人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から

世界のベストセラー聖書の価値観から、生きるを考えます!(モノの見方が変わると、とても楽になります)

【コラム】神様に守られている感覚

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いつも読んで下さり、ありがとうございます。

最近、コラムが多いですが、今回もしばらくお付き合い下さい。

 

今回、「神様に守られている感覚」について書いていきたいと思います。

皆さんもきっとあるのではないでしょうか。

「ヒヤリハット」の体験です。

「危ないところで守られた」という体験です

私も先日、車の運転をしている時、追い越し車線から走行車線に車線変更をしようとして、確認の上でハンドルを左に切ろうとしたことがありました。その直前、左ミラーに「チラリと白い車が見えた」ので、留まりました。その直後、猛スピードの車が左から追い越していきました。(猛スピードで左からの追い越しは、当然違反です)

「あの瞬間」に白い車を、左ミラーで見ていなければ、確実に事故になっていました。

「猛スピードで左から追い越すなど、あり得ない」と私の常識では考えていたのですが、実際は、起きたのです。

 

私は、いつも運転する前には、「イエス様にお祈り」してからハンドルを握るようにしています。

別に大した祈りではありません。「イエス様、守って下さい」そんな祈りです。

そして「守って頂いている感覚」で、運転するのです。(これが大事だと思います)

 

そして守られた後に、「イエス様、ありがとうございました」と(心からの感謝を)祈るのです。

 

今回のブログは「神様に守られている感覚」の話です。

 

中学生の頃、海外の短波放送(日本語放送)を聞くというブームがありました。

(インターネットのない時代です)

私も、短波放送対応のラジオを買ってもらい、雑誌を買ってアンテナを自作し、よくイギリスのBBC日本語放送を聞いていました。(イギリスから電波が届くことは驚きでした)

最初は苦労しました。アンテナを立てる前は、電波が弱くなかなか聞けませんでした。

周波数調整のダイアル(ツマミ)も当時はアナログだったので、少しずれるだけで、ノイズが入ってまともに聞けませんでした。

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(この写真は、私の持っていたものと同機種です。懐かしかったのでアップしました)

ダイアルを右や左に微調整して、ようやく放送が聞けた時は、本当に嬉しかったです。

しかし、遠いところからやってくる電波のためか、アナログのダイアルの特性か、調整をしたはずでも、日によって微調整が必要でした。

苦労した分「BBC…こちらは日本語放送……JST……」というアナウンサーの声を聴くと「これは、イギリスから届いた放送なのだ」と感慨深く、興奮したものです。

 

「神様に守られている感覚」(神様に助けられる感覚)は、

この「電波受信」と似ている気がします。

「電波」はあるのですが、「ラジオ(受信機)」がないと気がつきません(聞こえません)。

そして受信機は持っていても、感度が悪い時には「アンテナ」が必要です。

さらに「日々、微調整が必要」なのです。

 

私はクリスチャンなので、定期的に教会に行きます。

行き始めた当初、「教会にいる時には、神様の恵みを感じるのに、家に帰った時に感じないのはなぜだろう」と思ったことがありました。

今は良く分かります。教会は「電波(神様の力)が強い」のです。

教会には祈り深い方がおられます。

イエス様の「2人3人クリスチャンが集まる中に共にいる」という約束と「祈り深い方の信仰」によって、教会は「神様の恵み(光)」が強いのです。

 

しかし家に帰ると「光はある」にもかかわらず、受信機の感度が悪いため「受信しにくい」状態だったのです。

ところが家に、一人の信仰深い人が来てくれますと、「アンテナ」が立って電波が強くなるように「光」を感じることができたのです。

 

私も、クリスチャンとなって聖書(基準)を学び、祈りの訓練(ダイアルの微調整)を学ぶ中で、

段々と「神様との感度」が良くなってきました。(当然まだまだ途上ですが、)

(このブログは、信仰を持っている方も、持っておられない方も、読んでおられると思います。クリスチャンでイエス様とつながっている者は、こういう感覚を持っている、と知って頂き、参考にして下さればと思います。神様に助けて頂くためのヒントにして頂ければ、と願っています)

 

※神様に守って頂く、その守りを受け止める(受信する)ためには、

いくつかのコツがあるように思います。 (※神様:この世界を造られた創造主)

 

その中で一番大事なことは、極めて単純です。

それは「意識すること」です。

(助けて下さいと、日々求めることです)

 

神様は私たちを「助けたい」と思っておられることが、聖書に書かれています。

電波を受信するように、「電波がある」と信じて、

「上(神様)に向けて、ダイヤルを回し続ける」のです。

 

「ダイヤルを回し続ける」ことは、あなたにとってどういうことでしょうか。

具体的なことは、ここには書きませんが、ぜひ色々と実験されたらよろしいと思います。

 

難しいこと、ややこしいことは考えなくても良いのです。

ただ神様を「意識」し、「求める」ことだけで良いのです。

そうすれば「何かの返答」があるはずです。

 

これが、私が「日常的に意識していること」です。

(そのため、何かをする前に「イエス様守って下さい」と祈っているのです)

 

「守り」があるなら、「受け取れた方」が良いに決まっています。

そして、「この守り」を実感できると、「不思議な平安」が与えられます。

将来起きるだろう問題にも「不安が少なくなる」のです。

(問題が起きても、その時また「助けてもらえば良い」と考えることができるのです。安心です。)

 

あなたがたくさん「神様からの守り」を体験できますように。

日々の生活で、神様の守りに「気がつきます」ように。

 

このブログが、「助けを得るため」のヒントになれることを願っています。

祝福をお祈りしています。

 

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【コラム】自分の使命(生きる方向性)を考え、果たすこと(考察)

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いつも応援して下さり、ありがとうございます。

55歳の誕生日を迎えました。

妻がケーキを買ってきてくれ、ささやかな楽しい時間を持つことができました。

もう人生の半分は過ぎてしまったのだろうな、と思うと、感慨深いものがあります。

 

これからの人生を思い巡らす中で、頭の中に「自分の使命を考え、果たすこと」というタイトルが思い浮かびました。

今回はそのことを、まとめたいと思います。

 

今、コロナの第3波で、社会全体にストレスが蔓延しており、心がささくれ、人に攻撃的になっているような気がします。多くの人の心は、悪いほう、低いほうに向いています。

衝動的、刹那的な雰囲気に巻き込まれ、したくないこと、してはいけないことを、考えてしまいそうな風潮です。

しか、だからこそ「自分の使命(生きる方向性)」を考える時だと思うのです。

何もせず、何も対策を打たないならば、悪い力に煽られると、心は低いほうに自然と落ちてしまうでしょう。

しかし「自分の使命」を考える時に、低い方に流れる濁流に逆らうことができます。

そして、逆に高いほうに向かうと信じるのです。

そう思いませんか。

 

今回も3つのポイントです。

①「自分のできること」で「人が喜んでくれること」を継続する。

②「身近な人」を大切にする。(愛の言動一致)

③「心の状態」を整える。(心のきよめ)

 

①「自分のできること」で「人が喜んでくれること」を継続する。

「自分の使命」のことを考えるとは、仰々しい、堅苦しいと感じるかもしれません。

そんなことは分からない、と思われるかもしれません。

しかし見つける道筋はあります。

 

「自分の使命」を考える時、 

「自分ができること(得意なこと)」、

「人が喜んでくれること」の中に「自分の使命(生きる方向性)」あると考えた方が自然です。

つまり「状況証拠」です。

(神様は「これをさせたい」と計画しておられるならば、それができる能力を備えて下さると信じるのです)

(聖書を読んでいて、祈りの中で「これが私の使命ではないか」と受け取ったことがいくつかありますが、しかしそれは別に機会に触れたいと思います)

 

「自分ができること(得意なこと)」で「人が喜んで下さること」を考えると、

皆さんは、何を思い浮かべますか。

 

今まで何をした時に、人が喜んでくれましたか。

また自分自身で、何に喜びを感じましたか。

思い起こしてみて下さい。

 

人にはいろいろなタイプがあります。

楽器をしている人なら、ギターやサックスは、「目立つことが好き」な人が多いです。

ベースやドラムは、反対に「縁の下の力持ちが好き」な人が多いです。

 

自分がやっていて「充実感」があること。

それを人が「喜んでくれる」こと。

そんな中に「自分の使命(生きる方向性)」があると考えてみると、興味深いと思うのです。

 

 ②「身近な人」を大切にする。(愛の言動一致)

先日新聞を読んで「セミを助けた話」に目が止まりました。

朝のラッシュ時に、道にいて轢かれそうだったセミを助け、庭の木にとまらせた話でした。

「小さな頃は、虫を平気で殺せたが、大人になると、殺せなくなった。特にセミの儚さは、戦争で死んだ人の命の儚さに重なるので、どうしても助けたくなる」というものでした。

その文章に流れる「優しさ」を感じ、暖かいものを覚えました。

 

明治時代のクリスチャンで内村鑑三という人がいました。

彼の有名な講演に「後世への最大遺物」というものがあります。(岩波文庫にあります)

「お金を稼ぐこと、教えること……しかし最も大切な遺産は、高尚な生涯(人の生き方)である」というのが主旨です。

私たちは、自分の生き方を通じて、周りに影響を与えるのです。

 

聖書の中に、「愛」についての言葉がたくさんあります。

「愛は結びの帯として完全である」

「愛はすべての罪を覆う」

「愛がなければすべてが虚しい」

……「愛」には力があります。

しかし「本当の愛」は思想でも哲学(考え方)でもありません。

行動です。

口先だけで綺麗な言葉を言っていても、実際の生き方(行動)と違っていたら、虚しいことです。

「愛を身につけている」なら、身近な人に「実践する」ようになります。

もし身近な人に「できていない」なら、理屈で知っているだけで、「身についていない」ことになるのです。

 

私も以前は家族に対して、(恥ずかしいですが)「思ったまま」のことを話していました。

今は「相手に伝わるような言い方」を考えて話すようにしています。

(神様の助けと訓練によって、少しづつです)

 

最近気になることがあります。

それは、傷つけられた(被害者)なら、傷つけた(加害者)を「徹底的に攻撃して良い」という風潮です。

特に第三者が、当事者を守るためという「名目」で攻撃に加わる場合、過激になることが多いのです。

 

これは世界的な風潮のようです。

2020年5月の「フロイド事件」をきっかけに始まった「ブラックライブズマター」の運動が暴徒化した件は、その典型例です。

ミネソタ州で起きた、黒人のフロイド氏が、白人警官に殺された事件は、全米に大きな反響を与えました。しかし極端な左翼勢力が関わることにより、平和と真逆の方向に向かったのです。暴力と犯罪により、シアトル市では一時、無政府状態になりました。

 

気をつけて読んで頂きたいのですが、

今の時代、「怒りや悲しみ」を煽って「自分の味方につけよう」という力が世界中で働いています。

しかしその「方向性(目的)」問題なのです。

一見正しく見えても、その目的を「吟味して」、

活動に賛成するかどうかを決める必要があります。

 

どれだけ煽(あお)られても、

それが、「愛とは真逆」の方向に向かっている場合、

気をつけなければなりません。

怒り、攻撃、正当化……、

もし動機(方向性)がそのようなものならば、距離を置くことが大事なのです。

 

そこから出てくる「言葉と行動」が、「愛する家族」にできるかどうかで考えてみましょう。

もしできないようなものならば、一旦立ち止まって「本当に加わるべきなのか」を考える必要があります。

 

日本での、第三者の「不倫へのパッシング」も同じ構図です。

全く関係のない人々が、評論家のように(悪い意味で)、正義感を振りかざして、罪悪感を感じることなく、加害者を攻撃できてしまうのです。

 

「煽(あお)られたら、煽(あお)り返す」

これは、低いほうに向かう行動です。

私たち一人一人が、反応しなければ、「悪い力は自然消滅」するのです。

しかし反応する人が多ければ、炎上します。

個々人の反応が、社会に「良い結果」も「悪い結果」も与えるのです。

ですから、一人一人の考え方が、実は非常に大切なのです。

 

あなたは、煽られて攻撃する人ですか。

煽られても、反応せず、立ち止まる人ですか。

 

「自分の使命」を考え、果たそうとする時、

内村鑑三の言うように、

「高尚な生涯(人の生き方)」を考え、一人一人の行動が吟味される」

(つまり、愛によって行動するようになる)と、信じるのです。

 

③「心の状態」を整える。(心のきよめ)

心の状態を整える上で、「ストレスの軽減」と「心の癒し(きよめ)」を取り扱うことになりますが、

「ストレスの軽減」は、他の箇所でも触れているので、

今回は、心の癒し(きよめ)」のみに注目します。

 

実は苦いものがあると、悪い力で煽られ時に、「心が反応」します。

そのような時、心が「ザワザワ」します。

そして、きよめられていない(対策が打てていない)と、

理性でやめておこうと思っても、衝動的に行動してしまうのです。

 

自分のことを振り返っても、いくつかの失敗をした原因は、

状況判断(知性)の間違いというよりも、

それを選んでしまった、心の未熟さ(むさぼり、や正当化やごまかし等の誘惑)によるものだと分析しています。

 

つまり、心がきよめられていないと、

悪い衝動で行動し、どこかでボロが出るのです。

 

人間の心の中には、意外と「多くの闇」が存在します。

そしてその闇に「気がついていない」ことが多いのです。

 

自分の使命を果たすためには、この「心の闇」のきよめが必要なのです。

ではどうしたら良いのか。

これが重要です。

 

分かりやすい言い方をするならば、

「ものさし」と「光」が必要です。

ものさしは、歪んでいるかどうかを測るため。

光は、はっきりと見るため。

(暗い部屋の中では、ものさしは見えません。光の下に行く必要があります)

 

これは、自分だけでは不可能なのです。

(自分一人で瞑想しても解決しません)

時計が壊れた時、自分で直すことはできないと同じです。

(直った気になるだけです)

本格的に治すには、設計図(基準)を知っている、「時計職人」に助けて頂かなければなりません。

そして、壊れたことを自覚して時計職人にお願いする(光の下に出す)、

「あなた自身の決断」が必要なのです。

 

あなたは、自分の心の中に「煽られた時に、反応してしまう傷(歪み)」を自覚しますか。

これを聖書では「罪、咎」と言います。

 

この部分の修復がなされると、歪みが取れ、楽になります。

(その方法は、別の箇所で取り扱います。ここでは「修復することが可能」である、と受け止めて下さい)

 

これから、世の中が「ますます悪く」なっていくとするならば、

「悪に煽られる」ことがますます頻繁になっていくでしょう。

 

その時、「精神面の対策」が一つもないと、簡単に「悪に巻き込まれてしまう」のです。

(怒りや攻撃、自己保身や批判への対策です)

 

「自分の使命を考え、果たす」

その気持ちを、いつも持っているなら、

簡単に悪に揺さぶられ、支配されることが少なくなると、私は考えます。

 

悪の力は、巧妙です。

傷や罪悪感を煽りながら、一見正しいような形でやってきます。

 

ですから、「これは悪である」と言う

聖書の真理(ものさし)が必要です。

そして、絶対的な光(神様の光)が必要です。

 

あなたが、「自分の使命」を果たしていけますように、

あなたが、善のものさしに沿った「満足できる人生」を歩まれますように、

祝福を祈っています。

 

 

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コロナ禍で不安でたまりません。どう考えたら良いのでしょうか。

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「50代の男性です。持病を持っています。コロナの第3波となり、連日の感染者と重篤者数を見ていると、不安でたまりません。すべてが消極的になっています。どう考えたら良いのでしょうか。」

 

ご質問をありがとうございました。

今は、コロナの感染者数も激増し、世の中全体が、再び萎縮のモードになりつつあります。先が見えない状況の中で、重苦しい雰囲気が迫ってきています。

ぜひ一緒に乗り越えていきましょう。乗り越えられない試練はない、と言います。

正直、男性が自分の弱さを人前に出すことは、非常に勇気が要ることだと思います。

質問者さんは、それだけ追い詰められているのではないかと想像しています。

すべての不安は取り除かれないかもしれませんが、一緒に考えていく中で、少しでも不安が軽くなることを願っています。

人は、見聞きする情報で、心に影響を受けます。

そのことを自覚しつつ、恐怖と不安の現状分析を一緒にしていきたいと思います。

 

今回は、項目は多いですが、活用できるように、各項はシンプルにお書きします。

【理性的な対応をするために】

①何を恐れているのかの現状分析。

②できること、すべきことのリストアップ。

③最善と最悪を考える。

④最悪を避けるためにできることを考える。

⑤最後は、「すべて委ねる」ことが大切。

 

①何を恐れているのかの現状分析。

厚生労働省が、10月29日に「新型コロナウィルス感染症の『いま』についての10の知識」を発表しました(11月27日更新)。最新のデータで多少の変化はあるでしょうが、概ねこのデータが現状を分析していると考えて良いでしょう。(マスコミの、視聴率目当ての恐怖をあおるような印象操作に、振り回されないことです)

(他の情報を過小評価するつもりはありませんが、政府の正式なデータ確認は有益です)

 

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一度上記をチェックして頂き、

まずは一旦、今までの不安を「リセット」してみましょう。

そして、自分の感じている不安は「根拠のある不安」なのかを分析するのです。

「正しく対応する」ために、正確な情報は大切です。

感情的煽動的な情報に振り回されないことです。

もし宜しければ、「何を恐れているのか」書き出してみることもおススメです。

より「自分の思い」が客観的になります。

 

②「できること」、「すべきこと」のリストアップ。

パニックになっている時は、理性的ではありません。

ですから、一旦、感情をリセットしたならば、次は「できること」、「すべきこと」を考えましょう。

 

「幽霊の正体見たり枯尾花」(幽霊だと思っていたら、枯れたススキだった)

という「ことわざ」があるように、

正体が、「はっきり見えた」ならば、「理性的な対応」ができます。

 

感染対策のための消毒、外での会話時のマスク着用、三密防止など、

すでにきっとされていることは、継続していきましょう。

もしもの時のために、主治医に相談することも、一つのアイディアです。

そして来るだけ、「対策を打った上」で、「日常生活を守る」ことです。

(このポイントも、書き出してみることをおススメします。より冷静に対処できます)

 

本当に追い詰められている時は、気力がなくなることが多いです。

もしそのような状況でしたなら、

すべきことのリストから、「した方が良いもの」の上位を

「今日の目標」として「定めて」実行してみましょう。

他のことは考えないで、「立てた目標」をこなすことだけに集中するのです。

できなければ、ご自分を責めずに、また次の日に、リスト上位を目標にしていきましょう。

 

この時の考え方ですが、

コロナ前の100はできなくても、ゼロにしてはいけません。

「対策を打った上」で、60ぐらいはしていくぐらいの気持ちがよろしいと思います。

会食があるなら、政府が勧めているように、食事中も基本マスクで、口のものを入れる時だけマスクを外して参加しましょう。(私もやっていますが、慣れれば自然にできます。それが不安で難しければ、会わずに電話でお話をしましょう。要は日常の会話(交わり)を楽しむことです。)

 

行動は制限されても「心まで制限する」必要はありません。

「心は自由」なのです。

 

自分の心を縛り付けてはいけません。

それができるのは、コロナ状況下でも「あなたご自身」なのです。

 

箴言(旧約聖書)

「油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉は、これから流れ出るからである。」箴言4:23

 

③最善と最悪を考える。

私たちがパニックになる時は、想定外の事が起こった時です。

ですから、最善と共に、「最悪の状況」を考えるのです。

 

最悪のシナリオを考えてみます。

 

コロナにかかり、高熱が出ます。朦朧とした状態で検査をし、陽性反応が出ます。

入院をして、持病のため、呼吸困難になります。

集中治療室で、人工呼吸器をつけて治療を受けます。

回復の見込みがない状態となります。

治療の甲斐なく、あちらの世界に行ってしまいます。

残された遺族が、悲しみの中で葬儀を行います。

しかしこの確率は、50歳以下の質問者さんでは、コロナにかかったとしても0.06パーセントなのです。

(これが政府のデータです。これが多いか少ないかは、質問者さんの判断とはなりますが・・・50代の持病のある方はこれよりは多少上がるとは思います)

 

最悪の状況にならないように、対策を打てば良いのです。

(これもリストアップしてみましょう)

 

私が最も重要な対策として考えることは、「免疫力を高めること」です。

これが最も安全で確実な方法だと信じています。

そのために大きな要素の一つは「ストレスの軽減」です。

つまりコロナ禍であっても、冷静になって、過剰に状況を恐れず「ストレスを溜め」なければ、

死亡の確率は「確実に減る」のです。

(ここに今回のブログの目的があります)

 

④最悪を避けるためにできることを考える。

このトピックも、引き続き、理性的な対応です。

③で考えたように、

私たちができる一番確実な予防対策は、ストレスを溜めないことです。

①一③を思い巡らして下さい。

感染予防

栄養と睡眠

免疫力の強化

 

質問者さんは、最悪を避けるために、どんなことを実行できますか。

ちなみに、私の事例です。

私も、色々な人と会う機会がありますので、通常外出時には(今は当然ですが)マスク着用です。

アルコール(度数70%)の携帯用スプレーを持ち歩いて、何度も使っています。

栄養が大事なので、食事はしっかり取り、毎日R1(ヨーグルト)を食べています。

睡眠は、5時間以上取っていますが、深く眠ることを意識しています。(毎日スマートウオッチ(腕時計)でチェックしています) そのため、寝る前には必ずお風呂に一定時間浸かります。

そして毎日お祈りをして「心穏やかに生活」するように努めています。

 

質問者さんは持病を持っておられるとのことですから、しっかりとした医学的な対応をしながら、その上で、もしもの場合の対策を考えておくのです。

具体的には、先ほど書いたように主治医に相談して、もしもの場合のことを話し合うことは可能でしょうか。とにかく情報を収集して、前もって対策を立てておくことです。

 

どうでしょうか。どう思われますか。いくつか今後、行動できることのイメージはできましたか。

それをリストに書いて、優先順位の上のことから、一つずつ、機械的にやっていくのです。

(あえて機械的と書きました。必要なことであれば、気が乗らなくても実行するのです。それがリストを作る目的です。そこで得た情報(経験)によって、視野が広がり、心が落ち着くはずです)

 

⑤最後は、「すべて委ねる」

しかし最終的には、結局、「なるようにしかならない」のです。

しかしその中で、良い波に乗り続けることができるかどうかは、私たちのメンタル(考え方)にかかっています。

 

「なるようにしかならない」

それは裏返せば、「なんとかなることは、なる」のです。

そう考えると、無理な力が抜けます。

余計な力が抜けたなら、目の前にやってくる「良い波」に乗りやすくなるのです。

 

 

最後はキリスト教的視点です。

私は、本音のところで、「寿命までは生きることができる」と考えています。

地上で「使命がまだある内」は「生かされる」と思っています。

そのために感謝とお祈りをして、「良い働きができるように」ストレスを溜めないようにしています。

 

でも、それでも「問題」は起こりますし、「思い煩い」もやってきます。

しかし「思い煩い」がやってきた時、意識していることがあります。

それは、思い煩いの「原因」を「はっきりさせる」ことです。

(「原因」があいまいだと、パニックになりやすいのです)

 
ピリピ(新約聖書)
4:6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
4:7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

  

「原因」がはっきりしていたなら、それをイエス様に祈ることができます。

はっきりと祈り、委ねると「平安が与えられる」のです。

(これが私の原動力です)

 

コロナが来ても

肉体的(物理的)には束縛を受けても

「心は自由」です。

信じる心も祈りも希望を持つことも、自由なのです。

 

そう考えて、もう一度質問者さんの周りを見て頂きたいのです。

 

①何を恐れているのかの現状分析。

②できること、すべきことのリストアップ。(理性的な対応)

③最善と最悪を考える。

④最悪を避けるためにできることを考える。

⑤最後は、「すべて委ねる」

 

以上のポイントを確認し、リストを作って、心の中で思い巡らしてみて下さい。

質問者さんの心が軽くなり、前向きな力が湧き上がることをお祈りしています。

 

もし理屈では分かるけれど、気力がついていかないと感じられるならば、

誰かに「話しを聞いてもらう」等、心情的な交流が必要です。

ご自分で話しを聞いて貰える方を見つけられるならば、ぜひその機会を持って下さい。

もし誰もいなければ、またご質問下さい。

可能な限り、ご対応させて頂きます。

 

祝福をお祈りしています。

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思い通りにならないと、自分を罰したくなります。どうしたら良いでしょうか。(中学生女子)

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「先日は、質問に答えてくださってありがとうございました。私のことを繊細と言ってくださってうれしかったです。相変わらず、周りの大人を見て悲しくなることはありますが、何とかやっています。今日は困っていることを質問したいと思います。上手くいかなかった時、思い通りにならなかった時、特に自分が失敗した時、自分を罰したくなります。殴ってやろうかと思います。そんな自分が怖くなります。こんな時、どうしたら良いでしょうか。よろしくお願いします🤲」(MK 中学女子)

 

Mさん。ご質問をありがとうございます。

さて、Mさん。少し、ご一緒に、ご自身の心を整理してみたいと思います。

 

質問をしますが、どんな時に、「思い通りにならない」と感じますか。

ゆっくりとMさんのお話が聞けるといいのですが、ここは文章での相談ですので、いくつか可能性を考えて書かせて頂きます。

 

では、しばらく一緒に考えていきましょう。

今回も、3つのポイントです。

①自分のものさしの自覚と、「嫌な気持ち」を味わうこと。

②健全に愚痴ること。

③自分で自分をさばくことの意味(理由)と、その解決方法。

 

①自分のものさしの自覚と、「嫌な気持ち」を味わうこと。

人は皆「こうあるべき」という「ものさし(基準)」を持っています。

そして、その「基準」から外れると、

つまり「思い通りにならない」と、イライラします。

 

先日、別の質問で説明した「うんていの棒」のようなものです。

あるべきところに「棒(支え)」がないと、ストレスを感じるのです。

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学校に行く前に、髪の毛が上手くセットできなかった時、

朝ごはんが時間通りにできていなかった時、

「こうあるべき」だと思って、それが思い通りでない時があります。

そんな時にストレスを感じてしまいます。

 

特に「当たり前」「当然こうなるはず」と思っていたものが、期待通りいかないと

爆発しそうになることがあります。

(「うんていの棒」が抜けていたため、落ちそうになるような苛立ちです)

 

また感情は、「水の中に入れた風船」のようなものでもあります。

水の中に沈めて、隠していたようでも、必ず「出てくる」のです。

たくさん隠した分、だんだん反動が大きくなり、出てきた時には、「制御(コントロール)」できなくなる場合があります。

多分、Mさんが、「自分を殴りたくなる時」は、こういう状況だと思うのです。

 

つまり、普通の状態では、Mさんは、「爆発するような人」ではないと思います。

しかし、イライラが募って、余裕がなくなっている時に、

「さらなるイライラ」がやってくると、「反射的」に自分を殴りたくなるような気持(衝動)になるのだと思います。

 

今回、最初に注目したいことは、

今、自分は「何に」イライラしているのか、と考える(自覚する)ことです。

実はイライラで一番やっかいなのは、「理由が分からないイライラ」です。

理由が分からないと、対策の打ちようがありません。

 

しかし、理由が分からなくても、必ず理由はあるのです。

人間は、実は、自分自身であっても、「見ないようにしている領域」があります。(否認)

自分は「こんなことでイライラするはずがない」、「こんなふうに考えるはずがない」

・・・そんな感じです。

特にまじめで正義感の強い人ほど、自分の中にある「負の感情」に気がつきにくい傾向があります。

 

それは、アクセルとブレーキを同時に踏んでいるような状態です。

「イライラのアクセル」と「自制のブレーキ」です。

表面では「停止している」ように見えても、実は何度も「アクセル」と「ブレーキ」を同時に踏んでいて、背後ではものすごいエネルギーが流れています。

それが続くと、(アクセルもブレーキも踏み続けるには大量のエネルギーが必要ですから)莫大なエネルギーを浪費します。そして(表見は何も起こっていないようでも)、心は「疲れ果ててしまう」のです。

 

ですから、イライラの理由が分かっている場合は、良いのですが、

分かっていない場合(あいまいな場合)

自分は「どんな基準」で考え

「何に」イライラしているのか、を確認することが大切です。

自分の感情を受けとめる作業です。

(そうでないと、次に考えたい、「健全に愚痴ること」に入ることができません)

 

デジタル断食、という言葉があります。

スマホやゲームからしばらくの間、離れて「自分自身を見つめる」時間を持つことです。

現代は忙しい時代です。絶えず情報にされされています。

自分の感情を「そのまま受け止める」作業をする場合、

少し静かな場所で、ゆっくりと自分自身を振り返ってみたら宜しいかと思います。

 

思い出してください。

Mさんがイライラした時は、「どんな時」ですか。

(また「どんな基準」で「何に」イライラしましたか)

 

例えば、時間に遅れそうで、イライラした状況があったとします。

多分Mさんは、「時間に遅れてはいけない」という「基準」で、

「遅れそうになる自分」に、ダメだという「判定(ジャッチ)」をしていることでしょう。

 

人によって、「到着時間の感覚(基準)」は「違い」ます。

「時間ちょうど」という人もいれば、「10分前」には準備したいという人もいるでしょう。「5分ぐらい遅れた方」が親切だ、と考える人もいます。「全く考えない」ようなあいまいな人もいます。

 

自分は「どんな基準」で考え、「どこまでは許容できるのか」を知っていることは重要です。

自分が「10分前には準備したい」と考えている人だ、ということであれば、

自分は、こういう人間だから、いらいらしているのだ、と自分自身を冷静に把握できるのです。

そうすると、パニックにならず、遅れそうな先方に、連絡をする等の対策を打つことができます。

 

また、同じ基準で、相手が時間に遅れる時も「イライラ」するでしょう。

しかし自分の基準(10分前)と相手の基準(5分後)とは違うことが多いのです

 

相手が時間に遅れ「平気な顔をしている」時、当然イライラするはずです。

しかし「自分の基準に違反するから」「腹が立つ」のだ、と自覚することができると楽です。

自覚した後で、「相手の基準」は、自分とは違うのだから、「仕方がない」とあきらめることができるのです。(受け入れることができるのです)

 

「自分はどんな基準」を持っており、

「何に」イライラしているのか。

それを自覚することは、心を平常にコントロールする上でも、非常に大切です。

 

一度、ゆっくりした時間を持てた時、「自分の基準」と「何にイライラしたのか」、この二つを考えてみて下さい。

 

その上で次のポイントに移ります。

②健全に愚痴ること。

Mさん。私はMさんの質問を読んでいて、非常に「高い良心基準」を持っている方だと思いました。

繊細で細やかで、そして非常に「高いところを目指している」方だと思うのです。

それは個性として、とても素晴らしい考え方です。

 

しかし自分にその「高い基準」を当てはめると、「身動きが取れなくなる」可能性があります。

中高生の年齢は、一般に「非常に理想が高くなる時代」です。

「こうあるべき」ということを考える時代です。

 

しかし、「理性」と「感情」は違います。

理性でこうあるべきだ、と知っていても「感情」は全く反対に向かうこともあるのです。(人間ですから、理想論では片付けられません)

 

Mさんのように「高い理想」を持っている人は、

自分の中の「負の感情」を許せないかもしれません。

つまり、「自分の愚痴が言えない」ということです。

でも人間ですから、どこかで「感情」を吐き出さなけば、心のバランスが保てないのです。

 

ですから、「健全に愚痴をこぼすこと」は大事です。

Mさん自身の「感情に焦点」を当てましょう。

「イヤなことはイヤ」と受け止めましょう。「腹が立つことは、腹が立つ」と認めましょう。

その上で、「愚痴を聞いてくれる人」を見つけるのです。

友だちでも、家族でも、あなたのことを大切に思ってくれている人であれば、だれでも構いません。

 

先ほど、感情は「水の中に入れた風船」のようなものだ、と書きました。

水の中に沈めても必ず「出てくる」と書きました。

たくさん隠してしまうと、反発が大きくなり、出てきた時には、「制御(コントロール)」できなくなる場合があります。

 

ですから、「風船が大きくなる前」に、できるだけ「小さく」出す(愚痴る)ことです。

「信頼できる人」に何度も「健全に愚痴る」のです。

 

私もありがたいことに、「心の内」を話せる方が数人います。

時々、問題があると、電話をかけて話を聞いてもらいます。

(一人でもこの世で、心の深い部分を知って応援してくれる方がいると、とても支えられるものです)

 

しかし、ここで「人に話す限界」も知っておかなければなりません。

話したい時に、その場で「信頼できる人」が電話に出てくれない時があります。(相手の都合が悪い場合もあるのです)

そんな時にも、ストレスは襲ってきます。

 

また人間は、感情や理性の限界があります。

カウンセラーでも、限界が当然あります。

(私にも限界があります)

ご両親にも、ご家族にも、お友だちにも「限界」があるのです。

ですから、相手が「自分の期待した」ように受け止めてくれないこともあるのです。

 

また人に「話さない方が良い」話題もあります。

 

私は、人に話せない状況の時、

まず「イエス様や天の父なる神様」に「お祈り」をします。

(実は、人に話す前から、イエス様にお祈りを始めています)

そして「心の内」を「全部お話し」します。

「祈り切ること」ができると、心が軽くなって人に「やさしく」なれるのです。

(祈りについては、別の個所でお話ししたいと思います)

 

Mさん。

できるだけ、「あなたの心」を信頼できる方に、

「健全に愚痴って」下さい。

「自分の負の心」を正直に受け止め、それを聞いて貰って下さい。

そうすれば、暴発することはとても少なくなります。

(苦しみも正直に話すことができれば、半分に減っていきます)

 

最後のポイントです。

③自分で自分をさばくことの意味(理由)と、その解決方法。

 

「リストカット」をしてしまう人がいます。

その人は、身体を傷つけると「ホッとする」と言うのです。

(身体は大切ですから、傷つけないようにと願っていますが、、、)

その理由は、はっきりとしています。

「自分で自分を罰する」と「ホッとする」のです。

 

【多くの人間】は罪を犯したら「罰(バツ)を受けるべき」と考えています。

酷いことをすれば、「報いがある」(罰がある)考えるのです。

(聖書もそのことを認めています)

 

Mさんが失敗した時に「自分で自分を殴りたくなる」と書いてありました。

多分Mさんは、無意識でも、こんなことをする自分は「殴られるべき」である、そして「殴ってやりたい」と心の奥で感じてしまうのではないでしょうか。

(自分を罰するタイプと、他人を罰するタイプがあるようです)

 

では、どのようにしたら「罰したい」という衝動を「昇華させる(解決する)」ことができるのでしょうか。

 

 

実はこれは、キリスト教の根本のテーマなのです。

それは「罪の赦し」です。

イエス様が「十字架」にかかられ、私たち人間の「罪の罰」を受け、その「身代金」を支払って下さったので、私たちは「自分で自分を裁く」必要がなくなったというのです。

 

自動車を運転している人は、法令違反を警察に指摘されたら、反則金を払わなければなりません。(例えば、普通車で一時不停止違反は7000円の反則金を支払うことになります。)

もし仮にそれを無視していた場合、些細な違反でも刑事裁判にかけられ、3か月以下の懲役または5万円以下の罰金を命じられます。

 

つまり、「罪」を犯したら、「反則金」を支払わないと拘束されてしまうのです。(逃げられません)

この「反則金」を、他の人が支払って下さったとしたらどうでしょうか。

当然、「他の人」が支払っても、「あなたは自由」になります。

 

イエス様の「十字架の罪のゆるし」を知り、信じた人は、

自分で自分を裁きたくなる時が来ても、

自分で裁く「必要」がなくなります。

「イエス様のいのちの代価」によって、自由になれるのです。

 

初めて、この「十字架のこと」をお聞きした人にとっては、十分には分からないかもしれません。しかし私たち人間には、「罪の問題」や「裁きの問題」を解決できる方法があるのです。(そのことだけでも、覚えておいて下さい)

 

実は、あなたの「罪の代価」の総額は、「あなたの力」で支払うことはできません。

私たちは、日々「的はずれ(罪)」を犯してしまいますから、その総額は、

「一時不停止違反」程度ではありません。

 

聖書のある個所に、人間の「罪の代価の総額」は(あくまで例えですが)1万タラント(約6000億円:国家の予算程度のお金)と表現されています。

厳密に考えれば、あなたは「犯したすべての罪の報い」によって「莫大な罰金」を請求されているのです。そして、必ず支払わなければならないのです。

しかしこんなことは不可能です。

 

【私】は、イエス様の十字架を「心から感謝」しています。

【私】の毎日の生活で、自分を罰したくなるようなことが起こっても、

(「莫大な額」を既に支払って下さっている「イエス様」のお陰で)

「わたしは赦されている」「わたしの罪の代価(身代金)は支払われている」

と言い切ることができるのです。

そして「自分」を「裁かなくても良い」とも言い切ることができるのです。

(これが【私】が失敗を犯しても、自分自身を受け入れて生きられる、原動力です)

 

心の奥を正直に見ていくならば、

「心の闇」の問題は、避けることができません。

ですから、保険として「イエス様の十字架の赦し」を握っていることは、

「自分の心」を「直視」するために、必要なことであると、【私】は考えるのです。

 

「思い通りにならないと自分を罰したくなる」と、

「その解決の方法を教えて欲しい」と、

Mさんは、質問してくださいました。

【私】の体験を参考にしてみて下さい。

 

Mさんには、

次に大きなストレスが来る前に、事前の準備をすることをお勧めします。

それは、

①自分の心を自覚し、受け止めること。

②心のストレスを、信頼できる人に(問題が小さいうちに)「健全に愚痴る」こと。

(神様へのお祈りも、チャレンジしてみて下さい・・・)

 

そのことを通じて、心を穏やかに保つことができると信じます。

 

また、自分を罰したくなった時には、

③罰する気持ちは自然なことである。しかしもう「罰さなくても良い」という解決方法が存在している。

 

ということを「思い出して」頂きたいのです。

 

 

(解決方法があると、考えるだけでも「気が楽」になれると信じています)

 

Mさんが「裁きの心」から「自由」になり、

よりMさんらしい、明るく素敵な人生を送ることができると信じ、

祈っています。

 

またご質問があれば、お知らせください。

祝福をお祈りしています。

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【コラム】大切なものを守るために、悪に立ち向かう(考察)

 

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いつも御拝読をありがとうございます。
連休で、数日更新できませんでしたが、今日はコラムを書かせて頂きます。
しばらく御一緒にお付き合い頂ければ幸いです。

 

今回のテーマは、大切なものを守るため悪と戦う、です。

戦争に出かける場合、人は愛する家族を守るため、平和を守るために、戦います。

(私は戦争推進者ではありませんが)

それは人間のギリギリの選択となります。

命をかけて戦うためには、大義名分がなければできません。

その大義が、「愛するものを守るため」になるのです。

 

あなたにとって、「命をかけても守りたい」と思える「大切なもの」

とは何でしょうか。

愛する家族でしょうか。親しい仲間でしょうか。自分の抱えている責任でしょうか。

自分自身でしょうか。

 

今回は、そんなことも視野に入れながら、一緒に考えたいと思います。

そして「愛するものを守るため」に、「悪」と戦わなければならなくなった時の、

「心づもり」と「勝利する方法」について、聖書から学びたいと思うのです。

(人との争いではなく、平和を作る視点です)

 

先日、Aさんの職場に「不審者」がやってきたという話を、聞かせて頂きました。
Aさんが朝に職場に行ったところ、突然「不審者」と出会いました。彼は担当部署に連絡をし、担当部署が対応後に警察に連絡をし、結果すべてが速やかに解決しました。

Aさんは「毅然とした態度で対応できたので良かったです。」と言っておられました。

 

聖書には、このような言葉があります。
ヤコブ(新約聖書)
4:7 ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。

 

とても短い言葉ですが、ここに「悪に立ち向かう」姿勢と方法が凝縮されています。

 

私たちの周りには、「様々な悪」が存在しています。

法律的なこと、社会的なこと、道徳的なこと、一人一人の心の中にさえも

「悪」が存在しています。

 

そして悪の力は「強い力」です。

いい加減にしたり、あいまいにしたりすると、すぐに「取り込まれて」しまいます。

 

どうしたら、悪に取り込まれることなく、毅然とした態度で、悪に打ち勝つことができるか。

今回も3つのポイントで考えたいと思います。


①「正義と真理の権威」を認めること。
②その権威の下に立つこと
③その上で、悪に毅然とした態度で接すること。

①「正義と真理の権威」を認めること。

先ほどのAさんは、社員の一人として不審者に対応されました。
しかし自分だけで判断せず、ご自分の所属する会社の担当部署に報告(連絡)をし、指示を仰ぎました。
そして、担当部署は状況を把握すると、すぐに警察に電話をし、速やかに問題が解決したのです。

 

仮にAさん一人で、自分の力だけで対応した場合、このようなスムーズな解決にはならなかったかもしれません。もしかすると余計なトラブルに巻き込まれたかもしれないのです。

 

「権威」には、個人の力を越えた力があります。

会社や部署の責任者、公の団体の長、国の法律、法令、、、(「警察」は法律に反する者を取り締まる権威を与えられた団体です。)

それらの「権威」を認める時、毅然とした態度で、違反(悪)に対抗することができるのです。

(法令も権威もなければ、無法地帯です)

 

現在、11月3日におこなわれたアメリカ大統領選挙後の手続きが進められています。
両陣営は、いろいろな情報を発信しています。そしてマスコミはかなり偏った情報を流していると言われています。
しかし最終的な判断基準は、アメリカ合衆国憲法及び法令に則り、判断されます。
ですから、「法令の下」では、法令に反する「個人的な主張や意見」は、何の力も無いのです。

そして、その「正しいと認められた権威」に反対し、自分たちの「私的利益」を増し加えようと考える方が、「悪」となるのです。

悪は、権威に反逆します。そして自己中心です。


正しさや善や義を求めるならば、「健在な権威」がどこにあるのかを考える必要があります。
そして個々人は、「より公(おおやけ)の権威」に「潔く従う」ことが大切です。

個人、会社、地域、国、地球・・・最も公(おおやけ)の権威は、この世界を造られた「創造主(神様)の権威」に行きつきます。

 

②権威の下に立つこと。

これを別な言い方をするなら、「権威に所属し続けること」です。

Aさんは、不審者と対応した時、個人では関わりませんでした。(ここが重要です)

会社に報告し、会社の一員として対応しました。

そして担当部署は、会社の代表として、警察に対応を依頼したのです。

 

それぞれの権威を大切にし、「チームの一員に属して」、協力し対応できたことが、スムーズな解決に至った理由の一つでしょう。

 

団体スポーツ(例えばバレーボール)は、実力も大事ですが、

実力が同等の場合、チームワークが良い方が勝利します。

(そのため、声を掛け合い、励まし合うのです)

「チームに所属し続け」「その一致を保つこと」

が勝利のためには、大切なのです。

 

③悪に毅然とした態度で接すること。

バレーボールの試合をする場合、例えばAチームとBチームに分かれて戦う時、どちらかのチームに入らなければいけません。

AチームとBチームは、試合中は、ライバルであり敵です。

その上で、通常はルールに沿って戦うのです。

 

「悪」に立ち向かう場合、その真逆の「正義と秩序」チームに「確実に所属する」必要があります。

あいまいではいけません。

一旦、「正義と秩序」チームに属すると、相手チーム「悪」の特徴がはっきりと見えてきます。

バレーボールで言えば、敵陣ではなく、味方のコートに入り、相手に対峙すると、「敵の動きが良く分かる」のです。

 

しかし「正義と秩序」チームに入り、そこに居続けるために、

そのチームの方針を受け入れなければなりません。

法令を守らなければならないのです。

(人間は不完全ですが、少なくとも)法令を守りたい、という立場に立たなければならないのです。

そうでなければ、敵陣の「悪」に取り込まれてしまいます。

立場があいまいでは、「悪」に立ち向かうことはできません。

(ワイロを貰うと、悪に取り込まれます。そのようにあいまいな態度は危険です)

 

冒頭の「不審者」の場合、

もし、管理責任者からの「許可」を取っていれば、裁かれることはないのです。(その段階で不審者ではなくなります)

しかしその場合、管理責任者の「指示に従う」必要があるのです。

 

「悪の勢力」はオオカミのようです。(比喩です)

やくざのようということもできます。(これも比喩です)

強引なセールスマンのようだと言ってもいいと思います。

断らせないように、何重もの策を打ち、じわじわと逃げられないように締め付けてきます。そして最後は、「悪に屈服」させようとするのです。

 

「あいまいな態度」を取っているとどんどん侵入されます。

ですから、毅然とした態度で、「味方の(神側の)コートに立ち」「敵に立ち向かう」 ことが大切です。

 

ヤコブ(新約聖書)
4:7 ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。

 

もし「悪」に、責められ、追いつめられたならば、

はっきりとした態度を示し「相手にせず」に、「悪」に「毅然と立ち向かう」のです。

(そうすると、戦う前に敵が逃亡することも多いのです)

要は、あなたの気迫です。「絶対に守り抜く」「最後まで戦う」という立ち向かう姿勢が、

敵陣を崩壊させることが多いのです。(当然神様の助けがあることが前提ですが、、、)

 

しかし一点、気をつけなければならないことがあります。

それは「本当に真理の側に立っている」か、絶えず自分に「問いかける」ことです。

人間は、「自己中心的」です。自分の義が、自分だけの義「自己義」になっている可能性があります。

ですから、自分の心を絶えずチェックをして、更新する必要があるのです。

この更新の基準は、「真理と愛が分かる書物(聖書の言葉)」が最も安全確実です。

 

二つの道が見えたなら、より「真理と正義」、「平和と愛」に満ちた方を選べば、

「神様側」に立つことができます。(詳しくは聖書を直接読まれることをお勧めします)

そうすれば、「神様の守り」の中で、「悪に立ち向かう」ことができるのです。

 

もう一度お聞きします。

あなたにとって、「命をかけても守りたい」と思える「大切なもの」

とは何でしょうか。

愛する家族でしょうか。親しい仲間でしょうか。自分の抱えている責任でしょうか。

自分自身でしょうか。

 

この世に生きる中で「悪に立ち向かうこと」は、時に「勇気」が要ることがあります。

人は楽なほうに流れる傾向がありますから、

「悪」に立ち向かうと、「浮いた存在」になるかもしれないのです。

そして今の時代は、「悪」がまずます満ちてきています。

コロナ禍の不安と混乱の中で、「悪」が「表に出てきて」います。

 

確認の質問です。

あなたは「悪に立ち向かう」勇気と覚悟を持っていますか。

 

この質問は、自分の大切な人たちを守るために、

今後のますます混乱する世界を生き残るために、

(悪に負けないために)

「必要な問いかけ」になるはずです。

 

もし、あなたの大切なものを守るために、

悪に立ち向かわなければならなくなった場合、

(「悪」と戦わなければならなくなった場合)

 

①「真理や正義の権威」を認め(見つけ出し)

②その権威に従い(所属することで守って頂き)

③その上で、毅然とした態度で「悪」に立ち向かう。

 

このことを、覚えておかれることをお勧めします。

 

いじめに会った時、悪い人から脅迫された時、策略にはめられそうになった時、

人生には、まさかと思うことが起こり得るのです。

 

その時に、この「聖書の言葉」を思い出して頂きたいのです。

「愛と正義の神様」は、きっとあなたを守って下さると信じています。

祝福をお祈りしています。

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定期的に「寂しさ」を感じます。どうしたら良いでしょうか。

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「急に『寂しさ』を感じる時があります。昔のことを思い出した時とか、今の生活を考えた時とか、何かの時に、定期的に「ふっと、寂しさ」を感じます。特に期待外れだった時とか、思い通りにならなかった時に感じることが多いです。理屈では「そこまで寂しさを感じる理由」はないはずですが、自分の心ながら、良く分かりません。どうしたら良いでしょうか。」(40代、会社員)

 

ご質問をいただき、ありがとうございました。

定期的に「寂しさ」を感じるということですね。そして「その理由」が良く分からないということですね。

一緒にしばらく考えていきたいと思います。

 

「寂しさ」は、理屈ではありません。

「寂しさ」は「感情」です。

ですから、理屈では、とらえられない時があります。

 

そして「感情」には、定期的に(食事を取るように)、「満たし」が必要です。

ですから、「満たし」がなければ、どこかで「不足」が起こります。

 

また、忙しさが、ひと段落して、

急に「お腹がすいている」ことに、気がつくことがありますよね。

同じように「何かのきっかけ」、「心」が飢餓状態だったことに気がつくと、動けなくなることもあるのです。

 

そんな時は、「大切な人」をいたわるように「自分自身をいたわる」ことが、大切になります。

 

今回もいつもと同じように、3つのポイントに絞って、考えていきたいと思います。

①寂しさの原因を探ること(その感情を味わうこと)。

②寂しさを受け止めてくれる存在(支え)を見つけること。

③定期的に、満たしを体験すること。

 

 

①寂しさの原因を探ること。

寂しさは「感情」ですが、やはり原因を見つける時には

「理性(理屈)」を用います。

 

「寂しさ」を感じる時は、「期待外れだった時、思い通りにならなかった時」が多い、

と書かれていました。

つまり「人に期待したこと」が、思い通りにならなかった時。

「こうあるべきだという目標」に到達しなかった時。

ということで宜しいでしょうか。

 

(理屈で考えていきます・・・)

私たちは、「いろいろな支え」を見つけながら生きています。

「うんてい」をご存知でしょうか。(公園にある遊具です)

向こう側に行くために、いくつもの棒をつかんで、ぶら下がって進む遊具です。

その時、棒をしっかり握っていないと、落ちてしまいます。

 

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「心の支え」は「うんていの棒」に似ています。

あるはずのところに、「棒がない」と、つかめずにバランスを崩してしまいます。

そして「あるはずなのに」と思いながら、感情がざわつくのです。(そして落ちそうになったり、落ちたりします)

 

特に、本来なら「絶対にあるべきもの」がない時には、衝撃が大きいのです。

「家族の支え」とか「会社で当然受けるべき評価」とか。

質問者ご自身が、「絶対に必要」「当然あるはずのこと」と思っているものが、

無くなるよ言うな感覚の時、強く「寂しさ」を感じると思います。

 

「寂しさ」を感じると、自分を守るために

「怒り」「裁き」と言った『攻撃』にでることも、多くあります。

 

『攻撃』は自分に向かうタイプの方と、

他人に向かうタイプの方がいます。

それによって、「自分を裁いたり」「他人を攻撃したり」するのです。

 

(どうせ自分はダメなのだ)

(誰も私を支えてくれない)

(あいつのせいだ)

(あいつさえいなければ・・・)

こんな感じです。

 

では「対策」を考えてみたいと思います。

 

考え方は二つです。

「あるはずの支え(棒)」を、見つけるか。

「違う別の支え(棒)で対処」して、次に向かうか。

 

でも実際は、いくら「あるはずの支え」を探しても、

無いから失望しているのであって、

見つけたくても見つけることができません。

 

会社の上司から「評価の言葉」があるべきなのに、それがなかった場合、

いくら悶々としても、評価の言葉はやってきません。

 

ですから、「上司から支えられなく」(評価がなく)ても、

別のもので十分支えられている、という「違う別の支え(棒)」を見つけ、

支えられていることを「実感すること」が現実的です。

 

そこで感情の問題になります。

(ここから理屈→感情に移ります)

上司から支えられなかった「寂しい気持ち」

(家族でも、恋人でも、友人からでも同じです)

その「感情」を無視することなく、自分で自覚し、味わうこと(受けとめる)が大切なのです。

 

プライドが邪魔をすると、

こんな程度で「私が落ち込むはずがない」と自分の寂しさをごまかそうとします。

すると「感情」が見えなくなり、分らなくなるのです。

 

「感情」が分からないと、その「寂しい感情」を、「別の新しい支え」(別の違う棒)で満たすこともできなくなるのです。

 

ですから・・・

「正直」になることです。

「喪失感」を「味わう」ことです。

「これを満たしたかったんだ」とごまかさずに、素直に「認める」ことです。

(これができるととても楽になります)

 

「私はこんな程度ではへこまない」と強がりを言わずに、

「このことがとても悲しかった」と自分でしっかりと認め、味わうことです。

 

「マインドフルネス」という心のリラックス方法が、医療や福祉の現場で取り入れられています。

それは、「自分の心を批判をせずに、ありのまま受けとめ、感じること」という心のトレーニングの一種です。(瞑想に近いトレーニングです)

その技法も、活用できます。

 

 自分の「寂しさ」を、正直に認め、味わうことができると、

次の「新しい支え」を「受け取る準備」ができるのです。

 

 ②寂しさを受け止めてくれる存在(支え)を見つけること。

自分の「感情」に「正直」になれたなら、

「新しい支え」を見つける作業です。

(もう一度、論点を「理性」に戻します)

 

あなたは、どんな支えがありますか。どんな支えによって心が満たされますか。

 

これも(理性的に)考えると、二方向が考えられます。

【自分のできる支え】(評価)

【他人から貰える支え】(評価)

 

そしてより満足度が高いのは、他人からの支え(評価)です。

 

【自分でできる支え】

「自分にご褒美を買う」ことは「お勧め」です。

仕事が終わった後、少し「おいしいものを食べに行く」ことも良いと思います。

(私はよく、自分へのご褒美で「温泉」に行きます)

「記念日」に、「自分への記念のもの」を買ってみる(自分にプレゼントしてみる)ことも良いでしょう。

それをしながら、「感情」が癒されるのを、「じっくりと味わう」のです。

 

【他人から貰える支え】

質問者さんには、「相談に乗ってくれる方」はおられますか。

両親や家族、会社の先輩、相談に乗ってくれる知人・・・

(できれば、自分より人生経験の豊富な方が宜しいです。そうでないと単なる愚痴の言い合いになってしまうからです)

 

この世界に、たった一人でも、自分の「心の奥の本音」を知っていてくれる人がいて、

その人が応援してくれていたら、

私たちは、「苦しみの中」でも「がんばることができる」ものです。

 

私も、以前も書きましたが、数人の信頼できる先輩や友人がいます。

そして、問題が山となって煮詰まると「電話」を掛けます。

その時に、頂ける評価や励まし、ヒントによって、前を向くことができたことは、何度もありました。

 

でも都合よく話を聞いてくれる人がいない場合、

または問題が大きすぎて、それを受けとめられる人が誰もいない場合、

複雑すぎて、理解してもらえない場合、

・・・どうしたらいいのでしょうか。

 

私は、その時には「イエス様」に祈ります。

(実際は、人に話す前からイエス様に祈り始めています)

 

イエス様という方は、とてもありがたいです。

私の苦しみのすべてを分かって下さる方です。

 

(これ以降は、私の個人的なイエス様との関係の話をさせて頂きます)

なぜなら、イエス様は十字架にかかり、ひどい苦しみを経験されたお方です。

弟子たちに裏切られ、人からバカにされ、(愛と赦しと癒しの行為をし続けたにもかかわらず・・・です)

そして最後は、十字架の上で、亡くなられました。

(この時の感情は、凄まじいものがあるはずです。多分その痛みの全てを感じたならば、堪えられないほど・・・、ショック死するほどのものだと思います)

 

祈りの中で、この「イエス様の存在」に触れる時、

「私の心」は「慰められる」のです。

「イエス様はもっと、ひどいことを経験された」

そう思いながら、イエス様がされたことを思い巡らすと、癒しと共に、

勇気と力が与えられるのです。

そして、「イエス様が一緒にいて下さるから大丈夫」と、心が軽くなるのです。

 

私はつらいことがあると、その度に、このイエス様に(精神的に)飛び込みます。

自分の「悲しみ」や「寂しさ」の感情を引っ提げて、

温泉につかるように、イエス様のやさしいぬくもり(と感じる感情)の中に

飛び込むのです。

 

質問者さんに知って頂きたいことは、

「支えてくれる人」が一人もいないように思えても、支えてくれる存在はあるということを、覚えて頂きたいのです。

(人間には限界がありますから)

 

聖書の約束の言葉です。
イザヤ(旧約聖書)
46:3 胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。
46:4 あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。

 

詩篇(旧約聖書)
27:10 私の父、私の母が、私を見捨てるときは、【主】が私を取り上げてくださる。
27:11 【主】よ。あなたの道を私に教えてください。私を待ち伏せている者どもがおりますから、私を平らな小道に導いてください。

 

「聖書の言葉、辛い時」で検索すれば、いくつもの励ましの言葉がヒットすると思います。(参考にしてみて下さい)

 

 

③定期的に、満たしを体験すること。

先ほど、「感情」は食事のように「定期的に満たし」を必要としている、と書かせて頂きました。

以下に、【非常事態時】と【通常時】に分けてアドバイスを差し上げます。

 

【非常事態時】

苦しい時には、あなたを支えて下さる人に、「甘えましょう」。

忙しいとか時間ないとか言わないで、すがりましょう。

 

本当に切羽詰まった感情を自覚し、抱えていたならば、そのままにしておくことはよくありません。

できるだけ早く、時間を取って頂きましょう。

(・・・本当に大変な時、私はそうしています。忙しい方が多いので、前もってメールをして都合の良い時間を確保して頂きます)

 

「感情」は生き物です。

合理的には、動いてくれません。

お腹がすいた子供のように、「早めの満たし」が大切な時があるのです。

 

【そこまで、大きな問題でない時(通常時)】

①でも書いたように、「寂しさ」の感情を「味わい」ながら、

「別の支え」を見つけましょう。

そしてその支えを味わいながら、寂しさや不足感の穴が「満たされる」体験をしていくのです。(自分へのご褒美、等)

 

定期的に寂しさを感じるということは、

きっと神様は、その寂しさを埋め合わせる「素敵なプレゼント」を準備して下さっているはずです。

「寂しさを感じる度」に対処してくならば、「心の空洞」は段々と埋められていくことでしょう。

(寂しさを定期的に感じることは、決してマイナスではなく、質問者さんの癒しにとって、プラスとなると信じています)

 

①寂しさの原因を探ること(その感情を味わうこと)。

②寂しさを受け止めてくれる存在(支え)を見つけること。

③定期的に、満たしを体験すること。

 

以上を参考にしてみて下さい。

「寂しさ」慰められ、

「空虚な心の空洞」が良いもので一杯になり、

その「良い感情」を、十分に味わうことができますように・・・、

祝福をお祈りしています。

・・・・・・・・・・・・

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職場に、わがままな人がいます。人の話を聞かず、いつも周りを振り回しています。どのように関わったら良いでしょうか。

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「販売系の職場です。職場は明るくて楽しいのですが、一人とてもわがままな人がいます。人の話を聞かず、いつも自己主張ばかりをしています。今まで周りがそれとなくサポートしていたので、上手くいっていたのですが、最近その人が明らかなミスをしました。しかし言い訳ばかりを言って、人のせいにして切れてしまいました。みんなびっくりしています。チームの主任として、今後どのように対応したらよいでしょうか。」(30代女性)

 

ご質問をありがとうございました。

チームの主任をされているのですね。

お疲れ様です。リーダーの立場が与えられると、言いたくないことも言わなければなりません。

職場が明るく楽しいとのことですから、きっと質問者さんは、陰ながら多くの努力をしてきたことでしょう。

良い知恵が与えられるよう、お祈りしています。

 

今回、質問者さんが「チームの主任」であることを意識して書かせていただきます。

「リーダー」の働きには、いろいろありますが、その中の最も大切なものとして「信じる心」が必要です。

人間は、皆、自己中心で、わがままで、頑固です。(私も自分のことを考えると、そう思います)

ですから、「正しいこと」でも、「言われる」と「反発」します。

 

そんな人々に対しても、「語らなければならない」のが、「リーダー」です。

時には、言っても反発ばかりで、「分かってもらえない」と感じても、

「言い続けないといけない」のが、リーダーの仕事なのです。

(配慮は当然必要ですし、そこまでひどい人は少ないとは思います)

(しかし今回はかなり「大変な人」を視野に入れて回答をしているつもりです)

 

その仕事を成し遂げるためには、

その方が「自分のわがまま」や「闇のような否定的な感情」を現しても、

必ず、その方は将来、「ルール」や「(光のような)調和や平和」を目指すと、

「信じる心」が必要です。

 

そのために、その方が「光」を見る前に(見ていなくても)、

リーダーである質問者さんが、「光を見つけ」、

「信じる心」が必要なのです。(大変なことでもあります)

そうすれば、質問者さんの「信じる心」に、その方は「巻き込まれて」きます。

(ピグマリオン効果と言います)

 

それには、リーダー自身が「闇」が見えても、

視点を「光」に心を切り替える、「心の筋肉」が必要になってきます。

その強化方法は、別のところで扱います。

 

さて今回も3つのことを考えながら、論点を絞っていきます。

①「ルール作り」と本人への確認。

②「ルールを守ること」の指導。

③批判ではなく「助け合う雰囲気」作り

 

①ルール作りとその確認

販売系の職場ということですが、職場にはきっとマニュアルがあると思います。

発注の仕方、在庫管理、在庫処分、等々。

そのマニュアルをもう一度見直して、現状にあったものに修正し、

皆で共有することをお勧めします。

 

それは「責任の所在」を明確にするためです。

もしかすると今まで、皆のチームワークで、あまり細かいことは言わなくても仕事がまわっていたのかもしれません。

問題を起こした方が「言い訳をして、人のせいにして、切れてしまった」と書かれていましたので、

その方が「人のせい」にできないような、ルール作りを共有することが大切だと思います。

 

特に「共有すること」が大切です。

人間はルールが嫌いです。

それは、「縛られるから」です。

しかしルールには、「意味」があり、それを守ることで、

「皆の利益」、ひいては、「自分の利益」になることを分かるならば、

自主的にルール(決められごと)を守るようになります。

(横断歩道と信号が、その最たるものです。赤で止まることは、面倒臭くても、命を守り、目的地に早くスムーズに行く方法です。だから皆守っています。)

 

聖書に書かれている、決められごと(ルール、法則)の一つは、

「種まきの法則」です。

見えていなくても「心で」「良いタネ」を蒔けば、「良い刈り取り」を得るという法則です。


ガラテヤ(新約聖書)
6:7 思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。
6:8 自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。
6:9 善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。

 

それが分かると、「自分の心の動機」をチェックするようになります。

そして、「良い動機で」ことを始めるように努めるのです。

(私の以前のブログで何度か触れています。)

 

問題を起こした方には、職場のルールを守っていただくと共に、

この「種まきの法則」を身にしみて知っていただく必要があります。

もしかすると、その方は、問題発言をしても、何とかなると思い込んでいるかもしれません。

しかし「悪い種を蒔け」ば、確実に「人が傷つき」「誰かが迷惑」します。

その「痛み」と「恐ろしさ」を知ってもらう必要があります。

そのことが「本気で」分かれば、その方も、「自分の心を制御すること」を自覚し始めるでしょう。

(その方の将来のためにも必要なことです)

 

 

②「ルールを守ること」の指導。

「人の話を聞かず、いつも自己主張」される方は、やはりどこかで問題を起こします。

(繰り返しになりますが、今回のはかなり「大変な人」を想定して書いています)

ある意味今回のことは、起こるべくして起きたこと、と言えるのかもしれません。

もしかするとすでに度々起きていたことか、表立っていなかったのだけかもしれません。

 

わがままな人は、「自分の決めたこと」が「正しいルール」と考えています。

周りは「自分の決めたルール」に従うべきだと無意識のうちに考えているのです。

(または「自分が思い込みで決めたこと」を「皆が守るはずだ」と考えます)

その方は、「自分を超えたところ」に「(正しい)ルールがある」ことを、

常に学ぶ必要があります。

 

そのためには、他人からのアドバイス(指摘、明確化)が必要です。

「それは、〇〇の意味で、△△ではない」という、明確化です。

聞き方、考え方に、「くせ(歪み)」がある場合、当人だけでは、気がつきません。

(気がつかないばかりか、気がつきたくない、という人もいます。)

(心理学用語で「否認」と言います。見えても見ていない、見ないのです)

 

特に「言い訳」をいつも言う方は、「自分の責任」を「認められない」傾向があります。

「人にしてもらう」ことを「当たり前」と思い込む傾向もあります。

 

そういう方に、「皆でルールを守りましょう」と言う場合、

気をつけなければならないことがあります。

それは、わがままな人の中には、そのルールを「他人にだけ」当てはめ、

「自分は実行しない(しなくてもよい)」、と考える人がいるのです。

(他人は、「私の利益のため」にルールを守らなければならない……という感じです)

 

「再確認をしましょう」というルールがあった場合、

「人が」再確認することだけに目をとめ、「自分が」再確認することをおろそかにしても、

「人のせい」にできてしまうのです。

 

「人の話を聞きましょう」と方針を語ったとしても、

「自分」が「人の話」を聞くとは、受け止めず、

「人」が「自分の話」を聞くべきと、

頭の中で、自分の都合の良いように「解釈」してしまうのです。

(考え方のくせ、歪みです)

 

 ですから、「ルールを守ること」の指導しなければなりません。

歪んでいることに、気がついて貰わなければならないのです。

 

そこには、必ず「対決」が起こります。

対決した時に、正しくジャッチ(善悪の判断)をするために、

ルール作りと、その共有が必要なことは言うまでもありませんよね。

そして質問者さんに、それをし続ける「愛情」と「メンタルの強さ」が必要となります。

(③でそのことを考えます)

 

③批判ではなく「助け合う雰囲気」作り


ロマ(新約聖書)
3:10 それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。
3:11 悟りのある人はいない。神を求める人はいない。
3:12 すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行う人はいない。ひとりもいない。」

 

「人間は罪人」で、「誰もが愚か」である、これが私の「基本的な人間理解」です。

(聖書の「罪」とは、ハマルティアというギリシャ語の訳になりますが、「的を外れた」という意味です。私たちは、正しいことを知っていても、出来ないことが多いのです)

 

今期のドラマのクール(2020年秋)に「タリオ、復習代行の2人」があります。

渡辺美波さんと岡田将生さんのW主演のドラマです。

主人公の白沢真実(渡辺美波)は、司法試験予備試験の制度により弁護士になりました。

ストーリの詳細はここでは書きませんが、コメディタッチながら、様々な人間心理を突いたドラマです。

 

白沢真実は、何度も「自分は議論で負けたことがない」と詐欺師の黒岩賢介(岡田将生)に自慢しますが、議論に負けそうになると「白目をむいて」「瞬時に寝てしまう」のです。

つまり否認(都合の悪い現実を見ずに無視すること)です。

 

笑えるところですが、しかしよく考えると、

「本当はまずい」のです。

 

しかし人は、多かれ少なかれ、否認をします。

自分の正しさのために、嘘をついてでも「自分を守ろう」とするのです。

(本人に嘘の自覚が無いことが多いです)

 

このことを考えると、質問者さんのチームの「問題を起こした方」も

「質問者自身」も「他の仲間たちも」

自分を「ごまかす」でしょうし、「正当化をする」毎日だと思うのです。

 

皆が「罪人」で、

皆が「ゆるされ」ている。(これはまず第一に神様から赦され、人から許されるという二重のゆるしを受けています。)

 

そうならば、お互い様であり、誰も「自分だけが正しい」と言えない存在であることを「認める」と、「やさしく」なれるのです。

 

ですから「裁き合うこと」は、よくありません。(雰囲気を悪くするだけです)

また質問さんが、「問題を起こした人」を、徹底的に「裁く(ダメだと決めつける)」ならば、

リーダーとしての質問者さんの役割を「放棄すること」にもなります。

(「信じる役割」の放棄です)

 

イエス様の言葉です。
ヨハネ(新約聖書)
13:14 それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。
13:15 わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。

 

イエス様は、「私が洗った(赦した)」ように「互いに許し合いなさい」と命じられました。

これは体験であり、感情です。

「赦された」と体験し、感じた者は、「他人」を許せるように(少し)なれるのです。

 

「神様からの赦し」については、他の箇所で学びますが、

これを体験できると、確かに「人生が変わり」ます。

 

(良い雰囲気作りのために) 

まずリーダーである、質問者さんから「率先して」許しを実行していきましょう。

「許すこと」は莫大なエネルギーが必要なことがありますが、

神様から「赦しの力」を受けることができたら、幸いですね。

 

質問者さんは、すでにチームのために「努力」をしていると思います。

でも無理は長続きしません。

 

辛い時には、質問者さんを「受け入れて下さる方」に助けを求めましょう。

質問者さんが、しっかり受け止めてもらう体験をすることが、大切です。

 

人は「愛された分」「愛すること」ができます。

「受け入れられた分」「受け入れること」ができます。

「ゆるされた分」「許すこと」ができるようになるのです。

 

しかし「人間の許しと許容」には、「限界があること」も認めることも大切です。

(他人は、自分の願い通りに、100%は受け止めてくれません)

 

そうなると、私は「天地を造られた神様」に行きつくのです。

宇宙を造られ、人間を造られ、私を造って下さったお方、

見えないけれども、確かに私を「愛して下さっているお方」

 

そのお方の「愛(慈愛)」に触れる時、人はつくり変えられるのです。

 

①「ルール作り」と本人への確認。

②「ルールを守ること」の指導。

③批判ではなく「助け合う雰囲気」作り

 

①から③を何度も、心で繰り返し、

その方を思い起こして、イメージをして下さい。(瞑想や、祈りとして繰り返し、定着するまで続けて下さい)

 

質問者さんが、そのイメージを「実行する時」に、

自分の「力の足りなさ」を実感すると思います。しかし諦めないでください。

教師が、一番学ぶことができます。

立場が与えられると、その立場の仕事ができるように、力を身につけることができるのです。

 

きっと神様は、質問さんのことを「助けて下さる」に違いないと思います。

 

ご健闘をお祈りしています。

また困ったり、辛くなったならば、ご連絡ください。

できる限りのサポートをさせて頂くつもりです。

応援しています。

 

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