら、神は私たちの心よりも大きく、そして何もかもご存じだからです。

☆☆☆☆☆☆

 

上手くいっても失敗しても、

あなた自身を「そのまま受け止めて下さる、存在」に出会うことができたならば、

「どんな時もあなたを支えて下さる方の、愛情」を体験できたならば、

あなたの考え方、感じ方は、今よりもきっと広くなるはずです。

 

「許し」は大人でも難しいことです。許せずに苦しんでおられる方は多くおられます。

もしあなたが、自分が「赦されている」から、他人を「許すことができる」という体験ができたならば、年が若かったとしても、成熟した人間となっていけるのです。

 

ご質問された方は、誠実な方だと思います。ぜひこの「チャレンジ」を前向きに受け止めて下さることを願います。

祝福をお祈りしています。

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「いつも喜んでいなさい」と聖書に書いてあるそうですが、そんなことできるのですか。

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私の先輩の女性牧師で、ユニークなキャラの方がおられます。

その方が、老人の施設でお話しする機会があると、

最初に「まず笑いましょう。」とおススメするそうです。

「ワッハッハと笑いましょう。笑うと明るく元気になります。悲しくても笑いましょう。笑っていると風邪もひきにくくなります。だから笑いましょう」と言って、無理やり笑わさせるそうです。

しかし不思議なことに、全員で声を合わせて「ワッハッハ」と笑うと、渋い顔をしていた方もとても穏やかな表情になり、その後お話しをニコニコして聞いてくれるそうです。

ですから、皆さん、理屈は置いておいてまず「ワッハッハ」と笑いましょう!

 (笑うと心も明るくなります。免疫力も向上すると証明されています・・・)

 

けれども、理由も理屈もなく、「すっと喜び続けること」は難しいことでもあります。

今回は、ご質問にあるように「どうして、いつも喜ぶことができるのか」の理由(理屈)を、聖書から考えてみたいと思います。

 

今日も、ダビデの詩篇を見ていきます。(103篇)
103:1 わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。
103:2 わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
103:3 主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、
103:4 あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
103:5 あなたの一生を良いもので満たされる。

 

ダビデは自分自身に「主をほめたたえよ」と語っています。

その理由は、

咎(罪)の赦し

病の癒し

穴から救い出された体験

恵みと憐れみを受けたこと

一生を良いもので満たされること

です。

 

「神様から自分自身が受けた恵み」が「大きい」ことが分かるほどに、

ダビデは「神様をほめたたえられる」つまり「感謝し、いつも喜ぶことができる」

と言うのです。

けれども、「自分自身に語る」ということは、それをするのが「難しい状況下」にいるということでもあります。

彼は「自分自身を説得している」とも言えるのです。

 

ハーベストタイムのスタッフで、佐野剛史さんという方がおられます。

同志社大学4年生で受験した「外交官試験」に失敗して、失意のどん底にいた時、月額4000円という安さにひかれて、教会の英会話教室に通い始めたそうです。

英会話教室の最後には、英語で語られるバイブルタイム(日本語通訳付き)がありました。最初は英語の聞き取りとしてしか聞いていなかったそうですが、語られるバイブル(聖書)意味が分かるにつれ、次第に興味がわいてきました。

 

ある日のテーマが「The Greatest Sin(最大の罪)」というものだったそうです。

牧師によると、その最大の罪が「高慢」でした。

箴言16:18「高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ」

 

佐野さんはこれを聞いて「頭を殴られたような」衝撃を受けました。この聖書の言葉が、「今の自分の姿をそのまま言い当てている」と感じたからです。

外交官を目指している理由を、口では「国のため」と言いながら、心の中では「自分の名を歴史のどこかに残したい」という功名心や、「自分は人より優れていることを証明したい」という高慢な思いで一杯だということが、見透かされたように感じました。

彼は教会に来るまで「自分は良い人だ」と思っていたそうですが、聖書の言葉を通じて心の中をのぞいてみると、自分の「良い人だ」を思い込んでいた心の奥には「汚い思いで溢れた心」があることに気がつかされたのです。


マルコ7:20 また(イエス様は)言われた。「人から出るもの、これが、人を汚すのです。7:21 内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、7:22 姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、7:23 これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」

 

佐野さんは、上記の聖書を読む中で、認めたくなくても、自分は聖書のいう「罪人」であることを認めさるを得なくなりました。

そして学ぶうちに、聖書の別の言葉も教えられたそうです。

詩篇34:18「【主】は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を扱われる」

罪人であることを、認めた者には「赦しは大きい」と佐野さんは悟ったのです。

 

佐野さんのお話にあるように、「罪を認めた者」が「赦しを体験する」と、「大きな感謝」がわき上がります。

 

seishonyumon.com

 

「いつも喜んでいなさい」という「喜びの理由」がここにあります。

「罪を自覚し」「赦しを体験した」者には、「どんな時にも喜べる理由」があるのです。

 

クリスチャンは、よく「罪赦された罪人である」と言われます。

「罪の赦し」が分った人は、自分がどれほど「愛され助けられているか」を知るようになります。

すると、ダビデのように「わがたましいよ。主をほめたたえよ」を感謝を叫ぶことができるのです。

 

いかがだったでしょうか。

聖書の言う「最大の感謝の理由」を受けとめて頂けたでしょうか。

 

辛いことが多くある、今の時代です。

しかし「感謝して生きること」ができる人は、

荒海の中でも、「光」を見つめて、まっすぐに「歩むべき道」を進むことができるのです。

お祈りをしています。【あなた】も光を見つけられますように。

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やられたら、やり返す、倍返しについて(心の法則)

 

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ドラマ半沢直樹はとても面白かったですね。「やられたらやり返す、倍返し」は、ドラマの勧善懲悪の世界では、スッキリとします。

しかしそれを実際の日常で実行とすると、相当な問題を起こすこととなるのは、皆さんも同意されると思います。

(罰するワタシ(自分)が正しいとは限らないからです)

 

今回は心の法則について考えてみたいと思います。

 

私たちが、傷つけられた感情で、反撃をすると、あまり良い切れ味になりません。どうしても私怨が混じるので、心が曇ってしまうのです。心が曇るとどうしても、余計なこと(してはいけないこと)を言ったり、やったりしてしまいます。

 

そんな時は、負の感情を一旦、リセットすることをお勧めします。

同じ反撃(?)をするのにも、心が冷静な状態で立ち向かうと、良い精神状態(良い切れ味)で対処できます。

 

散歩や運動をするのもいいでしょう。(半沢直樹は剣道でしたね)

音楽を聴くのもいいでしょう。(私は心が落ち着くゴスペルソングを聴きます)

 

リセットした後の、考えるカギ、心のチェック項目は「自分は良い種を蒔いているだろうか」です。

もし私怨で動いているなら、良い結果は期待しない方が良いです。(悪い動機、種で行動すると、最後の落とし所(ゴール)を歪めるのです。やらない方が良かったということになりがちです)

 

リセットした後の調整は、どんな基準で確認したら良いかを考えると、一番確実で安全な基準は「この世界を造られた創造主の価値観(聖書の基準)に合わせること」になります。

 

「面倒くさいな」と思われるかもしれません。

しかし心の世界の重要性を知っている者は、ここを落としません。

創造主である神様である「目に見えないお方」に、もしあなたが「助けを真剣に求める」ならば、「見えない心の部分」を疎かにしてはいけないのです。

 

神様は平等です。(あなただけが、ズルをしても免除してもらうことは不可です)

良い種を蒔けば、良い実を刈り取り、悪い動機で悪い種を蒔けば、悪い実を刈り取ることは、自明の理だからです。

 

心は一般的に「見えない」と考えられています。

しかしその人が生きていれば、心の状態が、どこかで必ず「表に出る」のです。

 

より良い人生を送りたいとお考えの方は、「心の点検」を疎かにしません、できないのです。

これをきっかけに、心の状態をもう一度考えてみませんか。

 

聖書(ガラテヤ人への手紙)6:7-9

6:7思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。 6:8自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。 6:9善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。

 

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自分は愛されていない、と感じた時に読む、良い聖書の言葉はありますか。

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ご質問された、あなたは、何か悲しいことがあったのでしょうか。

これから書かせて頂くブログを通じて、心の痛みが少しでも軽くなれたなら、幸いと願っています。

 

私たちは人間関係ができると、相手にある程度の期待をします。

特にその人が、あなたにとって重要な人物だと、その期待は増し加わります。

相手の事情もあり、あなたとの関係もありますから、いつもあなたの「期待通り」受け応えをしてくれることは、不可能です。(理屈では分かっておられると思います)

しかし、それが満たされなかった時、私たちの「心(感情)」が、率直に悲しみや痛みを感じるのです。人によっては怒り出してしまうかもしれません。

 

その感情を引きずったままですと、負の循環に陥ってしまい、

最後には、哀しみのあまり、自暴自棄になってしまいます。

 

ですから、どこかで「負の感情をリセット」する必要があります。

そんな時には、心落ち着けて「聖書の言葉」を読むと、違う視点を持つことができるのです。

 

最初に私が思い出す聖書の言葉は、

「詩篇27:10 私の父、私の母が、私を見捨てるときは、【主】が私を取り上げてくださる。」

 

 苦しい時、辛い時、父母が助けてくれることがあります。

しかし仮に助けてくれたとしても、すべてから助け出すことはできません。

どこかは、自分で乗り越えなければならないのです。

 また父母も人間ですから、時に厳しいことも言うでしよう。

理解してもらえないことも、あると思います。

 しかしそんな時も、【主】は、私を支えて下さり、最後まで助け続けて下さるのです。

 

 次はとても有名な聖書の箇所です。
「イザヤ43:4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。
43:5 恐れるな。わたしがあなたとともにいるからだ。」

力強い言葉です。

 

 しかし聖書は、ただ読むだけでは、力になりません。

 心で信じて、そのことを通じて、聖霊(神様)に触れて頂く必要があるのです。

 

 私がクリスチャンになってしばらくした時、教会に特別な講師が来られて集会が行われれたことがありました。ほとんどのことは覚えていませんが、一つの言葉だけは今でも覚えています。

「あなたは、イエス様を信じて、イエス様を心の中にお迎えしたことはありますか。もしお迎えする祈りをしていない人は、してみましょう。」

 

 集会が終わって、私は早速、教会の庭に出て、ブランコに座りながら(教会付属の幼稚園の遊具です)一人で祈りました。

「イエス様。私はあなたを信じています。でも今まであなたを心にお迎えする祈りをしていませんでした。今、その祈りをします。あなたを心にお迎えします。どうか私の心にお入りください」

 その時、心の中に不思議な暖かいぬくもりが湧きあがったのを覚えています。

 

 今でも、辛いことがあったり、寂しさを感じた時には、聖書の言葉を思い出し「心の中にイエス様が住んでくださっている」ことを思い起こします。(そしてイエス様に祈ります)

 するとその度に、暖かいぬくもりを感じるのです。

 そして「イエス様は私と一緒にいて下さる。このぬくもりが証拠だ」と思える時に、

悲しみがリセットされるのです。

 

 その時には、神様に土台を置いて考えられるようになり、その人に執着しようとする心が、ほどけて、自由になります。

 そしてすでに、私を傷つけた人の影響が、「小さなもの」になっているのです。

 

 このリセットは、本当にありがたいです。

 

 あなたも、聖書の言葉によって「負の感情をリセット」して頂くことができます。

 

 私たちの教会では、必要に合わせて、日曜日の集会後に祈りをする時があります。

(今は手を置いて祈ることは、コロナの影響でしてはいませんが・・・)

 その時に、神様に触れて頂いて「ぬくもりを感じる人」が多くいるのです。

 

 感情が傷ついた時、その感情が渦のようになって、止まらなくなります。

 しかし聖書の言葉を通じて「神様に触れて頂く時」に、私たちは「渦」から引き上げられ、神様が与える「平安の陸地」に立つことができるのです。

 

 あなたに、イエス様の守りがありますように、お祈りさせて頂きます。

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最近、何のために生きるのか分からなくなってきました。

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「40代主婦です。かつて希望した大学を卒業し、ある程度の会社に就職し、結婚退職をしました。今は子育ても一段落し、充実した毎日を送っているはずなのですが、最近虚しさを感じます。子どもも夫も私のする家事を、当たり前のように見ていて辛くなります。コロナで自粛が続く中、趣味や友だちと会うこともなかなかできません。発散する場所がない中で、毎日の家の用事をするにも、ため息が出てきます。最近何のために生きているのか分からなくなってきました。」

 

お辛いところを通っておられますね。質問して下さった方は、今まで頑張って生きてこられた方だと思います。

今はコロナ禍で、ストレス発散もままならず、気持ちが萎えてしまっておられるのでしょうか。

文面から、「こんな筈ではない」「もっとしっかりしなければ」という気持ちが滲み出ているように感じました。

もっと向上したい、もっと頑張って充実したい、でも「思い通りにならない」「できない」という虚しさが伝わってくるようです。

 

かつて高度成長の時代、頑張れば報われる時代がありました。ベビーブームにもなり、子どもたちがたくさん誕生しました。結果、熾烈な受験戦争となり、「友だちよりも一点でも多く」点数を取った者が受験の勝者となりました。良い大学、良い就職を勝ち取り、人生の勝者となれるという構図でした。その弊害からバブル以降「ゆとり世代」が生まれました。(1987〜2003年度生まれ)

 

そのバブル時代までの空気を成長期に吸った者たちは、「頑張れば認められる」「頑張らなければ認められない」という感覚を無意識のうちに持っています。

しかし今の時代の雰囲気はまったく違います。頑張っても認められないことが当たり前となり、「ゆとり世代」から「さとり世代」を経て現代に至るのです。

今は小さくまとまる時代と言えましょう。外は荒海で不安定なので、身近な確実な所に安定を求めるのです。そのため、会社での出世よりも自分の趣味やプライベートを重要視する人々が増えました。

 

あなたの「安定の土台」は、何ですか。

趣味でしょうか。ご家族の安らぎでしょうか。友だちでしょうか。

どれも大切です。

 

しかし実は、何かを支えにして生きていると、その支えがなくなった時に、落ち込んでしまいます。

聖書の中にこんな例え話があります。

 

岩の上に建てた家、砂の上に建てた家、どちらも変わらなく見えるが、雨が降って洪水が押し寄せると、砂の上の家は、簡単に倒れてしまった。

 

アメリカに行くと、「あなたは何を信じていますか」と時々聞かれます。

それは人間には「精神的バックグラウンド」が必要であるという前提があるからです。

「目に見えるもの(土台)」が無くなったとしても、それでも自分を支える「確かな土台」。

仕事が無くなっても、経済的に困窮しても、家族と別れ、友人と疎遠になっても、

あなたが立ち続けられる土台が必要なのです。

これは知識にレベルではありません。心の拠り所、本当に信じるものがあるかどうかの問題です。

 

クリスチャン作家、三浦綾子さんの小説に「道ありき」があります。

三浦綾子さんの自叙伝小説です。

綾子さんのクリスチャンになるまでの心の軌跡が描かれています。

軍国主義どっぷりに浸って、教え子を戦争に送ることを使命と純粋に考えていた綾子さんは、終戦で価値観が崩壊します。そして何も信じられないと虚無主義になります。その時だけ楽しけれ良いと考え、婚約を二股かける自堕落な状態の時、不治の病にかかります。(彼女はこれを自分への罰だと受け止めました)

そんな時、入院先に幼なじみの前川正という青年がやってくるのです。彼はクリスチャンで、綾子さんの自暴自棄を心配します。散々クリスチャン信仰を批判する綾子さんに対して、青年は誠意を尽くして対応します。

最後に綾子さんは「この人が信じる神様を信じてみよう」と思うのです。

「綾ちゃん。人間はね。一人一人に与えられた道があるんですよ」と優しく語られる言葉が、本書の主題です。

 

もし創造主である神様を信じ、そのアガペの愛(無償無限の愛)を知ることができたなら、あなたの生活は激変します。

人に認められなくても生きていけます。

「愛に溢れる」ので、その「愛」で人に接することができるようになります。

「岩の上」家を建てた「人生」となり、

どんな時にも穏やかに、「愛し続ける」ことができるのです。(祈りからくる神様の力によってです)

 

多分、あなたが願っている「どんな時にも穏やかに人と接すること」「いつも人と良い関わりをすること」が実現できるようになります。

 

あなたも、こんな生き方をしてみたいと思いませんか。

今は、不安定で、お辛いところを通っておられると思います。

しかし、もしかすると、今の不安定感は、本当の「岩の上」に自分を置くきっかけとなるのかもしれません。

信仰は無理に持つものではありません。

しかし人間にとって必要なものでもあります。

 

何のために生きるかは、あなたが自分をどう考えるかで決まります。

それは、「自分で生きている」と考えるか、「誰かに生かされているか」と考えるか、です。

誰かに生かされている、すなわち「自分を造った創造主がいる」と信じるならは、

あなたの人生の目的は、「創造主に聞く」のが一番です。

 

そのために「聖書」が書かれ、2000年以上も「キリスト教会」が存続しているのです。

 

クリスチャンになるとは、素晴らしいことです。

創造主なる神様が「あなたの人生」を導いておられることを信じ、祝福をお祈りしています。

 

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生きる気力がわきません。どうしたらいいのでしょうか。

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ご質問ありがとうございます。

生きる気力がわかないとは、とてもお辛い状況だと思います。

すべきことが見つからないのか、またはすべきことが分かっていながらも、それをするだけの力がわかないのか。

 

どちらにしても、あなたは「先」を見通して「今」を考えておられるのだと思います。

「本来こうすべきだ」ということを「おぼろげながら」でも「感じて」おられ、「理想に近づけない自分」に苛立ちを感じておられるのかもしれません。

 

あなたにとっての「理想や目標」は一体何であるか。少し一緒に考えてみたいと思うのです。

 

あなたは「何がしたい」のですか。(それがわからないから悩んでいるんだよ)と突っ込みを受けそうな気がしますが・・・、

でもよく考えて下さい。

「あなたは何がしたいのですか」

「それは実現可能なことですか」

実現可能か、不可能かを見極めることは、非常に大切です。

 

「このゲームをクリヤーしたい」「この仕事を仕上げたい」「資格を取りたい」

それが実現可能なものならば、自分で締め切りを作ったら良いとは思います。

(ただしあまりきっちりしすぎないことです。できないならもう一度改めて作ればよいというぐらいの方が、気が楽です)

もし親しい友だちがいるならば、(家族でも良いですが)、あなたの「希望」を話してみることをお勧めします。人に話すと意外とやる気が起こるものです。その人に応援してもらうことができたならば、力がわいてきます。

 

 

私は、24歳でキリスト教会に行きました。大学を卒業して一年後で、ある事情で京都で一人暮らしをしていました。当時、人生に相当悩んでいました。

「人生に意味がなければ、生きている価値がない」と今考えるほど自分を追い込んでいました。

京都の知人が通うキリスト教会に行き始めたのですが、

何かをしていなくては、悩みに埋もれてしまいそうで、休みの日にはひたすら歩いていました。(南禅寺、大文字山辺りはお気に入りの場所でした)

北大路バスターミナルから、大原三千院までバスで行き、帰りは歩いて帰るようなこともしていました。ある冬の日には、途中で日が暮れてしまい。真っ暗な国道367号線の山道をひたすら南下しました。大型車がやってくると風圧で巻き込まれそうになりました。「このまま死んだらどうなるだろうか」と思って空を見上がると、大きな丸い満月が山の間から見え、「綺麗な絵になる景色だ」と一人感動しました。何故だか涙が出ました。

 

当時、本当に生きる気力がありませんでした。

いつも虚しく、ただすべきことをこなしているだけの毎日。

「人生の目的」がほしい。

「私が何のために生きているのか」を知りたい。

毎日そんなことばかりを考えていました。

 

定期的にキリスト教会の集会や勉強会に参加していましたが、最初は「聖書の言葉」が心に響きませんでした。正直良くわかりませんでした。(頭では理解できても心で信じられませんでした)

暖かいクリスチャンの方々に接する中で、純粋に信じている人の「輝き」を見ました。

「また来てくださいね」という温かい言葉に励まされて、教会に通い続けました。

そしてあるきっかけを通じて、イエス様を心に迎え入れる祈りをし、その後、洗礼を受けたのです。

 

あれほど、悩みの中にいた自分が、クリスチャンになった後、中学校の教師となり、そして現在は牧師をしていることを考えると、人生は不思議です。

 

私の体験ですが・・・人生真っ暗でも大丈夫です。生きていれば、そして求め続ければ、どこかであなたの人生に「力を与えるもの、存在に」出会うことができます。

(私のようにイエス様に出会うということだけではないと思います。創造主は、あなたに必要な人やものを送って下さる筈です)

諦めないことです。しるしを見つけることです。一緒に悩みながら、考えてはみませんか。

 

私が悩んでいた時、愛知県で牧師をしている恩師の一人は「徹底的に悩んだ方がいい。悩みなさい。中途半端に悩むのは良くない」と言われました。

(なんて冷たい言葉を・・・)とその時思いましたが、真理だと思います。

徹底的に悩んだら、真剣に道を模索するようになります。そして求めたら「道(何か)に出会う」のです。

諦めないでください。

 

飛躍するようで恐縮ですが、「自分で生きている」のではなく「生かされている」のです。もしそうだとすれば「生きる意味と目的」は必ず存在します。

 

「あなたの人生」に「意味」があるのです。(信じて下さい)

そして「目的」も存在します。

それを知ることができたなら、最も確かな「生きる気力」がわき上がるのです。

 

どこかで「あなた」とお話をすることができれば幸いです。

ここまで読んで下さった「あなた」の祝福をお祈りしています。

 

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人生苦しいことばかりが続きます。どうしたら良いのでしょうか。

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コロナの状況下で、私たちはストレスに満ちた生活を送っています。

自粛自粛…と感染予防のためあらゆることに気を使い、気軽に人に会うこともままならない状況です。

ステレスが続くと、人の心はトゲトゲしくなります。余裕がなくなるので、人に優しくなれなくなります。

 

あなたは、今一体どんな状況なのでしょうか。その苦しみは物質的なことですか。精神的なことですか。

 

余裕がある時には、耐えられたことも、余裕がなくなると死活問題になります。ちょうど、人から押された時、崖の縁(端)に立っていたなら「殺すのか!」と叫んでしまうようなものです。広い野原の真ん中なら、何の問題もないことでも、崖っぷちでは感情的になり、相手のことを配慮できない言動になってしまいます。

 

苦しみを感じているあなたは、今どこに立っているのでしょうか。

自分のことを考える時、他の方の人生を思い巡らすと、自分が客観的に見れます。

そう言った意味でも、今日一人の人物を紹介したいと思います。

 

今日紹介したい人は、ダビデです。

有名なミケランジェロのダビデ像のモデルになった人物です。

彼は、王様になると言われながら、約10年以上も不遇の時を経験しました。20代から30代の時期に、前王サウルに誤解と嫉妬によって殺されそうになり、サウル王の死後も数年間、さらに思い通りにならない月日を過ごしました。

 

聖書の詩篇30篇には、ダビデの詩が載せられています。

この詩には、ダビデの体験が書かれています。

「病気→健康」

「滅び→いのち」

「御怒り(裁き)→恩寵」

「夕暮れ→朝明け」

「涙→喜び」

「嘆き→踊り」

「沈黙→喜びの賛美」

「順境と逆境」

 

ダビデの人生は「山あり谷あり」だったと言えます。

 

健康傲慢という言葉があります。ダビデは自分が順境だった時、自分の力で何でもできると過信していました。

健康であることは、神様の恵みですが、しかしそれを当たり前だと思うと、傲慢になります。

「死に至るような病気」になった時、ダビデは神が「御顔を隠された」と感じました。彼は「意気消沈」して「恐怖を感じ」ました。

プラスからマイナスになった時、「恐怖を感じ」神に叫び求め、マイナスからプラスになった時、感謝と喜びがわき上がったのです。

 

この詩編30篇の最後でダビデは、

「マイナス(苦しみ)を体験した」のは、

人生を導く神様を「ほめたたえる」ため、

いつでもどんな時でも神様に「感謝を捧げる」ため、

「マイナスを体験した」と結論づけています。

 

あなたは、今どのような「マイナス」を通っていますか。

その「マイナスの先」のプラスは、どのようなものだと思いますか。

 

このままでは終わらないと考えてみてください。

苦しみには「必ず終わりの時」がやってきます。

 

「大きな苦しみの中」だとしても、

「小さなマイナス」と「小さなプラス」が並んでいることも事実です。

 

私たちの人生は、必ず「上がったり下がったり」して進むのです。

そして「下り」が大きい分、「上り」も大きいのです。

「下り」の後は必ず「上り」があると考えて、今を備えましょう。

「下り」でなければ、学べないことがあると受け取りましょう。

 

もし苦しいことが、長く続いているならば、

神様は「本気で」あなたをつくり変え、引き上げようとしておられるのだと考えてみてください。

 

きっと、見る視点が変えられ、崖っぷちが、「次の山に登る尾根」

つまり「ここから新たなステージに向かう上り階段」だと思えるかもしれないのです。

 

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