人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から

世界のベストセラー聖書の価値観から、生きるを考えます!(モノの見方が変わると、とても楽になります)

「イエス様が恋人だ」と言われる、友人のクリスチャンがいます。

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最近私はクリスチャンになりました。私の友人で「イエス様が恋人だ」と言われるクリスチャンがおられます。彼女は、会社に勤めるごく普通のOLです。真面目な方で、会社でも責任ある立場に立っておられ、信用も厚い方です。数年前に、人生で厳しいところを通った時に、彼女は「そのような信仰になった」と言われました。見えない、手で触れられないイエス様という方を、そのように信じることは可能なのでしょうか。

 

ご質問をありがとうございました。

クリスチャンになられたのですね。おめでとうございます。

イエス様を信じると、神様の愛を知るようになります。

愛を知るとは、人生で最も大切なことです。

愛を知った分、自分を尊重し、他人を尊重できるようになります。

それは、無理にということではなく、自然な心の発露です。

愛に満ちた分、人生が豊かになるのです。

 

ご友人で、「イエス様が恋人だ」と言われる方がおられるということです。

文面から、少し戸惑っておられる様子が伺えます。

確かに、見えないイエス様をそのように表現するのは、不思議に思われるでしょう。

しかし、実はそのように感じるクリスチャンは、多くおられるのです。(特に女性の方に多いです。男性でも、厳しいところを通られた方にはおられます。)

 

聖書では、イエス様は花婿で、教会は花嫁と書かれています。

ですから、花嫁である私たちは(男性も含めて)、イエス様とそのような親密な関係を持つことは可能です。

 

神様(イエス様)との関係は、「求めた分」深まります。

相当深く求めても、イエス様の愛は、それ以上なのです。(あなたのために十字架で命を投げ出された程です。)

 

多くの人は、イエス様との関係を知性で捉えます。

そして「愛されているのだ」と理解し、感動します。

しかし、人生の厳しいところを通った人は、「知性のレベル」では、満足できません。足りないのです。

 

家族との離別、病気等で、生きるか死ぬかの状況を通った多くのクリスチャンは、

それこそ「自分の人生を賭けて」イエス様に助けを求めます。

助けられないと「生きていけない」「気が狂ってしまう」と感じて、真剣に祈るのです。

時には断食して祈ります。。

食事も喉を通らない状況の中で、祈る時に、

自分の理解を超えた、主の愛、イエス様の愛に出会うのです。

 

「あなたの口を大きく開けよ。私がそれを満たそう」(詩篇81:10)

 

求め出会った時、多くの人は「イエス様の御臨在」に、「触れられる」のです。

この「触れられる」という体験が重要です。

 

もしあなたのことを、好きだと言ってくれる恋人ができたなら、

その恋人が、いつも話を聞いてくれて、味方になって下さり、

あなたをいつも守って下さるならば、、、

あなたはその恋人にメロメロになってしまうと思うのです。

 

その恋人は、あなたが間違ったことをすると、真剣に考えてくれ、真剣に叱ってくれる。

そしてあなたが立ち直ったなら、自分のことのように喜んで下さる。

「よく出来たね。信じていたよ、きっとできると思っていたよ。」

そんな愛情深い方が身近にいて、いつも接してくれたならば、どうでしょうか。

 

きっとあなたは、毎日を幸せに送れるに違いありません。

 

その人が、直接会えなかったとしても、電話でお話しできたなら、どうでしょうか。

あなたはきっと、電話をかけまくると思います。

 

父なる神様や、イエス様との会話(祈り)は、この電話のようなものです。

直接見ることができなくても、

その声を聞くことができるのです。

そしてその声を聞くと、安心できるのです。

 

祈りは、一方的に祈るだけではありません。

答えが返ってきますし、

答えと共に不思議な満たし(これを御臨在と言います。)を受けるのです。

それを受けるまで祈るのです。

 

質問者さんは、恵まれていると思います。

なぜなら、そのような「イエス様との信頼関係」を持っているご友人が、身近にいるのですから。

(モデルがいなければ、私の言っていることが実感できないと思います。)

 

「イエス様が恋人だ」と言われるそのご友人は、

イエス様から「たくさんの愛情」を頂いていることでしょう。

 

ぜひそのご友人を観察して下さい。そしてその「祈りや姿勢」を真似てみて下さい。

きっとあなたも、そのご友人が受けているような「愛情」を、体験することができるはずです。

 

イエス様は、あなたとも「深い信頼関係」を結びたい、と考えておられるのではないでしょうか。

なぜなら、そのご友人があなたに備えられたのは、神様の計画だと思うからです。

 

せっかくクリスチャンになれたのですから、

イエス様との深い関係を持つことができたならば、素晴らしいですよね。

祝福をお祈りしています。

 

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憎んでいて、許せない人がいます。どう考えたら良いですか。

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私には、身内に許せない人がいます。私の人生をめちゃくちゃにした人で、憎んでも憎みきれません。そのことを考えると歯ぎしりし、夜も眠れない状態です。

心穏やかに生活したいのですが、どのように考えたら良いでしょうか。憎むことは、罪なのでしょうか。

 

ご質問をありがとうございました。

許せない気持ちで、苦しんでおられるご様子をお見受けします。

具体的な理由は分かりませんが、酷い体験をされたことでしょう。

その苦しみは、相当に深いものだとお察しします。

まずは、その苦しみが、主によって慰められます様に、お祈りをさせて頂きます。

 

理性と感情は違います。

これから書くことは、理性では分かっても、感情では受け止められないかもしれません。

しかし、前に進んで行くためには、ナビゲーションが必要です。

ぜひ参考にして頂いて、質問者さんの心の解放につながることを祈っています。

 

今回、

①怒りの感情は、自然なものであること。

②しかし、憎み続けていると、不幸になってしまうこと。(危険)

③許しは、自分のためであること。

を考えていきます。

しばらくお付き合い下さい。

 

①怒りの感情は、自然なものであること。

聖書の中にこんな言葉があります。

エペソ4:26-27「 怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。」4:26 “Be angry, and do not sin”: do not let the sun go down on your wrath, 27 nor give [g]place to the devil.

 

聖書は、怒ることを禁止してはいません。

むしろ、be angry 怒ることは自然なことだと教えています。

身体を打たれたら傷ができて痛いように、

心を打たれたら(目には見えなくても)心に傷ができて痛みが生まれます。

それは、当然のことなのです。

 

②しかし、憎み続けていると、不幸になってしまうこと。(危険)

しかしながら、痛みによって「怒り」が生まれ、それを長く持ち続けて「憎しみ」になると、話は別です。

憎しみは、負のエネルギーを持っています。そして更なる負のエネルギーを生み出します。

それは、自分を腐食します。

(サビのようなものです。最初は大したことはないと思っていても、サビが進行すると動けなくなります。ほっておくと本体までも崩れてしまうことがあります。危険なのです。)

 

あなたの感情を腐食させ、あなたの判断を歪めます。

そればかりか、あなたがサビついていると、あなたと関わる人を腐食します。

確実にあなたの親しい関係に(特に子供たちに)悪影響を与えるのです。

(本人がそのことに気がついていないことが悲劇です。)

まさに、悪魔に付け込ませるチャンスを与えるのです。

 

良く聞くことですが、

憎み続けた相手が、そのことをすっかり忘れていて、結局苦しんでいるのは、憎んでいる本人だけ、ということも普通に起きるのです。

 

まさに悪魔の思うツボなのです。

(悪魔は人間の心を破壊し、自分と他人の生活を呪わせることに、最高の快感を持つのです。)

 

③許しは、自分のためであること。

ですから、聖書は「許しなさい」と主張します。

危険を回避する、唯一の方法が、「赦し(許し)」なのです。(*私のブログでは、神様のゆるしを赦し、人へのゆるしを許しと、漢字を使い分けています。)

 

許すことは、感情というより、意志です。

それは、選択です。

 

その選択ができると、、、

a,憎しみの感情から解放されます。

b,赦し(許し)がどんなものなのかが分かり、自分を許すことができるようになります。

 

a,憎しの感情から解放されます。

憎んでいると、確実に負のエネルギーに包まれます。

そして、負のエネルギーは、あなたの心を腐食します。

 

ですから、負のエネルギーを捨てるためにも、

許しを選択する必要があるのです。

(これは感情ではありません。光と自由を体験したいのなら、「許します」と告白するのです。気持ちが乗らないかもしれません。しかし告白することが重要です。)

 

b,赦しがどんなものなのかが分かり、自分を許すことができるようになります。

苦しい中で、許しを告白していると、分かることがあります。

私は許せない。しかしこんな許せない存在を赦すと言って下さる方がおられる。

許せない存在を、許すというのが、「赦し」なのだ。(分かりにくい表現で恐縮ですが、、、)

 

イエス様がペテロに「7の70倍赦しなさい」と言われました。

ペテロは当時の考えで、3回許せば良いということを知っていて、イエス様に「7回許したら上出来ですよね」と問いました。しかしイエス様は「7の70倍赦しなさい」と言われたのです。これは無限に許しなさいという意味です。

 

神様の「私への赦し」が、「無限の赦し」です。

その「赦し」を体験した者が、傷つけた人を「同じように許す」ことができるようになるのです。

 

ですから、人を許すことは、(聖書に書かれている赦しは)、「自分の力」ではできないことです。

時間がかかりますし、自分を越えた力(助け)を受けなければ、できません。

 

以下の聖書の言葉は真実です。

マタイ6:14-15

「もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。」

 

「同じ物差しで測り返される」(ルカ6:38)のです。

 

「あなたの許し」が、深まれば、あなたが神様から「赦されていること」が、よく分かるようになります。

そして、「人を許した分」、「人からも許される」のです。

(体験的に分かると思います。優しい人には、人は優しくなりますし、無慈悲な人には冷たい対応をするのが、人の常です。)

 

またそのような許しを、自分のものにできたならば、その「物差し」で「自分自身を許すこと」ができるようになります。(多くの人は、人を許せないと言いつつ、本当に許せないのは、自分自身だったりするのです。)

 

ですから、色々な面で考えても、

許しは、「あなた自身」のためなのです。

 

まとめです。

怒りを感じることは自然なことでも、

それを憎しみに熟成しまうと、あなたあなたの心を腐食してしまいます。(危険です。)

ですから、「赦し(許し)の効果」を知りましょう。

 

しかし知性と感情は別物です。

意志で許しを告白しても、感情はついていかないことは常です。

時間がかかることがあります。(焦らないことです。)

誰かの助けが必要なことが多いのです。

(心の深い感情を吐き出して、それを聞いて貰うことが、助けになります。)

 

そして、一番力になることは、あなたが「神様の赦し」を体験することです。

「7の70倍赦しなさい」と言われたイエス様の赦しは、

あなたが、どんなに酷い状態でも、「7の70倍赦す」、そのような十字架の赦しなのです。

 

今回、キリスト教の最も本質である「赦し」について書かせて頂きました。

質問者さんの心が解放されるために、参考にしてもらえたら嬉しいです。

祝福をお祈りしています。

 

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「苦しみの荒野」で、どう考えたら良いのか。

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人は、人生に何度か「荒野を通る時」があります。

 

韓国のクリスチャンミュージシャン「ジャン・ジンスクさん」

の人生のお証を聞きました。

 

「なぜ闇のなかに、深き闇みに
一人で捨てられたのか
私はなぜ寂しくなり、低くなり、
頼りなくなったのか
荒野、荒野にいる」

(ジャン・ジンスク 「荒野をとおって」)

https://youtu.be/CIVd8VOhRnU

 

彼女は、父親が肺がんで音楽大学生の時に亡くなり、その後も父親の闘病の影響で、貧しい生活を余儀なくされました。

ある日、バス代が足りなくなり、

惨めで悲しくなって、泣きながら主に祈りました。

「どうして私はこんな惨めな生活を送らなければいけないのですか。人生は辛すぎます。あと20万ウオン(2万円)必要です。天の神様が私のパパなら、願いを聞いて下さってもいいじゃないですか。父親は娘のために助けて下さいますよね。あなたが良いお父さんならば、娘を助けて下さい。」

 

そう祈った直後に、携帯に電話があり「子どもを教えて欲しい」と言われ、その報酬が20万ウオンだったのです。

彼女は、心の中に不思議な温もりを感じました。お父さんである神様が共におられる、という感覚でした。

 

彼女は、神様に必要な金額を祈るようになりました。

多くの場合、それは満たされたのです。

 

この後彼女は、自分の日記の中に書いた詩に曲をつけるようになり、楽譜に起こし始めました。

特に、苦しみや絶望の中で、父なる神様に慰めを受けた「信仰の思い」を多くの歌にしたのです。

 

自費でCDを作成すると、ガンで死の床にいる方や、夫を事故で亡くした方、様々な苦しみ悲しみの中にいる方々から、メールが来るようになりました。

アルバムは、二枚三枚と増えていき、現在に至るのです。

(背後で神様の導きとしか思えない、不思議な体験があったようです。)

 

「苦しみの中」で、私たちは混乱し、絶望します。

いくら気力を振り絞ろうとしても、

穴に落ちたような時には、這い上がることができず、泣いてしまいます。

(むしろ泣ける時は健全かもしれません。混乱し、自分の気持ちが分からない時には、泣くことさえもできませんから。)

 

そんな時、「誰か」があなたのすぐそばで、

「寄り添って」「助けて」下さるならば、、、

「その温もり」を、一瞬でも感じることができたならば、

人は「生きていける」のです。

 

「荒野」とは、そのような体験をする場所です。

街中では、色々なものがありすぎて、見えなくなっているものが、

「荒野」では、「はっきりと見える」のです。

 

むしろ荒野とは、「本当に自分を助けてくれる存在」を見つけなければ、

「いのちを保つことができない」という、究極の状況下です。

 

そこで「必死に求めた末」に出会うことができた助けは、

「本物の助け」です。

 

その出会いを、温もりを、体験した人は、

「荒野でも」生きていけるのです。

 

「荒野」とは、「本当の助け」に「出会う場所」なのです。

 

詩篇121:1‐2
「私は山に向かって目を上げる。私の助けはどこから来るのか。
私の助けは【主】から来る。天地を造られたお方から。」

 

ローマ8:28 「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを私たちは知っています。」

 

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「山に登ったもの」到達したもの、だけが見える景色

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本日は、「山にに登った者だけが、山の景色を見ること(体感すること)ができる」について、考えていきます。

 

詩篇121:1‐3
「私は山に向かって目を上げる。私の助けはどこから来るのか。
私の助けは【主】から来る。天地を造られたお方から。
主はあなたの足をよろけさせずあなたを守る方はまどろむこともない。」

 

本日、北海道のある牧師先生のお話を聞きました。

最北に近い地のある教会に問題が起き、その教会には「たった一人の女性」の信徒しか残らなかったそうです。

牧師もいない中で、その女性は、将来に絶望する気持ちで、祈ったそうです。

「この教会は、どうなるのですか?」

何度も祈る中でのある時、彼女の心の中に【声】が響いたそうです。

「この教会は、わたし(創造主)の教会である」(わたしが守り、導く)

彼女の心には、平安が与えられ、祈り続けることができたそうです。

 

直後から、周りの教会の牧師たちが、交代で車で何時間もかけて、その一人の女性のために、日曜日のメッセージに行って下さったそうです。

その後、神学生が派遣され、1年後、現在の牧師が派遣され、今に至るということです。

その女性は、後に笑顔で、

「2年前の私に話すことができたら、『大丈夫、すべて上手くいくから』と言ってやりたい。」と笑ったそうです。

 

私たちは、苦難の最中には、目の前が真っ暗になります。

信仰を持っていたとしても、苦しい時には苦しいものです。

しかし、私たちに【助け】が与えられるならば、

その苦しみを乗り越えることができるのです。

 

そして【声】を聞き、【助け】を受け、試練を乗り越えたならば、

「それを乗り越えた人」だけに「見える景色」があります。

そこには、ドラマを見るのでもなく、人から聞いた話でもない、

「生の感動」があるのです。

 

聖書は、「乗り越えられる試練しか与えられない。」

「試練と同時に、脱出の道が与えられている。」と言います。

 

私たちも【助け】を受け、問題を乗り越えていくならば、

「山に登った者だけ」が見える景色を、見ることができるのです。

 

それは平凡な地上では、「決して見ることができない」景色なのです。

祝福をお祈りしています。


Ⅰコリント 10:13「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」

 

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「誰のために」生きるのか。

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本日は、「大きなもの」のために生きると、そのような仲間と、助けが与えられることを考えていきます。

昨日は、①自分の才能を発見する。②苦しい中でも前進し、自分を鍛えること。を考えました。

自分の境遇を呪うことなく、黙々とスキルアップをしていくことで、「未来」の備えをすることができるのです。

今回はその続きです。

 

私たちは、自分を大切にして生きています。

「自分が嫌いな人」でも、ボールが飛んでくれば、無意識に避けます。

本能的に、人間は自分を守るようにできています。

ちなみに「自分が嫌いな人」は、理想の自分がいて、そこに至らないから「自分が嫌いだ」という人が多いのです。

つまり本当は「自分を好きになりたい」のです。根本では自分を大切にしています。

「自分の考え」を大事にしているのです。(そうではないでしょうか。)

 

しかし人は同時に、「社会的な存在」です。

「誰かに認められること」を願っています。

それは、裏返せば「誰かのために生きる」ようにできているということです。

 

聖書はこう言っています。

ピリピ人2:4 「おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい。」

1コリント10:31「あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。」

 

上の2つの聖書の言葉を、皆さんはどう考えますか。

「自分のことだけで精一杯だよ」

「人のことなど、考える余裕がない」

特に、不遇な中で問題で苦しんでいる場合、余裕がないと思うのが通常です。

 

しかし考えてみて下さい。

「山登りを目的」とするならば、歩けば必ず「きつい所」を通ります。

もし「目的」を見失ったなら、流されて、「くだりの道」を選ぶかもしれないのです。

「目的が散歩」ならば、それも良いでしょう。

しかし「頂上が目的」ならば、目標から目を逸らしてはいけません。

 

ピリピ3:14
「キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」

 

目標(目的)が重要です。

「自分のため」は当然ですが、

「誰かのため」誰かのニーズのために生きることは、自然であり、それを「意識し続ける」ことは、大切なのです。

恋人のため、家族のため、会社のため、社会のため、国を護るため、、、

 

本気で、そのような目標を持つ人は強いのです。

そういう人は、逆境の中であっても、

「山登り」のように、目標に向かって進んでいけるのです。

 

今回の衆議院選挙で落選してしまった、長尾たかし氏はそのような人でしょう。

詳細は書きませんが、本気で日本のことを考えて、打算抜きで行動している氏の姿勢に共感する人は、ネットを中心に多くいるようです。(政治ですから、色々な立場で見る方はおられるでしょうが。)

 

プライベートでも、オフィシャルでも、

目標は必要です。

目標に向かって、逆境の中でも、(目標を忘れずに)コツコツと進む人には、仲間が与えられます。

それが大きな目標ならば、多くの援助者が与えられるのです。

 

一点注意すべきことは、「誰かのため」という場合、

「本当に誰かのため」でなければいけません。

自分のため、自分に利するために「誰かのためを振る舞う」ことは危険です。

(そのような打算は、必ずバレてしまいます。その時は、全てがご破算になります。)

 

心の中を考える場合、

見えない神様を意識することは、とても役に立ちます。

「人はうわべを見るが、主は心を見る」(1サムエル16:7)

からです。

 

そういう意味で、神を意識し、

聖書が勧めるように「神の栄光のため」(善の神様に喜ばれ、評価されるように)生きることは、

「素晴らしい生き方」です。

 

心の中は、普通見えません。

しかし、純粋な心でコツコツと「神の栄光のために」生きる人は、

「人生の重要なところ」で、

準備された「チャンス」をつかめるのです。

 

「王の実力」をつけた人が、「王の門から入れる」ようなものです。

それは、日々の生き方が「実力テスト」のように、結果を生むのです。

 

人生が終わり、、、、

私たちが、創造主の前に立つ時に、

「自分の人生の総括」をすることになります。

その「最後の総括」を意識して、「逆算」して計画を立てて生きることも、

理にかなった生き方だと思うのです。

 

今回2回に渡って、人生には、、、

①与えられた能力、使命がある。

②自分の能力のスキルアップは、自分の責任(選択)である。

③誰のために、能力を使うのかが、重要。(特に、神の栄光のために生きる、素晴らしさ)

を考えてみました。

 

「人生を最善に生きる」ために、ぜひ参考にして頂ければ幸いです。

祝福をお祈りしています。

 

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「未来」 の仕事、働き、趣味について

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今回は、聖書から「人生の使命」と「与えられた働き」  について考えてみます。

 

未来の確実な予測はできません。

しかし、いくつかのヒントはあったりはするのです。

 

刺繍は、綺麗な花が描かれていても、

裏返っている時は、その絵が分からないように、

人生も、振り返ると、一本の道のように 見えても、

問題の渦中では、ゴミのようにしか見えない時があるのです。

 

人生は、「自分だけで選んできた」ように見えても、

実は「選ぶように導かれていた」ということがあります。

 

今回のブログは、視点を変えることを、念頭に置いて読んで頂ければ、

と願っています。

それは、「自分から見える視点」をはなれて、

少し「高いところから、自分を見る視点」です。

 

人生には、、、

①与えられた能力、使命がある。

②自分の能力のスキルアップは、自分の責任(選択)である。

③誰のために、能力を使うのかが、重要。

(人生には、実力テストの時がある。)

 

今回のテキストは、預言者エレミヤです。

エレミヤ1:4-8
【1:4 次のような【主】のことばが私にあった。1:5 「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々への預言者と定めていた。」1:6 そこで、私は言った。「ああ、神、主よ。ご覧のとおり、私はまだ若くて、どう語っていいかわかりません。」1:7 すると、【主】は私に仰せられた。「まだ若い、と言うな。わたしがあなたを遣わすどんな所へでも行き、わたしがあなたに命じるすべての事を語れ。1:8 彼らの顔を恐れるな。わたしはあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。──【主】の御告げ──」】

 

①与えられた能力、使命がある。

これを読んで下さっている皆さんにお聞きします。

「あなたは、どんな趣味を持っていますか。」

「何をする時に、喜びがありますか」

「小さい頃は、どんな子どもでしたか、好きなことは何でしたか?」

 

ちなみに私は、小さい頃から、本が好きでした。

学校の図書館にいつも行って、お気に入りの本を探していました。

「ドリトル先生シリーズ」、

「長靴下のピッピ」等を、今でも懐かしく思い出します。

それらのストーリーにワクワクする中で、いつも感動を求めていました。

本を読み終えると、寂しくなって、新しい感動、世界観を探し始めていました。

 

今振り返ると、ここに私の原体験があるように思います。

「真実の感動を知り、その感動を伝えたい。」

今の私の本業は、その延長線上にあるのです。

 

最近、小説を読んだり、ドラマのセリフを聞く時に、

「こんな表現ができるのか」

「こんな構成、展開、、、があるのか」と感動することが多いのです。

そんな時「こんな職業につけたら、たくさんの人に感動を与えることができて素晴らしいな」とも思うことがあります。

 

多分、私の「未来」の仕事、働きの希望は、この路線です。

「人と関わること」も「立場や役割をこなすこと」も、

根底には「感動し、感動を伝え、それを共有したい」という強烈な思いがあるような気がするのです。

 

音楽、スポーツ、芸能、、、

どの分野で活躍している人も、自分の特技を生かして仕事をしています。

その特性によって、「未来」が決まっています。

 

「あなたは、どんな趣味を持っていますか」

「好きなことは何ですか」

「あなたは、何をする時に喜びがありますか。」

その中に、あなたに与えられた使命と未来が隠れているかもしれません。

 

是非許される範囲で、一歩踏み出してみることです。

本を読んだり、情報を集める中で、見えてくるものがあります。

「山の景色」も少し歩くと変わります。

見える世界が変わるのです。

そのように、あなたの使命や未来も、進んでいく中で、今よりはっきりと見えてくるはずです。

 

②自分の能力のスキルアップは、自分の責任(選択)である。

先程の聖書箇所で、神様はエレミヤに「まだ若いと言うな」とおっしゃいました。

「使命が与えられているのだから、恐れずに前進するように」と言われたのです。

 

エレミヤは、そうやって問題の中でも、

前進していく中で、経験を積み預言者としてのスキルをアップしていきました。

飛び込んで、経験を積むことは、「自分自身の判断(選択)」です。

そしてそれを「するかどうか」は、「自分の責任」なのです。

 

神様があなたに「何かの使命」を与えているならば、

進む中で、不完全でも「何かしらの景色、ヒント」が見えてくるのです。

それを見過ごさず、前進していくならば、良い仕事ができるようになります。

 

仮にもし間違ったならば、修正すれば良いだけです。

一番怖くて悲しいのは、「道が準備されていた」のに「そこを行かない」ことです。(但し無鉄砲で危険な道は、慎重に考える必要はあります。)

 

また、自分のモデル(理想)になるような人を見つけると、歩み易くなります。

そういう人が見つかったなら「徹底的に研究」しましょう。

その人の知恵や能力、生き様を学ぶのです。

そういう中で、あなたに合った「スキルアップ」をすることができます。

 

その「スキルアップ」によって、未来の働きに備えることができるのです。

 

次回は、最後のポイント、

③誰のために、能力を使うのかが、重要。

(人生には、実力テストの時がある。)

を考えていきます。

祝福をお祈りしています。

 

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「苦しみにあって、良かったこと」 詩篇 119篇71節

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本日は、「苦しみ」について考えてみます。

苦しみは、誰もが避けたいことです

そして、もし起きてしまったなら、一瞬でも早く解決したい、と考えるはずです。

 

本当に、苦しみは良いことなのでしょうか?

 

詩篇119:71

新共同訳「卑しめられたのはわたしのために良いことでした。
わたしはあなたの掟を学ぶようになりました。」

新改訳「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」

 

人間関係の苦しみにしても、 もっと広い人間の普遍的な苦しみ(生きる、老いる、病気、死)

にしても、聖書は、それらは「人生の、掟を学ぶため」に有益だと教えているのです。

 

人間は、「自己保存の欲求」があります。

ですから、「外からの攻撃」に対しては、 防御本能が働きます。

(それが善意のアドバイスであっても、です。)

「自分を変えること」に、抵抗するのです。

 

「若い時の苦労(失敗)は、買ってでもしろ。」という言葉があります。

実際、失敗をすると、必死になって解決の努力をします。

周りを変えようとしますが、結局は自分を変え、自分が学ばないと解決しません。

そのあがきの中で、学習し、器を大きくすることができるのです。

若い内に、そのような学習をするならば、「一生の財産」となります。

(年をとってからでも、遅くはありません。経験が多い分、「深い悟り」となります。)

 

つまり、苦しみは「自分が成長する」ために、「最善の道」なのです。

 

感情では「避けたい」と思っても、理性的に考えて「行かざるを得ない」なら、

「行くしかない」のです。

 

【現実を直視し、逃げないこと】

ですから、大事なことは、「現実を直視すること」です。

辛くても、「絶対に外してはいけないもの」ならば、

歯をくいしばっても、進まなければなりません。

(「どうでも良いもの」は、どんどんスルーしたら良いと、個人的には思います。)

 

全てが、「人生勉強、修行だ」と考えて、乗り越えて行くのです。

(逃げるよりも、前向きに捉えた方が現実的ですし、解決が早いのです。)

 

聖書にも、「人生は訓練である」と書かれています。

ヘブル12:5-7

「『わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。

主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。』

訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。」

 

人生が「訓練である」ならば、厳しいことは「筋トレ」のようなものです。

負荷がかかった分、力がつくのです。

 

最後に、ではその訓練を受けている時に、

「神はおられる」のでしょうか?

訓練を受けている私を「神はどのように見ておられる」のでしようか。

(それも、人類の普遍的な質問です。)

 

イザヤ55章です。(1-11の抜粋です。是非本文全体を読まれることをお勧めします。)

【主は、わたしを求めよ、と思っておられる】
「1 ああ。渇いている者はみな、水を求めて出て来い。金のない者も。さあ、穀物を買って食べよ。さあ、金を払わないで、穀物を買い、代価を払わないで、ぶどう酒と乳を買え。

6 主を求めよ。お会いできる間に、近くおられるうちに、呼び求めよ。」

 

【主の考えは、高過ぎて分からない。しかし必ず実現される、と言われている】

「8 わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。―主の御告げ―

11 そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。」

 

神様は、あなたをいつも見ておられます。見て下さっています。

特に、苦しい時には、尚更です。

 

その神様の心は、「親心」です。

「たましいの成長をして欲しい」と願う、「親の心」です。

私たちが、アリのように、地面しか見えなくても、

創造主は、遥か高いところから、あなたを見ておられ、助けの手を伸ばしておられるのです。

 

そして、、、

【主】はいつも、そのことを「訴えておられる」のです。

 

私たちは、寿命を終え、いつかはあちらの世界に行きます。

その時に持っていける財産は、愛とか人格と言った「見えないもの」です。

 

「苦しみ」は、そのような財産を得る、「最善の方法」であると、

「聖書」は言います。

もし、それを知るならば、

「苦しみ」を別な視点で見ることができるのではないでしょうか。

祝福をお祈りしています。

 

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