人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から

世界のベストセラー聖書の価値観から、生きるを考えます!(モノの見方が変わると、とても楽になります)

【コラム】あなたは、この為に生まれた。

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年の初めです。

仕事始めで仲間と再会し、「明けましておめでとうございます」と言い合った方も、多くおられると思います。

数日の休み明けにもかかわらず、再会はどこか懐かしい感じがします。。。

通常業務に入る前の、新鮮な感覚です。

そして、忙しさの中で「通常の顔」、日常が戻っていくのです。

 

今日は、「あなたは、この為に生まれた」(使命感について)考えたいと思います。

 

アメリカの最年少の下院議員で、マディソン・コーソンという方がいます。ノースカロライナ州選出の現在25歳の方です。

先日、彼の同年代の若者に向けてのスピーチを、YouTubeで見ました。(Harano Times Official Channel、日本語字幕付きです)

彼は事故で車椅子での生活の人物ですが、語る言葉は情熱的でした。

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彼は、今の日和見主義の、年配共和党政治家を憂い、「自分は国のため、正義のために戦う」と語り、20代の若者たちに「一緒に戦おう」と訴えたのです。

 

彼は、聖書のエステルの話に触れました。

そして(エステルと同じように)「自分が生まれたこと、気質、自分の経験は、この戦いの為かもしれない」と語ったのです。

 

ご存知の方もおられると思いますが、旧約聖書のエステル記に登場する、ユダヤ人エステルは、両親が早く亡くなり、叔父モルデガイに育てられました。

彼女はとても優しく美しい娘で、その後、王妃に選ばれました。

しかしハマンという反ユダヤの指導者が、ユダヤ人殺略を計画した時、それを知った叔父から言われるのです。

「あなたが、王妃として王宮に入ったのはこの時の為かもしれない。だからあなたは使命を果たしなさい」

エステルは、命をかけて使命を果たし、最善を努めました。

その結果、ハマンは失脚し(処罰され)、ユダヤ人は守られたのです。

 

マディソン氏はクリスチャンです。国を愛し、憲法を尊重し、正義を大切にする人物です。

そして彼は今、使命感を持って、目の前に立つ「巨悪」と戦おうとしているのです。

 

私たちも、立場が違っても同じです。

一人一人に使命が与えられています。(私はそう信じています)

それが、「目立つ大きなもの」でも、「目立たない小さなもの」でも、

神様は同じ様に「見ておられる」のです。

 

イエス様は、弟子たちに「小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である」と言われました。

クリスチャンであるマディソン氏は、この言葉を知っているはずです。

彼は今、「目立つところ」に立っていますが、きっと今までの「見えないところ」でも、コツコツと様々な努力と研鑽を積んできたと思うのです。だから、今があるのだと思います。

 

クリスマスに書かせて頂いた「羊飼いの物語」を思い出します。

忘れ去られたような辺境の地、最下層の貧しい人たち。

しかし、天の父なる神様は、そんな「辺境の人々」を忘れませんでした。

「純粋に信じる者」を、忘れずに「見ておられる」のです。

 

「神様に認めてもらう」

普段は、考えないかもしれませんが、

人間の最も奥底に、「神様に見てもらい」「自分の生きている意味を知りたい」「それを果たしたい」

という願望があることを認めます。

 

マズローという学者が、欲求の五段階説という研究をしました。

そして晩年、その上に、六段階目があることを、発見しました。

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 自己超越とは、自己実現欲求を越えたものです。

個人の利益を越えて、同朋や社会のために貢献したいという欲求なのです。

 

クリスチャンの立場、「神様から人間が造られた」という観点で考えてみると、

人間には「自分の生きている意味、役割を果たす」(すなわち「使命を果たす」)という高次の喜び、満足があるのです。

 

親の務めだったり、夫や妻の務めだったり、特別な誰かを助けることだったり、あなたが持っている能力を使っての仕事をしたり・・・

どんな人にも、「その人にしかできない役割」があるのです。(自己実現を越えたものです)(小さなことだと「あなたが」思ったとしても・・・です)

 

その使命(能力)は、見えない存在から「与えられたもの」なのです。

ですから、「使命を果たす」には、そのことを知り、受け止めなければなりません。

そしてその「使命を果たす」には、「準備が必要」です。

 

2021年を「準備の年」としましょう。

そのためにも、しっかりと目を開いて、「あなた自身」に与えられているメッセージを受け取りましょう。

そのためには、聖書に出てくる「羊飼い」のような「純粋な心」と、「真理を愛する情熱」が必要です。(善悪を見極める目、も必要です)

 

 あなたが「その使命」を受け取ることができたならば、小さなことでも、コツコツと準備をするのです。

「誰も評価してくれない」と、寂しくなることがあったとしても・・・、

「こんなことをしていて何になるだろうか」「こんな小さなこと、何の価値があるのだろうか」と虚しさを感じることがあったとしても・・・、

 

「人が見ていないところ」を「見ておられる」存在がいて、その存在はあなたを見て、認めて下さっていることが理解できると、「力がわいてくる」ものです。

 

2021年、それぞれの離れた場所ですが、「一緒に備える気持」で進んでいきましょう。

 

そして「すべきこと」をし続けていきましょう。(戦うべき時には戦うことができますように)

 

あなたに勇気と力が与えられますように・・・、

祝福をお祈りしています。

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 (過去に書いた、使命を果たすことについてのブログを張っておきます)

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【コラム】一年の始めに、心のメンテナンスを。

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明けましておめでとうございます

昨年よりブログを始めましたが、多くの方が読んで下さり、応援して下さりありがとうございました。仕事の関係で不定期にアップしていましたが、アップしない日にも、定期的に読んで下さる方もおられ、大変励まされていました。

今年も、今の時代に沿ったメッセージをお送りしていきたいと願っています。

本年も宜しくお願いします。

 

リンカーンの名言に

「木を切る前に、斧を整えよ」という言葉があります。

「木」を上手に切り倒したいならば、まず「斧の手入れ」をすべきである、という意味の言葉です。

新しい2021年を始めるに当たって、そのことを考えたいと思います。

 

2021年は、ますます激動の年になることが予想されます。

1月6日にアメリカ大統領が、(予定では)正式に決まります。それによって、今後の世界情勢に大きな影響が起きることでしょう。中国情勢等、世界を見て日本も真剣に対応しなければならない時代となっています。

コロナの影響は、まだまだ続いています。首都圏では再度の非常事態宣言が発令されようとしています。正確な情報も流れますが、あおるような情報も流れてくるでしょう。

私たちは、2019年(一昨年)までのような、今まで通りの生活は(残念ながら)できません。

しかし、それでも「穏やかな生活」をしていかなければならないのです。

また「知恵深く」なければ、溢れるような混乱の中で、パニックになってしまいます。

 

ますます、「今の時代」を生きるために「斧を研ぐ」(考え方の準備をする)必要を感じるのです。

 

今回は、二つのことを考えます。

①正しい情報を積極的に集めること。

②落ち込んだ時の対処法。

 

①正しい情報を積極的に集めること

今の時代は、受け身ではなく、自分から積極的に情報を集めていく必要があります。

テレビやニュースも「正しい情報」かどうかを「考えて」、受け止めるかどうかを決めなければいけません。

コロナ情報ならば、政府の正式な情報をチェックし、ワイドショーの情報にあまり一喜一憂しないことです。

きちんとした学者の意見をバランス良く読み、「正しく恐れる(対処する)」ことが大切です。

手洗いうがい、換気や除菌という、できる対処はしつつ、毎日を平穏に生きるための知恵が必要です。

 

大事なことは、多くの方が言っているように「自分の頭で考えること」です。

コロナのことだけでなく、外からやってくるすべての情報を、「考えてから受け入れる」ことが大切です。

歴史から学ぶ必要があります。かつて日本では、「大本営発表」と言って、海外の日本軍の戦いを連戦連勝と嘘をついて、マスコミを通じ、国を挙げて嘘を流した時代がありました。

それによって「イメージ」を作り上げ、世論を戦争推進へと持っていったのです。

同じことが起こらないとは限りません。(人間の愚かさは変わっていないからです)

現在でも、一部の情報は全くニュースにならなかったり、意図的に一部のニュースだけを強調するマスコミがあることを、皆さん気がついていると思うのです。

 

現在は、幸いなことにYouTube等の「個人が発信できる場」があります。

調べる気になれば、どれだけでも裏情報が取れるのです。(良い時代です)

テレビが敢えて放映しない映像が、ネットでは見ることができたりするのです。

 

今の時代、「自分の頭」で考え、情報を集めていくと、

だんだんと「自分の中での基準」ができ、「その基準」が浮かび上がります。

「その基準」を「大切にすること」です。

もしかすると、情報を持っていない人からは、あなたは「変わり者」と思われるかもしれません。

ですから、すぐに人に話す必要はありません。あなたの「頭の中」で情報を「集め続ける」 のです。

集めながら、納得できる「自分の考え」を作り続けることが大切なのです。

(絶えず「新しい真実」を受け取り続ける「柔軟性」は忘れてはいけません)

そして、大事な時に、「自分の考え」で決断することです。

それが、「流されない生き方」です。

 

これは「激動の時代」を生き抜くためには、必要な考え方です。

(後悔しない生き方だと信じています)

 

 

同じことが、心にも言えます。

②落ち込んだ時の対処法。

心も、情報によって左右されます。

どんな情報を受け取るかによって、感情(気分)も変わるのです。

「できていないこと」に目が向けば、「あれもできていない、これも……」

……結果は持ち込むしかありません。

「できていること」に目が向けば、「あれもできた、これもできた……」

その先は感謝が湧き上がるはずです。

 (後でも触れますが、私はこの2つのどちらを選ぶかで、揺れ動く時があります)

 

「どんな基準」で、心に情報を入れるか。

この点も「自分の頭で考えて」積極的に情報を集める(選ぶ)ことが大切なのです。

「流されるまま」の感情は危険です。

「あなたの感情」は、あなたが「責任を持つ」必要があります。

 

「どんな基準」で「情報」を心に取り入れるのかを考える時、

「その基準」を作るための、格言(金言)を読むことは、とても役に立ちます。

格言とは、生きる指針となる、先人たちの言葉です。

 

ドイツの名宰相、ビスマルクの言葉です。

「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」(①で考えたこととも繋がります)

歴史を経て残っている言葉には、力があります。

その力ある言葉を、心の中に「取り入れ」、考え方の「参考にする」のです。

 

私は、聖書の言葉をお勧めします。

聖書は、ヨーロッパ思想の源流であり、過去の歴史を通じて受け継がれてきた確かな書物です。

物事を判断する基準として、(知恵の言葉として)優れています。

 

例えば、聖書にはこんな言葉があります。

「すべてのことが益(プラス)となる」

「神は、乗り越えられない試練は与えられない」

「試練と同時に脱出の道が与えられる」

「求めたら、与えられる」

 

このような格言となる言葉が、聖書には溢れています。

興味があれば、「苦しい時、聖書」「助けが必要な時、聖書」等で検索してみてください。

きっとふさわしい言葉を見つけることができるはずです。

 

私も、多くのクリスチャン同様に、毎日聖書の言葉に触れ続けています。(自分の心を守るためです)

こんなことが数日前にありました。

 

年末年始は家族と楽しく過ごしました。

3日にすべきことがあったため、2日にその準備をしようと考えていました。

ところが、1日夜から頭痛があり、2日は朝も頭が痛く気分が優れませんでした。

2日の目覚めの夢も「自分を責める」もので、目覚めた時から心がブルーになっていました。

こういう時は、よくありません。

「できていないこと」を布団の中で数え始めるのです。

「あれもできていない、これもできていない……自分は一体何をしているのだろうか」その考えが頭の中をぐるぐる回っていました。

自分では「この感情は良くない」と分かっていながらも、抜け出せませんでした。

 

布団の中で「どうしてこんな感情になるのですか。神様」と無意識に祈っていました。

すると、その前日に読んだ「聖書の言葉」が心に浮かんだのです。

それは「罪を治めなければならない」という言葉でした。

創世記にある、カインとアベルの物語です。カインがアベルに嫉妬をして、アベルを殺そうとしている時、その激しい感情の中で、神様はカインに「罪を治めなければならない」と語られたのです。

その言葉を聞いた瞬間、私の心に劇的な変化が起きたのです。

今まで「出来ないこと」に目が向いていたのですが、急に「出来ていること、与えられていること」に目が向いたのです。

そして、自分の数日前のブログを読み直してみました。

「自分の力量越えた内容」が、そこに書かれていました。「こんな文章を書かせて頂いた。こんなたくさんの方々が読んで、クリックして下さっている。本当にありがたい」

心の中にふつふつと、前向きな感謝が湧き上がってきたのです。

「頭は痛いけれど、健康が与えられている。歩けるし仕事もできるし寝たきりでもない。本当に感謝だ」そんな風に考えていると急に、黒雲が晴れるように、心が明るくなったのです。

しばらくすると、頭痛も収まり、午後には3日用の仕事の準備を「前向きな心」で終えることができました。

 

「聖書の言葉」が「私の心」に触れて下さったことによる、素晴らしい恵み(奇跡)でした。

 

落ち込んだ時には、自分の「心の部屋」では、「解決の言葉」が見つからないことがあります。

(隠れている場合もあります)

そんな時、「外から」、「力ある言葉」を見つけ出すのです。(語られるという感覚の時もあるのです)

その「力ある言葉」を、自分の心の中に「迎え入れる」のです。

すると「その言葉の力」によって、「自分の心」が整理され、治めることができるのです。

 

ですから、一番良い方法は、食事をするように定期的に、「良い言葉」を集め続ける(読み続ける)ことなのです。

(いつ気分が落ちても良いように、安全のためです。)

そうすれば、落ち込むことがあっても、すぐに回復できるのです。

 

実は、心の問題も「情報戦」なのです。

悪魔は心の中に「悪い言葉」を投げ入れてくるような時が、あるかもしれません。

私たちは、反射的に受け取ってしまうかもしれません。

しかし、「真理の言葉」にいつも触れていれば、落ち込んだ中でも、その「真理の言葉」によって、悪に気がつき、穴からはい出すことができるのです。

「真理の言葉」によって「悪を治めること」ができるように、助けられるのです。

 

「良い情報」を積極的に集めましょう。そして「良い情報」を心に受け止め続けましょう。

そうすれば、コロナ禍であっても、政治的な混乱下にあっても、

心穏やかに生活することができるのです。

そして「平穏な精神状態」の時に、「あなたの能力」を「最大限に発揮する」ことができるはずです。

 

ニュースを見る時にも、落ち込んだ時にも、

解決のカギは「情報戦」であることを心に留めましょう。

「真理の情報」(良い情報、正しい情報)を積極的に集めれば、「偽りの情報」は退けられるのです。

(逆に言えば、「真理の情報」を積極的に集めなければ、「偽りの情報」が勝手に入ってくるのです。)

これは必要な「生きる知恵」です。

 

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新しい年、お一人一人が、置かれた場所で「知恵深く」生きることができますように。

「否定的な情報」が溢れる中にあっても、

積極的に「希望を見つけ出して」生きることができますように。

 

もう一度先ほどの聖書の言葉を記します。

 

「すべてのことが益(プラス)となる」

「神は、乗り越えられない試練は与えられない」

「試練と同時に脱出の道が与えられる」

「求めたら、与えられる」

 

皆さんの、祝福をお祈り致します。

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【コラム】神様が共におられる感覚

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今年もあと僅かで終わります。

このような区切りの時には、自分のことを振り返る良い機会です。

今日は、私が感じている「神様が共におられる感覚」をお話ししたいと思います。

 

20代の頃、(まだクリスチャンになる前です)、とても苦しいことを経験した時がありました。

その最悪の状況の時に、田んぼ道を歩いていると「ある感覚」が、急にやってきました。

それは、「光に照らされている」ような感覚でした。

同時に心の中に、「わたしは見ている……」という言葉が浮かんだのです。

その……の言葉は、当時の私にとって「最も必要なもの」でした。

 

今でも、その時の風景を思い出します。

田んぼのあぜ道で、枯れた草が続いており、左側には大きな木が揺れていました。

太陽が上から照らされて、葉を揺らしており、

「不思議な光に包まれているような」感覚でした。

その時、急に涙が込み上げて来たのを覚えています。

 

その直後に、「問題解決の道」が開かれたのです。

 

今、振り返っても、強烈な思い出です。

私はその時「見えない神様が、私を見ておられる」と感じたのです。

そして、問題解決が与えられたことを通じて「神様が働かれた」「神様はおられる」と実感しました。

 

縁あって、数年後、私はクリスチャンになりました。

そして今までに、何度も「同じような感覚」を 持たせて頂きました。

 

特にこの数年、ある厳しい状況になり、もう駄目だと思えるような時にも、

聖書を読み、祈る中で、(私のために祈って下さっている牧師の言葉を通じても)、

「神様は私を、このように見ておられる」という言葉が与えられ、

乗り越えることができた、と実感するのです。

 

「イエス様を深く知る前」は、めったに体験しなかった感覚も、

クリスチャンになった「今」は、かなり日常になってきました。

 

例えてみれば、一人でいる時は不安でも、「信頼できる先輩が一緒にいて下さるから」、

「不思議な安心感がある」という感覚です。

小さい時に「お父さんと一緒だから、何も怖くない」という感覚にも近いです。

 

私は「この感覚」を大切にしています。

そして、この感覚に「磨きをかけたい」と切望しています。

「ラジオのチューニングが合ったので、この周波数を外したくない」という気持ちです。

 

「この感覚」は、今の私の生活には、絶対的に必要です。

仕事をする時、人と会う時、特に厳しい状況の中では、「この感覚」によって、

落ち着いて、穏やかに、対応できるのです。

 

そのために「2つのこと」を心がけています。

毎日、聖書の言葉を読むこと。

聖書の言葉を「神様の言葉」として、心に受け止めること。

 

聖書の中に、「神様に近づきなさい、そうすれば神様は近づいて下さる」という言葉があります。

私たちの周りには、たくさんの「雑念の情報」があるので、

雑念ばかりに目がいってしまうと、大事なものを見失ってしまうのです。

例えてみれば、部屋の真ん中に「大事な宝物」があっても、いつもゴミが部屋に入ってくるならば、

ゴミのせいで、「宝物」を見失ってしまうようなものです。

(一旦見失うと、探し出すのが大変です。だから、すぐに掘り起こせるように、毎日宝物を意識するのです)

 

イエス様は、「わたしの言葉は、いのちのパン(食物)だ」と言っておられます。

イエス様の「いのちの力」を体験するには、聖書の「いのちの食物」を取る必要があるのです。

 

「イエス様と一緒」と考える時、いつも思い出す聖書の言葉があります。

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたも「わたしのくびき」を負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。「わたしのくびき」は負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイ11:28〜30)

 

私のイメージは、こうです。

「くびき(牛や馬が二頭一緒に引っ張る時の道具」によって、イエス様と私が、一緒に歩いているので、私が歩けなくなっても、イエス様が「私を引っ張って下さる」。

 

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だから、「安心して」暗い夜道でも、歩いていけるのです。

心が震えそうな人との関係も、穏やかに、良い関わりを、することができるのです。

(私の力ではなく、イエス様の力です)

このイメージでお祈りをすると、不思議な心の安らぎがあります。

そして、「すべきこと」を「穏やかにする力」が与えられるのです。

 

フットプリント(あしあと)という、有名な詩があります。素敵な詩です。

 

【Footprint(あしあと)】マーガレット・F・パワーズ 

ある晩、男が夢をみていた。

夢の中で彼は、神と並んで浜辺を歩いているのだった。

そし ­て空の向こうには、

彼のこれまでの人生が映し出されては消えていった。

どの場面でも、砂の上にはふたりの足跡が残されていた。
 
ひとつは彼自身のもの、もうひとつは神のものだった。

人生のつい先ほどの場面が目の前から消えていくと、

彼はふりかえり、砂の上の足跡を眺 ­めた。

すると彼の人生の道程には、ひとりの足跡しか残っていない場所が、

いくつもある ­のだった。

しかもそれは、彼の人生の中でも、特につらく、

悲しいときに起きているのだ ­った。

すっかり悩んでしまった彼は、神にそのことをたずねてみた。

「神よ、私があなたに従って生きると決めたとき、あなたはずっと

私とともに歩いてくだ ­さるとおっしゃられた。

しかし、私の人生のもっとも困難なときには、

いつもひとりの足 ­跡しか残っていないではありませんか。

私が一番にあなたを必要としたときに、

なぜあな ­たは私を見捨てられたのですか」

神は答えられた。

「わが子よ。 私の大切な子供よ。

 私はあなたを愛している。

 私はあなたを見捨てはしない。

あなたの試練と苦しみのときに、

ひとりの足跡しか残され ­ていないのは、

その時はわたしがあなたを背負って歩いていたのだ」

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---もしかすると、
「 神様が共におられる感覚」は、苦しみの真っ只中では、あまり感じないかもしれません。

しかし、苦しみを乗り越えることができ、振り返った時に、多くの人々は、それに気がつくのではないでしょうか。

 

「最も苦しい時」

神様は、「あなたを背負って下さる」

このことを「信じる」だけでも、力になると思うのです。

 

新しい年が、まもなく始まります。

楽しいこともたくさんあるでしょう。

 

しかし、三密防止や社会的距離を保つ、コロナ禍の対策は、続けていく必要があります。

きっと、辛いこと苦しいこともたくさんあるでしょう。

 

しかし「私を助け、守って下さる」、神様がおられるという「感覚」を少しでも持つことができれば、きっと多くの困難を乗り越えていけると信じるのです。

 

来年が、良い年でありますように。

「助け」をたくさん経験できる素晴らしい年となりますように、皆様の祝福をお祈りしています。

 

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【コラム】悪と戦うこと、情報戦。(来年への備え)

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2020年は、激動の年となりました。(今回のコラムの内容は重たくなります)

コロナによって、私たちの環境は一変しました。

春先からの買い占めによるマスクや他の物資不足、社会的距離や三密防止。

 

今まで経験したことがない状況下で、一時期多くの人々がパニックとなり、現在も混乱は続いています。

マスコミも、視聴率を取るために、人々が飛びつく「あおるような」情報を流す傾向があることを強く感じます。

その反動から、コロナを極端に軽視する人たちも出てきています。

不確かな情報が飛び交い、その情報に踊らされて、「心ここにあらず」となる方も多く、精神的に不安定になっている人も多いです。

自殺者も確実に増えています。

外出の抑制によって、倒産や自己破産の不安におびえる「切迫した声」も聞きます。

 

今年も終わろうとしています。

しかしまだまだこの状況は続くだろうと予想されます。(スペイン風邪の収束が、3-4年かかったと言われていますので、それぐらいは覚悟すべきかもしれません)

今年はもう少しで終わりますが、私たちは、来年に備えていかなければなりません。

 

今回は、コラムとして2点を考えていきます。

①「悪と戦う」大切さ。その視点。

②「正しい情報」を集め、その情報で「善悪を判断する」こと。

 

①「悪と戦う」大切さ。その視点。

コロナの混乱に乗じて、自分の利益(自分たちの利益)を考える、「人」や「集団」が存在します。

注意してニュースを見ていれば、気がつくと思います。

 

その悪(あえて悪と書きます)は、「悪の勢力」となり、自分たちの利権を広げよう(得をしよう)と動きます。

これは、政府にも、民間にも存在します。(震災後に起きたことと似ています)

 

悪の特徴は、「嘘をつくこと」です。

一見、「きれいな言葉」「正しくみえる理屈」を語って、(テクニックとしてです)

実際は、自分の利益、自分たちの利益だけを考えているのです。

 

大学生が、クラスメートを通じて「法律に違反しないから」と「軽い気持ちで詐欺」に誘われ、持続化給付金100万円を騙し取り、後日、集団で逮捕された記事は、その典型例です。

「きれいな言葉」に騙されてはいけません。(本来の手続きをせず、良さそうだと思えるところに誘惑があることも心すべきです)

仮にご自分が「誠実」に生きていても、他人がすべて「誠実だ」と考えることは危険です。(悪の確信犯は、悪を美しく魅力的に表現します)

 

「悪」は「悪」です。

私たちは、悪をあいまいにせず、必要ならば「戦わなければ」なりません。

(戦わなければ、負けるのです)

 

コロナ対策の政府の予算で、「どうしてこの予算がついたのか(必要性)」「どうしてこの会社や団体に発注されたのか」と疑問に思うことはあります。明らかに「利権団体」が動いていることが想像できます。日本でもアメリカでも同じことが起きています。

(つながりのすべてが悪いと言う意味ではありません。一見正しく見える中に、「悪が存在する」ことを伝えたいのです。

 

少し前にも書きましたが、

「悪魔」は、「光の天使」を装います。

一見「きれい」に見えますが、その奥は「真っ黒」です。

きれいに見えなければ、誰も飛びつきません。(誘惑とはそういうものです)しかし飛びついたら最後、抜けられなくなり、その時に後悔しても、修復が大変なのです。

 

聖書の中で、「ハトのように素直に、蛇のように賢く」というイエス様の言葉があります。

自分の心の中にも、人の心の中にも、「悪が存在する(侵入する可能性)」を、現実のこととして受け止めていく必要があるのです。

「自分の中の悪」をきっちり見極め、対処できる人は、「人の悪」に気がつきやすいのです。

 

聖書は、これからの時代は、「混乱の時代」とはっきり書いています。(すでに入っていると読み取れます)

 

少し大きな話をします。(難しいと思われる方は、②まで、一旦スキップしてもらっても構いません)

聖書の中の、ダニエル書(旧約聖書)や黙示録(新約聖書)を読むと、

終わりの時代には、「世界大戦」が起こり、「イスラエルが再建(1948年)」された後、ますます混乱の時代となり、その後に「世界統一政府」が樹立されることが書かれています。

その「世界統一政府」は、強制的に人々を支配します。人権など関係ありません。(中国の現在の政治体制のように見えます)

今後(聖書の記述を見る限り)、ゆっくりとそちらに向かっていくと考えられます。

 

今、実は共産思想が世界中に広がっていることを知っていますか。

コロナ対策で中国は、強権的に対処した結果、コロナに封じ込みに一見成功しています。

 

中国は、コロナ禍の現在、世界中に支援をしており、中国に好意を持つ国は多くなっています。

また企業合併買収(M&M)によって、先進国の資本にも中国資本(株主)が入っています。

苦境に喘ぐマスコミにも、中国資本は入ってきており、中国批判をしにくいマスコミ各社があることも聞きます。

 

現在アメリカでは、共産主義の思想が大学教育によって広がり、「一部のエリート支配者が、国全体を支配した方が良い」と考える若者が増えてきているとのことです。

 

しかし共産主義体制は、香港、台湾、チベット族ウイグル族、内モンゴル自治区、それらの人権迫害を少し調べれば、その本質が分かります。

「政府の方針(体制擁護)」のためならば、「人間の尊厳性(自由、平等)」はどうでも良いと考える、「恐ろしい思想」を根本に持っているのです。一旦国の法律で決まってしまうと後戻りできません。(香港の現状がそれを物語ります)(また中国では、教育という名で民族の言葉を奪い、共産主義思想を一方的に教育をしている地区が、現実にあるのです)

(きれいな言葉を語っても、その本質を見抜かなければなりません)

 

共産主義批判が、今回のブログの目的ではありません。それでは本質を見失います。

一見きれいな言葉の背後に、悪魔的な思想があり、一旦それを受け入れてしまうと、二度とあと戻りができない「危険性」があるということを伝えたいのです。

このような「誘惑」は、これからの「混乱の時代」には、ますます巧妙に人々の心の中に、やってくるでしょう。

 

もう一度テーマに戻ります。

②「正しい情報」を集め、その情報で「善悪を判断する」こと。

「悪を認識」し、「悪と戦う」ためには、「正しい情報」が、絶対的に必要です。

 

聖書の記述で、「悪魔」が人間を「誘惑」したのは、最初はエバ、次は(エバを通じて)アダムの順番でした。(創世記3章・・・神話のように思えるかもしれませんが、誘惑の典型例として受け取って下さい)

その時、悪魔は「情報操作」をしました。

「本当のこと」を知っていながら、「エバが混乱するように」、「一部の情報を変えて」エバに伝えたのです。そして実際にエバは混乱し、「食べてはいけない」と命じられた木の実を食べたのです。

エバは、それを夫のアダムに食べさせてました。

(アダムは、身近な関係者から、信頼関係や情緒によって、誘惑されたことになります)

 

エバが、「正しい情報」に立っていたならば、誘惑されなかったでしょう。

「正しい情報」は、物事を判断する上で、非常に大切なのです。

「悪」に気づき、「誘惑」を避けるためにも、「正しい情報」は重要です。

 

 

具体例を挙げます。

私は、毎日聖書を読みます。

それによって、「善悪の基準」や「倫理面」でいつも自分をチェックしています。

そうでないと、膨大な一般的ニュースによって、「自分の視点」や「価値観」に影響を受けるからです。

(私はこれは死活問題だと思っています。しかしクリスチャンでも曖昧にしている方もおられます。)

 

あともう1つ意識していることは、信頼できる情報源を確保することです。

信頼のおける友人からの情報を大切にしています。

また、最近では尊敬し、信頼する方で、ユーチューブで配信をしておられる方(例えば牧師の中川健一先生)の動画も定期的にチェックしています。

中川先生の動画だけでなく、他の沢山の情報源となる動画や記事もチェックしています。

世界情勢やコロナ情報など(噂話の受け売りではなく、自分で研究調査をした方々の情報)は、非常に有益です。

 

すると、一般のマスコミで報道していなこと、できないことが見えてきます。

(もちろん、すぐには飛びつかないようにしています。嘘情報や誤解も混ざっているでしょうし、特に陰謀論と人が評価するものには、細心の注意を払います)

 

これらの動画を見て、「事実」を出来るだけ、忠実に見分けようとすると、

やはり「大手のマスコミ」は、「ある方針」があることが分かります。

「政府の意向」や「大株主や広告主の意向」です。

それを無視したマスコミ報道はないことが分かります。

 

だから多くの方々が言っているように、

今の時代は「自分の頭で考え、積極的に情報を仕入れること」が、とても大切です。

そうでないと将来、第二次大戦中の日本の「大本営発表」のような、また現在の中国の「情報操作」のような統制が起きた時、「大きな力」を持った人に利用され、「考え方」を操作される「可能性」があるのです。

 

「見えない世界」では、すでに「戦い」が始まっていると感じます。(思想戦です)

思想戦で、大事なことは、

①悪の存在を見極めること。

②真実な情報を 集め続けること。

 

私たちが「騙されない」ために、

この二つを持ち続ける「覚悟」が必要なのです。

 

今までのような平和な時代ならば、(私は個人的には平和を強く求めますが)

ある程度、適当でも過ごすことができました。

しかしもし今が、「戦時中」ならば、「戦時中の考え方」が必要です。

無意味、無計画に、人と戦う必要はありません。(争いを助長することは、虚しいことです)

 

しかし、特に心の中の、「戦時中における」善悪の戦いは、

「覚悟」しなければいけません。

心の中の悪との戦争は、勝つか負けるかです。(あいまいにはできません)

勝たなければ、私たちは負けるのです。

 

「心の病」の問題も、「心の中の悪」に負ることが原因である場合も、多いのです。

 

私の伝えたいことは、これを読まれた方の「心の平安」です。

①悪の存在を見極めること。

②真実な情報を 集め続けること。

 

この文章を読まれた方が、

心の中に迫る「悪なる力の攻撃」に立ち向かい、勝利することができますように。

そのために「正しい情報」にいつも触れることができますように。

それを得るための「知恵」が与えられますように。

 

やはり2021年は、多くの厳しいことが起こるでしょう。

しかしだからこそ、「心を備えて」いきましょう。

 

天は、「乗り越えられない試練は与えられない」と言います。

覚悟して、情報を収集している人には、必ず乗り越える道が与えられると信じるのです。

【新改訳聖書】
Ⅰコリント 10:13 あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。

 

 

 天の助けがあることを(天の父なる神様の助けがあることを)

お祈りしています。

「あなたに助けがある」と、信じています。

 

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クリスマスは、愛の贈り物

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クリスマスおめでとうございます。

コロナ禍にあっても、クリスマスは、喜びの日です。

(実際のクリスマスは、24日の日没後に始まります。教会暦では、日没から25日だからです。)

今晩(24日)は、ケーキを食べたり、特別な食事をする方もおられると思います。

 

もともとクリスマスは、「イエスキリストの誕生」をお祝いする日です。

そしてクリスマスは、人類に「愛のプレゼント」が贈られた日、(それを記念する日)です。

では、「キリストの誕生」で一体何が「贈られ」、何が「そんなに素晴らしい」のでしょうか。

 

メリークリスマス(クリスマスおめでとう)と言いますが、一体何が「おめでたいこと」なのでしょうか。

またどうして、プレゼントを渡しあうのでしょうか。

 

考えてみたいと思います。

私たちは、「愛されること」を求めています。(どんな人でもそうです)

また「人から認められること」を求めています。

実は、認められたいという承認欲求も、形を変えた「愛を求める」衝動です。

「認めて欲しい」「愛されたい」、これらの衝動は、誰もが持っている「思い」です。

人間は、人から認められないと(愛されないと)生きていけない存在なのです。

 

でも、実際はどうでしょう。

私たちは、愛されているでしょうか。

……あなたは愛されていますか。

認められていますか。

 

そして……あなたは、「今の現状」に満足していますか。

もし…、「もっと愛されたい、認められたい」と願っているなら、まだ「不足」があるということになるでしょう。(そういうことになりますよね)

では、一体何が「不足」なのでしょうか。

 

「いいね(評価)」を「10」もらったならば、次の日には「10以上」を求めてしまいます。

「9」では「足りない」と思うのです。

一気に「100」になったなら、「自分はそれだけの価値があるのだ」と嬉しくなります。

けれども、また「10」に戻るとガッカリするのです。(そんなものです)

 

しかし、評価は所詮「人の評価」です。「人の評価」は変わります。

自分が人を評価する時のことを考えれば、分かると思うのです。

「人の評価」は、絶対ではありません。

しかし、私たちは「絶対的な評価」を求めます。

だから「由緒ある権威」に認めてもらうことを求めるのです。

(勲章や表彰状に価値を持たせるとは、そういうことです)

 

実は、そんな権威に「認めてもらわなくても」、「あなたは価値があるのだ」と認めてもらっていることを知っていますか?

この世界で「最高の権威」を持っておられる、創造主(神様)が、あなたを認め、愛しておられることを知っておられるでしょうか。

その証拠が、クリスマスなのです。

 

神様は、普通見えません。またいつも感じられる訳ではありません。

しかし、「見えない神様」が、「見える形」で現れて下さったのが、「クリスマス」なのです。

 

聖書の有名な箇所です。

Ⅰヨハネ(新約聖書)
4:9 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

 

「私たちが、神を愛したのではなく」

「神が私たちを愛し、御子を遣わされた」

「ここに愛があるのです」

 

私たちは、不完全です。(皆そのことを知っていると思います)

(だから、頑張ったり、取り繕ったりするのです。)

「背伸び」をして、認めてもらえるように、「自分を演じ」たりもします。

 

しかし、心の奥では、「本当の自分」を知っています。(あえて「見たくない」と考える人もいます)

失敗をして、足りなくて、愛がなく、自分のことしか考えていない、「自分の姿」です。

 

そんな取り繕っていない、「素の自分」は、愛されるのでしょうか。

……はっきり言いますが、「愛されている」のです。

 

「私たちが、神を愛したのではなく」

「神が私たちを愛し、御子を遣わされた」

「ここに愛があるのです」

 

「できなく」ても、「愛される」。

この種類の愛(聖書では、アガペの愛と言います)を経験する(味わう)と、人生が変わります。

そのままで、愛されてる感覚を持った人は、「人への恐れ」から「解放」されます。

(人から認められなくても、大丈夫となります)

 

「あなたは、創造主に愛されている」と聞くと、

「受け取れない人」も多いかもしれません。

そんなことは「信じられない」、そんなことより、目の前の仕事をして、「目に見える評価」をもらう方が大切だ、と考える方もおられるでしょう。

 

しかし、よく考えてみてください。

「認められていて」(それを知っていて)、仕事をする人と、「認められるために」、仕事をする人は、雲泥の差があるのです。

 

「認められている人」は、余裕があります。

仮に目の前の仕事で、認められなくても誤解を受けても、大丈夫です。

しかし、「認められるため」に仕事をする人は、その仕事で認められないと、大変です。

時に死活問題になります。

 

老化や定年を考えても分かります。

「自分の能力やポジション」だけで、自分の評価を確認している人は、歳をとって引退すると、がっくりします。

「自分の支え」としていたものが、無くなってしまうからです。

結局、支えは、あるようで無かったのです。(期間限定だったのです)

 

聖書では、そのような支えを「偶像」と言います。

(つまり、崩れてしまう「自分の支え」です)

 

イエス様は、神の子として、この地上に生まれて下さいました。

偶像ではない、本物の神の子です。(それを受け取る信仰は必要ですが…)

イエス様は、「私が失敗して」も「そのまま受け止めて下さる存在」なのです。

 

命は、創造主によって造られています。

ですから「造られた私たち」は、「神の作品」です。

だから本来は無条件で愛されているのです。

(あとは、その事実を知り、受け取り、感じるだけです)

 

この機会に、神の子が「私たちを愛するため」にこの地上に生まれて下さった意味を、深く知ってみて下さい。

 

●「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」(ヨハネの福音書15:13)。これは、イエス様の言葉です。

 

イエス様は、命を捨てるため、この地上に生まれました。

そんな愛が、存在するのです。

 

そしてその愛を、「求める」なら、あなたも、「頂ける」(体験できる)のです。

「求めよ、さらば与えられん(求めたら、与えられる)」です。

 

私も、この愛を知って(受け入れて)、人生が変わった者の一人です。

別に、キリスト教会に行かなくても構わないのです。(行く機会があれば、もっと学べるとは思います)

ただ「個人的に」心に受け入れるだけで、あなたはその愛を知る、「入口に立つ」ことができるのです。

 

愛されているから、受け入れられているから、

人を愛し、受け入れることができる、

この価値観を持つ人生は、素晴らしいです。

 

今日クリスマスの日に、

「多くの人」が、プレゼントを通じて、

愛を喜びあえる「素敵な時間」を持てますように。

また、「一人でクリスマスを過ごす方」にも、「特別な時」がありますように。

 

実はイエス様は、たった一人で、十字架の道を行かれたお方です。

孤独を知っておられる、分かって下さるお方です。

ですから、今日、孤独を感じておられる方にも、

力強い「神様の愛」が、流れることを信じています。

 

コロナ禍の中です。責任を持っておられる立場の方の中には、

「浮かれたお祝いなどできるわけなどない」と感じ、

ギリギリのところを通っておられる方もおられると思うのです。

 

しかし、クリスマスは「助けがある」という印でもあります。

「その助け」を見つけることができますように、

それを見つけるまでの、「気力」が与えられますように。

 

愛のプレゼントである、

「クリスマスの祝福」をお祈りしています。

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ほめたり励ましたりする程、落ち込む後輩がいるのですが、どうしたら良いでしょうか。

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幼児教育の仕事をしている者です。最近入ってきた後輩が、すぐに落ち込むので困っています。年上の先輩と比較し、「自分はできない」と否定的になります。彼女に「経験が違うのだから、自分の目標を立てて、自分のペースでいったら」とアドバイスをしても、「自信がない」と言い、ネガティヴ発言を繰り返します。聞いてみると、前の職場でも同じような問題を抱えていたようです。あまりに続くので、「何とかしよう」と考える他の人たちも引きずられて、職場の雰囲気が暗く重くなってきています。どうしたら良いでしょうか。       

 

ご質問をありがとうございます。

質問者さんの職場には、優しい方が多いのでしょうね。

質問者さんたちが、良い雰囲気を作って、職場を盛り上げていることを感じます。

 

さて、今回、後輩の方に対するご質問ですが、しばらく一緒に考えていきましょう。

文章から推測しますと、後輩の方は、かなり「自分に自信がない方」のようですね。

前の職場でも同じような状況だったということですから、「自信がない自分」を「本当の自分」だと思い込んでしまっているように、想像します。

 

人は一般的に「自分のイメージ」を追認します。

つまり「自分は自信がない」と思い込んでいる(信じ込んでいる)と、「自信がない」と思える状況ばかりに目がいき、「やっぱり自信がない」となるのです。

その時に質問者さんが、「励ましの言葉」を語っても、セルフイメージと違うため、後輩は、心で受け取ることができないのです。(口ではきっと分かりましたと言うとは思います)

 

セルフイメージは、強力です。前の職場でも同じ反応だったようですから、「自信がない」自分を、心の中に、強力にインプットしているように思います。

 

では、どうしたら良いでしょうか。

人のセルフイメージを変えることは、結構大変です。

 

一度ゆっくりと後輩と話す時間を持って、心を開いて話せるチャンスがあれば、良いと思います。

その人の心に語りかけるのです。

「そのままの自分でいくのか」「成長したいのか」言い方を注意する必要があります。(本音を引き出すことに徹して下さい。)

その方が「本音」でどちらを「願っているのか」、それによって今後の対応が変わります。

 

「そのままでいい、愛されている」という考え方があります。

確かに「その通り」なのですが、「問題を抱えたまま」で「良い」とは誰も考えません。(神様も成長を願っているはずです)

 

しかし、人は、変化を恐れます。

自分の知らないことは怖いのです。

 

けれども、「自分のため」、「自分の責任で成長したい」、と考えるならば、その「恐怖の壁」を乗り越えることができます。

 

要は本人の「意志」です。そこを確認して下さい。

ただし、もし自分の行動を「誰かのせい」にしている方ならば、時間がかかると思います。

そういう人は、心の本音では、できない理由ばかりを並べ「自分は被害者で悪くない」かのように考えています。

一つ前のブログを参考にして下さい。

そうでないことを願います。

 

さて、続けます。

「成長したい」という気持ちでおられることを前提で、進めていきます。

 

後輩の方は、幼児教育の道に入られたとするならば、何かの「こころざし」があってのことだと思うのです。(たた、何となくと言われる場合は、後で触れます)

仕事を選んだきっかけ、希望、目標を聞き出してあげて下さい。

 

「自分に自信がない方」は、比較の中に生きている場合があります。

また「人を見る」あまり、「本当の自分」を生きていない、受け入れていない可能性があります。

そういう方は、「自分をそのまま」受け入れられず、いつも振る舞って生きている、つまり演技をして生きているのです。「本当の自分」を生きていないのです。

そのような気持ちで、仕事をするならば、当然「空回り」をします。アドバイスの言葉も、「心に入る」ことは難しいです。そうすると、いつも同じ失敗を繰り返します。そして益々自信を失うという、負のスパイラルに入るのです。

(あくまで、可能性として書いています。いろいろなタイプがありますので)

 

私はそういう方には、「山登りの例え」をお話しします。

山登りは、「ふもと」から「山頂」を目指します。

最初から、山頂にいる気分でいても、実際はふもとにいるのです。

つまり、「自分の現実」を知り、「受け入れ」なければなりません。

そして、「自分の目標」を決め、一歩ずつ登っていくのです。

 

また「山登り」には「コーチ役」の人がいた方が、安全です。

もしその方が、「成長したい」と願っておられるなら、ぜひ「コーチ役」を買って出てあげて下さい。(当然、本人が望んでいる場合に限ります。山登りは、登りたいと願う人が楽しめます。強制だと本人が思えば、それは苦痛にしかなりませんので)

 

自分の「現在地点」、「目標地点」を確認してあげて下さい。

(紙に書き出してもらっても良いかとは思います)

もし、児童教育関係のメソット(技法)があり、本人に学びたい意欲があるならば、受講をチャレンジしてもよろしいかとは思います。

 

走者は「コーチが並走してくれている」と思うと、とても心強いものです。

「自分の目標」が明確ならば、「人と比較」して落ち込むことは少なくなります。(コーチの励ましは必要です)

 

「自分の足」て、自分の「現在地点」を自覚して、一歩ずつ登っていくならば、しばらくすれば、必ず「ある程度の高さ」まで登ることができます。それを振り返った時、「その成長」が「本人の自信」となるはずです。

参考にしてみて下さい。

 

「職場のカラーに染まる」という表現があります。

それは、その職場に長く勤める中で、その職場の考え方の影響を受ける、というものです。

後輩の方が、皆さんの優しい関わりの影響を受けて、良い意味で、「前向きな職場」に染まっていったならば、素晴らしいと思います。

 

最後に、もし、成長したくない、職場のカラーに染まりたくない。幼児教育に何の希望も持っていない、等々、質問者さんの働きかけに、後輩が同意できないないならば、 もしかすると、人と関わる仕事よりも、製造業や事務などの「仕事の目標の明確な職種」に移った方が、当人の能力を活かせるのかもしれません。

 

イメージは、山登りです。

後輩の方が、児童教育という山に、人生をかけ、山を登る喜びを感じ、生きていくことができたならば、素晴らしいですね。

 

今後、良い関わりができますように、祝福をお祈りさせて頂きます。

 

「鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。」箴言27:17(旧約聖書)

このことを通じて、益々の職場での良い人間関係がつくられていけると良いですね。


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【コラム】被害者利得という心理(現代世相の考察)

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皆さんの近くに、「自分を被害者だ」と主張して、「遠慮なく人を攻撃する人」はいませんか。

通常は表に出さなくても、「自分の失敗」は、「すべて人のせい」で、「被害者になれ」ば、「何をしても許される」と思い込んでいる人はいませんか。

(被害者ということを言い訳にして、自分の言動を正当化す行為です)

 

精神科医の片田珠美氏が、「被害者のふりをせずにはいられない人」(青春出版社)を出版されています。

また同氏は、ダイヤモンドオンラインで、「『被害者ぶる人』増加中、巧妙な狙いを3分類で読み解く」という記事を書かれてもいます。

非常に深い内容であり、一度読まれることをお勧めします。(続編、「『被害者のふり』をしてくる人にはどう対処すればいいか」も秀悦です)   後ほどリンクを貼っておきます。

 

最近いろいろなネットの書き込みや文章を読む時に、「これ、正しさを主張しているが、なんかおかしい。」と感じていたモヤモヤ感が、これらの記事を読んで、すっきりとしました。

 

氏によれば、被害者になることには3つの目的があると言います。

1、利益を得たい「メリット型」

2、注目を集めたい「スポットライト型」

3、復讐したい「リベンジ型」

 

これらのことを無意識でやっている場合が多いので、対処は余計難しいと、片田氏は指摘しています。

 

これが、個人のレベルで起こることも、当然、問題になりますが、それが集団で起こると、暴力沙汰になる場合があります。

 

アメリカで起きた警察官による黒人殺害事件を発端とした「ブラック・ライブズ・マター」の運動が、2020年アメリカ各地で起こりました。その運動自体は、もともとは人権運動なので健全なものでした。しかしその運動に、極左組織「アンティファ」が加わることで、煽られた一部が、暴徒となり、店や車が燃やされ、一時期、シアトル市は無政府状態になりました。

極左のリーダーは、被害を受けた黒人を応援するためには、「法律を犯してもいい」と人々を扇動し、暴動をけしかけたようです。(計画的だったようです)

 

そに理屈が「被害を受けた者たちは、暴力に訴えても、良い」という間違った考え方です。

つまり、「被害者は何をしても正当化される」というものです。

極左組織はこれを革命思想に結びつけます。そして組織的に扇動するのです。(こんなことが民主主義の国であるアメリカで、現在起きているのです)

 

日本の場合、国民性から、暴動は起こりにくいかもしれません。

しかしその分、匿名のネットでは、炎上や吊るし上げが起きています。

形は違っても、実は精神性(根っこ)は、同じです。

誰かに煽られたら、簡単に反応してしまうのです。

 

ですから気をつけないといけません。

このことを曖昧にすると、人間関係のトラブルで済まなくなる場合があるのです。

 

「被害者は、何をやっても良い」という考えに、「違う」とはっきりと意思表示をしなければならない時があると、私は考えています。

(あえて言葉に出さなくても、いざという時に「違うと言える」考え方、哲学が必要です)

それがあなたの行動を守り、今暮らしている日本の地域、ひいては日本社会を守ることとなります。

 

少し、話が大きくなりました。

もう一度、元に戻します。

 

あなたの近くに「被害者となれば、何をやっても良い」という考え方の人はいますか。

 もしそのような人がいたならば、あなたはどのように対処するでしょうか。

(冒頭の片田氏のコラムが参考になるとは思います)

 

古くはハンムラビ法典で「目には目を、歯には歯を」記されていることを知っているでしょうか。

これは、復讐を正当化する教え、と間違って理解している人も多いのですが、

しかし実際の意味は、「目をやられたら、目だけにしなさい。歯をやられたら、歯にだけ仕返しをしなさい、それ以上はしては、いけない」という戒めなのです。

人間の心は、目だけやられてもそれ以上復讐したくなる、感情(弱さ)があるのです。それを戒めたのが、この法典なのです。

 

もちろん、「本当の被害者」となった方を蔑めるつもりはありません。、被害者となった人の痛みを否定するつもりもありません。(私は、立場上、よく人の痛みをお聞きし、癒しを祈ることが多いです)

 

しかし「被害者ぶる人たち」は、問題です。

 

周囲は、そこまで思わなくても、被害者ぶる本人は「自分はひどい目にあった被害者」と言い張って譲りません。周囲の認識と大きなズレがあるのです。

 

見極めが非常に難しい時があります。

自分が被害者になるために、嘘も平気でつきます。(本人に自覚が無い場合が多いのです)

 

先ほど記した片田珠美氏による、被害者と主張する3つの目的をもう一度、書かせて頂きます。

1、利益を得たい「メリット型」

2、注目を集めたい「スポットライト型」

3、復讐したい「リベンジ型」

 

人間の心は、とても複雑です。無意識で行うことも多くあります。

いくら可哀そうだから、同情をするから、または一見正しいからといって「心の闇」に巻き込まれてはいけないのです。

 

すべての人が、「被害ぶる人たち」では、ないでしょう。

しかし、もしその人が「被害者ぶる人」ならば、知恵とスキルと身につけて、対処する必要があるのです。

 

良く言われますが、「悪魔」は「光の天使」を装います。

悪は真っ黒である場合は、ほぼありません。白の中に黒が混じっているのです。(一見正しく、部分的に悪いということが多いのです)

 

誘惑も真っ黒ではありません。光り輝くところがあり、実は黒いのです。(そうでなければ、だれも飛びつきません)

 

「被害者利得」という誘惑に、自分自身は落ちないようにしましょう。

もしそのような人を見つけたら、「注意人物」として対応していきましょう。(申し訳ない言い方ですが、仕方がありません)

 

聖書の言葉です。

エペソ(新約聖書)
5:13 けれども、明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らかにされます。
5:14 明らかにされたものはみな、光だからです。それで、こう言われています。「眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。」
5:15 そういうわけですから、賢くない人のようにではなく、賢い人のように歩んでいるかどうか、よくよく注意し、
5:16 機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。

 

これからの時代、(混乱する時代には)物事を「正しく吟味」しなければなりません。

衝動的に飛びついては、非常に危険なのです。 

 

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