人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から

世界のベストセラー聖書の価値観から、生きるを考えます!(モノの見方が変わると、とても楽になります)

職場のリーダーが「いい加減」で困っています。どう対応したら良いでしょうか。

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21歳の学生です。バイト先の年配のリーダーが、「いい加減」で困っています。良い人なのですが、ルーズで、人が見ていないとマニュアル通りの決められたことをしません。失敗するといつも嘘を言ってごまかしています。そのリーダーの下のバイトは、リーダーのことを信用していません。年配のバイトだからリーダーになったようですが、皆、文句と不満だらけです。どう対応したら良いのでしょうか。

 

バイトのリーダーが、いい加減な方なのですね。

リーダーの雰囲気が、隊全体に影響しますから、いろいろな面で支障をきたしているのではないかと思います。

 

しかしながら、学生時代のバイトは、良い人生勉強になります。

今回、3つほどの観点で考えてみたいと思います。

 

①人生は「不条理なことが日常である」と言う現実を受け入れる。

②組織の中で「模範的な部下」になる。

③最悪、どうしようもない場合、責任者に相談して、組織の正常化をはかる。(または身を引く)

 

①人生は「不条理なことが日常である」と言う現実を受け入れる。

曽野綾子さんの「この世の偽善」という対談本の中に、

「人生は、完全に善でもなければ、悪でもない。本来この矛盾に苦悩し解決を考えるのが大人の魂であり勇気だと思う。自分の都合だけ、物事の一面だけしか見ない『子ども大人』が今の日本には多すぎる。」という一文がありました。

 

人生は「不条理なことが日常」です。

普通、人は理想は掲げつつも、自分のことしか考えていませんし、

(追い詰められた時にはっきり分かります。)

きれいごとしか言いませんし、悪い面倒くさいことは見ないようにします。

自分は正しい良い人間、だとアピールをし、

そのために「人をこき下ろす」ことだってあるのです。

(人はどこかで、自分の方が上だ、正しいのだと思いたいのです。)

 

こんな人間界で生きているのですから、

問題が起こること、理屈に合わない不条理が起きることは、「当たり前」です。

むしろ、それが無い方が不思議です。

周りを「ユートピアと思いたい」ことは「幻想」なのです。

 

ですから、質問者さんの今の状況は、「とても良い状況」です。

現実に対応する「スキル」を磨く良いチャンスです。

「そんな気持ち」で対応していかれたら宜しいかと思います。

(これが、現実の世界を生きるということでしょうから。)

 

その上で②組織の中で「模範的な部下」になる。

を考えます。

 

会社は組織です。バイトであったとしても組織の一員です。

その組織に属し、契約の仕事をして、その対価として時給を頂く、、、これがバイト言う立場です。

 

給与は「組織に属しているから」頂くことができます。

ですから、組織に不満があっても「組織を壊してはいけません」

その組織の中で「あなたの仕事」をして時給を頂くからです。

面倒くさいリーダーの元にいることも「時給のうち」です。

ですから、割り切って「部下」に徹するのです。(時給分だけは仕事をするのです。)

 

実は、「リーダー」と言う立場に立っているだけ、プレッシャーを受けます。

いくらいい加減の人でも、普通の立場以上のプレッシャーを感じているはずです。

 

そのプレッシャーを受けている分だけでも、

「お疲れ様」と言う気持ちで対応する意味はあるのです。

 

しかしリーダーに盲目的に従う訳ではありません。

あくまで契約として組織に属しているだけですから、

加わるも離れるも自由です。(特にバイトの立場であれば、離れることは正社員よりも自由です。)

もちろん、意見を言うこともできます。(契約で組織に加わっているだけですから、奴隷ではないのです。)

しかし、配慮すべきことは、リーダーに「恥をかかせない」ことです。(この点が重要です。)

同じ言葉を言うのでも、動機が「批判や攻撃で言う」のと「チームの秩序の中で進言する」のは、言い方もその効果も全く変わってきます。

 

まずは心を落ち着けて、冷静に「現状の問題点」を分析することをお勧めします。

自分の立場では「見えていない」ことがあるので、良い先輩(一方的に批判をする人では無い人)と相談してみることも有益です。

相談する時も、自分が知っている「事実」を使って話すのです。噂や未確認情報で話さないようにしましょう。

 

その上で、バイトのリーダーと話す機会があれば、自分がフォローする気持ちで関わりましょう。

決して「批判のための批判」にならないことです。(動機が大切です。)

 

そのような姿勢や態度で関わるならば、リーダーは、質問者さんを「自分を助けてくれる人」と考えるようになります。良い人間関係ができれば、質問者さんの意見は聞いてもらい易くなります。

人は「自分が好きな人」の意見を聞き、「嫌いな人」の意見は聞きにくいからです。

(怖い人の意見も聞きます。問題点を見られることは怖いことです。ただし無謀に走って潰されないように気をつけて下さい。)

 

基本姿勢は、

「自分の範囲内は、平和を保つ」のです。

ロマ(新約聖書)12:17‐18
だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。
あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。

 

しかし、もし質問者さんが「それでは時給に見合わない」と考えるなら、身を引く(部署を変わる、バイトを辞める)ことも選択肢です。

あくまで、責任が正社員のように重くはない、バイトですから、

それぐらいの気持ちが丁度良いのです。

 

しかし、もしバイトでも正社員のように働いている場合、

③責任者に相談して、組織の正常化をはかる。

ことも、考えることもできます。

 

基本姿勢は、今まで書いてきたことの延長ですが、

(噂ではなく、確認できている事実を用いて)

あくまで「組織をサポートする姿勢」で、「平和を作る気持ち」で相談することをお勧めします。

 

このことの最大メリットは、「質問者さんの居場所を確保すること」です。

「直属のリーダー」との関係が悪いと、自分の居場所が危うくなります。

しかし、もしその上の責任者に「自分の気持ちを話す(受け入れて貰う)」ならば、

自分の居場所を保つことができます。

そうすれば、落ち着いた気持ちで、「直属のリーダー」と関わることができるのです。

(試してみて下さい。)

 

聖書は、組織を破壊する暴力革命は否定します。

秩序と愛の行為を勧めています。

 

リーダーが問題を持っていても、

質問者さんが、秩序と愛を動機として行動しているならば、

良い方向に向かう可能性が高いのです。

(良いタネを蒔けば、良い収穫が得られると、私は信じる者です。)

(しかし、もし仮に良い方向に向かわなくても、質問者さんは、「人生の良い学び」をすることはできるはずです。)

 

原則的なことを書かせて頂きました。

現実は、理想通りは行かないこともあるでしょうが、

参考にしてみて下さい。

祝福をお祈りしています。

 

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罪責感をかき立てて、自分の思い通りに進めようという人がいます。どのように対応したら良いでしょうか。

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30代の男性です。私の同僚の男性に、いつも人を責め、罪責感をかき立て、自分の思い通りに物事を進めようとする人がいます。相手の落ち度を主張し、人を見下すような態度を取ります。いつも自分が正しいと言って、自分の意見を通そうとします。チームワークが大事だと思って仕事をしていましたので、以前は「私が謝ることで解決する」と考えて、一歩引いていましたが、最近これでは良くないのではないかと考えるようになりました。最近少し自分の意見を言い批判をすると、その同僚は感情的になり、彼が依頼する仕事以外の会話は「無視」をし始めました。どうしたら良いかのヒントを頂けると幸いです。

 

大変な同僚の方と一緒に仕事をしているのですね。

人を「無視する」ことは「攻撃の一種」ですから、その同僚の方は「質問者さんを攻撃」することで、何かの利益があると考えているのでしょう。

 

今まで、質問者さんは「ご自分が謝ることで解決する」と考えて対応していたと書かれていましたから、とてもやさしい方なのだと想像します。

 

普通の人間関係ならば、一方が譲れば、もう一方もバランスを取って譲ります。

しかし質問の文章を読む限り、同僚の方は、そういう方ではないようです。

(こういう方は、自分の「思い通りになりそうな人」をターゲットにしています。)

 

これから、いくつかのポイントを考えながら、質問者さんの気持ちを整理していければと考えています。しばらくご一緒に、お付き合い下さい。

 

 

まず質問者さんに確認します。

無視をされ続けても、まだしばらく耐えられるでしょうか?

 

「もうこの状況を解決したいので、自分の方から謝ろうと思っている」

もしそのように考えておられるとすれば、

私が以前「クレーマーへの対処方法」で書いた「部分的謝罪」をお読み下さい。

謝るにしても「全部を謝る」ことはタブーです。

「謝る範囲」をはっきり示し、「それ以外は謝らない」ことです。

 

同僚の方が「罪責感をかき立てるため」に質問者さんを批判しているとすれば、

一方的に謝ることは「同僚を喜ばせる」だけです。

同僚は「あなたが100%悪い」と思いたいのです。

あなたが「一部謝った」としても、鬼の首を取ったかのように「自分の正義」をますます主張する可能性が高いのです。

 

そういう方とのお付き合いの仕方は、

「境界線(バウンダリー)」を明確にすることです。

そしてあなたがすべきことまではしっかり行い、

同僚の方がするべきことには「手を出さない」ことなのです。

 

聖書の言葉です。
ロマ(新約聖書)12:17‐18
だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。
あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。

 

自分に関する限り、という点がポイントです。

あなたの領域の、境界線(バウンダリー)内は、平和を保つのです。(あなた自身は平和を作るのです)

 

理想ですが、この様な対応です・・・・

同僚に穏やかな心で、対応します。

意地悪な心ではなく、優しい気持ちで、必要なことはしていきます。

 

そして、

同僚の「意地悪」にも、冷静に対応します。

無視されても、関係なく、あなたの領域内は、穏やかに関わるのです。

 

同僚が感情的になっても、きつい態度で出られてても、

あなたは「自分に関する限り」、「すべての人と平和を保つ」態度で関わり続けるのです。

 

どうしてそんなことができるのでしょうか。

それは蒔いた種と刈り取りの法則を知っているからです。


ガラテヤ(新約聖書)6:7-8
思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。
自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。

 

 

だから悪い態度であおられても、あなたは「良い種を蒔く」のです。

言っている意味は分かって頂けますでしょうか?

(最後の部分で、悪い種を蒔き続けると起きる精神的な破綻について触れます。)

 

基本的な対応方法は、

①境界線(バウンダリー)を明確にする。

②あなたの領域内は、平和を保つ。

 

そのためには、同僚があなたを無視しても、大丈夫なように

他の方のサポートを頂く(作っておく)ことは保険になります。

 

同僚に依存してますと、

同僚との関係が悪くなると、「不安」になります。(仕事上でも支障をきたします)

その依存関係を「解消すること」です。

「同僚がどんな態度を取っても」、大丈夫と言える環境を作っておくのです。

 

それには時間がかかるかもしれません。

できるまでは、上手に穏便に対応することが得策です。

 

しかし「依存しなくいても良くなった時」には、

冷静に慎重に、あなたの主張を通すのです。

(平和に、愛をもって、良い種を蒔くという態度で関わるなら、ベストです)

 

同僚の心は、当人しか変えられません。

それは同僚の領域内(境界線内、バウンダリー内)だからです。

同僚が自分の問題点に気がつくことも、正直に反省することも、

すべて同僚の領域です。(あなたも含め、第三者が手を出す部分ではありません。)

 

ですから同僚が方向を転換できれば、素晴らしいですが、

できない場合は(ある意味)仕方がないのです。

 

最後に・・・人が人を「無視をする」場合、

「自分が正しい」と思っていないと継続することはできません。

その理由が、第三者が聞いても「正当性があるもの」なら良いのですが、

「独り善がりな理屈」の場合、「自分を正当化」しなければ、

批判を続けることはできません。

そのため質問者さんを批判し、罪責感をかき立てるのだと思われます。

 

「自分を正当化し、無視する」場合、

最終的に「無視をしている当人」が、(悪い種の刈り取りによって)

精神的な負担が大きくなり、精神的に破綻することも起こり得ます。

(心が歪み、人に接する「大切な部分」が壊れるのです。)

ですから、一方的に「無視をし続ける」人は、当人の精神的負担が大きいのです。

悪の種を蒔けば、悪の刈り取りをするのは、この世界の法則です。

それは、悪い種を蒔いている人が「受けなければならない」責務なのです。

 (私は、精神的バランスを欠いてしまった人を、数人知っています。)

 

ですから、頭の中で「上手に割り切る」ことが大切です。

 

①境界線(バウンダリー)を明確にします。

(人をコントロールする傾向の人は、押せばコントロールできそうな人を探しているのです。バウンダリーが歪んでいるのです。)

ですから、質問者さんは、自分の領域を明確にして、自分のすべきことに集中し、同僚のすべきことに手を付けないのです。(愛をもって穏やかに・・・)

 

②あなたの領域内は、平和を保つことです。

質問者さんが、「同僚の悪」にあおられて「悪い種」を蒔くことがないことを祈っています。

「自分に関しては、平和を保つ」言動が取れますように、

守りと祝福をお祈りしています。

 

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(HSP傾向の方向け)同僚に正義を「剣のように」振りかざす人がいます。

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今回は2回目です。

先回は、①「悪意なく」正義を振りかざす人について、どう対処したら良いかを考察しました。

また②悪意がないがイライラしている人の場合も触れました。

そこで十分触れられなかった点を、今回まとめて考えていきたいと思います。

 

感性の豊かな敏感な方が、一定数おられます。

HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)と呼ばれる人々です。

日本人では、約2割の方がその傾向があると言われています。

 

神様から、特別に「敏感な体質」に作られた方々です。

人によっては、電車や人混みの中で、感情等の影響を受けて、とても疲れてしまいます。

近くに否定的な感情(怒っていたり、絶望していたり)を持っている人がいると、

乾いたスポンジのように感情を吸収してしまいます。

他人の身体に触れると、その人の痛みの一部を感じる人もいます。

(極端に敏感な方の場合は、常人の感覚を越えた感性を持っているのです。)

 

そういう方々は、言葉の奥の「感情」を読み取るのが得意です。

(言葉と本音の違い、すなわち嘘を見破りやすいです。)

その方の近くに「イライラした人」がいると大変です。

そのイライラが伝わってきて、人によって下痢を起こしてしまう人もいるのです。

(神経性の下痢です。)

分からない方には、まったく分からない感覚です。

(、、、これが、良く分かると言う人は、HSP、、、神様から特別な感覚を与えられた人だと思われます。)

 

先回、②で、悪意がなく、イライラしている方の場合、

「理性的に考えたら良い」と書かせて頂きました。

「当人がイライラしている」場合、こちらには「落ち度がない」ので、

「そっとしておくしかない」。

つまり「剣のような言葉」を振り回しても、

距離を置いて、「それはそれ」として割り切って考えて、

「気にしない」という結論です。

 

ところが、「敏感な人」は、割り切れないのです。

感じてしまい、逃げられないのです。

距離を開けようとしても、「感じてしまう」(つまり逃げても逃げられない)のです。

 

そう言う方に、二つのことを提言したいと思います。

a「見えない壁」を作るテクニックを身につけること。

b「ロックオン」してしまった時の「解除方法」を身につけること。

 

「敏感な人」は、神様から「ある特別な」感性が作られています。

それは、何かの目的があり、使いこなすことができれば、素晴らしいものなのですが、

「感度が良い分」だけに、苦労が多いのです。(集音器のように、情報が集まりすぎるからです。)

 

普通の人(この言い方も変なのですが、便宜的に)が、

「無意識」で割り切ることを、

相当に「意識しないと」割り切れません。

 

文句を言っても仕方がないので、テクニックを身につけるしか、方法がないのです。

色々な言い方ができますが、

「壁を作る」「心の距離を開ける」「感性のボリュームを下げる」「無視する、断ち切る」

、、、どちらにせよ、本人が身につけるしかありません。

生まれつき「敏感な方」は、すでに今までに、いくつかの方法を身につけているとは思います。

 

もしご質問を頂ければ、聖書の記述から、

「その方法のいくつか」をお伝えすることはできます。

(ここでは、これ以上深めませんので、ご理解下さい。)

 

参加までに、

「神様が作って下さる見えない壁を受け取る」詩篇18篇

「信仰の大盾を使って、飛んでくる火矢を消す」エペソ6章

「断ち切る」詩篇118篇

 

b「ロックオン」してしまった時の「解除方法」を身につけること。

経験者は分かると思いますが、

「敏感な人」が「誰かの負の感情、情報」に繋がってしまった場合、

なかなか「そこから離れること」ができません。

ですから、自分に合った「解除方法」を持っておくことです。

 

「その場所を離れる、別のことをする」

「飲み物を飲む、何かを食べる」

「好きな音楽を聴く」

「好きな文章・言葉を読む、思い巡らす」

「人と話す(前向きな人、善のエネルギーに満ちた人と)」

 

近寄らない、壁で 防御することができる、ならば良いのですが、

できなかった場合、

「自分なりの解除方法」を身につけておくことです。

 

私が「負の感情に繋がった」場合、

「お祈り」が「最も効果がある」と感じています。

もの凄い「善の力」を持っておられる「イエス様」と、祈りを通じてお話しをする時、

負の力が「一瞬で断ち切られる」ことを体験します。

(このことも、ここでは深めませんので、ご興味がある方はご質問下さい。)

 

一つだけですが、イエス様の言葉です。

マタイ(新約聖書)11:28〜30

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」

 

どちらにしても、知識ではなく、自分自身で体験的に身につけていくしか、

対処方法はありません。

「ご自分の特徴」を把握することです。(どんな分野が敏感なのか、視覚なのか聴覚なのか、、、)

また「ご自分の弱さ」も、正直に受け止め、必要ならば、「助けを求める」ことです。

そうすれば、ご自分に与えられた「特性」を、

「宝物として」扱うことができるようになります。

 

a「見えない壁」を作るテクニックを身につけること。

b「ロックオン」してしまった時の「解除方法」を身につけること。

 

ご参考にしてみて下さい。

祝福をお祈りしています。

 

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(心の受け取り方)同僚に「正義」を剣のように振りかざす人がいます。どう対応したら良いでしょうか?

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一緒に働く同僚のことで悩んでいます。その同僚は、語気が強く私はとても苦手です。色々な問題点をズバズバと指摘をし、人の顔色を見ません。正義を剣のように振りかざし、相手が傷ついても平気です。その人と話していると、攻撃されているようで、とても居心地が悪いです。一体どう対応したら良いのか、アドバイスをお願いします。

 

ご質問をありがとうございます。

同僚の方との人間関係のご相談ですね。

「語気が強い方」ということですが、

質問者さんは、その方に苦手意識を持っておられるようですね。

 

解決のヒントを求めて、

いくつかの可能性を、分析をしたいと思います。

 

まず最初に、その方に「悪意があるか、ないか」について考えてみたいと思います。

(この点は、非常に重要です。)

 

①悪意がない方の場合。

「悪意なく、問題点だけを指摘するタイプ」の方は、確かに一定数おられます。

そういう方は、問題点を指摘することは、「親切なこと」と考えています。

言わなければ、気がつかないし、解決しない、と考えているのです。

ですから、指摘は「正しいこと」と考えます。

しかし、言い方が悪かったり、相手の状況をよく考えないで指摘すると、トラブルの元となるのです。

 

「正しいこと、正論」は、実はとても厄介です。

なぜなら、「反論できないから」です。

「切れる包丁」は、料理に役立ちますが、使い方を間違えると「大怪我」をします。

本人に悪意がなくても、振り回されると、近くで触れた人が傷つき、血を見るのです。

「切れる包丁」が問題なのではありません。

「使い方が悪い」「使うスキルがない」ことが問題なのです。

 

解決は、一般論では解決しません。

まずはその人との「関係」を更に良いものにしましょう。

人は、「自分が好意を持つ人」には、「配慮するもの」ですから。

「あなたのことが好き」になるなら、確実に語気は変わってくるはずです。

 

その同僚のことを考えましょう。

その方の「ニーズ」を考えるのです。

小さな事で良いのです。ついでにコーヒーを淹れるとか、ちょっとしたお菓子を差し入れるとか。

あなたがその方に好意をあらわせば、その方も好意を持つはずです。

そしてどこかで話すのです。

「その言い方だと私、傷つくんです」と。

 

そういうタイプの方は、人は近づきにくいので、

「意外と孤独」だったりするものです。

(その方が、悪意を持っていない方で、その方と良い関係を作れそうなら)、

お友達になるつもりで、戦略を立てましょう。

 

悪意なく、真実を語る人は、「心はとても純粋」な人が多いです。

「良いお友達」になれる可能性があります。

そして質問者さんの「率直な意見」を、

「有難いアドバイス」と受け取る可能性が高いのです。

 

(実際には、そこまで行かないかもしれませんが、それを目標として対処するなら、問題は確実に改善するはずです。)

 

箴言(旧約聖書)12:18

軽率に話して人を剣で刺すような者がいる。 しかし知恵のある人の舌は人をいやす。

 

言葉を発するには、「知恵が必要」です。

同僚の方が、知恵深くなれることをお祈りしています。

また、質問者さんが(もしか可能なら)良いサポートをできることも併せてお祈りしています。

 

 

②悪意はないが、イライラしている場合。

人はイライラすると語気が強くなります。

その原因は、会社の場合もありますが、プライベートの場合もあるのです。

質問者さんの知らないところで、その方には大きなストレスがかかっているかもしれないのです。

(家族、病気、介護etc)

 

そうであれば、そっとしておくしかありません。

唯一できることは、質問者さんの「感じ方」を修正することだけです。

(このことは、①の場合も当てはまります。)

 

では、どうやって「感じ方」を変えていくかというと、

「理性を使う」方法があります。

 

次回、その方法を一緒に考察します。(理性と理性だけでは難しい場合を考えます。)

また、③悪意のある場合、の対応にも

次回触れていきます。

 

悪意がある方は、どんなに取り繕っても、悪は悪です。

箴言(旧約聖書)26:18-19

気違いは、燃え木を死の矢として投げるが、隣人を欺きながら、「ただ、戯れただけではないか。」と言う者も、それと同じだ。

 

祝福をお祈りしています。

 

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(悪について)SNSで批判をされています。どうしたら良いでしょうか?

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40代の会社員です。プライベートである趣味を持っています。その活動の様子を、SNSで写真と共にアップしているのですが、最近コメント覧に書き込みがありました。誹謗中傷です。最初は無視していたのですが、どういう批判なのかと思って読んでみると、一方的な批判で、私がアップした内容の批判というよりは、何かご自分の正義感で「悪をやっつけてやろう」という感じで、もしかするとコピペで色々な人に送りつけているのではないかという内容でした。どう対応したら良いでしょうか?

 

ご質問をありがとうございました。

SNSでの批判のご質問ですね。

SNSは匿名で顔が見えないため、誹謗中傷がエスカレートする傾向があります。

批判者は、自分の正義感を一方的に主張することが多いですから、そのような文章を読むとあまり良い気持ちにはならないと思います。

しかし、質問者さんはすでに冷静に対応しています。きっとご自分の答えを持っておられるようには思います。多分、このご質問の意図は、第三者の意見を聞きたいというものだと想像します。

 

以前、「クレーマーへの対処法」を書きましたが、

今回は、「悪そのもの」について考えていきたいと思います。

判断の参考になれば幸いです。

しばらくお付き合い下さい。

 

「正義感」というものは、とても厄介です。

「自分が正しい」と思い込めると、人を「平気で批判」できるからです。

そして「自分を高い位置」において、人を「見下し」「徹底的に攻撃」をします。

 

聖書を見ると、天使が堕落して悪魔になった原因は、

この「自分は正しい」と考える「高慢」だったのです。

 

エゼキエル書(旧約聖書)28:12,13,17

神である主はこう仰せられる。あなたは全きものの典型であった。知恵に満ち、美の極みであった。

あなたは神の園、エデンにいて、あらゆる宝石があなたをおおっていた。、、、

あなたの心は自分の美しさに高ぶり、その輝きのために自分の知恵を腐らせた。そこで、わたしはあなたを地に投げ出し、王たちの前に見せものとした。

 

つまり聖書の基準から考える時に、「高慢は、悪」です。

この点をはっきり自覚することが大切です。

 

「悪」であれば、「近づかないこと」が無難です。

(そのため、質問者さんは、SNSの批判に対して距離を置いているのだと思います。)

 

「建設的な批判」と「批判のための批判」があります。

「建設的な批判」の場合、相手のことをしっかり理解して、その問題点を指摘する批判です。

動機が、「互いの向上心」や「愛情」である場合が多いのです。

 

しかし「批判のための批判」である場合、

実は「相手のことは見ていない」のです。

自分の中で一方的に作り上げた「仮想敵」に向けて、正義の裁きを下そうと努めます。

相手の中の「(自分が考える)問題」にしか、目がいきません。

相手が「どう考えているか」「どのような理屈や理由でそう考えるのか」は、

興味がありません。

興味があるのは、「自分の考えだけ」です。「自分だけ」なのです。

この「自己愛」が、正義ではない「悪」なのです。

 

しかし、この「歪んだ自己愛、悪」は、残念ながら全ての人間が持っているのです。

ですから実は「お互い様」なのです。

(そう考えると,良い対応ができます。)

 

もし、質問者さんが、ひどい批判をされたので、自己防衛で相手を攻撃すると、

質問者さんも「自己義(自分なりの正義)」で相手を攻撃することとなり、

「ドロ沼」で不毛な議論になります。

 

人それぞれ「正しいと考える根拠」があります。

もし相手が、「質問者さんの根拠」を全否定するならば、

残念ながら、話し合いや弁明は、「無意味」です。(議論自体が無意味です。)

ですから、その場合は、「相手の土俵に乗らない」という判断が賢明です。

(今、質問者さんがされている対応だと思います。)

 

理屈に合わない批判をされた場合、

「自分の正しさ」を主張しないことです。

もし、批判者が「悪の心」を持って質問者さんを攻撃している場合、

「自分の正しさを主張すること」は、エサを食べるようなものです。

エサを食べると、釣り上げられてしまいます。

相手の思うツボです。

その場合、状況がますます「ややこしく」なり、解決からは程遠くなります。

避けた方が賢明です。

 

文面からすると、ほぼ無いとは思いますが、

もし批判者が、謙遜に「この点を教えて欲しい」ということであれば、

適度な距離を置きつつ、質問者さんのできる範囲で、お答えしたら宜しいと思います。

 

ご参考にして頂ければ、幸いです。

問題の解決と、質問者さんの心の守りと平安をお祈りしています。

 

ローマ人への手紙(新約聖書) 3:10-12

「義人はいない。ひとりもいない。悟りのある人はいない。神を求める人はいない。すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行う人はいない。ひとりもいない。」 

 

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【コラム】あなたの居場所は、どこにありますか?(自分の役割を見つける)

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私たちは、生きていく上で「自分の居場所」が必要です。

「自分は一人で生きていける」とカラ元気で呟いても、

ふとした瞬間に、居場所が欲しくなるのです。

もしかすると「居場所は必要ない」と言っている人は、家族等の居場所がすでにあって、それを「当たり前」と思っているかもしれません。

「本当に孤独」になった時、「自分の居場所」を持っている人は救われます。

 

今日はそんな「居場所」について考えてみたいと思います。

 

ぜひ思い巡らしてみて下さい。

「あなたの居場所」についてです。

 

あなたは、一人暮らしですか?家族と一緒に住んでいるのですか?

学生さんですか?社会人ですか?

会社勤めですか?無職ですか?

 

、、、私たちは、自分の意思とは関係なく「ある分類」に分けられます。

そして私たち自身も、「自分は何者」かを考える時に、

「社会の中の位置づけ」を考えたりするのです。

そして帰属意識とその評価を求めます。

 

そして「それが少ない」と孤独を感じます。

そして、それが「本当に無い」と絶望に近い孤独を感じるのです。

 

ですから人間は「社会的な存在」と言われます。

どこかの社会に属さないと「満たされない」のです。「幸せを感じない」のです。

 

「社会に属する」とは、ギブアンドテイクです。

そこには「役割」があります。

 

ですから、「自分の居場所」持つには、

周りの誰かから「あなたの役割」が与えられることが必要です。

 

日本人として生まれたならば、

あなたを、社会としての国が法律で守ってくれます。

最低の生活は保証されます。

しかし同時に、国民としての義務も課せられるのです。

意図しなくても、「役割」が与えられているのです。

 

今あなたは、一人ですか?誰かが近くにいますか?

淋しいですか?満たされていますか?

 

あなたが「充実感」を感じるためには、

あなた自身の「誰かからの役割」を見つけることです。

 

主婦ならば、家族を守ることでしょうか。

(食事を準備し、洗濯をし、掃除をする、、、家族の生活を快適に守る仕事が与えられています。)

会社員なら、自分の仕事が与えられていますから、分かりやすいでしょう。

学生さんなら、勉強をすると共に、家族と同居ならば、家族の中の役割が与えられていると思います。

(もし与えられていないなら積極的に見つけて下さい。自分の部屋を整理する、玄関を掃除する。本当は期待されていることが、きっとあるはずです。耳が痛いかもしれませんが、、、)

 

「役割」を見つけたら、それを「実行する」のです。

人から言われたことは、「何でもする」という意味ではありません。

ギブアンドテイクの原則で考えて「これぐらいは、したほうがいい」という範囲を実行するのです。

(家の中での役割も、バランス良く設定します。、、、バランスが大事です。)

 

しかし、ここで問題が出てきます。

「実行する」には、「エネルギー」が必要です。

そして「実行する時」に、絶えず「人が評価する」(励ましてくれる)訳ではない、「事実」を受け入れる必要があるのです。

 

つまり、誰も評価してくれなくても、

「役割を実行し続ける」必要があるのです。

 

種蒔きと刈取りの法則です。

 

「思い違いをしてはいけません。

神は、

人から侮られることはありません。

人は、自分の蒔いたものを、

また刈り取ることになるのです。

自分の肉に蒔く者は、

肉から滅びを刈り取り、

霊に蒔く者は、

霊から永遠の命を刈り取ります。

たゆまず善を行いましょう。

飽きずに励んでいれば、

時が来て、

実を刈り取ることになります。」

【ガラテヤ(新約聖書)6:7-9】

 

しかし多くの場合、こんな気持ちになる時があります。

 

「あの人がやっていないのに、自分だけするのは不平等だ」

「なぜ評価もなく、自分だけ苦労しないといけないのか」

「私がこれをやる必要、意味があるのか」

 

こんな時、、、

冷静に考えて、「それでもこれが、自分の役割」と悟ったならば、

自分を励ますために、することは二つです。

 

①「誰かに自分を認めて貰うこと」

②「自分で自分を励ますこと」

 

①「誰かに自分を認めて貰うこと」

愚痴を言える相手を見つけましょう。(建設的な意味です。)

人は「自分の本音を知って貰えない」と苦しくなるものです。

逆に言えば「自分の泣き言を知ってくれて、励ましてくれる存在」がいれば、

相当なことでも、頑張れるのです。

 

「信仰を持つ」とは、このように「自分を愛し支えてくれる存在」を信じ、体験するということです。

「天の父なる神様」そして「イエス様」を知る(信じる)と「平安が与えられる」とは、

このような「実存的体験」を持てるからなのです。

(実存的体験:知識ではなく、実際に体験すること)

 

②「自分で自分を励ますこと」

あなたの親友も、そして神様も、「あなたを励ましてくれる」のですが、

「自分で自分を励ますこと」も、重要であり、とても効果があります。

 

仕事の区切りがついたら、たった一人でも「打ち上げ」をしましょう。

ケーキを買うでもいいし、美味しいものを食べることでもいいです。

 

「自分で自分を褒めてあげる」のです。

「こんな状況でよく頑張っているよな」

「誰もやっていないのに、偉い」、、、等々。

 

あなたが、人から評価されなくても実行しているなら、

「実際その通り」ですし、「見えない所を見ておられる神様」もそのように考えているに違いないのです。

 

そんな風に、自己受容できていますと、

(自分のしていることを、納得して実行できていると)、

ひがみがなくなり、やっていること自体が楽しくなってきます。

 

そうすると(まさに良い種蒔きなのですが)

「人が評価して」くれなくて、「やるべきこと」が、「コツコツとできる」のです。

そして「役割を果たして」いくと、「あなたの居場所」が作られます。

(本当です。)

 

居場所が与えられることを、「受け身」で待っているよりも、

「自分から積極的」に、役割を果たして、「居場所を作った方」が、確実で早いのです。

 

「役割」が分からず、「自分の否定的な気持ち」に振り回されると、

役割が果たせず、「居場所で、必要とされている喜び」を感じられません。

 

「自己受容」が大切です。

その為には、他者(最も確実な存在は、神)から「認められていること」を体験する、

「他者受容」をしっかりと味わうことが大切です。

 

そうすると、人の評価を気にしすぎない、毎日の生活ができるのです。

それは、とても「平安な生き方」です。

 

「究極の居場所」は、神ご自身との交わりの中にあると、私は考えています。

 

今回、「自分の居場所」について考えてみました。

何かの気づきや、お役に立てるならば幸いです。

祝福をお祈りしています。

 

1ヨハネ(新約聖書)3:20〜22

「たとい自分の心が責めてもです。なぜなら、神は私たちの心よりも大きく、そして何もかもご存じだからです。

愛する者たち。もし自分の心に責められなければ、大胆に神の御前に出ることができ、

また求めるものは何でも神からいただくことができます。」

 

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【コラム、パイオニア精神へのエール、その3】川を上れ、海を渡れ

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今回は、3回目です。

「川の水」は、上流から流れ、海に注がれます。

そして海に出ると、自由に「別の大陸」に近づくことができるのです。

 

先回は、「川を上る」ことを考えました。

「過去の歴史を紐解き、自分が立っている位置を知る」と

「これから自分が向かうべきところに気がつき、使命感を持って進むことができる」、

と学びました。

 

今回は、「海を渡れ」を深めてみたいと思います。

陸から離れ、海に漕ぎ出すことは、勇気がいることです。

しかし「別の大陸」のことを調べ、そこに行く「メリットや意義」を考えると、

勇気を持つことができます。

 

行くべきところの「リサーチ」は大事ですが、

そこに行くことができるという「信念(信仰)」はもっと大事です。

 

昔聞いた「靴のセールスマン」の話を披露します。

かなり前の話です。

イギリスで、二人の「靴のセールスマン」が、アフリカのある国に派遣されました。

その国の調査するためでした。

その国では、当時まだ靴を履く習慣がなく、みんな裸足で歩いていました。

しばらくの調査の後、二人は本国に帰りました。

 

報告の日、最初に年配のセールスマンが、悲しい顔で報告をしました。

「社長、残念ながらあの国では靴は売れません。彼らは靴を履く文化がありませんから、靴を持って行っても、だれも見向きもしないはずです。」

そう言って、肩を落としたのです。

 

しかし次に報告をした若いセールスマンは、違っていました。

目を輝かせ、嬉しくて仕方がない顔で、こう言ったのです。

「社長。喜んでください。あの国では誰も靴を履いていません・・・。

・・・これから飛ぶように売れますよ。売れ放題です。

すぐにプレジェクトチームを組んで、あの国で売れる靴を開発しましょう。そして宣伝をしましょう。波が来たら生産が追い付かないでしょうから、原材等を確保しなければならなくなります。すぐに取り掛かりましょう。」

社長はどちらの人物に、その国の販売責任を持たせると思いますか?

 

「リサーチ」は大事ですが、

それを受け止める「心(考え方・信仰)」はもっと大事なのです。

 

旧約聖書に、ヨシュアという人物がいました。

有名な「十戒」を神様から与えられた、モーセの後継者になった人物です。

彼が若いころ、「約束の地、カナン」を偵察に行ったことがありました。

モーセから「神様が与えると約束された土地が、どんなに素晴らしい場所か調査に行くように、と神様から命じられたのだ」と言われ、

12人のリーダーたちが偵察に出かけたのです。

ところがそのうちの10人は否定的な報告をしました。

「そこにはとても強い原住民がいるので、入ることができません」

ところがヨシュアと友人のカレブは違っていました。

「私たちが見てきた土地は素晴らしい土地だ。神様の約束の土地ならば必ず入ることができる。信じて勇気をもって、そこに向かおうではないか!」

 

私たちは時々、「行けない理由を探して」リサーチをする時があるのです。

人から(時に神様から)あることを求められた時に、

「できる理由」を考えるのではなく、「できない理由」を考えながら、返答の言葉を探すことがあるのです。

 

どう思いますか?

 

「新しい地」に行く、

即ち、「陸地」を離れて、別の大陸に向かうために「海を渡る」ことは、

勇気が要ることです。

行けるかどうかわからない、

いや仮に行ける可能性がかなり高くても、

(現状を変えなければならない抵抗感のために)、

「行くのを拒んでしまう」ことが往々にしてあるのです。

 

私はこんな時、いつもこう考えます。

「一回しかない人生。後悔が無いように」

「もし神様が行ける道を準備してくれているならば、行かなければもったいないし、申し訳ない」

「今日できるベストをしていこう。今日死んだとしても満足ができる人生を歩もう」

 

実は、2011年3月11日の東日本大震災の前の年、私の先輩が亡くなりました。

まだ若くて、これからをいう時でした。

そしてしばらくして、3.11の震災が起こったのです。

一か月後、数日間、現地にボランティアに行きました。

 

町がすべて津波で流れた、海岸の防波堤の前に立った時、

(その防波堤の内側は、津波によって数メートル削られており、波の力の大きさに怖いと思いました。)

私はこう感じました。

「ここに、もしあの津波の時に立っていたら、私は確実に死ぬ。どれだけ必死に走ったとしても、向こうの丘までは間に合わないだろう。」

 

先輩も若く死んでしまった。

私も津波で死ぬかもしれない。

いつ死んでも、実はおかしくない。

 

それならば、今日を精一杯生きよう。

後悔が無いように生きよう。

天国に行った時、イエス様に「精一杯歩むことができました。ありがとうございました」と言えるように生きていこう。

 

そんな風に、考えるようになったのです。

(・・・私の思い出話を書きました。)

 

「海を渡れ」

もしあなたに「海を渡るように」と、

神様から「チャンスと使命」が与えられているとするならば、

「チャレンジ」をしてみたいと思いませんか?

 

当然、不可能な道ならば、避けるべきですし、

行く必要のない道、行ってはいけない道ならば、止めるべきです。

 

しかし「リサーチ」の結果、

勇気をもって信じて進めが、「行くことができる道」ならば、

(行くメリットが十分ある道ならば)、

「海を渡る」ことは、とても素晴らしいことだと思うのです。

 

「勇気と信仰」・・・

最終的には、これが最も大切だと思います。

 

ここまで読んで下さり、ありがとうございました。

皆様の上に、素晴らしい祝福がありますように、お祈りします。

 

ヨシュアの友人、カレブの言葉です。
民数記(旧約聖書)13:30-31
そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから。」
しかし、彼といっしょに上って行った者たちは言った。「私たちはあの民のところに攻め上れない。あの民は私たちより強いから。」

 

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