「先日は、質問に答えてくださってありがとうございました。私のことを繊細と言ってくださってうれしかったです。相変わらず、周りの大人を見て悲しくなることはありますが、何とかやっています。今日は困っていることを質問したいと思います。上手くいかなかった時、思い通りにならなかった時、特に自分が失敗した時、自分を罰したくなります。殴ってやろうかと思います。そんな自分が怖くなります。こんな時、どうしたら良いでしょうか。よろしくお願いします🤲」(MK 中学女子)
Mさん。ご質問をありがとうございます。
さて、Mさん。少し、ご一緒に、ご自身の心を整理してみたいと思います。
質問をしますが、どんな時に、「思い通りにならない」と感じますか。
ゆっくりとMさんのお話が聞けるといいのですが、ここは文章での相談ですので、いくつか可能性を考えて書かせて頂きます。
では、しばらく一緒に考えていきましょう。
今回も、3つのポイントです。
①自分のものさしの自覚と、「嫌な気持ち」を味わうこと。
②健全に愚痴ること。
③自分で自分をさばくことの意味(理由)と、その解決方法。
①自分のものさしの自覚と、「嫌な気持ち」を味わうこと。
人は皆「こうあるべき」という「ものさし(基準)」を持っています。
そして、その「基準」から外れると、
つまり「思い通りにならない」と、イライラします。
先日、別の質問で説明した「うんていの棒」のようなものです。
あるべきところに「棒(支え)」がないと、ストレスを感じるのです。
学校に行く前に、髪の毛が上手くセットできなかった時、
朝ごはんが時間通りにできていなかった時、
「こうあるべき」だと思って、それが思い通りでない時があります。
そんな時にストレスを感じてしまいます。
特に「当たり前」「当然こうなるはず」と思っていたものが、期待通りいかないと
爆発しそうになることがあります。
(「うんていの棒」が抜けていたため、落ちそうになるような苛立ちです)
また感情は、「水の中に入れた風船」のようなものでもあります。
水の中に沈めて、隠していたようでも、必ず「出てくる」のです。
たくさん隠した分、だんだん反動が大きくなり、出てきた時には、「制御(コントロール)」できなくなる場合があります。
多分、Mさんが、「自分を殴りたくなる時」は、こういう状況だと思うのです。
つまり、普通の状態では、Mさんは、「爆発するような人」ではないと思います。
しかし、イライラが募って、余裕がなくなっている時に、
「さらなるイライラ」がやってくると、「反射的」に自分を殴りたくなるような気持(衝動)になるのだと思います。
今回、最初に注目したいことは、
今、自分は「何に」イライラしているのか、と考える(自覚する)ことです。
実はイライラで一番やっかいなのは、「理由が分からないイライラ」です。
理由が分からないと、対策の打ちようがありません。
しかし、理由が分からなくても、必ず理由はあるのです。
人間は、実は、自分自身であっても、「見ないようにしている領域」があります。(否認)
自分は「こんなことでイライラするはずがない」、「こんなふうに考えるはずがない」
・・・そんな感じです。
特にまじめで正義感の強い人ほど、自分の中にある「負の感情」に気がつきにくい傾向があります。
それは、アクセルとブレーキを同時に踏んでいるような状態です。
「イライラのアクセル」と「自制のブレーキ」です。
表面では「停止している」ように見えても、実は何度も「アクセル」と「ブレーキ」を同時に踏んでいて、背後ではものすごいエネルギーが流れています。
それが続くと、(アクセルもブレーキも踏み続けるには大量のエネルギーが必要ですから)莫大なエネルギーを浪費します。そして(表見は何も起こっていないようでも)、心は「疲れ果ててしまう」のです。
ですから、イライラの理由が分かっている場合は、良いのですが、
分かっていない場合(あいまいな場合)
自分は「どんな基準」で考え
「何に」イライラしているのか、を確認することが大切です。
自分の感情を受けとめる作業です。
(そうでないと、次に考えたい、「健全に愚痴ること」に入ることができません)
デジタル断食、という言葉があります。
スマホやゲームからしばらくの間、離れて「自分自身を見つめる」時間を持つことです。
現代は忙しい時代です。絶えず情報にされされています。
自分の感情を「そのまま受け止める」作業をする場合、
少し静かな場所で、ゆっくりと自分自身を振り返ってみたら宜しいかと思います。
思い出してください。
Mさんがイライラした時は、「どんな時」ですか。
(また「どんな基準」で「何に」イライラしましたか)
例えば、時間に遅れそうで、イライラした状況があったとします。
多分Mさんは、「時間に遅れてはいけない」という「基準」で、
「遅れそうになる自分」に、ダメだという「判定(ジャッチ)」をしていることでしょう。
人によって、「到着時間の感覚(基準)」は「違い」ます。
「時間ちょうど」という人もいれば、「10分前」には準備したいという人もいるでしょう。「5分ぐらい遅れた方」が親切だ、と考える人もいます。「全く考えない」ようなあいまいな人もいます。
自分は「どんな基準」で考え、「どこまでは許容できるのか」を知っていることは重要です。
自分が「10分前には準備したい」と考えている人だ、ということであれば、
自分は、こういう人間だから、いらいらしているのだ、と自分自身を冷静に把握できるのです。
そうすると、パニックにならず、遅れそうな先方に、連絡をする等の対策を打つことができます。
また、同じ基準で、相手が時間に遅れる時も「イライラ」するでしょう。
しかし自分の基準(10分前)と相手の基準(5分後)とは違うことが多いのです
相手が時間に遅れ「平気な顔をしている」時、当然イライラするはずです。
しかし「自分の基準に違反するから」「腹が立つ」のだ、と自覚することができると楽です。
自覚した後で、「相手の基準」は、自分とは違うのだから、「仕方がない」とあきらめることができるのです。(受け入れることができるのです)
「自分はどんな基準」を持っており、
「何に」イライラしているのか。
それを自覚することは、心を平常にコントロールする上でも、非常に大切です。
一度、ゆっくりした時間を持てた時、「自分の基準」と「何にイライラしたのか」、この二つを考えてみて下さい。
その上で次のポイントに移ります。
②健全に愚痴ること。
Mさん。私はMさんの質問を読んでいて、非常に「高い良心基準」を持っている方だと思いました。
繊細で細やかで、そして非常に「高いところを目指している」方だと思うのです。
それは個性として、とても素晴らしい考え方です。
しかし自分にその「高い基準」を当てはめると、「身動きが取れなくなる」可能性があります。
中高生の年齢は、一般に「非常に理想が高くなる時代」です。
「こうあるべき」ということを考える時代です。
しかし、「理性」と「感情」は違います。
理性でこうあるべきだ、と知っていても「感情」は全く反対に向かうこともあるのです。(人間ですから、理想論では片付けられません)
Mさんのように「高い理想」を持っている人は、
自分の中の「負の感情」を許せないかもしれません。
つまり、「自分の愚痴が言えない」ということです。
でも人間ですから、どこかで「感情」を吐き出さなけば、心のバランスが保てないのです。
ですから、「健全に愚痴をこぼすこと」は大事です。
Mさん自身の「感情に焦点」を当てましょう。
「イヤなことはイヤ」と受け止めましょう。「腹が立つことは、腹が立つ」と認めましょう。
その上で、「愚痴を聞いてくれる人」を見つけるのです。
友だちでも、家族でも、あなたのことを大切に思ってくれている人であれば、だれでも構いません。
先ほど、感情は「水の中に入れた風船」のようなものだ、と書きました。
水の中に沈めても必ず「出てくる」と書きました。
たくさん隠してしまうと、反発が大きくなり、出てきた時には、「制御(コントロール)」できなくなる場合があります。
ですから、「風船が大きくなる前」に、できるだけ「小さく」出す(愚痴る)ことです。
「信頼できる人」に何度も「健全に愚痴る」のです。
私もありがたいことに、「心の内」を話せる方が数人います。
時々、問題があると、電話をかけて話を聞いてもらいます。
(一人でもこの世で、心の深い部分を知って応援してくれる方がいると、とても支えられるものです)
しかし、ここで「人に話す限界」も知っておかなければなりません。
話したい時に、その場で「信頼できる人」が電話に出てくれない時があります。(相手の都合が悪い場合もあるのです)
そんな時にも、ストレスは襲ってきます。
また人間は、感情や理性の限界があります。
カウンセラーでも、限界が当然あります。
(私にも限界があります)
ご両親にも、ご家族にも、お友だちにも「限界」があるのです。
ですから、相手が「自分の期待した」ように受け止めてくれないこともあるのです。
また人に「話さない方が良い」話題もあります。
私は、人に話せない状況の時、
まず「イエス様や天の父なる神様」に「お祈り」をします。
(実は、人に話す前から、イエス様にお祈りを始めています)
そして「心の内」を「全部お話し」します。
「祈り切ること」ができると、心が軽くなって人に「やさしく」なれるのです。
(祈りについては、別の個所でお話ししたいと思います)
Mさん。
できるだけ、「あなたの心」を信頼できる方に、
「健全に愚痴って」下さい。
「自分の負の心」を正直に受け止め、それを聞いて貰って下さい。
そうすれば、暴発することはとても少なくなります。
(苦しみも正直に話すことができれば、半分に減っていきます)
最後のポイントです。
③自分で自分をさばくことの意味(理由)と、その解決方法。
「リストカット」をしてしまう人がいます。
その人は、身体を傷つけると「ホッとする」と言うのです。
(身体は大切ですから、傷つけないようにと願っていますが、、、)
その理由は、はっきりとしています。
「自分で自分を罰する」と「ホッとする」のです。
【多くの人間】は罪を犯したら「罰(バツ)を受けるべき」と考えています。
酷いことをすれば、「報いがある」(罰がある)考えるのです。
(聖書もそのことを認めています)
Mさんが失敗した時に「自分で自分を殴りたくなる」と書いてありました。
多分Mさんは、無意識でも、こんなことをする自分は「殴られるべき」である、そして「殴ってやりたい」と心の奥で感じてしまうのではないでしょうか。
(自分を罰するタイプと、他人を罰するタイプがあるようです)
では、どのようにしたら「罰したい」という衝動を「昇華させる(解決する)」ことができるのでしょうか。
実はこれは、キリスト教の根本のテーマなのです。
それは「罪の赦し」です。
イエス様が「十字架」にかかられ、私たち人間の「罪の罰」を受け、その「身代金」を支払って下さったので、私たちは「自分で自分を裁く」必要がなくなったというのです。
自動車を運転している人は、法令違反を警察に指摘されたら、反則金を払わなければなりません。(例えば、普通車で一時不停止違反は7000円の反則金を支払うことになります。)
もし仮にそれを無視していた場合、些細な違反でも刑事裁判にかけられ、3か月以下の懲役または5万円以下の罰金を命じられます。
つまり、「罪」を犯したら、「反則金」を支払わないと拘束されてしまうのです。(逃げられません)
この「反則金」を、他の人が支払って下さったとしたらどうでしょうか。
当然、「他の人」が支払っても、「あなたは自由」になります。
イエス様の「十字架の罪のゆるし」を知り、信じた人は、
自分で自分を裁きたくなる時が来ても、
自分で裁く「必要」がなくなります。
「イエス様のいのちの代価」によって、自由になれるのです。
初めて、この「十字架のこと」をお聞きした人にとっては、十分には分からないかもしれません。しかし私たち人間には、「罪の問題」や「裁きの問題」を解決できる方法があるのです。(そのことだけでも、覚えておいて下さい)
実は、あなたの「罪の代価」の総額は、「あなたの力」で支払うことはできません。
私たちは、日々「的はずれ(罪)」を犯してしまいますから、その総額は、
「一時不停止違反」程度ではありません。
聖書のある個所に、人間の「罪の代価の総額」は(あくまで例えですが)1万タラント(約6000億円:国家の予算程度のお金)と表現されています。
厳密に考えれば、あなたは「犯したすべての罪の報い」によって「莫大な罰金」を請求されているのです。そして、必ず支払わなければならないのです。
しかしこんなことは不可能です。
【私】は、イエス様の十字架を「心から感謝」しています。
【私】の毎日の生活で、自分を罰したくなるようなことが起こっても、
(「莫大な額」を既に支払って下さっている「イエス様」のお陰で)
「わたしは赦されている」「わたしの罪の代価(身代金)は支払われている」
と言い切ることができるのです。
そして「自分」を「裁かなくても良い」とも言い切ることができるのです。
(これが【私】が失敗を犯しても、自分自身を受け入れて生きられる、原動力です)
心の奥を正直に見ていくならば、
「心の闇」の問題は、避けることができません。
ですから、保険として「イエス様の十字架の赦し」を握っていることは、
「自分の心」を「直視」するために、必要なことであると、【私】は考えるのです。
「思い通りにならないと自分を罰したくなる」と、
「その解決の方法を教えて欲しい」と、
Mさんは、質問してくださいました。
【私】の体験を参考にしてみて下さい。
Mさんには、
次に大きなストレスが来る前に、事前の準備をすることをお勧めします。
それは、
①自分の心を自覚し、受け止めること。
②心のストレスを、信頼できる人に(問題が小さいうちに)「健全に愚痴る」こと。
(神様へのお祈りも、チャレンジしてみて下さい・・・)
そのことを通じて、心を穏やかに保つことができると信じます。
また、自分を罰したくなった時には、
③罰する気持ちは自然なことである。しかしもう「罰さなくても良い」という解決方法が存在している。
ということを「思い出して」頂きたいのです。
(解決方法があると、考えるだけでも「気が楽」になれると信じています)
Mさんが「裁きの心」から「自由」になり、
よりMさんらしい、明るく素敵な人生を送ることができると信じ、
祈っています。
またご質問があれば、お知らせください。
祝福をお祈りしています。
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