人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から

世界のベストセラー聖書の価値観から、生きるを考えます!(モノの見方が変わると、とても楽になります)

クリスチャンの友人から、「神様、イエス様の愛を知ると人生が変わる」と言われました。どういうことでしょうか。

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「クリスチャンの親しい友人がいます。私自身はキリスト教徒ではないのですが、その友人とは、長く関係が続いています。先日彼女から、「神様の愛を知って人生が変わった」と言われました。彼女とは宗教的な話はほとんどしませんので、敢えて質問はしなかったのですが、正直気になっています。一人一人の体験違うとは思いますが、一般的に、どういう体験なのか教えていただけますか。」

 

ご質問をありがとうございました。

クリスチャンの親しいご友人がおられるのですね。

きっと良いご友人なのでしょうね。その方は質問者さんのことを大切に考えてくれているのだと思います。信仰は個人のものですから、ご友人は、質問者さんの意志を尊重して「敢えて宗教的な話題に触れない」ように心がけているのだと思います。

ぜひ機会があれば、そのご友人に直接聞いてみて下さい、きっと喜んで話してくれると思います。

 

さて、質問者さんも書かれているように、「神の愛、イエス様の愛に触れた時」の体験は、個々人で違います。

ここでは、必ず体験するだろう、3つのことを書いていきたいと思います。

①「自分の全存在が、支えられている」という体験。

②「生きる目的と力」が与えられる体験。

③「不思議な愛情や知恵」が与えられる体験。

(その他、たくさんの体験があるとは思いますが、今回はその3つに絞ります。特に①が今回の中心です)

 

①「自分の全存在が、支えられている」という体験。

「たいせつなきみ」という絵本があります。(マックス・ルケード作、いのちのことば社)

 

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木の小人の国(ウイミックス)の話で、主人公はパンチネロと言います。

(聞いたことはありますか。)

 

その国では、互いの身体にシールを貼りながら生活をしています。

相手が凄いと思えば「金色の星シール」、ダメだと思うと「灰色のダメシール」

主人公はいつも失敗ばかりをしているので、カラダに「ダメシール」をたくさんつけられていました。

ところが、ある日、パンチネロは、ルシアというウイミックスの少女に出会うのです。

彼女は「ダメシール」を一つもつけていません。それどころか、「星シール」も一つもつけていないかったです。

ルシアに「丘の上の、私たちを作った彫刻家のエリの家に行ってごらん」とに言われ、パンチネロは出かけます。

そこでエリから、「たくさん『ダメシール』をつけてきたね。私のところに毎日通ってごらん。大切なのは、『仲間のウイミックスがどんなシールを貼るかではなく』、『私がお前のことをどう思っているか、そしてお前がそれを信じるかどうか』なんだよ」と言われるのです。

その部屋から出る瞬間、パンチネロのたくさん貼られた「ダメシールの一枚」が、コロンと剥がれて落ちるのです。

 

ぜひ、本作品をお読み下さい。感動モノの絵本です。

作者は、アメリカで牧師もしている方ですので、「神様の愛」をテーマとした作品となっています。

 

ある方は、久しぶりの同窓会に出て、懐かしい反面、とても嫌な思いをしたと言われました。

男性は、会社の規模や出世。女性は、結婚や子供や若さ等。まるで猿山のサルのように「マウント(上下の確認)をする人がいて、悲しくなったと言っていました。

でも、その方が一番悲しく感じたのは、自分の中にも、隠してはいても、同じ比較の思いがあり、「あの人より上よね」「あの人には負けたわ」と心では思っていたこと。参加前に、肌の手入れやダイエットをしたことも思い出し、「自分自身にも悲しくなった」と言われたのです。

 

私たちは、比較の中に生きています。そして「優越感で安心」したり、「劣等感で落ち込んだり」するのです。

「花はそれぞれの花で美しい」と言いながら、無意識のうちに「格付け」をしているのです。

 

ここで、「本気で」、「創造主である神様を信じる」価値があります。

(この「本気」というのが、大事です。「知識だけ」では、比較の縛りから抜け出せません)

 

創造主を知り、その「価値観」を知り、その「愛情」を体験すると、「創造主のお考え、愛情」が心の中に浸透してきます。

そうすると、「あなた自身の考え方」が「変えられる」のです。

「自分の全存在が、支えられている」ことが、理屈ではない、実感で分かるようになるのです。

 

すると……。

「自分の価値」を比較で見なくなっていきます。(この解放感は、凄まじいものです)

「自分」を創造主の愛で、「慈しむように」なります。(この温もりも、素晴らしいです)

「比較しなくていい」……自分が「そのまま愛されるという実感」は、確実に「人生の土台」を変えるものとなります。

多くの神様の愛に出会った方は、このことを体験して、「人生が変えられた」と言われるのです。

 

これも導き(神様のお膳立て)と考えて、一度クリスチャンのお友だちに、「神様の愛を知った経緯」を聞いてみてください。きっと素晴らしいお証を聞けると思います。

 

 

②③は、「神の愛」を知ったおまけのようなものです。

 

②「生きる目的と力」が与えられる体験。

聖書によれば、

人生は、偶然ではなく、与えられたものです。

ですから、「人生には目的」があります。

それが分かる時に、「生きる力」が湧き上がります。

それを、神様と一緒に生活しながら、一つ一つ発見していく、人生は「宝探し」のようなものなのです。

 

以前も書きましたが、私はクリスチャンになる前、「なぜ生きるのか」と真剣に考えていました。

生きる目的などは無いのでは、と思った時、全てが虚しくなったのです。

伝道者の書(旧約聖書)
1:1 エルサレムでの王、ダビデの子、伝道者のことば。
1:2 空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。
1:3 日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。
1:4 一つの時代は去り、次の時代が来る。しかし地はいつまでも変わらない。

これはソロモン王の言葉ですが、私も同じような心境でした。

 

しかし、イエス様を信じることができた時(自分で信じたというよりも、信じられるようにしてもらった、が感覚として近いです)、心の中に希望に光が灯ったのです。


エペソ(新約聖書)
2:10 私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。

 

「神様に造られたこと」「自分の人生にも計画があること」「良い計画があること(それをする力も与えられること)」を知った(解った)時、嬉しくって涙が出そうでした。

(こんなお話をすると、時間がいくらあっても足りません・・・)

私自身も「神様を知り、イエス様を信じたこと」によって。「人生が変えられた」一人なのです。

 

 

③「不思議な愛情や知恵」が与えられる体験。

イエス様を信じるようになり、「お祈り」と言うものを覚えました。

それは最初は、一方的に語る「お題目のようなもの」だったのですが、

祈りは「神様との交わり」と教えられてから、「神様との人格的な愛情の交わり」を体験できるようになりました。

 

「愛されると、愛することができる」と言われます。

神様の愛が実感として「分かる」と、人々へ優しさ(愛情)も、自然と増し加わることに気がつきました。

 

神様に「受け入れられているから」、少しは人を「受け入れられるように」なる。

「赦されているから」少しは「許せるように」なる。

「たくさん愛されているから」、ほんのちょっとだけ「愛が増し加わるように」なる。

 

こんな感じです。(頑固なので、ほんの少しづつだった・・・です)

でも「毎日祈る」と、確かに「いろいろな神様からの助けが与えられる」のです。

 

実はこのブログも、祈りながら書いています。(もし、読んで得るものがあったとすれば、それは神様からの智恵です)


Ⅰコリント(新約聖書)
12:8 ある人には御霊によって知恵のことばが与えられ、ほかの人には同じ御霊にかなう知識のことばが与えられ、

 

ルカによる福音書(新約聖書)
12:12 言うべきことは、そのときに聖霊が教えてくださるからです。

 

私の知人が、アメリカに留学した時、ホームステイ先がクリスチャン家庭でした。

信仰も神様もイエス様も全く知らなかったのですが、その家庭の暖かさに、特にクリスチャンのお母さんの暖かさに触れました。

彼女はそこで、お母さんからイエス様のことを教えられました。片言の英語しか話せない彼女でしたが、なぜだが「神様の愛」が分かったというのです。

英語の単語を通じて、「不思議な温もり」が彼女の心に注がれ「彼女は神様を信じ、Jesus(イエス様)を信じました。

 

神様を信じると「不思議な愛情や知恵」が与えられます。

こんな「プレゼント」を、質問者さんも頂きたいと思いませんか。

リンゴを知るには、見ているだけでは分かりません。食べてみることです。

そうすれば、酸味も甘みも分かります。

 

ぜひ、クリスチャンのお友だちに、いつか質問してみて下さい。

「あなたは神様を信じて、どんなふうに人生が変わったの?」

 

もしかすると、神様はあなたの人生の中で、「そのご友人と出会うよう」に計画して下さったのかもしれないのです。

 

質問者さんの、これからの「人生の祝福」をお祈りしています。

 

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いつも追い立てられているようで、疲れています。仕事が終わるとぐったりしています。再度の質問ですが、アドバイスをお願いします。

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「昨日、アドバイスを頂いた経理事務の者です。文章を何度も読む中で、自分の心を見つめ直すヒントを得たように思います。出来るだけエネルギーを浪費しないように生活したいと思います。ありがとうございました。もう一つ質問せて頂きたいです。実は、仕事でも生活でも、いつも追い立てられているように感じています。特に気が乗らない仕事の後は、ぐったりすることが多いです。人のことを気にし過ぎなのでしょうか。アドバイスをお願いします。」(40歳女性)

 

お返事と再度のご質問をありがとうございました。

先回の文章を読んで頂いて、少しでもお役に立てたようで、嬉しく思います。

今回も、しばらくお付き合い下されば幸いです。

 

先回と今回のご質問から、多分、質問者さんは、慢性的にエネルギー不足に陥っていると思います。

それでも、きっといつも気力を振り絞って、お仕事をされているのではないでしょうか。

精一杯ガンバっておられるお姿を想像します。(応援しています)

 

今回は、「エネルギーに満たされるために」というポイントで2つ、一緒に考えていきたいと思います。

①「リセットする」こと。

(外からの悪感情を断ち切ること)

②「自分を大切にする」こと。

(どれほど外から雑音は入ってきても、自分を大切にし続けること)

 

最初のポイントは①「リセットする」ことです。

質問者さんは、周りの空気を読むことに敏感な方のように、見受けられます。

きっと、いつも無意識に。「アンテナを張って」生活しているのではないでしょうか。

 

「いつも追い立てられている」ということは、いつも周りの情報を(無意識であっても)、キャッチし続けていると思うのです。

「ある人の感情」に焦点が合ってしまうと、気になってしまいませんか。

「外部の人の感情」と、「ご自身の感情」を比較した時に、外の情報を強く感じすぎて、無意識にいつも入れてしまう・・・そんなことが習慣になっている可能性があります。

 

「外からの感情」に繋がってしまうと、どんどん情報が入り影響を受けます。

(エネルギーもどんどん消費してしまいます)

ですから、まず「感情のつながりをリセット」することを考えましょう。

 

もし許されれば、一旦その場所を離れましょう。

そして深呼吸をしたり、飲み物を飲んだり、音楽を聴いたり、好きな文章を読んだり・・・五感を使って「違う刺激」に触れるのです。

一旦リセットできると、「つながり」から解放されます。

ですから「リセットするんだ」「リセットできるんだ」ということを覚えておいてください。

何度かチャレンジしている内に、「上手く」なっていきます。

場所をわざわざ離れなくても、簡単に「リセット」できるようになることでしょう。

大事なことは、過剰に「つながり続けない」ことです。

つながり続けるか、自由になるかは、「あなたご自身の選択」なのです。(重要です)

 

 

また現在の質問者さんは、「慢性的に疲れている」と思われます。

疲れてくると当然イライラします。

 

ですから、もし時間があれば(「時間をつくって」と言ったほうが正確ですが)

一度どこかで「大きなリセット」すると良いと思います。

おいしい食事を食べたり

温泉に入ったり

自然や芸術に触れたり

たくさん眠ることも良いでしょう。

 

「大きなリセット」できた「しるし」は、「もう一度頑張ろう」という気持ちになれることです。

そこまで、一旦休息(リセット)しましょう。

(質問者さんが元気になれることをお祈りしています)

 

それでは次のポイントに移ります。

②「自分を大切にする」こと。

「えっ、自分を大切にする・・・そんなこといつでもしているよ」と言われるかもしれません。

しかしよく考えて下さい。

「周りの人」の言葉や感情によって、あなたは「過剰な情報」を受け取っているのではないでしょうか。

誤解が無いように言いますが「暴力的なほど」感情を受け取っていると思います。

 

あなたが「自分を守りたく」ても、

それ以上に「外からの感情」が迫ってきたならば、質問者さんは堪えられず、「外からの感情を入れてしまう」と思うのです。

 

この時に重要なことは「自分を大切にする」ことです。

(そうすれば「外からの感情」を止めることができます)

どれほど「外から激しく感情」が迫ってきても、それでも「自分を大切にする」のです。

(「自分の感情」を守るのです)


箴言(旧約聖書) 4:23 力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。

 

「自分を大切にする」ことも「断ち切る」と同じく、質問者さんの「選択」によって可能です。

(このことは、はっきりと覚えて下さい。自動的に入ってくるのでは「ない」のです)

 

そしてその根拠は、「あなた自身が大切である」という「絶対的な確信」です。

 
イザヤ書(旧約聖書)43:4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。

(あなたを造られた神様が、あなたをどのように見ておられるか、が記された箇所です)

 

できるだけ「楽しい」ことを経験しましょう。

「良い感情」が湧きあがることを、日常的に意識しましょう。

そのために、「良いもの」に触れ続けましょう。

(良いもの・・・創造的なもの、神様の愛や、大自然や芸術作品など・・・に触れると良いです)

 

最後に需要なことを記します。

「自分を大切にする」とは

「良い感情に立ち続ける」ということも含まれます。

(良い感情・・・肯定的、健康的感情と言い換えることもできます)

 

人から、仕事を請け負うとします。

それを「イヤイヤする」のと、

目的と効果を考えて「前向きに、喜んでする」のは、

同じ仕事を終えても、精神的な結果(効果)は全く違うのです。


ガラテヤ(新約聖書)6:7 人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。
6:8 自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。

 

「良い感情(前向きな喜びの心)」で物事をしていくと、「力が湧きあがって」来ます。そしてたとえ失敗をしたとしても、「次があるさ」と前向きに考えることができるのです。

反対に「イヤイヤ」「否定的な感情」で仕事を始めると、ミスが起こると、不健康(不機嫌)な思いにあふれて、疲れてしまうのです。

あなたが落ち込むと、周りの否定的な感情を吸い込んでしまします。

(感情が「下に沈む」と、悪感情が泥水のように流れ込んできます)

 

ですから、どんなことをするにしても、「(健全な)心を準備してから」

(明るく高い、安全な場所に立ってから)

始めるように、心がけて下さい。

 

今までの質問者ご自身の習慣(行動のパターン)があるでしょうから、最初は少し頑張って意識しなければならないかとは思います。

しかし次第に上手になっていくはずです。

(信じて下さい)

 

 

今回のテーマは、「エネルギーに満たされるために」でした。

そのために

①「リセットする」こと。

(外からの悪感情を断ち切ること)

②「自分を大切にする」こと。

(どれほど外から雑音は入ってきても、自分を大切にし続けること)

 

特に、最後に書いた「良い感情」に立ち続けて生活することを心がけて下さい。

できるだけ「ざわついた感情」で、仕事をしないように、

「健全な心を準備してから」始めるように、心掛けて下さい。

 

質問者さんが、(周りの「雑音」があったとしても)

光とエネルギーに満たされ、質問者さんらしく生きていかれることを

(仕事も、疲れずに、こなすことができることを)

お祈りしています。

 

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仕事以外のことに、やる気が起こりません。やるべきことは色々あるのですが、気力が湧きません。気持ちの整理がしたいです。アドバイスをお願いします。

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「経理の仕事をしています。仕事は集中してこなすのですが、いつもピリピリしてしまい、家に帰るとがっくりとしてしまいます。気力が湧きません。部屋の掃除や、雑事など、やるべきことはたくさんあるのですが、最低限のこと以外は、先延ばしになってしまいます。どうしたら良いでしょうか。気持ちの整理がしたいのですが、アドバイスをお願いします。」(40歳女性、事務職)

 

ご質問ありがとうございます。

経理のお仕事をされているのですね。経理は数字が合って当たり前ですから、神経を使うお仕事です。仕事中は、きっと集中されていることでしょう。(質問者さんは、責任感・正義感も強いお方であるとお察しします)

けれども、家に帰ると気力が湧かないということですね。仕事でエネルギーを使い果たしているのかもしれません。それだけ仕事に全力投球されているのだと思います。

ひたむきな質問者さんの姿を想像します。

 

しかし、エネルギーが枯れ果ててしまい、日々の雑事がおっくうになるとは、お困りですよね。

解決のため、一緒に状況を整理していきましょう。

 

「最低限のこと以外」は先延ばしになるということですから、「最低限のこと」はできているということですね。きっと気力を振り絞ってされているとは思います。

 

《前半》は【気持ちの整理のために】3つのことを、一緒に考えていきましょう。

①「やるべきこと」と「捨てるべきこと」を明確にする。

②「小さな目標」と「その締め切り」を立てる。

③ できなかった時の別のブラン「Bプラン」を立てる。

 

《後半》は【心のエネルギーを蓄え、浪費しないために】というテーマで書かせて頂きます。

ポイントは、「許し(そのまま受け入れる心)」です

《後半》で一緒に考えていきたいと思います。

 

まず《前半》です。

【気持ちの整理のための3つのこと】

 

①「やるべきこと」と「捨てるべきこと」を明確にする。

長くなるといけないので、要点だけを簡潔に書きます。

今の状況下では、必要最低限のことだけに注目して、残りは「無視」したら宜しいと思います。(しないといけないというストレスから解放されるため、それで良いと割り切るのです)

 

整理するために、書き出しても良いですから、やらないといけないことをリストアップすると良いと思います。

そのリストの優先順位の番号をつけて、1番から順番にしていくのです。

リストの下は、今は無視しましょう。(どこかのタイミングで上位に上がった時に対応しましょう)

 

掃除が好きな方は、部屋が綺麗で片ずけられていることが、「心地が良い」です。(優先順位の上位です)

片付いていることで、日常生活の準備ができるので、その人にとって、掃除は「必要最低限のこと」なのです。(ストレスをなくすための条件です)

 

しかし、そうでない方もおられます。

片付いていなくても、気にならない方もおられます。

そうでない方に、エネルギーが枯渇した状態で、掃除や整理の仕方を指南しても、現実的ではありません。余計ストレスになります。

 

優先順位が低いものは、いざきよく先送りをしましょう。

掃除は、来客が来る等で、優先順位が上がった時に、対応すると考えてみるのです。

(何度も書きますが今はエネルギーが無い状態ですから)

しかし、どうしても気になるようでしたら、「片付ける範囲」を決めましょう。決めた範囲だけを片付けて、満足するようにするのです。(②にもつながります)

 (ズボラを指南するようで、スイマセン)

 

 

②「小さな目標」と「その締め切り」を立てる。

先ほど、「掃除も、気になるようなら、自分の決めた範囲だけを整頓しましょう」と書かせて頂きました。小さな目標を立てることは有益です。そして、その締切を決めることも有益です。(人間は締切がないと先送りをしてしまいますので)

自分で締切を作るのが難しいと思ったら、親か友だちを家に呼びましょう。掃除をせざるを得ない状況を作るのです。(無理がない程度にです)

 

雑事も、あまり詰め込むとやる気が削がれます。

市役所、銀行、郵便局、・・・雑事はこの日にしようと「小さな目標」を立てるのです。

そして「締め切り」を決めましょう。

出来るだけ、簡単にできる小さな目標を立てるのです。そして達成感を味わいましょう。(調子に乗って無理は禁物です。小さな目標に徹しましょう) 

今はエネルギーが枯渇状態ですから「無理がないように」が、おすすめです。

 

③できなかった時の別のブラン「Bプラン」を立てる。

真面目な人の多くは、目標設定をして、それができなかった時に、「自分で自分を裁き」ます。

そのせいで疲れたり、嫌になってしまうことがあり、「目標を立てること」にも嫌悪感を持ってしまうこともあるのです。

しかしこれは、「目標を立てること」が問題ではなく、「自分で自分を裁くこと」が問題です。

 

自分で自分を裁かない対策として、プランAができなかった時には、プランBを立てる練習をするのです。

 

もし予定の日に市役所に行けなかったら、自分で自分を裁かずに、次のプランBを立てましょう。(そのためにも多少の余裕はあった方が良いとは思います)

「自分を許す」練習をするのです。

 

 

《後半》です。

【心のエネルギーを蓄え、浪費しないために】

ここでのポイントは、「許し(そのまま受け入れる心)」です

(今回のプログのテーマがこの点です)

 

人は「思い通りにならない時」に、ストレスを感じます。

「こうあるべきだ」という考えに対して「違うことが起きる時」

「裁きのこころ」がわき上がります。

そして「裁きのこころ」がわき上がると、ストレスは激しくなります。

 

「自分」で「自分」が許せない時、「自分を裁き」ます。すると自分の中で強烈なストレスがたまります。

「周りの人」を許せない、こうあるべきだ、おかしいと思う時、「その人」や環境を裁きます。するとその時もストレスがたまります。

ストレスがたまると、心のエネルギーを大量に消費します。すると状況によっては動けなくなります。

 

だから「ストレスを軽減」するには、「裁きのこころ」を取り除くこと、です。

 

別の言い方をすれば、

裁きべきその人を「許す」こと。環境も「許す」こと。

・・・「そのままで良い」「そういうこともある」と受け止めることです。

 

質問者さんが「失敗した自分や他人」を(仕方がないと)許すことができれば、裁きの思いが減り「ストレス」は確実に(信じられないほど)軽減します。

 

私が持っている本の一冊に「自律神経を整える、あきらめる健康法」(小林弘幸著)があります。

めまいや多くの病気は、自律神経の乱れから起こります。

それを「あきらめること」で本来の状態に整えるという趣旨の書籍です。

 

「あきらめる(消極的)」それはすなわち「裁かない→受け入れる、許す(積極的)」ということです。

 

「自分を裁かず」「環境も裁かない」と、自律神経も整えられ、健康増進、若返りさえも起こるというのです。(裁かないことは素晴らしい力なのです)

 

 ではどうしたら「裁きのこころ」が取り除かれるかを、最後に取り上げます。

 

実は、これがキリスト教の大事な教えなのです。

①まず、自分の中に「裁きのこころ(罪)」があることを、認めることです。

(気づきと、方向転換・悔い改め)

② 「そんな自分が赦されている体験を受けとめること」です。

(心の取り扱い、聖霊体験)

 

人への「許し」は、自分が「赦されている」体験を通じてでなければ、できません。

「失敗を許された」体験を思い起こしてください。

 

クリスチャンであれば、神様が、イエス様が「あなたの罪を赦して下さった」という体験です。「深い罪を赦された体験」を心の中で、何度も思い巡らせてください。

それが心に浸透した分、「自分を許せる」ようになります。そして「人を許せるようになる」のです。(心に聖霊の力が働くことを通じてです)

 

クリスチャンでない方に分かりやすく、「神様の赦しの体験」を説明する方法を、私はまだ十分に持っていません。(なぜなら人間の許しは「不十分」だからです)

しかし、もしあなたの両親が、祖父母や身近な方が、あなたを愛するが故に「あなたの失敗」を許して下さった体験がもしあれば、それは貴重な財産です。

その許しを思い巡らせてください。そして同じように「自分を許し」「人を許す」のです。

 

そうする中で、質問者さんの「裁きのこころ」が解けていく筈です。(ゆっくりとです)

 

「自分を許せる心」とは素晴らしいです。

「ストレスが減り」「気力が充実します」。

毎日の仕事も「無理なくできるように」変えられていきます。(余力が持てます)

 

人間関係も向上します。(良いこと尽くしです)

 

「自分と環境」を受け入れ、許すこと。そして「裁かないこと」・・・・そこからな毎日の気力の充実が与えられるのです。

 

質問者さんの気力が充実し、

毎日が潤いに満ちたものとなりますように、

祝福をお祈りをしています。

 

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育休明けで自分のポジションがなくなり、職場で居心地が悪いです。どう前向きに考えたら良いですか。

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「妻の出産前に夫婦で話し合い、妻の産休の後は『私が育休を取る』ことを決めました。幸い理解のある職場で、上司の配慮の元、私の下で働いてた同僚が、私の仕事を引き継いでくれました。そして約一年子供と一緒に生活することができました。育休後も、同じ部署に復帰となり、懐かしい人たちと一緒に仕事を再開することができました。しかしその同僚が継続して係の責任者となり、私はその補佐という立場で仕事をしています。復帰後も定時で帰ることも多く、以前の仕事のスタイルとは大きく変わりました。「もし育休を取らなかったら」と考えると、心の中がモヤモヤしてきます。どう気持ちを整理したら良いでしょうか。」(30代男性)

 

ご質問をありがとうございました。

質問者さんは、やさしく責任感を持っておられる方だと思います。奥さんのことを考え、自分が育休を取る、それはこのご時世とはいえ、尊いことだと思います。

そのような方だからこそ、質問者さんは、必要な人として「同じ部署に復帰」されたのだと思います。
「自分のキャリア」を一時期とはいえ見送った質問者さんを応援する方は、男女問わずたくさんいる筈です。まずそのことを受けとめて下さればと思います。

 

しかしそうはいっても、質問者さんは「負の感情のスパイラル」に落ちかけているとも言えるでしょう。
「こうしなかった方が良かったのではないか」「別の方法もあったのでは」という気持ちがわき上がっていることも、察します。

人間は理屈と感情が同じではありません。感情は揺れ動きます。
質問者さんの気持ちを知って下さる方が一人でもいれば、落ち着くでしょうが、同じ気持ちを共有できる方は近くにおられますでしょうか。学生時代の友人とラインで連絡を取ったり、同じ立場の方のブログを読んだり、そのような立場のNPO法人もあります。
情報交換を通じて「自分一人ではないのだ」と知ることは、きっと支えになります。

 

質問者さんは、「精一杯」努力していると思うのです。
特に子育ては「思い通り」にいきません。
その上に「仕事について考えている」のですから、それは相当に「ねぎらわれるべき」ものです。


私からは、3つのことを提案したいと思います。

①「感謝の気持ち」で周りを見ること。
②「すべきこと」を、コツコツとすること。(目標の再設定)
③「幸せの感情」を味わうこと。


①感謝の気持ちで周りを見ること。
「負の感情のスバイラル」時に、「感謝する」という言葉を聞くと、反発したくなるかもしれません。
しかし聞いてほしいのです。

「ブルーの眼鏡」で周りを見ると、「ブルー」に見えます。
「明るい色の眼鏡」で周りを見ると、「明るい色」に見えます。

今の質問者さんのお気持ちで、「周り」を見ると、
「不満」や「苛立ち」ばかりが、見えてくるはずです。

しかし考えてみて下さい。
同じ職場に戻ることができたのは、上司の理解、同僚の協力、同じ部署の方の支えがあってのことの筈です。
質問者さんに「協力してくれる方々」によって、今の質問者さんの状況が、許されていることも事実です。

 

聖書の中に
5:16 いつも喜んでいなさい。5:17 絶えず祈りなさい。 5:18 すべての事について、感謝しなさい。
という言葉があります。

 

「感謝すること」は、健全なことです。
そして「感謝すること」は、健全に周りを見る「きっかけ」になります。

 

イライラが募ったら、ぜひ「感謝の眼鏡」で周りを見て下さい。
そうすれば、同じものが「別の角度」で見えてきます。

「感謝の気持ち」を保ち続けるには、「祈り」が必要になるかもしれません。
「祈り」という言葉になじみがない方は、「思い巡らす」「瞑想」と考えても近いとは思います。
(「祈り」に関しては、別の個所で触れます)

 

「否定的な感情」を断ち切って下さい。
「感謝の眼鏡」で見るのです。
そうすれば、今置かれている状況が「幸せだ」と思える「材料」が見えてくるはずです。(大切なことです)

 


②「すべきこと」を、コツコツとすること。(目標の再設定)
質問者さんの文章を読ませて頂くと、
「育休前の自分」と「現在」のギャップに戸惑っておられることを感じさせられます。

 

人は、「こうあるべきだ」という「山(目標設定)」を定めて、そこに向かっていくことに「達成感」を感じるものです。

一つ質問をします。
質問者さんの、「現在の目標設定」は、何でしょうか。
(いくつか書き出してみて下さい)        

その答えは、
確実に「以前(育休前)の目標」とは違うものになっているはずです。
しかし質問者さんのお言葉からは、以前の目標と現在の目標が「ごっちゃに」なっていることを察します。
(ですから、もう一度、「理性的」に整理して欲しいのです)
(感情が絡んだ時、「理性」は非常に役に立ちます)

 

人は質問者さんを、「いろいろな価値観」で評価をします。
ある人は「素晴らしい」と言い、ある人は「残念だ」というでしょう。
それによって「嬉くなったり」、「傷ついたり」します。

 

しかし厳密には「人の評価(価値観)は重要ではありません」(状況が変わればすぐに変化します)
あなたと奥さんが話し合った「あなたの家庭の目標」こそが重要であり、そこに向かっていくことが「評価すべきこと」なのです。
職場を無視するわけではありません。しかし質問者さんは、今の時期「職場」より「家庭・子育て」を選んだ「勇士」です。
その「覚悟」を、持ち続ける必要があります。

 

その上で、現在の仕事の目標を「再設定」することです。
あなたが、「感謝しつつ」、「再設定」し、目の前の仕事の目標を「コツコツと実行」してくならば、
どこかで「達成感」が与えられ、今の仕事の「充実」につながるはずです。

(「結果として」人の評価にもつながります。あくまで「結果」です)

 

「給与をもらう」という目標だって、「素晴らしい目標」です。
それで家庭が潤い、子育てができ、家族の幸せにつながるのならば、大切なことです。
「だれかをサポートする」目標も、尊い目標です。

 

どちらにしても、一度昔の「山(目標)」から、離れる必要があります。
同僚や上司の方とは、「確実に違う道」を質問者さんは歩んでいるのです。

 

ですから「人と比べる必要」はありません。(むしろ比べてはいけません)
自分の歩むべき道をしっかりと見るのです。そして「コツコツと歩む」のです。

 

現在の質問者さんは、以前には見ることができなかった「別の景色」をみていることと思います。

誰もが知っている道を歩むことは、単調であり、面白みに欠けます。
むしろ人が通ったことがない道で、山頂を見ざしたならば、確実に人間としての「経験値」は高くなるのです。
それは「人間的な厚み」につながります。

一度しかない人生、いろいろな景色が見えた方が、「素晴らしい」と思いませんか。

 


③「幸せの感情」を味わうこと。
とはいっても、心の中がささくれ立っている時には、そのような気分にはならないことでしょう。


詩篇63篇(旧約聖書)
63:1 神よ。あなたは私の神。私はあなたを切に求めます。水のない、砂漠の衰え果てた地で、私のたましいは、あなたに渇き、私の身も、あなたを慕って気を失うばかりです。
63:6 ああ、私は床の上であなたを思い出し、夜ふけて私はあなたを思います。

 

私のブログで良く出てくる「ダビデ」です。
彼は、素晴らしい「神様の愛情と守り」を体験し、その体験に「気を失うほど」の思いを持っていました。
そして寝床で、「その時の感情」を、思い巡らしたのです。

 

もしあなたがクリスチャンであれば、「神様から愛されている感情」を味わって下さい。
「赦されていること」「感謝の数々」を思い起こして下さい。
床の上で、いつもその感情を思い巡らし、その感情に浸るのです。

 

もしクリスチャンでなかったとしても、

あなたが感じる「幸せな感情」を味わって欲しいのです。 

(お子さんのこと、家族のこと、愛されていること、期待されていること)

 

「心の部屋」が「光で一杯」ならば、闇は入ってこれません。(入れません)
しかし心の中が「スカスカ」で、闇が入る余地がある時に、闇は「平気で入り込んで」きます。

 

ですから「闇が入らないように」(入ることができないように)、
心を「幸せの感情」で「いっぱい」にするのです。

これには、心を「確実に光で満たす」という意志(熱意)が必要です。
そして、満たされるまでの「時間」も必要です。

しかしやってみるだけの価値はありますので、ぜひやってみて下さい。

 


【まとめ】です。

あなたの気持ちを知ってくれる人を見つけて下さい。(一人ではないことを体験して下さい)

 

その上で、3つをお試し下さい。
①「感謝の気持ち」で周りを見ること。
②「すべきこと」を、コツコツとすること。(目標の再設定)
③「幸せの感情」を味わうこと。

 

優しい質問者さんが、
今の職場で、「前向き」に「輝いて」生きていかれることを、お祈りしています。

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生きることが怖いです。大人が混乱している姿を見て、こんな状態でも生きないといけないのでしょうか。

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「周りの大人がみんな混乱してるのを見て、大人が何年も生きていても、こんなに動揺するのかと思いました。長く生きていても意味がないように感じます。こんな状態でも生きていかないといけないのでしょうか。長く生きることの意味はあるのですか。」(M.K.中学2年女子)

 

ご質問をありがとうございます。

現在は、新型コロナの影響で、感染予防のストレス、それに伴う生活や仕事の混乱、経済状態の危機が起こっています。平静を装っている大人でも、心の奥では皆が動揺しています。

今まで、確かだ、当たり前だと思っていたことが、当たり前ではなくなりました。

いのちの危険を感じる中で、恐怖と不安が人々の心に満ちています。

「確かな支え」が無くなった喪失感は、大人でも耐えるのが難しいことです。

 

質問者さんは、中学2年生ですから、未来に「夢や希望」を持ちたいと願う年齢だと思います。

小さな頃は、大人は何でもできると思っていたでしょうから、

現在の大人が混乱する姿を見て、動揺するのは当然です。

長く生きても、意味がないのではないか、と感じるのも自然なことかと思います。


今は非常事態です。コロナ戦争と言っている大人もいます。(ほとんどの大人は戦争未経験者です...つまり非常時を経験していません)

そんな不安な時代の雰囲気を、質問者さんは、感じておられるのです。

とても繊細な質問者さんだと思います。

 

今回私は、1つのことだけお話するつもりです。一緒に考えて頂けると嬉しいです。

 

白い画用紙を頭の中にイメージしてみて下さい。

そこに、一本の木を描いて下さい。(実際に画用紙に描いてもらっても構いません)

どんな木が、そこに描き出されましたか。

 

 その木のサイズは、葉の繁り具合は、根はどうでしょうか。

直接お会いすることができないので、その絵を実際に描いて頂き、見ることができないのですが、

心理テストでは、木は「あなたご自身」を象徴すると言われています。

木が大きければ、エネルギーに満ちており、とても小さければ、エネルギーが枯渇していると言われます。

あなたの「木の大きさ」は、どれぐらいですか。

 

今回お話したいことは「木のお話」です。

 

旧約聖書、イザヤ書37章に、

(30) あなたに与えるしるしはこれである。すなわち、ことしは落ち穂から生えた物を食べ、二年目には、またその落ち穂から生えた物を食べ、三年目には種をまき、刈り入れ、ぶどう畑を作ってその実を食べる。(31) ユダの家の、のがれて残る者は再び「下に根を張り」、「上に実を結ぶ。」

 

これは、ヒゼキヤという王様が、助けを求めた中で与えられた「回復のメッセージ」でした。

苦しみが過ぎ去る約束でした。

しかし、神様が手を打たれても、根が張るまで、しばらく時間がかかり、その後に回復が与えられるという、約束だったのです。

つまり、インスタントで簡単には回復されなかったということです。

 

実際に、地面を掘り下げ、根を張ることは、「苦しみ」を伴います。

しかし、根を張ることなく、木が枝を伸ばし実を結ぶことはないのです。

根が弱ければ、風が吹くと、簡単に倒れてしまいます。

いくら一瞬実を結んだように見えても、その重さに耐えられず、木は倒れ、生きていけません。

 

木は根を張らなければ、長く生きていけないのです。

そして、もう一度書きますが、根を張ることは「苦しいこと」なのです。

 

人生には、「楽しいこと」がたくさんあります。

しかし、根を張る時期が必ずあるならば、「苦しみ」も「必ずある」のです。

人生は、「苦しい時期」を必ず通るのです。

 

一つ質問です。

「根を張る、最も良い時期は、いつだと思いますか」

(少し考えてみて下さい)

答えは……「それは、………一番苦しい時です」

地上で楽しいことがあれば、そちらに目が行きます。(先送りができます)

しかし、本当に苦しい時には、「根を張ること」に「集中」しなければ、生き残れません。

「逃げられない」のです。

「生き残る」ためには、根に集中しなければならないのです。

ゆえに、根を張る一番の好条件は、「最も苦しい時」です。

 

「根を張ること」を考えてみます。

根とは、水分を吸収する器官です。管(くだ)、ホースです。

具体的には、「何かとつながる心」です。「祈り」と言い換えることもできるでしょう。

自分の「本当に支えになるもの」とつながる力なのです。

 

 

不安定な「砂の上」に、自分が立ち、つながっていることに、気がついたなら、

根を掘り下げて、その下にある「確かな岩」を見つけるのです。

岩の「安定感」を自分のものとし、岩から湧き上がる「水脈(力)」を感じるのです。

それが「根を張ること」です。

(どのように「安定感、安心感」を心に根から吸い上げるかは、詩篇63篇等で学べますが、それは別の機会に取り上げます)

 

根を通じて「心が満たされた」なら、あなたも、今まで以上に「強い人」になれます。

(自分は弱くても、岩が強いから、私は強い、という境地です。)

(カラ元気で、強いふりをすることではありません)

 

ぜひ、「苦しみ」を楽しんで下さい。

(そんなことは、可能か、と思われるかもしれませんが、可能です。苦しみの意味が分かり、確かなものにつながる喜びが分かれば、少しずつできるようになります)

 

冒頭のご質問に「大人は、動揺している(答えを持っていない)。だから長く生きる意味を見出せない」

ということが書かれていました。

最後にこの事に触れさせて頂きます。

 

皆が、同じものを見て、同じように動揺しているように見えても、

実は、個々人が抱えている荷物(重荷)は、

中学生である質問者さんと、ご両親や学校の先生方は、違うのです。

 

山をイメージして下さい。

木がたくさん植わっています。

山道の入り口と山頂近くは、見える景色が違ってきます。

登山の最初に聞いていたことも、実際高いところまで登ってみると、(下界にたくさんの木が見えて)印象も感じ方も違ってくるのです。

家族のことを考え、会社や役割やお金のことを考えると、当然、重荷が増えていきます。

見える景色、支える責任が、立場によって異なってきます。

「一人分」の支える根は持っていても、高い場所に登り、家族のこと会社のことが見え、それらを考えると、「すべて」を支えるだけの根を持ち合わせていない、だから動揺してしまう、ということも十分考えられるのです。

 

質問者さんは、聡明で、観察力の鋭い方だと、私は感じます。

頭の回転も速い方でもあると思います。

 

頭の回転の速い人は、傾向として「結論を素早く出せる」という特徴があるようです。

しかし「見るべき材料がそろわず」に「結論を出す」と悲劇的な結論を出してしまう場合があります。

 

聡明な質問者さんには、ぜひ今の「苦しい状況下」で、根を深く掘り下げてほしいと願います。

(確かな支え、価値観を身につけ、どんな嵐が来ても倒れない生き方を身につけて欲しいのです)

そして、山道を登った時、(もう少し経験を積んだ時)、「多くの人を支えることができる人」となって欲しいのです。

 

人生には、「苦しみ」があります。

あなたにも、あなたの周りの人にもあるのです。

今の時代は、人々は「自分のことで精一杯」です。

しかし「確かな根を持っている人」は、

「隣の倒れかかった木」さえも、支えることのできる存在になれるのです。

 

どんな時も崩れない「絶対的な岩」、支えを見つけて下さい。

そしてそれを「吸収する根」の力を強めて下さい。

聡明な質問者さんなら、そのことができると信じています。

祝福をお祈りしています。

 

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人を裁く思い、を止めることができません。どうしたら良いでしょうか。

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「あることをキッカケに、人を裁いてしまいました。許すことができません。理性では抑えようとしているのですが、見ないようにしよう、紛らそうと思うほど、心が悶々としてきます。苦しいです。どうしたら良いでしょうか。」32歳女性

 

苦しいですよね。人を裁く思いを心に持つことは、しんどいことです。

最初にお話したいことは、あなたはとても「良心的な方」だと思います。

 

ある人たちは、「裁くことに快感」を持ちます。

それは自分を高い位置に置いて、人を見下し、自分を正当化しているためです。

そのような人は、「自分の裁く思い」を間違っていると「決して考え」ません。

「歪んだ感情」と言わなければなりません。

 

しかし、質問者さんは、そのようには、考えておられません。

「裁くこと」に苦しんでおられます。

それは、とても純粋な心であり、誠実な姿勢です。

 

 私のブログを読まれている方(質問者さん)は、私の立場を知っておられると思います。

聖書は、こう記しています。


マタイ7:1「 さばいてはいけません。さばかれないためです。
7:2 あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。」

 

他人を「裁く」場合、その裁きと「同じものさし」で、自分で自分を裁きます。(自然なことです)

「コイツは価値がない」と思えば、自分が同じ状況に落ちた場合、「自分も価値がない」と宣言することになります。

歳をとって能力が落ちた人を「価値がない」と見下す人は、自分の能力が落ちた(と感じた)時、自分自身を「同じように裁く」のです。そうすると落ち込んだり、場合によって鬱になったりするのです。

 

人は、そうならないために、「二つのものさし」を持ちます。(自己防衛です)

人は裁いても、自分はOKというものさしです。

しかしこれは厳密には「不正」です。そして「罪」なのです。

 

人を見下す理屈も、同じです。自分は「良く」人は「悪い」のです。

そのものさしが「二つ」あることに、気付こうとしないのです。(否認)

 二つの物差しは、「不正」です。私たち人間は、この「罪」を背負って生きているのです。

 

長々と説明をしてしまいました。

「人を裁く思い」の解決のため、

今回は、二つのことを書きたいと思います。

 

①裁きによって、自分の隠れた思いが明らかになること。

②裁きによって、自分の持つ「小さなものさし(価値観)」に気付き、心をもっと大きくするチャンスを得るということ。

 

この二つによって、質問者さんの心が整理され、ご自分の心を受け止め易くなると信じます。(裁きの心の「赦し」と「きよめ」については、別の機会に触れる予定です)

 

①裁きによって、自分の隠れた思いが明らかになること。

「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」ということわざがあります。

憎しみという感情は、理性を混乱させます。心の中がぐちゃぐちゃになり、正しい判断ができなくなります。

上記のことわざは、人は感情的に憎むと、関わるすべてが憎くなることを、言い当てています。(このような対応は、問題を起こします)

 

ですから、「自分の心のものさし(価値観)」や「感情」を冷静に分析しなければなりません。見たくないものであっても「事実」ならば、「受け止める心」を持つ必要があります。

 

しかし「本当の自分を知る」と言う事は、実は恐ろしいことです。

それは、「自分は善人だ」と言う認識を持つ人にとって、「自分は善人という偶像」を打ち砕くことになるからです。

(よく聞いて下さい)

私がお話をしていますと、ある話題になると、明らかに「心ここにあらず」という感じになる方がいます。人によっては「眠くなる」方がいます。しかしどちらの方にも言えることは、否認(聞きたくないことを聞かない自己防衛)だと言うことです。

(自分のことは気がつきにくいのです)

 

もし、自分の心を見ようとせず、処理できていない感情で、物事に当たる場合、

人を通じて「自分が抑えこんでる感情」が引き出されます。

 

いわゆる「どこに行っても嫌な人がいる」という現象です。

神様が、あなたの課題を、気づかせようとしていることではありますが、

人間的な視点で見れば、自分の中の、見えてないコンプレックス(処理できていない感情)が、嫌な人を通じて「引き出される」のです。

「それを見たくない」という心が動く時、ますます心の中が、悶々とします。

 

ダビデという人物がいます。(旧約聖書の人物です)

彼は、苦難の後、王様になってしばらくたった時、夫のある女性と関係を持ってしまいました。

彼はその罪を正当化しました。そしてその後、王であるという権威を使って、夫を戦死させたのです。

彼は、「自分の罪深さ」に気がついていませんでした。(ものさしが二つあったのです)

しかしここに預言者が遣わされます。そしてたとえ話をしました。

それは罪を犯した「別の男の話」でした。

それを聞いてダビデは激怒します。「そんな奴は死刑だ」と言います。

すると預言者は「その罪人はあなたです」と宣告したのです。

このように、ダビデは「人の罪」によって「自分の罪」に気付かされたのです。

(人の罪は分かるが、自分の罪は気づきにくいのです)

 

しかしダビデは、「自分の罪」に気がついた時、「深く悔い改め」、赦しと回復の道を歩みました。

 

他人を許せない思いがあったら、何が許せないのかと考えましょう。(他人のことは冷静に分析できます)そこにあなたの価値観があります。

その価値観で、自分自身を計ってみるのです。

出来ているところ、出来ていないところ・・・あなたは頑張ってその価値観を守っていたかもしれません。しかしあなたも状況が変われば、(究極まで追い詰められたならば)、「同じように罪を犯す可能性」があるのです。(または既に犯しているのです)

 

そこに目を留めた時、心の取り扱いが始まります。

(心の取り扱いに関しては、別の場所で触れていきます)

心の取り扱いを受けると、あなたは頑張ってではなく、恵みによって自然にそのことができるようになるのです。

その取り扱いを受けたしるしは、「許しのこころ」です。

実はこれがキリスト教の「一番の根幹」です。

(自分が赦されたから、人を許すことができるという体験です)

その体験をした人は、心が穏やかに変えられていきます。

 

②裁きによって、自分の持つ「小さなものさし(価値観)」に気付き、心をもっと大きくするチャンスを得るということ。

 

嫌な気持ちは、自分の心の中の「ものさし」に反することによって起こります。

そのものさしが、どんなものかを知ることができたならば、自分のイライラの原因がはっきりとします。

「人を裁く原因」を考える中で、「自分のものさし」が見えてきます。

そして「そのものさし」は、意外と小さく短いのです。

自分の価値観がはっきりとした時が、実はスタートラインです。

 

また、自分を客観的に見るためには 、「もっと大きく長いものさし」を知る必要があります。

これはイエス様の言葉です。
「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」

 

「自分のものさし」が、小さなもので「実は大したものではないこと」に気がつくと、

そのものさしで「人を切りまくること」は少なくなります。

 

「自分も大したものではない(完全でない)」「人だって大したものではない」所詮みんな人間なのだ。・・・そう思えるのです。

 

 
Ⅰヨハネ(新約聖書)
3:20 たとい自分の心が責めてもです。なぜなら、神は私たちの心よりも大きく、そして何もかもご存じだからです。
3:21 愛する者たち。もし自分の心に責められなければ、大胆に神の御前に出ることができ、3:22 また求めるものは何でも神からいただくことができます。

 

「自分の小ささ」を知り、「大きなもの(存在)を見つめながら」進む時、裁きの思いが小さくなっていることに気がつくでしょう。(そして、少しづつ「愛の心」が大きくなっていくのです・・・見るものに近づくのです)

 

裁きの思いは、アラート(警報)です。

1自分の中によく似た罪が隠されていること。

2自分のものさし(価値観)は意外と小さいもので、振りかざす価値はないこと。

 

思い巡らしてみて下さい。

きっと裁きの思いが、小さくなっていることに気がつくはずです。

 

祝福をお祈りしています。

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もし知人から「死にたい」と言われたら、どんなことに気をつけたら良いですか。

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「もし、身近な人に、苦しんでいる人がいて、「死にたい」と連絡をもらった場合、ふさわしい言葉が言えるか自信がありません。言ってはいけないこと、言うべきこと、したほうが良いことはありますか。」

 

ご質問ありがとうございました。

非常に大切なことであり、デリケートなご質問だと思います。

もし「死にたい」と知人に突然言われたら、驚かれたるでしょうし、責任を感じるとも思います。

そのような連絡をする人は、とても追い詰められている筈です。「語る一言」で今後が変わる可能性もあります。ですからその返答は、とても「重い言葉」となります。そう考えると、腰が引けてしまうかもしれません。

しかし事前に想定しておけば、多少は安心できるとは思います。

今回も、できるだけシンプルに「ポイント」を共有したいと考えています。

 

まずお話したいことは、

そのような相談を受ける「質問者さん」は、とても優しい方、共感性の豊かな方だと思います。

「死を考えている人」が最後に連絡しようとする相手は、「話を聞いてもらえる人」とご本人が考える方だと思います。ですから、もしそのような連絡を受けたら「苦しみを聞いて差し上げる」ことに集中したらよろしいとは思うのです。

そう考えて下されば「肩の荷が降りる」とは思うのです。

 

幾つかを箇条書きします。 

【してはいけないこと】

①お説教をする(問題点や死ぬことはやめなさいと説得しようとすること)

②昔の楽しかった思い出話を、こちらからすること。

③アルコールを勧めること。

 

【した方が良いこと】

①共感に努めること。

②感謝の言葉を語ること。

③できれば次回会う約束を取ること。

 

【その他】

①聴き方の技法(エコー)

②甘いものを勧める。

③自分の心(質問者さんご自身の心)を守る。

 

 

【してはいけないこと】

①お説教をする

本当に追い詰められた人は、冷静になっています。(衝動的な場合を除く)

家族のことを考え、仕事や自分の責任を考えた上で、死を決断しようとしています。

そのような人に「他の人が苦しむ」とか「周りの迷惑を考えた方が良い」というアドバイスは、ナンセンスであり、傷口に塩を塗るだけの言葉となります。

「もう十分にそれらのことを考えた上」死を覚悟している場合、どんな説得も無意味なのです。

議論をしないでください。(効果がありませんから)

相手が議論してくれも「〇〇を言うほど、苦しいんだよね」と言って、受け止めてあげて欲しいのです。

あなたが、論破されることが問題ではありません。

「あなたが答えを持っていない」ことが問題でもないのです。

あなたのプライドも、問題ではありません。

「役割」に徹してください。「自分はこの人の、苦しみを受けとめる」ために、神様から遣わされた者なのだ、と考えて欲しいのです。

「死にたい、と言っている間は大丈夫」と言う考え方があります。

しかし、「そうではない」と考えて対応した方が良いです。

人間は、何が「着火剤」になるか分かりません。とにかく聴いてあげてください。

何度も言いますが「役割に徹する」のです。それは「聴く役割」です。

 

聖書では、ヨブ記の中の「ヨブを責める友人たち」が、してはいけない行為の、反面教師の事例です。(詳細は別の場所で取り上げる予定です)

 

 

 ②昔の楽しかった思い出話を、こちらからする。

昔からの知人の場合、励ますために、「昔はこんなことがあったよな」と話を変えるケースがあります。

けれでも、気を付けて下さい。もしあなたが辛い話題を避けたいためだけに、「昔の楽しい話」に話題を変えているならば、もしかするとお相手を追い詰めることになるかもしれないのです。(昔は良かったが今はダメだという、メッセージになる可能性があります)

「現在(今)」の「お相手の辛い感情」に集中してください。そして後でも触れますが、全て受け止められなくても「受け止めたい」と考えて、言葉を発して欲しいのです。

 

 ③アルコールを勧める

アルコールを飲むと、実は「苦しみを忘れるのではなく、かえって強化される」という研究が、最近多く取り上げられています。

アルコールは、本質的な解決にはなりません。(むしろ後から苦しみが増大します)

また危機的な状況下でのアルコールの摂取は、脳の感覚がマヒして「一線を越える」ハードルを下げてしまう可能性があるのです。ですからアルコールは厳禁です。

 

 

【した方が良いこと】

①共感に努める

聖書に、「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」(ローマ人への手紙12章15節)

という言葉があります。ですから、共感に努めて下さい。

しかし気を付けて下さい。

一般に「共に喜ぶ」よりも「共に悲しむ」ほうが易しいと言われます。

なぜなら「相手の成功」は、自分の嫉妬心を刺激します。(人間は罪深いのです)

「悲しみ」のほうが「共感しやすい」のです。

 

しかし「このような心(嫉妬)(上・下)(マウントの心)」で相手の悲しみを聞くと、

「自分はここまで落ちていないという」「優越感」を持つ場合があるのです。(何度も書きますが、人間はとても、深い部分で罪深いのです)

 

このような心を、お相手は「敏感に察知」します。

ルカ8:17「隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、人に知られず、公にならないものはない」

 とあります。

長い時間話をしていれば、あなたの本音は必ず表に出てしまうのです。

ですから、優越感ではなく、「心から相手のことを思って」関わって欲しいのです。

(人間の心の「罪深さ」は、聖書が取り上げる重要テーマです。もしあなたが、自分の心の中の「闇」を解決したいのであれば、別の場所で取り上げ、掘り下げてみたいと考えています)

 

②感謝の言葉を語る

お相手は、「勇気を振り絞って」あなたに連絡をしたはずです。

ですから、「連絡をしてくれたことの感謝」をまず、その方に差し上げてください。

そしてお相手との関わりを思い出しながら、「その方に世話になったこと」を話して上げて欲しいのです。(その方への「感謝」は「励まし」となり、別の視点を持つ「気づき」につながります)

そして「逝ってしまったら、私はとても悲しむ」と(様子を見ながら)素直に伝えて欲しのです。

 

③できれば次回会う約束を取る

人は、「目標」を持つと生きていけます。

ですから、「一度会おうよ」とどこかで誘ってあげて欲しいのです。

衝動的になっているとするならば、しばらく時間を置くことで、(視点が変わり)危機を脱することもあり得るのです。

会うことができたら、あなた自身で抱え込まずに、専門家の協力を仰ぎましょう。(今は、いのちの電話も心療内科の新規予約も取りにくい状況ですから、少し時間がかかります)しかし何かの目標を一緒に持つことが、(目標がたとえ病院に行くことであっても)今後の生きる支えになり得るのです。

何よりも、「会う約束」を作ることで、(危機的な状況下で)「目先の目標」を持つことができるのです。

 

 

最後に【その他】です。

①聴き方の技法(エコー)

センテンスエコー、メッセージエコーという技法があります。

要は「オウム返し」です。本当に苦しんでいる時には「オウム返し」で返してもらうだけでも、「心を受け止めてもらった」と感じるものです。

ですから、答えに窮したら「〇〇と思っているんだよね」と単純にその方が「発した言葉」を「繰り返し」ましょう。

「親身に聞く デビット・アウグスバーガー著(すぐ書房)」は古典ですが参考になります。ネットで「エコー(繰り返し)」を検索してもヒットすると思います。

 

②甘いものを勧める

深夜など、落ち込んでいる時には、糖分が不足している場合があります。「甘いもの」を食べると、脳内に幸せを感じるホルモンが出てきます。(セロトニン等)

ですから、そのことも覚えておくことも必要です。

 

③自分の心(質問者さんご自身の心)を守る

冒頭に、質問者さんは、きっと「優しく、共感性に富んだ方」と書かせて頂きました。

特に共感性に富んだ方は、人の影響を受けやすい傾向があります。ですから「あなた自身の心を守ること」をお勧めします。関わった後、どこかで気分転換をして、自分自身の心をリフレッシュする時間を持つことを強くお勧めします。

共倒れになっていけませんから、あなたのメンタル面の健康を保つことは重要です。

 

箴言4:23節「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。」

 

「あなたの心」を感謝と喜びで「いっぱいにする」のです。

苦しいことがあるほどに、心を「感謝と喜び」で満たすのです。

 

以前に書きましたが、私もいつも「心のメンテナンス」をしています。

毎朝起きた時に「イエス様感謝します。愛しています」と告白します。

そして辛いこと、悲しいことがある度に

「イエス様。私の心を満たしてください。光で一杯にして下さい」と祈ります。

 

そして「満たされてから」、悲しいことをするようにしています。

(祈りと同時並行でする場合もありますが・・・)

 

ぜひ、自分のメンタルヘルスを意識してください。それは、とても重要なことです。

 

 

【まとめ】

今回のご質問は、マニュアルで解決する類のものではありません。

ですから、各項目を思いめぐらし、どうすべきかを考えるヒントとして頂きたいと願います。

説明の足りない部分は多々ありますが、

質問者さんの「心の準備」の糧となれば幸いだと思っています。

 

祝福をお祈りしています。

 

最後にクリスチャンが作った曲を二曲、リンクで張り付けておきます。

支えとなりますように。(祈り)

 

きみは愛されるため生まれた

www.youtube.com

 

主の愛に生かされて

www.youtube.com

 

 

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