人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から

世界のベストセラー聖書の価値観から、生きるを考えます!(モノの見方が変わると、とても楽になります)

【コラム】悪と戦うこと、情報戦。(来年への備え)

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2020年は、激動の年となりました。(今回のコラムの内容は重たくなります)

コロナによって、私たちの環境は一変しました。

春先からの買い占めによるマスクや他の物資不足、社会的距離や三密防止。

 

今まで経験したことがない状況下で、一時期多くの人々がパニックとなり、現在も混乱は続いています。

マスコミも、視聴率を取るために、人々が飛びつく「あおるような」情報を流す傾向があることを強く感じます。

その反動から、コロナを極端に軽視する人たちも出てきています。

不確かな情報が飛び交い、その情報に踊らされて、「心ここにあらず」となる方も多く、精神的に不安定になっている人も多いです。

自殺者も確実に増えています。

外出の抑制によって、倒産や自己破産の不安におびえる「切迫した声」も聞きます。

 

今年も終わろうとしています。

しかしまだまだこの状況は続くだろうと予想されます。(スペイン風邪の収束が、3-4年かかったと言われていますので、それぐらいは覚悟すべきかもしれません)

今年はもう少しで終わりますが、私たちは、来年に備えていかなければなりません。

 

今回は、コラムとして2点を考えていきます。

①「悪と戦う」大切さ。その視点。

②「正しい情報」を集め、その情報で「善悪を判断する」こと。

 

①「悪と戦う」大切さ。その視点。

コロナの混乱に乗じて、自分の利益(自分たちの利益)を考える、「人」や「集団」が存在します。

注意してニュースを見ていれば、気がつくと思います。

 

その悪(あえて悪と書きます)は、「悪の勢力」となり、自分たちの利権を広げよう(得をしよう)と動きます。

これは、政府にも、民間にも存在します。(震災後に起きたことと似ています)

 

悪の特徴は、「嘘をつくこと」です。

一見、「きれいな言葉」「正しくみえる理屈」を語って、(テクニックとしてです)

実際は、自分の利益、自分たちの利益だけを考えているのです。

 

大学生が、クラスメートを通じて「法律に違反しないから」と「軽い気持ちで詐欺」に誘われ、持続化給付金100万円を騙し取り、後日、集団で逮捕された記事は、その典型例です。

「きれいな言葉」に騙されてはいけません。(本来の手続きをせず、良さそうだと思えるところに誘惑があることも心すべきです)

仮にご自分が「誠実」に生きていても、他人がすべて「誠実だ」と考えることは危険です。(悪の確信犯は、悪を美しく魅力的に表現します)

 

「悪」は「悪」です。

私たちは、悪をあいまいにせず、必要ならば「戦わなければ」なりません。

(戦わなければ、負けるのです)

 

コロナ対策の政府の予算で、「どうしてこの予算がついたのか(必要性)」「どうしてこの会社や団体に発注されたのか」と疑問に思うことはあります。明らかに「利権団体」が動いていることが想像できます。日本でもアメリカでも同じことが起きています。

(つながりのすべてが悪いと言う意味ではありません。一見正しく見える中に、「悪が存在する」ことを伝えたいのです。

 

少し前にも書きましたが、

「悪魔」は、「光の天使」を装います。

一見「きれい」に見えますが、その奥は「真っ黒」です。

きれいに見えなければ、誰も飛びつきません。(誘惑とはそういうものです)しかし飛びついたら最後、抜けられなくなり、その時に後悔しても、修復が大変なのです。

 

聖書の中で、「ハトのように素直に、蛇のように賢く」というイエス様の言葉があります。

自分の心の中にも、人の心の中にも、「悪が存在する(侵入する可能性)」を、現実のこととして受け止めていく必要があるのです。

「自分の中の悪」をきっちり見極め、対処できる人は、「人の悪」に気がつきやすいのです。

 

聖書は、これからの時代は、「混乱の時代」とはっきり書いています。(すでに入っていると読み取れます)

 

少し大きな話をします。(難しいと思われる方は、②まで、一旦スキップしてもらっても構いません)

聖書の中の、ダニエル書(旧約聖書)や黙示録(新約聖書)を読むと、

終わりの時代には、「世界大戦」が起こり、「イスラエルが再建(1948年)」された後、ますます混乱の時代となり、その後に「世界統一政府」が樹立されることが書かれています。

その「世界統一政府」は、強制的に人々を支配します。人権など関係ありません。(中国の現在の政治体制のように見えます)

今後(聖書の記述を見る限り)、ゆっくりとそちらに向かっていくと考えられます。

 

今、実は共産思想が世界中に広がっていることを知っていますか。

コロナ対策で中国は、強権的に対処した結果、コロナに封じ込みに一見成功しています。

 

中国は、コロナ禍の現在、世界中に支援をしており、中国に好意を持つ国は多くなっています。

また企業合併買収(M&M)によって、先進国の資本にも中国資本(株主)が入っています。

苦境に喘ぐマスコミにも、中国資本は入ってきており、中国批判をしにくいマスコミ各社があることも聞きます。

 

現在アメリカでは、共産主義の思想が大学教育によって広がり、「一部のエリート支配者が、国全体を支配した方が良い」と考える若者が増えてきているとのことです。

 

しかし共産主義体制は、香港、台湾、チベット族ウイグル族、内モンゴル自治区、それらの人権迫害を少し調べれば、その本質が分かります。

「政府の方針(体制擁護)」のためならば、「人間の尊厳性(自由、平等)」はどうでも良いと考える、「恐ろしい思想」を根本に持っているのです。一旦国の法律で決まってしまうと後戻りできません。(香港の現状がそれを物語ります)(また中国では、教育という名で民族の言葉を奪い、共産主義思想を一方的に教育をしている地区が、現実にあるのです)

(きれいな言葉を語っても、その本質を見抜かなければなりません)

 

共産主義批判が、今回のブログの目的ではありません。それでは本質を見失います。

一見きれいな言葉の背後に、悪魔的な思想があり、一旦それを受け入れてしまうと、二度とあと戻りができない「危険性」があるということを伝えたいのです。

このような「誘惑」は、これからの「混乱の時代」には、ますます巧妙に人々の心の中に、やってくるでしょう。

 

もう一度テーマに戻ります。

②「正しい情報」を集め、その情報で「善悪を判断する」こと。

「悪を認識」し、「悪と戦う」ためには、「正しい情報」が、絶対的に必要です。

 

聖書の記述で、「悪魔」が人間を「誘惑」したのは、最初はエバ、次は(エバを通じて)アダムの順番でした。(創世記3章・・・神話のように思えるかもしれませんが、誘惑の典型例として受け取って下さい)

その時、悪魔は「情報操作」をしました。

「本当のこと」を知っていながら、「エバが混乱するように」、「一部の情報を変えて」エバに伝えたのです。そして実際にエバは混乱し、「食べてはいけない」と命じられた木の実を食べたのです。

エバは、それを夫のアダムに食べさせてました。

(アダムは、身近な関係者から、信頼関係や情緒によって、誘惑されたことになります)

 

エバが、「正しい情報」に立っていたならば、誘惑されなかったでしょう。

「正しい情報」は、物事を判断する上で、非常に大切なのです。

「悪」に気づき、「誘惑」を避けるためにも、「正しい情報」は重要です。

 

 

具体例を挙げます。

私は、毎日聖書を読みます。

それによって、「善悪の基準」や「倫理面」でいつも自分をチェックしています。

そうでないと、膨大な一般的ニュースによって、「自分の視点」や「価値観」に影響を受けるからです。

(私はこれは死活問題だと思っています。しかしクリスチャンでも曖昧にしている方もおられます。)

 

あともう1つ意識していることは、信頼できる情報源を確保することです。

信頼のおける友人からの情報を大切にしています。

また、最近では尊敬し、信頼する方で、ユーチューブで配信をしておられる方(例えば牧師の中川健一先生)の動画も定期的にチェックしています。

中川先生の動画だけでなく、他の沢山の情報源となる動画や記事もチェックしています。

世界情勢やコロナ情報など(噂話の受け売りではなく、自分で研究調査をした方々の情報)は、非常に有益です。

 

すると、一般のマスコミで報道していなこと、できないことが見えてきます。

(もちろん、すぐには飛びつかないようにしています。嘘情報や誤解も混ざっているでしょうし、特に陰謀論と人が評価するものには、細心の注意を払います)

 

これらの動画を見て、「事実」を出来るだけ、忠実に見分けようとすると、

やはり「大手のマスコミ」は、「ある方針」があることが分かります。

「政府の意向」や「大株主や広告主の意向」です。

それを無視したマスコミ報道はないことが分かります。

 

だから多くの方々が言っているように、

今の時代は「自分の頭で考え、積極的に情報を仕入れること」が、とても大切です。

そうでないと将来、第二次大戦中の日本の「大本営発表」のような、また現在の中国の「情報操作」のような統制が起きた時、「大きな力」を持った人に利用され、「考え方」を操作される「可能性」があるのです。

 

「見えない世界」では、すでに「戦い」が始まっていると感じます。(思想戦です)

思想戦で、大事なことは、

①悪の存在を見極めること。

②真実な情報を 集め続けること。

 

私たちが「騙されない」ために、

この二つを持ち続ける「覚悟」が必要なのです。

 

今までのような平和な時代ならば、(私は個人的には平和を強く求めますが)

ある程度、適当でも過ごすことができました。

しかしもし今が、「戦時中」ならば、「戦時中の考え方」が必要です。

無意味、無計画に、人と戦う必要はありません。(争いを助長することは、虚しいことです)

 

しかし、特に心の中の、「戦時中における」善悪の戦いは、

「覚悟」しなければいけません。

心の中の悪との戦争は、勝つか負けるかです。(あいまいにはできません)

勝たなければ、私たちは負けるのです。

 

「心の病」の問題も、「心の中の悪」に負ることが原因である場合も、多いのです。

 

私の伝えたいことは、これを読まれた方の「心の平安」です。

①悪の存在を見極めること。

②真実な情報を 集め続けること。

 

この文章を読まれた方が、

心の中に迫る「悪なる力の攻撃」に立ち向かい、勝利することができますように。

そのために「正しい情報」にいつも触れることができますように。

それを得るための「知恵」が与えられますように。

 

やはり2021年は、多くの厳しいことが起こるでしょう。

しかしだからこそ、「心を備えて」いきましょう。

 

天は、「乗り越えられない試練は与えられない」と言います。

覚悟して、情報を収集している人には、必ず乗り越える道が与えられると信じるのです。

【新改訳聖書】
Ⅰコリント 10:13 あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。

 

 

 天の助けがあることを(天の父なる神様の助けがあることを)

お祈りしています。

「あなたに助けがある」と、信じています。

 

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クリスマスは、愛の贈り物

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クリスマスおめでとうございます。

コロナ禍にあっても、クリスマスは、喜びの日です。

(実際のクリスマスは、24日の日没後に始まります。教会暦では、日没から25日だからです。)

今晩(24日)は、ケーキを食べたり、特別な食事をする方もおられると思います。

 

もともとクリスマスは、「イエスキリストの誕生」をお祝いする日です。

そしてクリスマスは、人類に「愛のプレゼント」が贈られた日、(それを記念する日)です。

では、「キリストの誕生」で一体何が「贈られ」、何が「そんなに素晴らしい」のでしょうか。

 

メリークリスマス(クリスマスおめでとう)と言いますが、一体何が「おめでたいこと」なのでしょうか。

またどうして、プレゼントを渡しあうのでしょうか。

 

考えてみたいと思います。

私たちは、「愛されること」を求めています。(どんな人でもそうです)

また「人から認められること」を求めています。

実は、認められたいという承認欲求も、形を変えた「愛を求める」衝動です。

「認めて欲しい」「愛されたい」、これらの衝動は、誰もが持っている「思い」です。

人間は、人から認められないと(愛されないと)生きていけない存在なのです。

 

でも、実際はどうでしょう。

私たちは、愛されているでしょうか。

……あなたは愛されていますか。

認められていますか。

 

そして……あなたは、「今の現状」に満足していますか。

もし…、「もっと愛されたい、認められたい」と願っているなら、まだ「不足」があるということになるでしょう。(そういうことになりますよね)

では、一体何が「不足」なのでしょうか。

 

「いいね(評価)」を「10」もらったならば、次の日には「10以上」を求めてしまいます。

「9」では「足りない」と思うのです。

一気に「100」になったなら、「自分はそれだけの価値があるのだ」と嬉しくなります。

けれども、また「10」に戻るとガッカリするのです。(そんなものです)

 

しかし、評価は所詮「人の評価」です。「人の評価」は変わります。

自分が人を評価する時のことを考えれば、分かると思うのです。

「人の評価」は、絶対ではありません。

しかし、私たちは「絶対的な評価」を求めます。

だから「由緒ある権威」に認めてもらうことを求めるのです。

(勲章や表彰状に価値を持たせるとは、そういうことです)

 

実は、そんな権威に「認めてもらわなくても」、「あなたは価値があるのだ」と認めてもらっていることを知っていますか?

この世界で「最高の権威」を持っておられる、創造主(神様)が、あなたを認め、愛しておられることを知っておられるでしょうか。

その証拠が、クリスマスなのです。

 

神様は、普通見えません。またいつも感じられる訳ではありません。

しかし、「見えない神様」が、「見える形」で現れて下さったのが、「クリスマス」なのです。

 

聖書の有名な箇所です。

Ⅰヨハネ(新約聖書)
4:9 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

 

「私たちが、神を愛したのではなく」

「神が私たちを愛し、御子を遣わされた」

「ここに愛があるのです」

 

私たちは、不完全です。(皆そのことを知っていると思います)

(だから、頑張ったり、取り繕ったりするのです。)

「背伸び」をして、認めてもらえるように、「自分を演じ」たりもします。

 

しかし、心の奥では、「本当の自分」を知っています。(あえて「見たくない」と考える人もいます)

失敗をして、足りなくて、愛がなく、自分のことしか考えていない、「自分の姿」です。

 

そんな取り繕っていない、「素の自分」は、愛されるのでしょうか。

……はっきり言いますが、「愛されている」のです。

 

「私たちが、神を愛したのではなく」

「神が私たちを愛し、御子を遣わされた」

「ここに愛があるのです」

 

「できなく」ても、「愛される」。

この種類の愛(聖書では、アガペの愛と言います)を経験する(味わう)と、人生が変わります。

そのままで、愛されてる感覚を持った人は、「人への恐れ」から「解放」されます。

(人から認められなくても、大丈夫となります)

 

「あなたは、創造主に愛されている」と聞くと、

「受け取れない人」も多いかもしれません。

そんなことは「信じられない」、そんなことより、目の前の仕事をして、「目に見える評価」をもらう方が大切だ、と考える方もおられるでしょう。

 

しかし、よく考えてみてください。

「認められていて」(それを知っていて)、仕事をする人と、「認められるために」、仕事をする人は、雲泥の差があるのです。

 

「認められている人」は、余裕があります。

仮に目の前の仕事で、認められなくても誤解を受けても、大丈夫です。

しかし、「認められるため」に仕事をする人は、その仕事で認められないと、大変です。

時に死活問題になります。

 

老化や定年を考えても分かります。

「自分の能力やポジション」だけで、自分の評価を確認している人は、歳をとって引退すると、がっくりします。

「自分の支え」としていたものが、無くなってしまうからです。

結局、支えは、あるようで無かったのです。(期間限定だったのです)

 

聖書では、そのような支えを「偶像」と言います。

(つまり、崩れてしまう「自分の支え」です)

 

イエス様は、神の子として、この地上に生まれて下さいました。

偶像ではない、本物の神の子です。(それを受け取る信仰は必要ですが…)

イエス様は、「私が失敗して」も「そのまま受け止めて下さる存在」なのです。

 

命は、創造主によって造られています。

ですから「造られた私たち」は、「神の作品」です。

だから本来は無条件で愛されているのです。

(あとは、その事実を知り、受け取り、感じるだけです)

 

この機会に、神の子が「私たちを愛するため」にこの地上に生まれて下さった意味を、深く知ってみて下さい。

 

●「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」(ヨハネの福音書15:13)。これは、イエス様の言葉です。

 

イエス様は、命を捨てるため、この地上に生まれました。

そんな愛が、存在するのです。

 

そしてその愛を、「求める」なら、あなたも、「頂ける」(体験できる)のです。

「求めよ、さらば与えられん(求めたら、与えられる)」です。

 

私も、この愛を知って(受け入れて)、人生が変わった者の一人です。

別に、キリスト教会に行かなくても構わないのです。(行く機会があれば、もっと学べるとは思います)

ただ「個人的に」心に受け入れるだけで、あなたはその愛を知る、「入口に立つ」ことができるのです。

 

愛されているから、受け入れられているから、

人を愛し、受け入れることができる、

この価値観を持つ人生は、素晴らしいです。

 

今日クリスマスの日に、

「多くの人」が、プレゼントを通じて、

愛を喜びあえる「素敵な時間」を持てますように。

また、「一人でクリスマスを過ごす方」にも、「特別な時」がありますように。

 

実はイエス様は、たった一人で、十字架の道を行かれたお方です。

孤独を知っておられる、分かって下さるお方です。

ですから、今日、孤独を感じておられる方にも、

力強い「神様の愛」が、流れることを信じています。

 

コロナ禍の中です。責任を持っておられる立場の方の中には、

「浮かれたお祝いなどできるわけなどない」と感じ、

ギリギリのところを通っておられる方もおられると思うのです。

 

しかし、クリスマスは「助けがある」という印でもあります。

「その助け」を見つけることができますように、

それを見つけるまでの、「気力」が与えられますように。

 

愛のプレゼントである、

「クリスマスの祝福」をお祈りしています。

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ほめたり励ましたりする程、落ち込む後輩がいるのですが、どうしたら良いでしょうか。

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幼児教育の仕事をしている者です。最近入ってきた後輩が、すぐに落ち込むので困っています。年上の先輩と比較し、「自分はできない」と否定的になります。彼女に「経験が違うのだから、自分の目標を立てて、自分のペースでいったら」とアドバイスをしても、「自信がない」と言い、ネガティヴ発言を繰り返します。聞いてみると、前の職場でも同じような問題を抱えていたようです。あまりに続くので、「何とかしよう」と考える他の人たちも引きずられて、職場の雰囲気が暗く重くなってきています。どうしたら良いでしょうか。       

 

ご質問をありがとうございます。

質問者さんの職場には、優しい方が多いのでしょうね。

質問者さんたちが、良い雰囲気を作って、職場を盛り上げていることを感じます。

 

さて、今回、後輩の方に対するご質問ですが、しばらく一緒に考えていきましょう。

文章から推測しますと、後輩の方は、かなり「自分に自信がない方」のようですね。

前の職場でも同じような状況だったということですから、「自信がない自分」を「本当の自分」だと思い込んでしまっているように、想像します。

 

人は一般的に「自分のイメージ」を追認します。

つまり「自分は自信がない」と思い込んでいる(信じ込んでいる)と、「自信がない」と思える状況ばかりに目がいき、「やっぱり自信がない」となるのです。

その時に質問者さんが、「励ましの言葉」を語っても、セルフイメージと違うため、後輩は、心で受け取ることができないのです。(口ではきっと分かりましたと言うとは思います)

 

セルフイメージは、強力です。前の職場でも同じ反応だったようですから、「自信がない」自分を、心の中に、強力にインプットしているように思います。

 

では、どうしたら良いでしょうか。

人のセルフイメージを変えることは、結構大変です。

 

一度ゆっくりと後輩と話す時間を持って、心を開いて話せるチャンスがあれば、良いと思います。

その人の心に語りかけるのです。

「そのままの自分でいくのか」「成長したいのか」言い方を注意する必要があります。(本音を引き出すことに徹して下さい。)

その方が「本音」でどちらを「願っているのか」、それによって今後の対応が変わります。

 

「そのままでいい、愛されている」という考え方があります。

確かに「その通り」なのですが、「問題を抱えたまま」で「良い」とは誰も考えません。(神様も成長を願っているはずです)

 

しかし、人は、変化を恐れます。

自分の知らないことは怖いのです。

 

けれども、「自分のため」、「自分の責任で成長したい」、と考えるならば、その「恐怖の壁」を乗り越えることができます。

 

要は本人の「意志」です。そこを確認して下さい。

ただし、もし自分の行動を「誰かのせい」にしている方ならば、時間がかかると思います。

そういう人は、心の本音では、できない理由ばかりを並べ「自分は被害者で悪くない」かのように考えています。

一つ前のブログを参考にして下さい。

そうでないことを願います。

 

さて、続けます。

「成長したい」という気持ちでおられることを前提で、進めていきます。

 

後輩の方は、幼児教育の道に入られたとするならば、何かの「こころざし」があってのことだと思うのです。(たた、何となくと言われる場合は、後で触れます)

仕事を選んだきっかけ、希望、目標を聞き出してあげて下さい。

 

「自分に自信がない方」は、比較の中に生きている場合があります。

また「人を見る」あまり、「本当の自分」を生きていない、受け入れていない可能性があります。

そういう方は、「自分をそのまま」受け入れられず、いつも振る舞って生きている、つまり演技をして生きているのです。「本当の自分」を生きていないのです。

そのような気持ちで、仕事をするならば、当然「空回り」をします。アドバイスの言葉も、「心に入る」ことは難しいです。そうすると、いつも同じ失敗を繰り返します。そして益々自信を失うという、負のスパイラルに入るのです。

(あくまで、可能性として書いています。いろいろなタイプがありますので)

 

私はそういう方には、「山登りの例え」をお話しします。

山登りは、「ふもと」から「山頂」を目指します。

最初から、山頂にいる気分でいても、実際はふもとにいるのです。

つまり、「自分の現実」を知り、「受け入れ」なければなりません。

そして、「自分の目標」を決め、一歩ずつ登っていくのです。

 

また「山登り」には「コーチ役」の人がいた方が、安全です。

もしその方が、「成長したい」と願っておられるなら、ぜひ「コーチ役」を買って出てあげて下さい。(当然、本人が望んでいる場合に限ります。山登りは、登りたいと願う人が楽しめます。強制だと本人が思えば、それは苦痛にしかなりませんので)

 

自分の「現在地点」、「目標地点」を確認してあげて下さい。

(紙に書き出してもらっても良いかとは思います)

もし、児童教育関係のメソット(技法)があり、本人に学びたい意欲があるならば、受講をチャレンジしてもよろしいかとは思います。

 

走者は「コーチが並走してくれている」と思うと、とても心強いものです。

「自分の目標」が明確ならば、「人と比較」して落ち込むことは少なくなります。(コーチの励ましは必要です)

 

「自分の足」て、自分の「現在地点」を自覚して、一歩ずつ登っていくならば、しばらくすれば、必ず「ある程度の高さ」まで登ることができます。それを振り返った時、「その成長」が「本人の自信」となるはずです。

参考にしてみて下さい。

 

「職場のカラーに染まる」という表現があります。

それは、その職場に長く勤める中で、その職場の考え方の影響を受ける、というものです。

後輩の方が、皆さんの優しい関わりの影響を受けて、良い意味で、「前向きな職場」に染まっていったならば、素晴らしいと思います。

 

最後に、もし、成長したくない、職場のカラーに染まりたくない。幼児教育に何の希望も持っていない、等々、質問者さんの働きかけに、後輩が同意できないないならば、 もしかすると、人と関わる仕事よりも、製造業や事務などの「仕事の目標の明確な職種」に移った方が、当人の能力を活かせるのかもしれません。

 

イメージは、山登りです。

後輩の方が、児童教育という山に、人生をかけ、山を登る喜びを感じ、生きていくことができたならば、素晴らしいですね。

 

今後、良い関わりができますように、祝福をお祈りさせて頂きます。

 

「鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。」箴言27:17(旧約聖書)

このことを通じて、益々の職場での良い人間関係がつくられていけると良いですね。


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【コラム】被害者利得という心理(現代世相の考察)

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皆さんの近くに、「自分を被害者だ」と主張して、「遠慮なく人を攻撃する人」はいませんか。

通常は表に出さなくても、「自分の失敗」は、「すべて人のせい」で、「被害者になれ」ば、「何をしても許される」と思い込んでいる人はいませんか。

(被害者ということを言い訳にして、自分の言動を正当化す行為です)

 

精神科医の片田珠美氏が、「被害者のふりをせずにはいられない人」(青春出版社)を出版されています。

また同氏は、ダイヤモンドオンラインで、「『被害者ぶる人』増加中、巧妙な狙いを3分類で読み解く」という記事を書かれてもいます。

非常に深い内容であり、一度読まれることをお勧めします。(続編、「『被害者のふり』をしてくる人にはどう対処すればいいか」も秀悦です)   後ほどリンクを貼っておきます。

 

最近いろいろなネットの書き込みや文章を読む時に、「これ、正しさを主張しているが、なんかおかしい。」と感じていたモヤモヤ感が、これらの記事を読んで、すっきりとしました。

 

氏によれば、被害者になることには3つの目的があると言います。

1、利益を得たい「メリット型」

2、注目を集めたい「スポットライト型」

3、復讐したい「リベンジ型」

 

これらのことを無意識でやっている場合が多いので、対処は余計難しいと、片田氏は指摘しています。

 

これが、個人のレベルで起こることも、当然、問題になりますが、それが集団で起こると、暴力沙汰になる場合があります。

 

アメリカで起きた警察官による黒人殺害事件を発端とした「ブラック・ライブズ・マター」の運動が、2020年アメリカ各地で起こりました。その運動自体は、もともとは人権運動なので健全なものでした。しかしその運動に、極左組織「アンティファ」が加わることで、煽られた一部が、暴徒となり、店や車が燃やされ、一時期、シアトル市は無政府状態になりました。

極左のリーダーは、被害を受けた黒人を応援するためには、「法律を犯してもいい」と人々を扇動し、暴動をけしかけたようです。(計画的だったようです)

 

そに理屈が「被害を受けた者たちは、暴力に訴えても、良い」という間違った考え方です。

つまり、「被害者は何をしても正当化される」というものです。

極左組織はこれを革命思想に結びつけます。そして組織的に扇動するのです。(こんなことが民主主義の国であるアメリカで、現在起きているのです)

 

日本の場合、国民性から、暴動は起こりにくいかもしれません。

しかしその分、匿名のネットでは、炎上や吊るし上げが起きています。

形は違っても、実は精神性(根っこ)は、同じです。

誰かに煽られたら、簡単に反応してしまうのです。

 

ですから気をつけないといけません。

このことを曖昧にすると、人間関係のトラブルで済まなくなる場合があるのです。

 

「被害者は、何をやっても良い」という考えに、「違う」とはっきりと意思表示をしなければならない時があると、私は考えています。

(あえて言葉に出さなくても、いざという時に「違うと言える」考え方、哲学が必要です)

それがあなたの行動を守り、今暮らしている日本の地域、ひいては日本社会を守ることとなります。

 

少し、話が大きくなりました。

もう一度、元に戻します。

 

あなたの近くに「被害者となれば、何をやっても良い」という考え方の人はいますか。

 もしそのような人がいたならば、あなたはどのように対処するでしょうか。

(冒頭の片田氏のコラムが参考になるとは思います)

 

古くはハンムラビ法典で「目には目を、歯には歯を」記されていることを知っているでしょうか。

これは、復讐を正当化する教え、と間違って理解している人も多いのですが、

しかし実際の意味は、「目をやられたら、目だけにしなさい。歯をやられたら、歯にだけ仕返しをしなさい、それ以上はしては、いけない」という戒めなのです。

人間の心は、目だけやられてもそれ以上復讐したくなる、感情(弱さ)があるのです。それを戒めたのが、この法典なのです。

 

もちろん、「本当の被害者」となった方を蔑めるつもりはありません。、被害者となった人の痛みを否定するつもりもありません。(私は、立場上、よく人の痛みをお聞きし、癒しを祈ることが多いです)

 

しかし「被害者ぶる人たち」は、問題です。

 

周囲は、そこまで思わなくても、被害者ぶる本人は「自分はひどい目にあった被害者」と言い張って譲りません。周囲の認識と大きなズレがあるのです。

 

見極めが非常に難しい時があります。

自分が被害者になるために、嘘も平気でつきます。(本人に自覚が無い場合が多いのです)

 

先ほど記した片田珠美氏による、被害者と主張する3つの目的をもう一度、書かせて頂きます。

1、利益を得たい「メリット型」

2、注目を集めたい「スポットライト型」

3、復讐したい「リベンジ型」

 

人間の心は、とても複雑です。無意識で行うことも多くあります。

いくら可哀そうだから、同情をするから、または一見正しいからといって「心の闇」に巻き込まれてはいけないのです。

 

すべての人が、「被害ぶる人たち」では、ないでしょう。

しかし、もしその人が「被害者ぶる人」ならば、知恵とスキルと身につけて、対処する必要があるのです。

 

良く言われますが、「悪魔」は「光の天使」を装います。

悪は真っ黒である場合は、ほぼありません。白の中に黒が混じっているのです。(一見正しく、部分的に悪いということが多いのです)

 

誘惑も真っ黒ではありません。光り輝くところがあり、実は黒いのです。(そうでなければ、だれも飛びつきません)

 

「被害者利得」という誘惑に、自分自身は落ちないようにしましょう。

もしそのような人を見つけたら、「注意人物」として対応していきましょう。(申し訳ない言い方ですが、仕方がありません)

 

聖書の言葉です。

エペソ(新約聖書)
5:13 けれども、明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らかにされます。
5:14 明らかにされたものはみな、光だからです。それで、こう言われています。「眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。」
5:15 そういうわけですから、賢くない人のようにではなく、賢い人のように歩んでいるかどうか、よくよく注意し、
5:16 機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。

 

これからの時代、(混乱する時代には)物事を「正しく吟味」しなければなりません。

衝動的に飛びついては、非常に危険なのです。 

 

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クリスマスにはどういう意味があるのですか。イエス・キリストの誕生を、なぜお祝いするのでしょうか。

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【クリスマスにはどういう意味があるのですか。またクリスマスイブ(12月24日)、クリスマス(12月25日)はどういう違いがあるのですか。どうしてイエス・キリストの誕生を、世界中でお祝いするのでしょうか。不思議な気がします。】

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

クリスマスが近づき、コロナ禍の中にあったとしても、街にはイルミネーションが輝いています。

今回、クリスマスのことを書くにあたり、世界のクリスマスの様子をリサーチしました。すると、写真を見るだけで、心がワクワクしてきました。

プレゼントを交換し、家族で食事をする・・・いろいろなクリスマスの過ごし方があるとは思います。

 

今回、2つのポイントで書かせて頂きます。

①【クリスマスの意味】について

②【イエス・キリストが何をされたのか】について

 

①【クリスマスの意味】について

クリスマスは、英語でChristmas、キリストのミサ(礼拝・祭儀)という意味です。

Xmasと表記されるXは、ギリシャ語のキリスト(ΧΡΙΣΤΟΣ)の頭文字です。

ちなみに、イエス様の誕生の地のユダヤ歴では、日没から一日が始まりました。ですからそれを継承した教会歴でも、日没(クリスマス・イブ)からクリスマス(25日)が始まるのです。

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また、イエスキリストの誕生日は、実は聖書の記述がないのです。(ご存知でしたか)

ですから12月25日は「誕生日」ではなく、誕生を「お祝いする日」です。

ちなみに西方教会(カトリック・プロテスタント)では、ユリウス暦を使用するため12月25日。東方教会(正教会)では、グレゴリオ暦を使用するため1月7日にお祝いをしています。

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上の写真は、ドバイ(アラブ首長国連邦)のクリスマスツリーです。

(イスラム教の国ですが、豪華なクリスマスツリーが街中で見られます)

 

クリスマスのお祝いは、一部のイスラム教の国を除き、世界中で行われているのです。

キリスト教のお祝いであるクリスマスが、世界中でお祝いされるのは、確かに不思議な気がします。(たとえ商業ベースだとしても、世界中でお祝いされるお祭りは、他にはありませんので)

この後で②で、その意味について深めていきます。

 

②【イエス・キリストが何をされたのか】について

クリスマスが、イエス様の誕生をお祝いする日だと知っていても、イエス様が何のために生まれたのかは、一般にあまり知られていないかもしれません。

ちなみに「キリスト」とは、姓ではなく「救い主」という意味です。

 

「救い主」とは、「何から」の救いなのでしょうか。

聖書から見ていきます。

ヨハネによる福音書(新約聖書)

3:16「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠の命を持つためである」

(この「神の御子」がイエス様です。)

 

私のブログを読んでくださる方は、気がついている方もおられるとは思いますが、あるテーマが流れています。

それは、聖書に書かれている「罪とは何か」と「罪への対処の仕方」です。

(「煩悩(ぼんのう)」への対処の仕方とも言うことができると思います)(見えない「心の中」でのことです)

 

いろいろな「問題」や「罪の行動」を取り上げることを通じて、

上記のテーマを掘り下げようとしています。

ですから、記事を読んでいると「心がザワザワする」と感じる方もおられるのではないでしょうか。(それは心の中にある、「醜い部分」が共鳴するためです)(私も書きながら、度々感じます)

 

人間が生きる上での、様々な「醜いもの」・・・自己中心からくるエゴや傲慢、強欲、正しさに反発する心(神や真理などない、自分の正しさがすべてという思い込み)・・・それらの聖書の言う「罪の性質」によって、人は、自動的に「不幸」を呼び寄せてしまいます。

(人を憎む思い、裁く思い、比較して見下す思い、お金や地位やモノを貪(むさぼ)る思い・・・これらはすべて「人間の醜さ(罪)」です)

この観点では、人間はすべて「罪人」と言えます。

そしてその「罪人」が死ぬと、「永遠の滅び」(=永遠の死、地獄)を「免れることはできない」と聖書に書かれています。


「神の子」であるイエス様が、「十字架で釘付け」にされたのは、「人間の罪」を身代わりとなって償う(罰金を支払う)ため、人間が「永遠の滅び」に堕ちるべきところを救い上げ、「永遠の命」へと変えるためだったのです。(天国に入れる特権です)
これが、イエス・キリストが「救い主」と呼ばれる理由です。

とても有難いものです。

 

ですから「この救い」は、現在の「クリスチャン」だけに限ったものではなく、「すべての人間」に必要なものなのです。

そう言う意味では、クリスチャンに限らず、世界中の人が「クリスマスをお祝いする」(クリスマスのお祝いを見る)ことも納得がいくような気がします。

 

クリスマスの有名な聖書箇所です。

(ヨセフに天使が、救い主の誕生を語ったところです)

 

マタイによる福音書(新約聖書)

1:20彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現われて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。 1:21マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその【罪】から救ってくださる方です。」 1:22このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。

 

イエス様は、約2000年前に、この地上に誕生して下さいました。

その目的は、【人々の罪】からの救いのためでした。

それは、「私のため」、「あなたのため」だったのです。

 

今年も、12月24日クリスマスイブ、25日クリスマスが近づいてきています。

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コロナ禍にあっても、いやコロナ禍だからこそ、

一人一人が、「真理」と「救い」を知ることができますように。

そして、人々が罪や煩悩の苦しみから解放されて、少しづつでも(人間は罪深いですから)

自由を体験できますように。

 

地上に平和と希望が与えられますように。

世界中で蔓延しているコロナの問題が、できるだけ早く収束しますように。

死にたくなるほどつらい経験をしている方の、苦しみが少しでも軽減されますように。

 

心よりお祈りをしています。

 

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【コラム】コロナ禍での、クリスマスの喜び

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今年は、コロナの影響で特別な年末を迎えようとしています。クリスマスと言っても、多人数で集まってお祝いすることも遠慮しないといけない状況下です。帰省も難しいかもしれません。

通常ですと、心がウキウキする街中のイルミネーションも、なぜか逆に寂しさを感じます。どうしてそう感じるのかと、よくよく思い巡らしてみると、出歩く人が例年よりも圧倒的に少ないからだと思い当たるのです。(私の近所の駅の話です)

皆が、どこか萎縮しています。騒いでいる人も、現実逃避のように感じるのは、私だけでしょうか。

 

しかし、こんな時でも、世界中でクリスマスがお祝いされています。商業主義のため、と利用している人もいるでしょうが、「心からお祝い」している人も、多くいるのです。

 

今回は、コロナ禍での「クリスマスの喜び」について考えてみたいと思います。

 

内戦の国の、少女の話を聞いたことがあります。

その少女は、両親を目の前で虐殺され、1人助けられて保護施設に連れて行かれました。

施設の人たちが関わっても、長い間、話すことをしなかったそうです。

どんなに女性の担当者が、優しく話しかけても、下を向いて目を合わせることもしませんでした。

 

しかしある日、この担当者は、彼女が小さな声で「ある歌」を歌っているのを聞きました。

 

Jesus loves me, this I know, for the Bible tells me so.....

Yes Jesus loves me, Yes Jesus loves me, Yes Jesus loves me, the Bible tells me so.

イエス様が私を愛してくれている。それを私は知っている。聖書にそう書いてあるの。

イエス様が強いんだから、私は弱くても、怖くないの。

そう、イエス様は私を愛している。イエス様は私を愛している。

(私は知っている)だって聖書にそう書いてあるから。

 

有名な、キリスト教会の子供讃美歌「日本語では、『主われを愛す』」です。

この少女は、この歌を歌ったしばらく後に、話せるようになったということです。

 

「イエス様が私を愛してくれている」

この「事実」が、信じる者(そのことを「知っている者」と言った方が良いかもしれません)には、とても大きな影響を与えたのだと思います。

 

人は、どれほど悲しみと痛みを感じても(死ぬ以上の苦しみを経験しても)、

その苦しみの「一番奥底」を分かってもらえ、

「痛みを感じる自分」を受け止め、愛して頂いていることが「解る」と、

生きていけるのではないでしょうか。(回復していけるのではないでしょうか)

 

皆さんは、最初のクリスマス(イエスキリストの誕生)がどのようなものだったかを知っていますか。

誰に、クリスマスの喜びが、最初に伝えられたかをご存知ですか。

 

今日は、2つのポイントで書いていきます。

①最初のクリスマスは、「貧しい羊飼いたち」に伝えられたこと。

②救い主は、あえて「貧しい家庭」に生まれ、生まれた場所も「家畜小屋」だったこと。

 

ルカによる福音書(新約聖書)

2:8さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。 2:9すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。 2:10御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。 2:11きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。 2:12あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」

 

①最初のクリスマスは、「貧しい羊飼いたち」に伝えられました。

当時の「羊飼いたち」は、最下層の人たちでした。

また羊飼いたちは、当時の宗教的義務であった神殿礼拝に行けませんでしたから(羊を置いて街に行けませんので)

宗教面でも差別され、見下されていた人たちだったのです。

風呂にも当然入れませんし、服はぼろぼろだったでしょう。(臭いも凄かったでしょう)

地位も見た目も、最下層の人たちだったのです。

 

聖書で、救い主は「王の王」として誕生することが書かれています。

では、なぜ「王の王」の誕生が、「貧しい羊飼いたち」に、最初に伝えられたのでしょうか。

 

羊飼いたちは、差別されていても、大自然の中で生きていたため、

純粋で、信仰深い人たちだったと言われています。

 

神様は「純粋で信仰深い人」を見ておられるのです。

決して見捨てることがない、忘れることがない、のです。

 

その「実例」が、「貧しい羊飼い」に、最初のクリスマス(イエス様のお誕生)が伝えられた事実です。

 

ですから、もしあなたが「寂しさ」を感じても、

「誰も理解してくれない」と嘆きたくなっても、

「助けてくれる人はどこにいるのか」と叫んでも、

 

あなたが「心から助けを求める時」に、

その心を理解し、「助けよう」として下さっている方(創造主)が、近づいて下さるのです。

(私はそう信じています)

 

皆さんも経験があるのではないでしょうか。

「誰も助けてくれない」と絶望していたとしても、

あとで振り返ると「何とか乗り越えることができた」ことを。

 

そして、よくよく考えると、そこには「不思議な助け」があり、

「通常だと起こり得ないこと」が起きたことを……そんなことがありませんでしたか。

もし「そんなこと」があったとすれば、私は信じるのです、

「あなたの叫び」を聞き、「助けて下さった方」がおられるということを。

 

この世界を造られた創造主は、

「羊飼い」を忘れることがなかった、お方です。

いやむしろ「救い主の誕生」を最初に伝えるほど、「貧しい羊飼い」に注目しておられたならば、

神様は、「私たちの小さな叫び」を見落とされないはずなのです。

 

②救い主は、あえて「貧しい家庭」に生まれ、生まれた場所も「家畜小屋」だったこと。

救い主は、「王の王」として生まれた、と先ほど書きました。

しかし、その「王様」が、どうして「家畜小屋」で生まれたのでしょうか。

「地上の王様」の住む宮殿のふかふかのベッドの上で生まれても良かったのだとは思うのです。

 

しかし家畜小屋は「象徴」でもあります。

考えれば分かりますが、家畜の住む小屋は、掃除をしていなければ不衛生です。

ひどい臭いも、したでしょう。

飼い葉桶は、触りたくない程の状態だったかもしれないのです。

 

王様の厳かさや聖さとは、かけ離れていました。

救い主は、そんな「最悪な場所」で生まれたのです。

 

このことは、どう考えたら良いのでしょうか。

神様は、「私たちの心の汚さ」をご存知です。

それでも、「私たちを受け入れ」「愛して」おられます。

その象徴が、「家畜小屋」だと言えるのです。

 

私たちが、「完璧でなく」ても「強欲」でも、「人を許せなく」ても、

「心の中に汚いもの」を一杯持っていても、

救い主は、そんな私たちを「受け入れて下さる」のです。

 

また救い主は、「貧しい家庭」に生まれました。

そうであれば、当然、お金や不足の苦しみを経験されたはずです。

「王である方」なのに、貧しい者が経験するあらゆる痛みを、味わったのです。

(ですから、私たち普通の人の苦しみを解って下さる、のです)

救い主は、そのようなお方として、お生まれになりました。

 

統計上、世界人口の3分の1以上の人がクリスチャンです。

その多くの方々が、「イエス様の誕生の意味」を知って、クリスマスをお祝いしているのです。

 

天使は羊飼いたちに、

「『恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです』

と民に『喜びの訪れ』が来たこと」を伝えました。

 

クリスマスは「喜びの訪れ」の知らせ、なのです。

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「クリスマスは嫌いだ、誰とも一緒に過ごせない、自分が惨めになるだけだ」という人がいます。

しかし「クリスマスの本質」を考えると、

そういう人こそ、「クリスマスの本当の意味」を知って欲しい人なのです。

 

それは、「寂しいから、助けて」と正直に祈る者たちのためであり、

「生きる力が見つからず」「上を見上げることもできず叫ぶ」者たちのためでもあるのです。

 

寂しさと痛みの中にいる者に、

「救い主が来られた」「真の喜びの訪れが来た」ことを、

互いに伝え、喜びあうのが、本来の「クリスマスの過ごし方」なのです。

 

このことを「あなた」が知られたならば、「今年のクリスマス」は、

少し違う気持ちで迎えることができるのかもしれません。

 

コロナ禍で、そして様々抱えておられる問題のため、「誰からも助けてもらえない」

と痛みと失望の中におられる方に、

「ぬくもり」と「チカラ」が届きますように。

「1人じゃない、助けがある」と信じ「前を向くこと」ができますように。

支えと祝福を、心よりお祈りしています。

「クリスマスの喜び」が、「そんなあなた」に届きますように。

 

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職場で人間関係でのトラブルを抱えています。どんな対応をしたら良いでしょうか。

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職場に影響力のある人が2人います。2人は現在、部署が違いますが、お互い自己主張が強く、譲りません。2人はそれぞれでは良い人なのですが、相性が悪いのか過去に何度かぶつかったことがありました。今は距離があるので、問題がないのですが、将来的に揉めごとが起こる可能性が高く心配です。どちらの人とも仕事上の関わりがあるため、対応に気を遣います。アドバイスを頂けると助かります。(40代管理職)

 

ご質問を下さり、ありがとうございます。

職場の人間関係は、毎日顔をあわせるため、こじれると大変難しいものです。特に管理職のお立場では、チームを上手くまとめなければいけませんから、とても気を遣われることでしょう。

解決の方法は、複数あるでしょうが、原則的なことを3つ書かせて頂きます

参考にして頂けると幸いです。

 

ここでは、お二人の心に焦点を当てて、考察したいと考えています。

業務として指導するならば、形は整うでしょう。

しかし、面従腹背という言葉があるように、心の中の問題は、簡単には解決しません。

今回原則的なことを書かせて頂きますが、解決は、質問者さんの努力だけでなく、お二人の姿勢が大きく影響します。(和解をしたい、仲直りをしたいかどうかの姿勢)

ですから、一緒に筋道を追って考えながら、どこまでを目標にしていったら良いかを考えていきましょう。

 

①変わろうとしない人は、変わらないという事実。

②多くの場合、被害者と主張する人は、立場が変わると加害者であるということ。

③人との和解は、誰かが汗をかく(犠牲や努力)によってなされるという事実。

 

 

①変わろうとしない人は、変わらないという事実。

「自分は正しいと思っている人」は、実際は、自分が正しいと「思いたい人」です。

そうであるならば、あらゆる理屈を使って「自分は正しいこと」を証明しようとします。それは相手が間違っていることを証明しようとすることでもあります。

 

ざっくりとですが、

人は大きく分けて、2つに分かれるように思います。

 

a自分を越えたルール(高い生き方)を見上げて、そこに近づいていこうと考えるタイプ

b自分が大事過ぎて、自分がルールとなり、他人を従わせようとするタイプ。

 

質問者さんが関わろうとする人が、bのタイプの場合、残念ながら、関係の好転はかなり難しいと言えます。

しかし諦めないで欲しいのです。

aのタイプでも、「自分や周りのこと」が誤解によって「十分見えていない」ならば、一見「自己中心」行動を取る可能性があるのです。

その場合、心を開いた話し合いが必要です。

 

その方が、「成長したい」「自分を高めたい」と考える方ならば、aである可能性が高いでしょう。

その方たちのことを思い起こし、その時々の発言を振り返ってみて下さい。

ただし、「自分を良い人と見せたい」動機で「自分を高めたい」と周りに言いふらしているようなタイプであるならば、残念ながら「かなりのナルシスト」と言わなければなりませんので、bである可能性が高いのです。

 

ですから、質問者さんの「観察力」と「目標設定」が重要です。

2人がコミュニケーション不足からの「誤解や行き違い」によって、関係が悪くなっているならば、質問者さんや相応しい人が「橋渡し役」になることを通じて(③で確認します)関係が改善する可能性があります。

 

その2人の方が(片方の方だけかもしれませんが)、bのタイプで「自分を愛しすぎる人」の場合は、仕方がありません。

ビジネスライクで、「仕事上だけ」は大人対応をするように、指導し「表面上は平和」という、解決を目標にすることが相応しいかもしれません。

 

質問者さんの冷静な観察力(分析力)が要求されます。

「和解をする気がない人」に「和解を勧める」ことは、プレッシャーにしかなりません。下手をするとパワハラ的な発言と言われてしまうかもしれません。その点は十分気を付けて、目標設定をして下さい。

(期待をし、信じることは大切です。しかし、もしできない人(その気がない人)ならば、「できない」と質問者さんが受け入れる必要があります。その上で次の対処をすべきです)

 

②多くの場合、被害者と主張する人は、立場が変わると加害者であるということ。

 お2人が、aのタイプと仮定して進めていきます。(bであったとしても参考になるとは思います)

人は感情的になった場合、「盲目(一部しか見えない状態)」になります。自分を守るために、あらゆる手段を尽くします。そして自己防衛のために相手を攻撃します。

自己正当化のために「相手だけが悪い」と考えます。

自分を「被害者」を確信し、相手を絶対的な「加害者」と見るのです。

 

しかしよく話を聞けば、二人とも(AさんBさんと仮定します)「被害者の部分」もあれば、「加害者の部分」もあることに気がつくはずです。

「Bさんにこんな酷いことを言われたの」とAさんが被害者として主張したとしても、実はその前に、AさんがBさんの傷つくことをどこかで言っていることも、かなりのケースであるのです。

 

「自分は『被害者』かもしれないが、『加害者』でもある」

この視点を持った人は、自分を客観的に見ることができます。

そしてこのことに気がつくと「相手だけを悪く言うこと」ができなくなります。

(そのために、冷静になる時間が必要かもしれません)

 

「自分が相手にしたこと」で、「明らかに悪いこと」は「謝罪する気持ち」を持つことができると、「和解」にかなり近づきます。

 

この時、Aさん、Bさん双方に必要な考え方は、「クレイマーに攻撃された時」にも書きましたが、

(この記事は下に張り付けておきます)

「部分謝罪」です。

 

もしAさんが「正しいことを言ったとして」、

「相手(Bさん)を傷つけたならば」

「(bさんを)傷つけてしまったことは謝ります」というのが、ふさわしい言い方です。

「私(Aさん)がすべて悪かった」という必要はありません。

Aさんが「すべて悪い」と謝罪すると、相手(Bさん)は「自分の考えはすべて正しい」と誤解しますので、避けるべきです。

 

そのように、二人が自分たちのことを、客観的に気づく方向に関わることができたならば、相当な確率で和解に向かうことができる筈です。

(ここでは理想形を記していますので、実際のところ、ここまで行くことは、質問者さんが、AさんまたはBさん(もしくは両方)に相当に心を開いて話をしないと難しいです。そのような関係を持つことができるかどうかを思案して、対応していかれることを勧めします)

 

 

③人との和解は、誰かが汗をかく(犠牲や努力)によってなされるという事実。

感情的になっている二人を和解へ導く場合、「和解の務め」をする人がどうしても必要です。

2人だけで話すと、すでに感情がこじれているので、(2人がどれだけ和解を願っていたとしても)、直接会話をすれば、ますます感情はこじれる可能性が高いのです。

 

「2人が和解する」には、

「2人を仲直りさせたい」、という「強い気持ちを持っている人」が必要なのです。

 

質問者さんは、クリスチャン(イエス様を信じる人)の中には、信じられないほどの許しを実行した人がいることを知っているでしょうか。

交通事故で、自分の子供を殺されたクリスチャン両親が、運転手に対して「私はあなたを許します」と言った事実があることを、私は知っています。

 

彼らは、イエス様が「私のために死んで下さり、その上で許すことを願っているから」

「イエス様の苦しみに免じて」「許します」という、心のプロセスを通っているのです。(この心のプロセスは簡単なものではありません。しかしイエス様の愛と赦しを知っており、体験した者は、そのように至る人も現実にいるのです)

 

よく時代劇やドラマで、「私に免じて許してやってくれないだろうか」というのに近いでしょうか。(次元が違うかもしれませんが・・・)

 

仲の悪い2人が、仲直りをするためには、誰かが「汗をかく」必要があります。

その和解のために、配慮をし、努力をし、エネルギーを注ぎ続ける「和解の務め」をしていこうという人が必要なのです。

 

聖書の言葉です。(この聖書の意味は、深いものがあります)

イエス様は、私たち人間が、「神との和解、人との和解、の使者」となることを願っておられるのです。

2コリント(新約聖書)

5:17だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。 5:18これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。

 

素晴らしいことに、質問者さんの職場には、そのような気持ちを持っている質問者さんという方がいます。そして質問者さんに賛同する人も、きっとおられると思うのです。

(私はそう信じています)

その方たちの願い(祈り)があるうちは、きっと「和解、仲直り」の方向に向かっていくと信じるのです。

 

「仲直りができる」と信じて下さい。そして直接的な行動はすぐにはしなくても、その気持ちを持ち続けて下さい。それが祈りとなるのです。

祈りが積まれたならば、壁が崩れるように、物事が好転とも多くあるのです。

 

先ず、信じていきましょう。

見えない「心の中で生み出されたもの」が、信じていく中で、時が至ると

「目に見える形で実願すること」が多いのです。

(赤ちゃんの出産に例えることもできます。約10カ月大事にお腹の中で育て、時が来ると自然に生まれるのです)

 

今回3つのポイントで考えてみました。

①その方々が、どれだけ「変わろうとしているのか」「和解を願っているのか」、見極めて下さい。

②和解のためには、双方が「被害者」であり、「加害者」であったことを、お互いに認めることが必要です。

③誰かが「和解を信じて」、汗をかき、信じ関わっていく中で、多くの和解が実現するのです。

 

質問者さんの職場が、ますますチームワークに満ちた、雰囲気の良い職場となりますように、

質問者さんの祈りが用いられ、実現しますように、

祝福をお祈りしています。

 

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