人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から

世界のベストセラー聖書の価値観から、生きるを考えます!(モノの見方が変わると、とても楽になります)

子育て中です。見るもの全てに「イライラ」してしまいます。どうしたら良いでしょうか。

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30代の主婦です。最近、見るもの聞くもの、いろいろなことに「イライラ」してしまいます。子供が小さいため気が休まりませんし、コロナで外に出ることも少なくなっています。夫も忙しいため、ゆっくりと話す時間がありません。実家に行くことも県をまたぐため、しにくいので、愚痴を言うこともできずにいます。家で子供と一緒にいると「叫びだしたい」気分になることがあります。こんな気持ちを「人にぶつけてしまうこと」が怖くて、どうしたら良いか悩んでいます。

 

ご相談をありがとうございました。

コロナで世の中全体が、ピリピリしています。

ストレスもMAXを越えているような重たい状況です。

特に、小さなお子さんを抱えておられますと、気が休まる時間がありませんし、どこかで気分転換をしようと思っても、その余裕もないかもしれません。

少しでも、気分が軽くなることを願って、短く文章を書きたいと思います。

しばらくお付き合い下さい。

 

人から何かを言われた時、何か問題が起こった時、

質問者さんの心が、「どのような状況」でいるかで「感じ方」が変わってきます。

例えばですが、

「野原のお花畑の真ん中」で「とても気分の良い状況」で言われた時なら、

「穏やかに」反応できることでも、

「断崖絶壁の崖の端っこ」で、「押されたら、死んでしまいそうな状況」で言われると、

「私を殺すのか‼︎」と叫びだしたくなります。

 

今回お伝えしたいことは、

精神的に、出来るだけ「崖」ではなく「お花畑」に近づくように「対策を打ってみる」ことと、

質問者さんを「助けてくれる人を見つける」ことの2点です。

 

「崖の近く」にずっといるような状況が続きますと、

「崖から離れられない」という気分になってしまいます。

その状況を変えるために、どうしたら良いかと言えば、

「一度リセットしてみる」ことです。

 

私は煮詰まると、30-40分車で走ると行ける「山の展望台」に行きます。

(お気に入りの景色の所です。)

そこに登り、山の上から下界を見ると、「心が整理される」のです。

下界に見える、小さな家々や道路、そこを走る小さな車が走るのを見ていると、

「自分の悩み」が「小さいもの」のように思えてくるのです。

 

そうなると、もう少し「頑張ろう」という気力が湧いてきます。

(今はあまりありませんが、一時期大変な時は、1〜2時間ボーっとすることもありました。)

 

質問者さんは、リセットする方法はありますか。

「本当に精神的にしんどい時」は、自分が「しんどいと言うこと」も気がつかない場合があります。

 

自分の精神状態が「崖の近く」のように感じたら、

「強制的にリセット」する動きを取ることです。

(崖の近くにいる時は、本来の質問者さんの精神状態ではない、と受け止めて下さい。)

 

質問者さんには、どんな「リセット方法」がありますか。

美味しいものを食べてもいいですし、

ドライブでも、私のように景色を見にいくことでも良いのです。

いくつか見つけることをお勧めします。

 

しかし本当に精神的に追い詰められた時には、

「人の助けを求める」ことです。

 

本当に追い詰められると「誰も自分を助けてくれない」

と思えるような気分になることがあるのです。

「孤独」で「周りの人は敵」のように感じることもあるのです。

 

しかし、誰かが「自分の味方」になってくれることは、本当に重要です。

 

私にはそう言う時に、相談できる先輩と友人がいます。

思い切って、アポを取って電話をかけます。

何も答えが見つからない中で話始めても、話していくうちに心が整理されていくのです。

 

実際、探せば必ず「助けてくれる人」が見つかります。

(信じて下さい。)

ご両親と直接会えなくても電話で話ができますか? 話を聞いてくれる友人はいますか?

近い関係だと、かえってややこしくなるならば、

「子育て支援」のような、市町村で主催する集まりに参加することも一案です。

役所に電話をかけてもいいですし、ネットで検索しても見つかります。

(教会によっては、そのようなサポートをしているところもあります。)

 

そういう場所に行ってみると「気分転換」ができます。

そして行けば、相談窓口があるでしょうから「話を聞いてもらう」だけでも、気持ちが軽くなるはずです。

 

「同じ環境」の中にいたならば、「同じ情報と刺激」しか入ってきません。

「違う環境」を見つけるならば、「違う情報と刺激」が入ってくるはずです。

 

「違う環境」に一時的でも浸るなら、

ほんの少しでも「リセット」ができます。

そうすれば「本来の質問者さん」の状況に戻る、きっかけになると思います。

 

「穏やかな」質問者さんの精神状態を取り戻せるように、

お祈りをしています。

 

ピリピ(新約聖書)4:6-7

「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」

 

「平安」が与えられますように。

 

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いくら指摘をしても、改めない同僚がいます。どうしたら良いですか。

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うちの職場に、ルーズな同僚がいます。日々の業務にもミスが多いです。チェックリストを作るようにアドバイスをしても、頑なで聞く耳を持たず、単純ミスを繰り返しています。最初はサポートしていた他の同僚も、最近は呆れてしまっています。本人も周りの反応が冷たいので、ストレスを感じているようです。連携ミスから、職場で問題が起こらないようにと心配しています。どう対応したら良いでしょうか。

 

ご質問をありがとうございました。

同僚の方のご相談ですね。

質問者さんの文章から、質問者さんは「チーム全体のこと」を考えて行動しておられるように推察します。

アドバイスとして、「原則的」なことを2つ、その上でその適応を考えていきたいと思います。

しばらくお付き合い下さい。

 

①人からの指摘は「悔いて、改める」(方向転換)が必要であること。

②自分を越えた「改める基準」が必要という確認。

 

「悔い改め」という言葉は、「悔いて」+「改める」という2つの作業が必要です。

「悔いる」だけでは、「改める」ことにはなりません。

「悔いる」だけでは、まったく変わりません。

そういう人は、実際のところ「自分を変える気がない」のです。(厳しい言い方ですが)

 

口では「改めます」といってもそれをしないのは、

心の奥では「必要性を感じていない」か、実行する「精神力(気力)がない」かのどちらかでしょう。

(「やる気があっても精神力がない場合」は、「仲間のサポート」が必要です。しかし、今回の場合は当てはまらないと思われますので、この点は割愛します。)

 

どうして「必要性を感じない」のでしょうか。

それは、その人だけの「マイルール」で生きておられるからです。

(「基準」が自分中心なのです。)

 

「人から見られていなければ大丈夫」とか、

「ごまかせば何とかなる」という、

「自分なりの考え」を持っている可能性があります。

 

ですからそういう人には、自分を越えた「改める基準」を知って貰わなくてはいけません。

「マイルール」ではなく、「公のルール」を知り、守ってもらうのです。

 

そのための対策です。

今までの仕事の実績から、「業務マニュアル」を作っていくことをお勧めします。

その時に大事なことは、そのルーズな同僚の方にも「マニュアル作成に加わって頂く」のです。

 

そして関わる全ての同僚に目を通して貰い「皆が納得の上」で、(ここが大事です。)

上司の決済を貰い、公にするのです。

そして定期的に、「お互いで確認」します。不都合な点は修正します。。

「皆のルール」を作り、それを守ることで、「マイルールでは通用しない」環境を作り上げるのです。

 

基準が明確になるので、

「悔いる」(修正する)ポイントがはっきりします。(言い訳ができなくなります。)

そして皆で守る雰囲気の中で、

「改めなければ、周りから言われる」環境を作り上げるのです。

 

質問者さんや周りの方々ができるのは、「ここまで」です。

最終的に「悔いて」+「改める」のは、

「ご本人の決断」です。

そこには手を出すことは、できないのです。

チェックしつつも、見守っていく態度が大切です。

 

、、、少し観点を変えます。

クリスチャンは、見えない神様を信じています。

そして、聖書を通じて、マイルールを越えた「神様の価値観」を知っています。

そして神様は、髪の毛一本の数も知っておられ、心の奥を知っておられることを聞いています。

ですから「基準が明確」なので、隠れた心も「悔い改め」をしやすいのです。

 

また聖書から「種蒔きと刈り取りの法則」を聞いています。

人は「悪い種」を蒔けば、「悪い刈り取り」があることを知っています。

 

ガラテヤ(新約聖書)6:7-9

「思い違いをしてはいけません。神は.人から侮られることはありません。人は,自分の蒔いたものを,また刈り取ることになるのです。自分の肉に蒔く者は,肉から滅びを刈り取り,霊に蒔く者は,霊から永遠の命を刈り取ります。たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば,時が来て,実を刈り取ることになります。」

 

実際、そのルーズな同僚の方は、身勝手なことをしているため(悪い種蒔き)、

他の同僚から冷たくされています。(悪い刈り取り)

この法則は、信じていてもいなくても、当てはまってしまう、逃げられない法則なのです。

(逃げても、無視しようとしても、不可能なのです。認め受け入れた方が得策です。)

 

ですから、「悔い改め」(方向転換)は、早い方が、「その人の為」なのです。

箴言(旧約聖書)17:11
「悪しき者はただ、そむく事のみを求める、それゆえ、彼に向かっては残忍な使者がつかわされる。」

 

実は、上記のような「厳しい聖書の言葉」もあるのです。

頑なに基準に合わない「マイルール」をし続ける人には、

どこかで「残忍な使者」が遣わされることがあるのです。

(経験的にこれは本当だと思います。悪い種を蒔き続ける人は、拾わなくても良い悪の攻撃を、わざわざ拾うようなことをしてしまいます。)

 

頑な「マイルール」は危険です。

「間違ったこと」の「悔い改め」を先延ばしにすると、「悪い種」を蒔き続けることになります。

(それも危険です。)

ですから、悔い改めは「早い方が良い」のです。

 

①人からの指摘は「悔いて、改める」(方向転換)が必要であること。

②自分を越えた「改める基準」が必要という確認。

 

以上をご参考にして下さい。

質問者さんが、職場のチームの中で、ご指摘の同僚の方と「良い関わり」ができることをお祈りしています。

祝福が豊かにありますように。

 

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【コラム】「愛されている」ことが分かると、見えてくるもの。

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昨日は、母の日でした。コロナ禍の中であっても、様々な場所で「お母さんに感謝」をあらわされたのではないかと思います。

 

かなり前の話ですが、

ウチの下の子が赤ちゃんの頃、母親が用事があって、早朝に私が彼の面倒を見た時がありました。

上の子と違ってママっ子だったので、心配をしていたのですが、案の定、目を覚まして泣きはじめました。

どうあやしても泣き止まず、約一時間泣いていました。(根性がありました)

母親が帰ってきて、抱っこすると、ピタリと泣き止んで、お乳を飲んですぐに寝てしまいました。

(母親には、男親にない武器があると実感したのです。)

 

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愛されている。包まれている。

そう感じると、赤ちゃんだけでなく、すべての人は穏やかになります。

安心して、目の前のものを見て、取り組むことができるのです。

 

聖書の中に、「神は愛である」という言葉があります。

そして、聖書から次のように理解することができます。

「本来人は、『愛を感じながら』生きていくように造られていた。

しかし人類始祖が神から離れてしまったために、

神との『愛の交わり』が断絶し、真の愛を経験できずに、生きるようになってしまった。」

というのです。

 

つまり、自分の「存在そのもの」を「愛されていること」が十分に分からないために、

愛を求めても、与えられないと「諦めて」しまったり、

自分で自分を必死に「守る」ようになったり、

「余裕がなくなる」と人にも辛く当たるようになる、、、

そして人との関係が疎遠になり、ますます孤独を感じる、、、悪循環が起きるというのです。

 

特に、自分の考えた「理想通り」にならなかったり、

自分や他人に期待し、失望して、「支えが無くなった」と感じた時が危険です。

(もう諦めてしまっている場合は、更に危険です。)

そして将来に期待が持てず、ますます虚無主義(虚しさ)が強くなっていくのです。

、、、私もクリスチャンになる前は、かなり虚無主義の人間でした。

 

どうしたらこの、負のスパイラルから抜け出せるのでしょうか?

がんばって成功して「人から認められたら」抜け出せるのでしょうか。

 

人に認められても、私たちはきっと「足りない」と思うでしょう。

最終的には、「自分で自分を認める」までは満たされません。

 

しかし「自分で自分を認める」ことにも、難しさがあるのです。

「私は、こんな欠点がある」

「私は、これができない」

もし減点法で、自分を見れば、永遠に「自分を認める」ことはできません。

 

ポジティブに考えて、

できない点を無視して、できる点だけを見るようにしても、

実はそのままの自分を受け入れる、、、ことにはならないのです。

(そして、良いところだけを極端に見ると、欠点を見なくなります。、、、これもまた問題です!)

 

なぜなら私たちは、必ず失敗をします。

自分で自分に、自己嫌悪をを感じる時もあるはずです。

 

そんな自分をすべて知っていて、受け入れてくれる存在。

弱さも強さも知って、認めて下さる存在。

すべての重荷を下ろすことができる存在。

、、、そんな「理想の両親」、「理想の祖父母」のような存在が、

必要なのです。

 

「自分は本当に認められている」、、、そのような実感が必要です。

「自分は、本当に認められている」

聖書では、その存在が「あなたを造られた創造主」だと言います。

私は「宗教の話」をしているのではありません。

人間が生きる上の、最も根幹、根っこの話をしているのです。

 

地上での生活は、一時的なものです。(長くても100年前後です。)

地上での人の評価も、一時的です。

本当に私の価値を認め、未来永劫、私を知って受け入れてくれる存在は、

(理論的には)人間では無理なのです。

 

私は、「現実逃避」をしているのでしょうか。

「神と言う理想の存在」を作り出して、「気休め」を考えているのでしょうか。

 

創造主を信じ、イエス様の愛を知っている者は、

「これは気休めではない」「本当のこと」であると実感しています。

 

そのように「愛されている私」であることが分かると、世界の「見え方」が変わります。

世界は、問題はありながらも、「希望的」であり、

「ワクワクするようなこと」が起きるところだと「心が感じる」ようになるのです。

 

私を造られた「創造主」がおられ、

そのお方は、びっくりするような情熱をもって「私を愛して」おられる。

そのお方が、今の現状と未来を知っておられ、

「ワクワクするような計画」を持っておられ、それを見せて下さる。

(未来は、難しいことがあっても、素晴らしいところに向かっている。)

そう考えることが、自然にできるのです。

 

「木」は「実」によって知ることができます。

「あなたの価値観」は、「あなたの言葉、生き方」によって知ることができるのです。

 

創造主なる神様の「愛と計画を知っている人」は、

そのような「ワクワク感」の中で、生活するようになるのです。

「そんな生き方」を知ってみたいと思いませんか?

 

エレミヤ書(旧約聖書)  29:13-14

【岩波訳】
「あなたたちがわたしを探し求めるなら、わたしを見出すだろう。もしあなたたちが全心をもってわたしを尋ね求めるならば、わたしはあなたたちに見出されるだろう。」
【NKJV】
And you will seek Me and find Me, when you search for Me with all your heart. I will be found by you,
【NIV】
You will seek me and find me when you seek me with all your heart.  I will be found by you,

 

God bless you!

祝福をお祈りしています。

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【コラム】「心から愛すると」、見えてくるものがある。

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「愛は結びの帯として、完全である」

「愛はすべての咎を覆う」

これらの言葉は、聖書の言葉です。

 

今日は、「愛を動機として見る」ものの見方と

「批判や憎しみを動機として見る」ものの見方の違いを、考えていきたいと思います。

そして、「愛を動機」したならば、何が見えてくるか。

「心穏やかに生活できるのか」を確認していきます。

(私たちが無意識にしていることです)

 

それでは、しばらくお付き合い下さい。

 

私たちには、それぞれ「いろいろな個性」が与えられています。

その個性の、「肯定的な面」を見るか、「否定的な面」を見るかで、

相手への評価が180度、変わってきます。

「コインの表と裏」のような関係です。

 

物事を早く判断できる人は、「せっかち」と言われることがあります。

ゆっくり慎重に考える人は、「遅い、のろま」と言われることもあります。

 

自分が下した「その評価」によって、(表を見るか裏側を見るかによって)

相手に対しての、言葉も態度も変わるのです。

 

いつも「裏ばかり見ている人」は、「表を見ること」に苦労をします。

あいつはいつもダメなんだ・・・

またやったな・・・

やっぱり失敗した、どうしようもない奴だ・・・

 

しかし「他人の裏側」ばかりを見ていると、結局自分に返ってみます。

つまり「自分の裏側」に、ますます目が行くようになります。

(経験があると思います。自分のものさしと、相手のものさしは繋がっているのです。)

 

すると、

どうせ私はダメ・・・

またやってしまった・・・

やっぱり失敗した、どうしようもない奴だ・・・

 

そんな風に考えてしまいます。

(心の中の自然なパターンです。)

 

しかし、人間には「心の防衛反応」がありますから、

そう考えた(失敗の)理由を「自分以外に」見つけようとします。

 

だから、

あいつのせいで、こうなったんだ。

親が悪いのだ。

環境が悪いのだ。

と、責任を転嫁したくなるのです。

 

「あいつが悪いのは、あいつのせい」

「自分が失敗するのは、○○のせい」

そう考えて、「心を落ち着かせて」いることが多いのです。

 

・・・しかし本当の問題解決は、もっと別なところにあるのです。

もっと本質的な「根っこの部分」です。

それは「自分の考え方」です。

 

イエス様の言葉です。
ルカによる福音書(新約聖書)6:37-38
「さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。
与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」

 

「人を裁かない」と、自分も裁かれなくなります。

「人を罪に定めない」と、自分も罪に定められません。

「人に与える」と、自分も与えてもらえます。

(自分のものさしと相手のものさしは繋がっているのです。)

 

ですから、ここに「訓練がある」のです。

「コインの裏を見えた時」に、「あえて、表を見る」訓練です。

「愛の訓練」です。

「愛すること」の訓練なのです。

 

自分は、そんな風に見ることは、絶対にできない・・・

私はそんな人間ではない・・・・

私は変われない・・・

 

でも考えてみてください。

(ここから、再び説得に入ります。)

自分を受け入れた方が、「穏やかな、気分の良い生活」ができます。

(理想の完璧な自分ではなく、失敗をも含めて、出来ないそのままの自分です。)

 

あなたはきっと「あなたを認め、受け入れてくれる人」が好きなはずです。

しかし「人があなたを」受け入れるよりも、「あなたがあなた」を受け入れる方が、

可能性はすっと高いのです。(そして達成が簡単です。)

 

人に対しての見方も、同じです。

人には必ず問題点があります。(問題点を無視するようにと言っているのではありません)

その問題点の反対側、「表側」を見るようにすると、人間関係が確実に変わります。

 

今まで問題点ばかりを見ていたのが、

良い点を踏まえて(良い点を押さえながら)話をすることができると、

会話のポイントが変わるのです。

 

「お前はダメだ。いつもダメだ。」

と思って、言葉を出すよりも、

「こんな良い点があるのに、ここがルーズだから失敗してしまう。もったいない。」

と思って言った方が、相手も聞きやすくなるのです。

(これは、失敗を無視するという意味ではありません。失敗の事実を受け入れ、受け入れた後、適切に対応するという前提です・・)

 

私は、会話のテクニックを話しているのではありません。

表面的なスキルを語っているのではないのです。

「ものの見方」の話です。

 

「コインの表(良い面)」を重視して生きると、

他人にも穏やかに接することができ、

自分自身をも穏やかに見つめることができるのです。

(幸せと、満足を感じる「ものの見方」です。)

 

これが「愛の訓練」なのです。

あなたも、愛する訓練をしてみませんか?

 

前向きに楽しく生きるためには、

心の中に、「良いものを入れる」か、「悪いものを入れる」かを選ぶことが大切です。

(物事には「原因」があって「結果」があるからです。)

 

相手の中の「あなたが、受け入れられないもの」を、受け入れ、

「批判したくなるもの」を、許し認めていく・・・愛の訓練です。

(「良いもの」をあえて選んで、心の中に入れる訓練です。)

 

コインには「裏だけ」ではなく、「表(良い面)」があることをいつも覚えておいてください。

そう考えて、対人関係や問題を見るだけでも、

今まで気がつかなかったものが、確実に見えてくるはずです。

 

最後に、重要なことをもう一度確認して終えます。

あなた自身の「コインの表側(良い面)」も、いつも意識していきましょう。

「人があなたを受け入れる」よりも、

「あなたがあなた自身を受け入れる」方が、

何百倍も重要なことなのですから。

 

「愛を動機」として、自分を見ていきましょう。

 

「愛は結びの帯として、完全である」(コロサイ3:14)

「愛はすべての咎を覆う」(箴言10:12)

 

ここまで読んで下さった、あなたの上に

素晴らしい祝福がありますように、

お祈りしています。

 

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【コラム】「捨てたら」見えてくるものがある。

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先日ある方と話していた時、コップの水の話になりました。

コップに「水がいっぱい」入っていたら、「新しい水」は入らない。

しかし、「中に入っているもの」を捨てたなら、入れることができる。

 

このことは、私たちの「感情面」にも当てはまります。

「悩みとこだわり」で一杯になった心は、「新しいもの」を受け付けません。

「悩みとこだわり」は、不要なものです。

ですから、一旦「すべて捨てる」のです。

 

「捨てられないよ。そんなことは、できるわけない」

「これは、自分の考え方だから、変えられない」

「それは、自分の感情とくっついているので、分けることは不可能」

そんな言葉が返ってきそうです。

 

(ここから、説得に入ります)

もし抱えておられる「悩みや苦しみ、こだわり」が、本当に不要ならば、

「一度」捨ててみても良いのではないでしょうか。

(不要であると、、、どこまで実感しているかがポイントです。)

どうせ「その負の感情」は、またどこかで湧き上がります。

だから「一度捨ててみる」のです。

 

捨てる時には、

「潔く、すべて」捨てます。

「完全に、捨てる」のです。

 

理屈はあれこれ、考えません。

ただ「捨てる」のです。

 

そうすると「見えてくるもの」があります。

丘を越えた感覚です。

今まで、「不安とこだわり」によって、視野がふさがれていたものが、

急に無くなり、前が「良く見えるようになる」のです。

 

丘を越えても、あなたは死んでいませんし、

あなたの本質は、何も変わっていません。

ただ「悩みとこだわり」を「捨てた事実」があるだけです。

 

「悩みとこだわり」を捨てたことで、

プレッシャーが無くなります。

そして冷静な心(平常心)で、課題を見ることができている自分に、気がつくはずです。

 

この感覚は、慣れると「クセ」になります。

「捨てることが、快感」になります。

 

なぜなら、「悩みとこだわり」を捨てても、何の実害もありませんし、

むしろ「メリット(良い点)」しかない、からです。

 

捨てれば、捨てるだけ「心が軽く」なります。

そして「明るく」なります。

「明るい気分」で人と接すると「相手との関係も良く」なります。

(好循環となります。)

 

今まで、どうして捨てなかったのかと、

「不思議に思う」ぐらいです。

 

ただしこうなるためには、

どこかで「捨て始めないと」いけません。

しっかり「捨てる覚悟」を持つことです。

 

「覚悟」です。

「覚悟が大事」なのです。

 

イエス様の弟子への言葉です。

ルカによる福音書(新約聖書)8:34-35
「イエスは群集を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

35 いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。」

 

イエス様と一緒に歩む(真理の道、神様が願う道を歩む)には、

「自分を捨てない」とついて来れないと、言われたのです。

 

弟子たちは、①イエス様への「愛情」から、

②時に「打算」から、

③そうしないと「恐ろしいことが起こるという事実」から、

「自分を捨て」てイエス様に従いました。

(今回は、細かい説明は割愛します。)

 

そこには、「自分の肉(弱く不純な心)」を持つことの危険性を、

「自覚した」弟子たちの姿がありました。

 

自分の中の「悩みとこだわり」を、

捨てるだけの理由は、たくさんあります。

 

聖書のことは知らなくても、

「生きる知恵」として、

「自分を捨てることのメリット」を知って頂けたら幸い、と思います。

 

ここまで読んで下さった皆さんの上に、

豊かな祝福がありますようにと、お祈りしています。

 

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「自分が正しい」と思い込んでいる友人がいます。(その3、上手な距離のあけ方)

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今回は、対応策を考えていきます。お答えは、これで最後となります。

質問者さんのお友だちのような方と関わる場合、

「積極的に関わる」のか、

「距離をあける」のかで、まったく対応が変わってきます。

 

会社のチームだったり、家族ならば、

積極的に関わることが求められます。

しかし、質問者さんの文章を読むと、「上手に距離を置きたい」と思われているように感じます。

(もし、ご友人のことが好きで、彼女のために積極的に関わりたいと思われるなら、私の以前の職場関係の記事を参考にして下さい。)

 

今回は、バウンダリー(境界線、領域)という概念を用いて、

「上手な距離のあけ方」について考えます。

関係を切ることなく、「距離を置くため」の基本的な考え方をまとめてみます。

しばらくお付き合い下さい。

 

質問者さんにお聞きしますが、

「他人の目は、気になりますか?」

「人から、認めて貰わないと、居心地が悪いですか?」

「人に依存しやすいですか?」

 

境界線(バウンダリー)を明確にし、自分の領域を守ろうとすると、

どれだけ配慮をしても「人からの反発」を受けることがあります。

もし、それを恐れていると「相手に合わせるだけで、何も言えない」ということになってしまいます。

 

そのような関係で良い、と思われるならば、

参考程度に読んでおいて下さい。

しかし、今までの関係を「少しでも変えたい」と思われるならば、

今からお伝えする中のいくつかを「活用」してみて下さい。

(今から書くことは、100パーセント完璧にはできません。状況に合わせて利用して下さい。)

 

境界線(バウンダリー)という概念は、

「自分の庭の、花を手入れする」ようなものです。

本来は手入れは、自分がするものです。

そして隣の人も庭を持っています。(説明のための例えです。)

近くに行けば、見えますから、住人の許可を取れば、入って隣人の花を見ることができます。

「手入れのお手伝い」もできるのです。

 

しかしバウンダリーの概念ができていない人は、

人の庭に「勝手に入る」のです。

知らない内に入って、自分の権利のように、勝手に人の庭をいじってしまいます。

それを当たり前と考えています。

 

逆に、本来自分で手入れをしないといけない「自分の庭」を、

「人に手入れさせようと」します。

そのために、無意識に相手を操作しようとするのです。

 

自分の領域(庭)に、勝手に侵入されても、

「文句を言わない」と、相手は勝手に「許可を受けた、と誤解」をします。

 

それが日常になると、

「当たり前のように」侵入して来ます。

ですから「入らないで欲しい」としっかりと意思表示をしなければなりません。

 

大体のバウンダリーの概念をイメージできましたか?

大事なポイントは、無理をしない、です。

嫌なものは、嫌と意思表示をするのです。

 

もしお友だちが、質問者さんのことを大切にしているなら、

質問者さんが「嫌だ」と言うことは避けてくれるはずです。

 

その言い方は知恵が必要です。

我慢していることを、そのまま感情に任せてぶつけると、

相手は「攻撃された」と思ってしまいます。

 

ですから、「私ことば」を使うのです。

「自分は、こう思う」「私は、〇〇されるとこう感じる」という言い方を意図的にします。

人は、心を開いて自分の感情を語る人を「基本的に受け止めて」くれます。

(そのため、攻撃していないことを、十分に伝える必要があります。)

 

思い出して下さい。

ご友人から頼まれたことで、「やっても良い」と思ったこと、「嫌だ」と思ったことを。

もしその中で、友人が「自分で手入れをすべきこと」を質問者さんに依頼や強制をしてきたことがあったなら、

今後は「やんわりとお断り」するのです。

 

質問者さんができることで、「してあげても良い」と思うことなら、しても良いですが、

バウンダリーは考慮する必要があります。

依存されて嬉しいと言う「共依存の関係」もあります。

お互いに依存しあうという「甘えの関係」です。

「長い目でお二人の関係」を考えると、共依存は避けた方が良いでしょう。

 

「適度な距離を置く」ために、

①お互いの庭を、それぞれ自分で育てるという「バウンダリーの概念」を意識します。

②自分の感情で、「したくない」と思うことは、

「私ことば」で、お断りします。

 

③「助けて欲しい」と頼まれたことで、「してあげたい」と思うことは、

余力を持って対応します。

(ギリギリや強制を感じたら、お断りをするのです。)

 

この知恵は、どんな友人関係にも適応できますが、

特に、「自分が正しいと思い込んでいる人」

「手伝うのは当然という態度で接してくる人」

「相手をコントロールするように、主張してくる人」には、

有益です。

 

参考にして下さい。

祝福をお祈りしています。

 

ローマ人への手紙(新約聖書)12:18
「 あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。」

 

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「自分が正しい」と思い込んでいる友人がいます。(お答えその2)

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質問者さんのクラスメイトで、「自分が正しい」と思い込んでいる方がおられることへの、

相談のお答えの2回目です。

 

先回は、①「自己愛が強い人」の特徴を触れました。

まだお友だちも学生さんですから、これからどれだけでも成長していくことはできます。

そんな期待を込めて、書かせて頂きました。

 

今回は、

②自分が正しいと思い込んでいる人は「現実が直視できない」。

③わがままな人は、自分の「思い込みの世界を守る」ために、逃げたり人のせいにする。

を触れたいと思います。

その後に、質問者さんへのアドバイスを書いていきます。

それでは、しばらくお付き合い下さい。

 

年を取っても、「子供のような考え方」をする人がいます。

「身体」は年齢を重ねても、「心」は成長していない人です。

質問者さんの年齢から見ると、50歳、60歳は立派な大人だと思われるでしょう。

しかし、実際は、その年齢になっても小学生のような考え方のまま

(小学生といっても幅がありますが)年を取ってしまう人がいるのです。

 

難しいのは、心の成長は「まだら模様」なのです。

ある部分は大人のようでも、他の部分は子供のままということがあります。

「人前」では演技ができても、「本音」は子供のまま、「一部の感情だけ」は未成熟ということがあるのです。

そして親しくなると、「わがままで人のことを考えられない」ことが、バレてしまったりするのです。

ご友人が、「そんな大人」にならないことを願っています。

 

どうしてそんな風になってしまうのでしょうか。

それは、②「現実を直視できない」からです。

どういうことかと言うと、

「現実を見る」ならば必ず、何かしらの「対応」をしなければなりません。

そして「対応」するには、ほんの少しであっても、

「自分を変えなければ」できないのです。

 

それは「知性やテクニック」だけで済む場合もありますが、

やはりどこかで「感情面」にぶつかることになります。

それには、「人間の器」が大きくなっていないと、対応できないのです。

 

人間の器とは、

「人を受け入れ」たり、

「我慢して犠牲を払う」ことをしたり、

「評価がなくても実行し続ける」ような「度量、力」です。

 

①で考えましたが、「自己愛が強い人」は、物を見る時に「バイアス(偏り)」がかかります。

つまり「見たいものだけ」見て、

「見たくないもの」は無視するのです。

 

そうすると「正しい情報」が入りませんので、

出てくる結論は、「自分だけの独りよがりの世界」になるのです。

それは「現実の世界」ではありません。

「現実の世界」を直視しなければ、問題が見えません。

そうであれば「人間の器」は大きくならないのです。

 

そのような「架空の世界」(本人はそう思っていないことが問題なのですが、、、)

で生きていると、何十年生きていても、「心の成長」はないのです。

(そして「子供のままの大人」が、出来上がるのです。)

 

普通は、親からの躾によって、幼少期に「良い悪い」を学びます。

しかし親が「何でも受け入れて」甘やかせて育てますと、

子供は、

「わがままな自分で良いのだ」

「自分の都合の良い世界が正常なのだ」と、

「大きな勘違い」をしてしまうのです。

(ご友人は、わがままに育てられているとしたら、このような可能性があるのです。)

 

それが前提となると、

問題が起きたならば、原因は「誰かのせい」になります。

(「架空の理想世界」を壊す者は、敵なのです。)

そして「敵・犯人」が見つからない状況になると(犯人は自分なのですが)

「現実を否認」してしまいます。

つまり「ごまかし」たり「無かったこと」 にしたり、するのです。

 

大人の中には、ごまかしきれずに「心の病気」になる人もいます。

しかしその原因は、「自分が悪いと認めることができない」ことなのです。

「現実」と「自分の頑固な世界」が噛み合わなくなって、起きる「罪の結果」なのです。

 

①「自己愛が強い人」は、

②「現実を直視」できず、

③問題は「誰かのせい、または否認(無視)」する、傾向があります。

 

それをし続けると、精神的に大人になれず、成長できません。

下手をすると「心の病気」になるのです。

 

次回は、そのような方に「どのように対応したら良いか」を考えていきます。

「ご友人との関わり」の参考にして頂ければと、願っています。

祝福をお祈りしています。

 

箴言(旧約聖書)4:23

「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。」

 

詩編 (旧約聖書)119:71 苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。

私はそれであなたのおきてを学びました。

 

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