人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から

世界のベストセラー聖書の価値観から、生きるを考えます!(モノの見方が変わると、とても楽になります)

【コラム】悪いことが起きた時の対処法(考察)

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今回は、悪いことが起きた時、願った通りにいかなかった時に、「どうしたら良いのか」について考えていきたいと思います。

 

「順境の日には楽しめ、逆境の日には、考えよ。」

これは、旧約聖書、ソロモン王の言葉です。(伝道者の書7章14節、口語訳)

 

「順境の日には、楽しむ」ことは大切です。人生は喜びがないと生きていけません。

ですから「順境の日」には、あれこれ考えることなく、

単純に「喜び楽しむ」のです。(切替が必要です)

 

「逆境の日には、考えよ」とありますが、

実は「逆境の日」にも「切替」が必要なのです。

今回は、そのことを考えていきます。

 

①起きた悪いことは、「すでに前からあった」ことである。

嫌なこと、悪いことが起きるのには、原因があり兆候があります。

「悪いこと」は、結果として、あるタイミングで「 明らかになった」だけであって、

実は「以前」から、「存在していた」のです。

 

よく考えれば、その「事実」に気がつくはずです。

しかし突然、明らかになった時は、少なからず「パニック状態」になります。

「パニック状態」になると、全てが悪い方向に向かうような気分になります。

ですから、まずは「以前から存在していた」事実を受け止めましょう。

そして「今明らかになって、良かった」と頭を切替ましょう。

そう「考える」と、冷静に対応できるのです。

 

②同時に、見えていない「良いこと」も、存在している事実に目を向ける。

頭を切替る、もう一つの視点は、「良いこと」に「注目」することです。

「感謝のメガネ」という表現を、以前から何度も使っていますが、

「感謝して」周りを見ると、

「感謝できること」が、「浮かび上がって」きます。

 

「悪いこと」だけではなく「良いこと」も存在している、、、

このことは、「事実」なのですが、パニックになってしまうと、

気がつきにくいのです。

 

ですから、「よく考え」て、その「事実」を冷静に受け止めましょう。

その方法として「感謝のメガネ」で周りを見てみましょう。

 

AIさんは、職場で大きなクレームを受けた時、一瞬頭がパニックになりかけました。

しかし「感謝のメガネ」を思い出して周りを見た時、

「今まで助けてくれた数人の顔」を思い出しました。

そしてすぐに、そのうちの何人かにお願いをし、対応をして貰いました。

結果、迅速に解決をし、かえってお客さんからの評価を頂いたとのことです。

 

③「対策」を「考える」こと。

「問題」が起きるということは、「何かの課題」があるということです。

ですから、「その道(過程)」をそのままにしておけば、「同じ問題」が起きます。

ですから、「その道」を変えなくてはいけません。

しかし物事には、流れがあるので、簡単に道は「変わらない」可能性があります。

ですから、「道の流れ」を変えるための「対応」をするのです。

 

何かを「加えること」で、「道の流れ」が変わるならば、「加えて」みましょう。

何かを「減らすこと」で、変わるなら、「減らして」みましょう。

 

大切なことは、「同じ道の流れ(課題)」を残さないことです。

「どうすれば道を変えられるのか」を、

よくよく「考えて」、「現実的な対応」をするのです。

 

先程の、AIさんは、その問題の後、配送チェックリストを作成しました。

今まで「伝票番号」とのチェックは、個人の判断に任せていたのですが、

「細かいチェックリスト」を必ず記入することによって、職場でのミスが激減したとのことです。

 

「順境の日には楽しめ、逆境の日には、考えよ。」

「悪いこと」が起きた時は、実は「チャンス」なのです。

 

「課題が明らかになるチャンス」

「助けがあることに気がつくチャンス」

「現実的な対応ができるチャンス」

 

「逆境の日」には、「よく考え」て、その「チャンス」を生かしましょう。

 

良い知恵が与えられますように、

祝福をお祈りしています。

 

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【コラム】正義と欲の戦い「いのちとお金、どちらが大切か」理想と打算のぶつかり合い

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今回のコラムは、価値観についてです。

「今だけ、金だけ、自分だけ」・・・最近聞いた言葉です。

これは、自分のエゴ(利益)だけを考えて、人間の命や正義を軽んじることを揶揄した言葉です。

 

中国ウイグル自治区の人権問題をご存知でしょうか。

中国共産党が、少数民族ウイグル族のへの非情な弾圧をしており、100万人超の一般市民が、投獄、拷問、強制労働等を、現在でも受けています。

 

アメリカの前国務長官ポンぺオ氏が、退任前日の1月19日に、

この問題を「ジェノサイト(民族大量虐殺)」と認定し、バイデン政権での国務長官もその方針を引きついています。

アメリカ議会も追認し、EU議会も強い非難を上げています。

 

しかし日本では「ウイグル人権問題」の批判の動きは鈍く、中国に配慮した態度が続いています。

なぜでしょうか。

一言で言えば、「利益があるからです」

中国を刺激しない方が、中国との貿易が進み、利権を持っている人が儲かるからです。

 

世界の多くの国が、「人の命」を守るために「中国に非難」を上げているのに対し、

我が国日本政府が、「利益を優先している」ことは、

悲しいことではないでしょうか。(中国寄りの政治家の影響なのでしょうか・・・)

 

今回のテーマは、価値観の問題です。

元内閣官房長長官だった野中広務氏は、自らの戦争体験から「絶対に戦争を起こしてはいけない」という強烈な信条を持っていました。

強烈な個性の方でしたが、「平和主義者」でした。

しっかりとした「価値観」を持たれた方でした。

 

「ジェノサイト(民族大量虐殺)」という言葉は、英語圏では強烈な言葉のようです。ナチスドイツの大量虐殺のイメージです。

「人間として絶対にしてはいけない行為」なのです。

 

「人間として絶対にしてはいけない行為」ですから、

経済で「利益」が上がろうとも、非難します。ボイコットをします。

それに対して、「利益」を優先して、明らかな「虐殺」を非難しないとしたら、それはどういうことなのでしょうか。


「いのち」と「お金」を考えた時に、

「利益を優先する人」でも、

もし「自分」が大きな病気になった場合、

「いのち」と「お金」のどちらが大事かと言えば、当然「いのち」となるはずです。

 

しかしそれが「他人のいのち」と「自分のお金」であった場合、

「自分のお金」を優先して「人のいのち」を見捨ててしまうのでしょうか。

(これは、突き詰めると恐ろしい考え方です)

 

実は、アメリカをはじめ日本の企業も含め「ウイグル自治区」に関連工場を持っている会社は83社あると言います。(日本企業は11社)

アメリカでは大きな問題になっていますが、日本ではあまり問題になっていません。

日本のマスコミではこの問題を取り上げないからです。

(中国共産党の問題は、なぜだか、あまり取り上げられません)

 

今回のテーマは、「いのち」と「お金」の問題です。

「正義」を取るか、「現実の打算」を取るかの問題です。

 

「まあまあそんな固いことを言わなくても、上手にバランスを取ればよい」

という意見もあると思います。(そんな声が聞こえてきそうです)

 

しかし突き詰めていくと、「正義」と「打算」どちらを取るかで

判断や結論が、「確実」に変わります。

ですから、個々人が最後には「決めなければ」いけない価値観です。

 

あなたは、もし一つしか選べないとしたら、

「正義」と「打算」のどちらを取りますか。

 

「今だけ、金だけ、自分だけ」

この言葉を「悲しい」と思うか、

「当たり前」と思うかで、

私たちの「人としての立ち位置」が定まるのです。

 

どう思われますか?

 

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【コラム】「マスコミ脳」から自由になるために。

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今回のブログは、最近感じていることを書かせて頂きます。

先日「マスコミ脳」という言葉を聞きました。

それは、「大手マスコミの情報を無条件に受け入れる思考パターン」という意味です。

 

ご存知のように、民放も新聞社も株式会社です。

即ち利益を追求する団体です。

また政治の影響も強く受けます。

第二次世界大戦の時を思い出すならば、国の意向によって「大本営発表」をしてきたのが新聞社でしたし、戦後はGHQの方針に則って情報を流してきました。

また「日刊新聞紙法」によって、新聞社は株式の譲渡がなされない既得権を得ているのです。(実はずぶずぶな関係なのですが、詳細は別の機会に)

 

何を申したいかというならば、大手マスコミは「正義の味方」ではない「利益団体」であるということです。ですから、会社の方針に則って「発信情報を取捨選択」します。

また視聴率を上げるために、「過剰な演出」を平気でします。

 

現在のコロナの情報を見ても、視聴率優先の「あおり運転」にような報道が随所にみられます。(もちろん、特に高齢者死亡率が下がるための対策には最善を尽くすべきです)

 

2020年の9月頃から、YouTubeの情報をよく見るようになりました。

海外の知人から、アメリカ大統領選挙のことを聞いたことがきっかけでした。

しかし最初にその手のYouTubeを見始めた時には、フェイクニュースや陰謀論の情報を警戒していました。

まず大手マスコミの情報を収集して、それからYouTube見るようにしていました。

(フェイクニュースに踊らされたくなかったからです)

確かに、YouTubeの中には「伝聞(噂)をノーチェックで、煽るように流す情報」もあります。(未確認情報を事実として語る人もいます)

しかし、事実(ファクト)を調べ、可能な限り間違いがないように、情報を流している人たちも、多くおられたことも事実でした。

その何人かは、非常に優れた分析力で、私が知らないことを分かりやすく解説をしていました。

その中には、専門家や特派員記者のような方もたくさんおられました。(顔を出し、身分を明らかにし、責任を持って発信している方々でした)

大手マスコミの「顔が見えない方々」からは伝わらない、「気概とプライド」がそこにありました。

 

そのうち、私の考えが変わってきました。

今まで、「陰謀論」と聞いていた情報の中に、本当のことがいくつか語られているのではないか・・・と。

 

人を攻撃したい時は三つの方法がある、と言います。

その1、とにかく反対を言う(揚げ足取りをする)

その2、正論で批判する(だれも反論できない方法です)

その3、レッテル貼りをする。

 

「陰謀論」という言葉は、レッテル貼りです。その中に正しい情報があっても、「陰謀論」ということによって、全否定できます。

 

「証拠がないとか、裁判で却下されたとか、アメリカのことを日本人が言っても仕方がないとか」・・・そのような主張を聞きます。

 

「明らかな証拠があり」(調べるならば、分かる筈なのに)

「裁判で却下されたにも理由があるのに」(裁判をして負けたのではなく、政治的な判断で裁判自体を裁判所が望まなかっただけなのに)

「アメリカの話だから日本人の議論には意味ががないとか」(現実に、日本に同じような問題が起きる可能性も十分あるのに)

 

単純に、「事実」を積み重ねていけば、必ず出てくるだろう「結論」に対し、

その「結論」を「簡単に拒否できる心」を、私は今でも理解ができないでいます。

 

どうしてこんなに頭の良い方が、「事実」を否定するのだろうか。

正直、疑問を感じています。

 

「世の中」は不正が満ちているようです。(考えれば当たり前ですが)

そして、自分の利益のために「悪を利用する人」が多くいることも、「事実」です。

(人間の性(さが)として仕方がありませんが、、、)

 

現在私は、興味のある情報を、時間のある限り、YouTubeや有料ニュースを通じて収集しています。

そして吟味をしています。

YouTubeの中には、粗悪な情報や、嘘も当然あります。

時間が経てば、「デマだった」と分かる情報もあります。

けれども、それらを見ていく中で、自分の中の「審美眼」が身につくのです。

「これは正しい」「これは注意したほうが良い」

そのような「判断基準」が、身について行くのです。

 

今まで私自身が、「マスコミ脳」に捕らわれていました。

そして「陰謀論」という言葉を聞くと、「近寄りたくない」と思っていました。

これは、自分は批判されたくないという「自己防衛」でした。

(いつも多数派に立って、自分を批判されたくないという動機でした)

 

しかしアメリカ大統領選挙をきっかけにして、新しい「正確な情報」を集める中で、

「マスコミ脳」から脱出し、もっと柔軟な判断ができ始めていることを、今体験しています。(目を覚ますことができたという感じです)

 

今の時代は、素晴らしい時代です。

無料で、その気になれば、ネットを通じてあらゆる情報が集められます。

こんな時代に生きることが許されたことを感謝しています。

 

だからこそ「自分の頭」で考えたいのです。

正確な情報を集めたいのです。

 

「テレビで言われたから」、「新聞に書いてあるから」

それだけで、「すべて正しい」と思う考え方は「マスコミ脳」です。

 

私たちは「マスコミ脳」から解放されなければなりません。

そのためにも、「正しい情報」(専門家の意見、当事者の意見等の、一次情報)を収集することが不可欠なのです。

 

私たちは「触れる情報」に、確実に「影響を受け」ます。

ですから「マスコミ脳」を越えるためには、「大手マスコミ以外」の健全な情報を絶えず得ていく必要があるのです。

 

今の時代を、楽しみましょう。

祝福を祈っています。

 

 

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以前「育休明け」で、相談した者です。ありがとうございました。

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以前、「育休明けで、自分のポジションがなくなり、職場で居心地が悪いです」でアドバイスを頂いた者です。先日は、ありがとうございました。

お励ましを頂いて、前向きに、同じ部署でコツコツと仕事をする中で、状況が劇的に好転していきました。

以前ご相談をした、育休前の私の仕事は、現在も同僚が引き続き続けています。(以前の私と同じ様に残業もかなりしています。)

現在の私の仕事は、新設の仕事で、コロナ対策の責任者です。

パーテーションを各所に取り付けたり、三密にならないように掲示や案内をするのが、現在の主な仕事となっています。有り難いことに、1日の予定が組める仕事なので、17:00には、確実に退社することができています。(そのため、子供の保育園のお迎えに行くことができます。)

子供の事情があるため、理解をして頂いていますが、一部の社員からは羨ましいがられています。

精神的にきつかった時、良いアドバイスをして頂いて、ありがとうございました。

今後、何か注意することがあれば、アドバイスをお願いします。

 

ご報告をありがとうございました。

ご質問のことは、よく覚えています。

乗り越えることができて、本当に良かったですね。

 

前回は、私から3つのことを提案させて頂きました。

①「感謝の気持ち」で周りを見ること。
②「すべきこと」を、コツコツとすること。(目標の再設定)
③「幸せの感情」を味わうこと。

質問者さんが、感謝の眼鏡で周りを見ながら、地道にすべきことをしていかれたので、良い導きを受け取ることができたのだと思います。

(周りの方も、質問者さん姿勢を見て、評価して下さったのでしょう)

 

旧約聖書の中に、以下の言葉があります。

Ⅱ歴代誌 16:9 【主】はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。

 

この言葉は、「天は自ら助くる者を助く」とも近い言葉です。

神様と同じ心になっている人に、神様は目を留め、助けの手を伸ばして下さるものです。(完璧ではなくても、近づこうとする人には、助けて下さるはずです)

 

ですから、質問者さんの姿勢が、「良い姿勢」であり、「努力」した姿を、神様も近くの人たちも評価して下さったのでしょう。

 

 

そんな質問者さんに、今回は一つのことだけお伝えいたします。

苦労して頑張って、結果を受け取ることができた人が、

「陥るワナ」があります。

 

それは「高慢」という誘惑です。

そしてこの高慢は、実は気がつきにくいのです。

 

頑張ると、私たちは「頑張ったから、〇〇ができた」と考えます。

(誰もが自然にです)

そしてその「頑張った基準」で、「自分より上」「自分より下」と比べるのです。

そして「自分より下」の人を、努力が足りないからできていないのだ、と無意識に裁いてしまうのです。

 

これが「高慢」です。

 

実際は、環境が与えられ、恵まれた仲間が備えられ、健康が与えられ、それができる能力が与えられていたからこそ、できたことです。

自分の努力は、それが大変なものであったとしても「全体の10%」にも満たないのではないでしょうか。

それをまるで「100%」のように誇り、そのように考えてしまうことが「高慢」なのです。(評価のバランスが悪いのです)

これは誰かに言ってもらわなくては(指摘されなくては)

意外と「気がつかない」のです。

 

人は自分の「高慢」に気がつくためには、誰かに「あなたのこの部分は、高慢です」と言って頂く必要があります。

イエス様も、当時のユダヤ人の宗教家に、痛烈な言葉をのべました。
ルカ(新約聖書)
11:43 わざわいだ。パリサイ人。おまえたちは会堂の上席や、市場であいさつされることが好きです。
11:44 わざわいだ。おまえたちは人目につかぬ墓のようで、その上を歩く人々も気がつかない。

 

それ言葉を聞いた宗教家たちは、はらわたが煮えくり返るような激しい反発をしました。しかし後に「心ある人たち」は、「イエスの弟子」となっていったのです。

 

質問者さんの心の中に、喜びと共に「自慢したい心」はありませんか。

「自分が頑張ったから、このことができた」と考える心があったならば、

「高慢」と受け止めましょう。

 

そしてその感情を覚えておきましょう。

そして、バランスを取って考えるのです。

「〇〇のお陰で、このことができた。本当に〇〇には感謝している」

 

そのような『謙遜な気持ち』でいるだけで、

確実にあなたを応援してくれる人が「増える」はずです。

 

質問者さんのことを「うらやむ人がいる」と書かれていました。

質問者さんが『謙遜な心』でいたならば、その人たちの心を波立たせることが無くなるでしょう。

 

今回は、一つことだけを書かせて頂きました。

「高慢」には、気をつけましょう。

 

そのことに気をつけて、引き続き、以前アドバイスをさせて頂いたことを、

続けてみてください。

①「感謝の気持ち」で周りを見ること。
②「すべきこと」を、コツコツとすること。(目標の再設定)
③「幸せの感情」を味わうこと。

 

質問者さんが、幸せと充実感を感じながら、周りの人と関わる時に、

その「輪(つながり)」が増々広がり、神様が計画している「良いこと」が進められていくことを信じています。

 

Ⅱ歴代誌 16:9 【主】はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。

 

祝福をお祈りしています。

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jesuslovesmeus.hatenablog.com

 

【コラム】一人でも多く、正しいことをする人を増やすために。

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しばらくコラムが続いていますが、今回もコラムとなります。

アメリカの選挙結果の一連の状況を見て、考えさせられていることがあります。

それは、「正しいことをしようとしている人が、萎縮させられているのではないか」ということです。

事実に基づいた冷静な、論理的な主張(意見)が、簡単に歪められ、攻撃されている現実があります。

それを思う時に、暗澹たる気持ちとなります。

 

どうしてこうなってしまったのだろうか、と多くの人が考えています。

あるブロガーの意見が胸に響きました。

それは、「正しいことをしようとしている人たちの『準備不足』」という指摘です。

 

中川健一先生の「牧師の書斎から」でも指摘されていましたが、

「悪は、常識的な人が考えないところまで、徹底的な酷い計画をする」のです。(実際そうです)

常識的な人が、「これ以上はしない」という「悪事」を考え、それを「良心の痛みなく」実行できてしまうのが、「悪」なのです。

ですから「常識的な人」は、どうしても後手に回ってしまいます。(発想外だからです)

 

ですから、「悪に勝利したい」と考える人は、「悪を研究し、対策を立てる」必要があります。

それは、「自分の理解でない敵の計画」に、対抗するためです。

しかし、ここには一つの警告があります。

 

それは、ニーチェの言葉です。(私は彼の思想とは立場が違いますが、この言葉は至言です)

「怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。
深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。」

 

ニーチェが指摘するまでもなく、悪には力があります。

ですから、悪を覗く時、自分が落ちないように、しっかりと「足場を確保」する必要があります。

陸地(足場)から、海(悪)を見なければなりません。

一瞬、海(悪)に入ることがあっても、必ず陸地に戻れるようにしておかないと、その人が「悪そのもの」になってしまうことが、あり得るのです。

 

安全な対策として、私がお勧めするのは、「陸地、善である存在」を見続ける「思想(信仰)」を持つことです。

その思想が、生活に根付いているならば、陸地(善)から「離れること」がありません。(もし離れたとしても、すぐに戻ることができます)

 

そして、もしあなたがキリスト教信仰を持ち、「イエス様」というお方を信じることができるならば、その「悪に勝利されたイエス様」が、「あなたの難しい時」に助けて下さるはずです。

(人は、不覚にも溺れることがありますから)

 

本題に戻ります。

悪に立ち向かうために、「悪を研究すること」は有益です。しかしそれでは、後手に回ってしまいます。

もっと積極的な方法はあるでしょうか。

私が考える一つの答えは、「善のチームを増やすこと」です。

 

バスケットのイメージです。

「悪(敵)チーム」は、集団で、反則を連発して攻撃してきます。

「善チーム」は、ラフプレーを受け、血を流すこともあるでしょう。

しかし「善チーム」の「仲間」が増え、「技術の高い競技者」が集まるならば、

その「仲間」にボールをパスすれば、ゴールを決める可能性が高くなります。

(「仲間」のアシストで、あなたがゴールを決めることもあるでしょう)

 

その「仲間」は、敵の攻撃(誘惑)を受けても「寝返らない人物」です。

どれだけ攻撃を受けても、善の勝利を信じて、他の仲間を信じ、戦い続ける人物です。

もし自分がミスをしたら、素直に謝り、前を向き続ける人物です。

他の仲間のミスも、フォローできる優しい人物です。

 

その「仲間」は、試合場に入ったら、「競技者」でなければなりません。傍観者ではいけません。

 

「戦い」は、団体戦です。一人では勝てないのです。

また「持久戦」でもあります。ですからスタミナが大切です。

そして長期戦でも、めげないメンタルの強さが必要です。

 

仮に一度負けたとしても、「善チーム」は、次の試合の対策を立てる必要があります。

コツコツと善を行い、仲間を増やし、情報を集め、スキルを磨くことです。

勝つまで戦うのです。

そうすれば、最後には「善チーム」が勝つのです。

(勝つまで戦い続けますから、、、当然です)

 

最後にまとめます。

私たちは、「悪が溢れる時代」に、何をしたら良いでしょうか。

それは、可能な限り、「自分」は、「善と正義、愛」に立ち続けることです。

そして失敗したら、素直に修正し、次の試合に向けて備えることです。

 

そして、一番重要なことは、

各自が自分のできるツールで発信し、善を喜ぶ「仲間を増やすこと」です。

 

「悪」もお金やプライドや誘惑によって、仲間を増やしています。

ですから、私たちは「健全な情報」を発信して、

「一人でも多く、正しいことをする人」(保守的な良識人)を増やしていくことです。

(私のブログもそのために用いられたら幸いです)

おとなしいだけの良識人ではなく、正義のために行動できる人が、これから必要とされています。

(傍観者ではなく、競技者です。)

これが、今できる現実的な対応だと思います。

今は、「これからの時代」の準備の時なのです。

 

アメリカで起きていることは、私たちが住む、ここ日本でも起こり得るのです。

健在な情報を共有しましょう。

(情報が判断の材料になります。)

分かち合う仲間を増やしましょう。

 

悪が策略を働いた時、Noと言える考え方を、仲間と共に、更に身につけましょう。

 

これからの時代、人に流されるだけは、危険です。

情報を積極的に集め、「善と正義」とは何かと、

「自分の頭で考える人たち」が活躍する時代となるのです。

 

祝福をお祈りしています。

 

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【コラム】一時的に負けても、最後に勝てばよい。

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今回は、勝利することについて考えていきたいと思います。

 

冒頭の絵画は、「デラウェア川を渡るワシントン」、1776年12月26日のアメリカ独立戦争の「トレントンの戦い」、アメリカ大陸軍とイギリス軍の戦いの劇的な勝利を題材にした、エマニュエル・ロイツェの絵画です。

それまで、何度も負けていたワシントン率いるアメリカ大陸軍は、この戦いの勝利によって、勢いを盛り返し、後に独立戦争を勝利することができました。

 

ここで事実として見ていかなければならないことは、ワシントンは戦いに何度も負けていたということです。

しかし最後には、アメリカの独立を勝ち取りました。

 

今回も三つのことを考えていきます。

①一度負けても、それで終わりではないと言うこと。

②聖書の言葉を知っている者の強み。

③正義と愛で、変わらずに前進し続けること。

 

①一度負けても、それで終わりではないと言うこと。

最近しみじみ思うことは、上手くいかなくなった時こそ、その「人間性」が明らかになるのだ、ということです。

その人が、「成し遂げたい」という「動機」が、「自己中心的なもの」か、「人から受け入れられるもの」(公けのものなのか)が明らかになります。

 

もし、上手くいかなくて「自暴自棄」になってしまうならば、それを成し遂げる動機は「自己実現の為」即ち「自分のプライド」や「自分の正しさを証明したい気持ち」になっている可能性が高いのです。

人は、認めてもらいたいという「承認欲求」があります。これは人間の自然な欲求です。しかしルールを破っても「自己実現したい」という衝動があるとするならば、その動機は「正義ではありません」。

 

また上手くいかなくなった時に、「簡単にあきらめてしまう」ならば、自分を守りたいという「自己保身の衝動」から、がんばっていたという可能性があります。

自分だけのためならば、簡単にやめることができます。

そしてやめれば、「それ以上傷つかない」かもしれません。

 

しかし本当にそれで良いのでしょうか。

人生には、「あきらめてはいけないこと」があるはずです。

 

あなたが、「心から成し遂げたい」と思っていることがあるならば、

一度や二度失敗したからと言って、「あきらめて」はいけません。

数度、失敗したって良いのです。

局地戦で負けても、最終戦で勝てばよいのです。

柔道でいえば、「一本勝ち」でなくても、「判定」でも、勝てば勝利なのです。

 

②聖書の言葉を知っている者の強み。

「人間の動機」は、意外と汚いものです。

「自分の衝動を達成したい」と思う動機は、聖められていく必要があります。

 

「自分の顔」を見るためには、「鏡」が必要です。

同じように、「自分の心」を知るためには、「自分を照らし出す言葉」が有効です。

 

小説を読んだりドラマを見たりしていて、「自分にもこういうところがある」と思ったことはありませんか。

「本当の自分」に気がつくきっかけになるものは、大切にすべきです。

 

「聖書の言葉」は、鏡として最強です。

あなたの心を映し出してくれます。


Ⅱコリント(新約聖書)

3:18 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。

 

あなたは、「本当の自分」を知りたいですか。

しかし本当の自分を知るためには、その準備として「ダメな自分でも大丈夫」という絶対的な支えが必要です。

そうでなければ、「自分を守るため」に、出てきたものを「否認」してしまいます。

否認すれば、「本当の自分」を知ることはできません。

 

私はこれが、神を信じる重要な意味の一つ、と感じるのです。
Ⅰヨハネの手紙(新約聖書)
3:20 たとい自分の心が責めてもです。なぜなら、神は私たちの心よりも大きく、そして何もかもご存じだからです。

 

たとえ「自分で自分を受けとめられなく」ても、それでも「しっかりと自分を受け止めてくれる存在がいること」を知るだけでも、自分を受け入れる支えとなるのです。

 

ここに書かれている言葉を、「思い巡らして」下さい。そして「あなたの心」で受け止めて下さい。

この小文が、あなたの何かのヒントになれば幸いです。

 

もう一つ、聖書の言葉を信じる重要な意味があります。(たくさんありますが、ここではもう一つだけ書きます)

それは、聖書は「預言の書」でもあり、これからの歴史が書かれているのです。

聖書を知り、今後の歴史がどのように進むかを知っていると、未来を受けとめる「覚悟」ができます。

現実を受けとめる「強さ」が得られるのです。

「何度失敗」しても、最終的には「このようになる」ということを信じることで、「あきらめない力」が与えられるのです。

 

聖書の中には「終わりの時代」のことが書かれています。

そこにはあまり明るいことは書かれていません。

「終わりの時代」には、多くの混乱と争いが起きるようです。


マタイによる福音書(新約聖書)(イエス様の言葉です)
24:6 また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。
24:7 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。
24:8 しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。
24:9 そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。
24:10 また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。
24:11 また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。
24:12 不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。
24:13 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。
24:14 この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。

 

これからの時代、今よりも「もっと暗い時代」がやってくるようです。

しかし希望を失っていけないのです。

聖書には、「これらの苦しみの後のこと」が書かれています。

(今回はその説明は割愛します)

その希望を知っている者は、目の前の苦しみに負けないのです。

 

「苦しみや困難は当たり前」です。

ですからその上で「希望を持って戦う覚悟」が必要です。

 

その「覚悟」を持った者が「正義と愛を明らかに」できるのです。

それは同時に「悪を明らか」にすることでもあります。

 

「終わりの時代」は、「正義と悪」との戦いの時代です。

そのため、「正義の側」に立つのか、「悪の側」に立つのかが明らかになります。

(あいまいが、段々と許されなくなります)

 

③正義と愛で、変わらずに前進し続けること。

これからの時代、悪がはびこり、信じられないことが起こります。(残念ながらそのような現実が、今すでに多く起きています)

ですから、「正義」と「悪」を見分けなければなりません。

 

そのためには、「見分ける基準」が必要です。

それを持っていないと、「悪」に「取り込まれ」「巻き込まれ」てしまいます。

 

ぜひ、「正義」と「悪」とを見分ける「ものさし(基準)」を学んでください。

これからの時代を生きる上での、必要な知恵となるはずです。

 

その「ものさし」は、「人だけでなく」「自分自身」も照らします。

ですから、そのことに「耐えられる」メンタリティを身につけて下さい。

 

人類は、歴史の最初から「悪からの攻撃」を受けてきました。

しかしキリストが悪に打ち勝ったことにより、

「悪の終わりは滅び」であることが明らかになりました。

(黙示録にそのことが書かれています)

ですから「悪がはびこって」も大丈夫です。それは「一時的」なのです。

 

それゆえ、一次的に負けたとしても、最後には勝つために、私たちはあきらめず、戦い続ける必要があります。

局地戦で負けても、最終戦で勝てば良いのです。

 

今回のコラムのまとめです。

①一時的に負けても、それで終わりではありません。

一時的に悪がはびこっても、失望しないようにしましょう。

同じ志を持つ仲間と互いに励まし合いましょう。

 

 

②聖書の言葉を知っていると励まされます。
Ⅱコリント(新約聖書)

12:10 ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。

 

私たちは弱い時があります。しかしそれで終わりではありません。

実は「弱い時」こそ励まされて、さらに「大きなことをする力」が与えられるのです。

 

③「正義と愛」で、あきらめることなく、前進し続けましょう。

一度や二度の失敗で、めげてはいけません。

私たちが見ている世界の「偉大なリーダー」たちは、今も「正義と愛」で戦っているのです。

ですから、その模範に見習って、私たちも前進続けるのです。

 

Ⅰテサロニケ(新約聖書)

5:11 ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。

 

すべての「正義と愛」を大切にする人々に、

素晴らしい、主の助けと励ましがありますように、

祝福をお祈りしています。

 

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【コラム】「知っていること」と「自分のものにしていること」の違い

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いつもブログを読んで下さりありがとうございます。

今回のブログは、「人の知識」と「心(感情)」について考えていきます。

しばらくお付き合い下さい。

 

最近しみじみ思うことは、「知っている信仰(知識)」と「自分のものにしていること(感情)」は違うと言うことです。

いくら熱心な人だとしても、「本音」つまり「自分のものにしている感情」は、意外に「気がつき難い」のです。

「知性化」と言って、「知っていること」で「分かった気持ち」になってしまうと、それ以上進まなくなります。

そして時々、「自分のできていないところ」に、気がついても、「見ないようにする(否認)」が起きるのです。

これは、無意識で起こります。ですから指摘されると「そんなことはない」と言われるのです。

 

知識で、「知っている」と、「人に教えること」ができます。

そして、「役割として」振る舞うことができます。

(ここが落とし穴です)

振る舞えると、「自分ができている気持ち」になってしまうのです。

援助者が、クライエント(相談者)に依存してしまう心理が、ここにあります。

また舞台俳優が、「役に依存してしまう」心理も、ここにあるのです。

プライベートではできなくても、仕事で「役割としてはできる」ことも、同じ心理です。

 

本当は「できていない(本音)」のに、与えられた立場の中で「振る舞うこと」により、安心しようとします。

しかし、必ずどこかで、限界が来ます。演技ができず、ボロが出る時がやってきます。

その時が、「本当の自分」に気がつくタイミングなのです。

 

今回も、3つのポイントで考えます。

①形(知識や型)から入ることも、有益であること。

②人間は、努力すると高慢になり、それを「はっきりと指摘され」て、初めて気がつくこと。

③方向転換は、「いつでもできる」こと。

 

①形(知識や型)から入ることも、有益であること。

私は、小学生の頃に剣道を習っていました。

最初のうちは、素振りや足さばきの基本ばかりを練習させられました。

「習うより慣れろ」で、基礎を徹底的に身体で覚えさせられたのです。

 

聖書の「父なる神様」も、旧約聖書では、たくさんの命令をしています。

「豚を食べてはいけない’(レビ記)」という命令もその一つです。

しかし、当時の衛生状態を考えると、理にかなっているのです。

ご存知の方も多いと思いますが、豚肉にはサルモネラ属菌や寄生虫等が繁殖しやすく、生で食べると食中毒になることがあります。

当時の人々には、「菌が繁殖するから、よく中まで火を通すように」と言っても、理解できなかったでしょう。そこで「食べるな」となったのです。

イエス様は、後に「すべての食物は食べても良い」と禁止を解除されました。ですからキリスト教では、豚も食べることができます。(ほっ)

 

ですから、初心者で良く分からない時には、すべて理解できなくても、

「基本は受け入れる」という態度と応答は大切です。

その応答で、失敗が減り、自分を守ることになるのです。

(初心者を卒業したら、次のステップに入ることになります)

 

②人間は、努力すると高慢になり、それを「はっきりと指摘され」て、初めて気がつくこと。

「型」から入った場合、最初は「理屈抜き」で受け取ります。

しかし次のステップは、「精神性」を学ぶことです。

「型」は学んでも、そこには精神性が加わって、初めて型が「生きる」(活用できる)のです。

 

武道は、「型」を大事にしますが、同時にとても「精神性」を大切にします。

「礼にに始まり礼に終わる」

「己れに克つ」

 毎回「型」を反復しつつ、絶えず「精神性」を高めていくのです。

知っていても、一生修行(学び続ける)のです。

 

明治のクリスチャン内村艦三が、「キリスト教信仰」を「武士道」で説明したことも頷けます。ちなみに私の周りの特に男性のクリスチャンの中に「剣道経験者」が多いのは、不思議です。

 

本題に戻ります。

イエス様が地上で活躍された時代、「パリサイ人」という人たちがいました。

彼らは律法を厳格に学び、行いを重視していました。

その結果どうなったかというと、「自分ができていない律法」の基準で、できていない人を裁くようになったのです。

彼らは、律法を知っていました。そして(恐ろしいことに)自分たちは「できているつもり」になって、人を平気で見下し、差別したのです。

 

イエス様は、「偽善なるパリサイ人、律法学者」と何度も彼らを批判叱責しています。

どうしてこんな激しい言葉を使うのかと思うほどです。

しかしその中の、心ある人たちは、後にイエス様の弟子となっていきました。

 

「自分の中の高慢」は、指摘されないと気がつかないのです。

努力して極めようとすると、「自分のしたこと」を基準に考えるようになります。

そして「自分の基準」で、この人は上、この人は下と考えるのです。

そして「ここまで」は「しないといけない」と押し付けてしまうのです。

 

本来それは、「恵みによってできたこと」 です。

健康、学べた環境、それができた能力、神様の助け等々、それらの条件があって初めてできたことです。

しかし、自分の努力だけを注目し、「自分の誇り」にするのです。

これは、正確な見方ではありません。自分の努力だけに「偏って」います。

すなわち「高慢」です。

 

「神様を一番上」にしていません。「自分が一番上」に来ています。

しかし「自分では、当たり前」と思っているため、人から「それは高慢ですよね」と言ってもらわないと気がつかないのです。

 

 

ダビデの詩篇です。

『神よ。私を探り、私の心を知ってください。
私を調べ、私の思い煩いを知ってください。
私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、
私をとこしえの道に導いてください。』
詩篇139:23~24

 

高慢は、「指摘される」と気がつき易いのです。

そして、それによって「心が癒され」、「愛が流れる」ようになるのです。

 

③方向転換は、「いつでもできる」こと。

 では、いつ方向転換をするのでしょうか。

人をつくり変えるのは、「神様の力」によってです。

そしてつくり変えられる時、何かの兆しがあります。

(神様が働かれる兆しです)

それを受けとめるか、無視するかで、「変えられる」か「変わらない」かが決まるのです。

 

伝道者の書3章(旧約聖書)

天が下のすべて事には季節があり、すべてのわざには時がある。
生まるるに時があり、死ぬるに時があり、
植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
殺すに時があり、いやすに時があり、
こわすに時があり、建てるに時があり、
泣くに時があり、笑うに時があり、
悲しむに時があり、踊るに時があり、
石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、
抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
捜すに時があり、失うに時があり、
保つに時があり、捨てるに時があり、
裂くに時があり、縫うに時があり、
黙るに時があり、語るに時があり、
愛するに時があり、憎むに時があり、
戦うに時があり、和らぐに時がある。
働く者はその労することにより、なんの益を得るか。
わたしは神が人の子らに与えて、ほねおらせられる仕事を見た。神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを始めから終わりまで見きわめることはできない。

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聖書の中に出てくる、信仰の父「アブラハム」は、75歳で神様の仕事を始めました。

「神様からの大きなチャレンジ」に応答したのです。

 

その結果、様々な困難は通りましたが、彼はつくり変えられ、素晴らしい働きをする人物となったのです。

 

今の時代は、本当に激動の時代です。

今これを書いている2021年1月18日現在、世界では今まで聞いたことが無いことが起きようとしています。

 

「天の父なる神様」は、国や組織、個人の考えや欲望を越えて、圧倒的な力で君臨されているお方です。

私たちが、知性ではなく、「本音」でこのお方を見上げ、交わっていくならば、

この激動の世界において、「使命を果たす人」となるのです。

 

その人は、作り変えられた人です。

正義を愛し、悪を憎み、心から人々の幸せを願う「愛の人」です。

「建前」で美しい言葉を吐き、陰で汚いことをする人ではなく、

迫害の中でも、愛と忍耐を持って、善を行い続ける「勇者」なのです。

 

そんな「勇者」の一員に、あなたも招かれているかもしれません。

アンテナを張りましょう。

今の時代を見つめましょう。

あなたが。もし招かれているならば、不思議な導きによって、

真理と善を知り、「何かの働き」をするようになっていくでしょうから。

 

ここまで読んで下さり、ありがとうございました。

きっと選ばれてるだろう「あなたの上」に

豊かな祝福がありますように、

 

お祈りをしています。

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