イエス様の弟子は12人いて、イエス様が十字架にかかった時に、全員が裏切り逃げてしまったと聞きました。どうしてユダだけが自殺をしてしまったのでしょうか。他の弟子たちは、そこまで悪くなかったのですか?教えて下さい。
ご質問をありがとうございました。
ユダが自殺をしてしまったのは、事実であり、有名な話です。
ユダは、銀貨30枚で、イエス様を宗教指導者に売ってしまいました。(他の11人とは別行動でした。)
彼の自殺の原因は、「罪責感」です。
彼は、「罪責感」によって、乗ってはいけない「悪い思い」を、心に入れてしまったのです。
しかし、聖書の基準で考えれば、大きな罪も小さな罪も、罪には変わりません。
(小さいから「自分は大丈夫」と安心することは、むしろ危険です。)
他の11人の弟子たちも、イエス様が逮捕された時、皆逃げてしまいました。特にペテロは、三度「自分はイエスを知らない」と告白したのです。皆多かれ少なかれイエス様を裏切ったのです。
ただしユダには、そうなるべき「決定的な理由」がありました。
私たちが「悪魔に利用」されないための「注意事項」として、ユダのことを知るのは意味があります。
いくつかのポイントで、考えていきます。
①ユダには、悪魔のひどい攻撃があった。
悪魔は、イエス様の「救い主の使命」を破壊しようとしていました。
イエス様の公生涯の最初から、攻撃を仕掛けました。(マタイ4章)
イエス様が、悪魔の攻撃に打ち勝つと、次の「別な方法」を虎視眈々と伺っていたのです。
イエス様に、プライドを傷つけられた宗教指導者たちが、「ローマへの反逆」をでっち上げ、イエス様を裁判で死刑にしようと考えました。
ユダはそのために、利用されたのです。
しかし、そんな人間の策略の「背後」で、「悪魔」が働いていました。
このように書くと、「オカルト」や「空想話」のように思うかもしれません。
しかし、「魔が差した」と言葉があるように、人の心の中に「ささやく声」は、事実として存在します。
自殺の名所で「死ね。死ね。」と声が聞こえたり、心の中で「殺せ、殺せ」という声を聞いていた人物が、通り魔で事件を起こしたという週刊誌の記事も存在します。
(週刊誌の記事なので、その真偽を確認することは難しいですが、、、)
しかしながら質問者さんも、実感として「心の中にささやく声」に気がつくことはありませんか?
「自分の思考」を越えた「神様の導き」も「悪魔のささやき」も存在すると考えていた方が、安全です。「悪魔のささやきだ」と分かれば、注意し、対策を打てるからです。
聖書もその考えに同意します。
1ペテロ5:8 -9「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。
堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。」
②ユダは、悪魔に「利用されやすい心」を 持っていた。
ユダの持っていた心は「高慢」です。
ユダは、イエス様の集団の財布を預かる会計係でした。それなりに優秀だったでしょう。
(ただし、聖書にはユダはお金を誤魔化していたと書かれています。ここにも悪魔が付け入るスキがあったのです。)
聖書には、イエス様との交わりがほとんど書かれていませんので、孤高の存在だったかもしれません。
自尊心が高かった可能性があります。
自尊心が高く、人と交わらない、、、そういう人の特徴は、「自分は正しい」と思い込みます。
そういう人は、「人を批判」します。
自分を顧みることをせずに、「人を変えよう」とします。
「人のせいにする」ことが多いのです。「憎しみ」を 持つことも多いのです。
これは、すべて悪魔の特徴です。
(気をつけましょう。)
そういう気分になった時、悪魔は「そよ風のように」ターゲットの人物の心に「邪悪な心」を投げ込みます。
するとその人は「自分の考え」だと思い込んで、パクリと「その邪悪」を飲み込むのです。
そうなると「邪悪は、自分の考えだ」と思い込んでしまいます。(この騙しは非常に危険です。)
以下の聖書箇所を読むと、ユダは何度も「サタンのささやき」を心に入れていたことが分かります。
ルカ22章
22:3 さて、十二弟子のひとりで、イスカリオテと呼ばれるユダに、サタンが入った。
22:4 ユダは出かけて行って、祭司長たちや宮の守衛長たちと、どのようにしてイエスを彼らに引き渡そうかと相談した。
22:5 彼らは喜んで、ユダに金をやる約束をした。
ヨハネ13章
13:2夕食の間のことであった。悪魔はすでにシモンの子イスカリオテ・ユダの心に、イエスを売ろうとする思いを入れていたが、
13:27彼がパン切れを受けると、そのとき、サタンが彼に入った。
「悪魔のささやき」を無批判に、自分の心に入れてしまうことは、大変恐ろしいことなのです。
ここで一旦、まとめます。
悪魔は、ある人間をターゲットにして、攻撃を仕掛けてくることがあります。
多くの人は、無自覚の中での「悪魔の攻撃」に対して「無力」です。
しかし「対策」を打つことはできます。
それは、高慢の逆を行くことです。
それは「へりくだり」です。
悪魔はへりくだりが嫌いですから、そこにはついていくことはできません。
もう一つ重要なことがあります。
それは、イエス様の「十字架の赦し」と「その取りなしの祈り」の力です。
同じくイエス様を裏切ったペテロはどうでしょう。
ペテロは、自分が助かるために「三度もイエス様を知らない」と告白しました。
(この罪責感も、大きいものです。)
しかし、ユダは自殺をしましたが、ペテロは赦されました。
次回に触れますが、ユダが自分で自分を裁いたのに対し、
ペテロは、イエス様に近づいたのです。(赦しを求める心です。)
イエス様は十字架上で、以下のように祈られました。
ルカ23:34 「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」
それは周りのイエス様を誹謗中傷する人たちに向けられたものだけでなく、
ペテロにも、ユダにも、そしてこの文章を読んでいる「あなた」にも向けられた「とりなしの祈り」です。
イエス様の教えは、
人生失敗しても、挽回があるという教えです。
赦しがあり、回復があり、逆転があるのです。
もし誰かが、自殺をしたいような罪責感を持ったとしても、
「自分で自分を裁かない」で下さい。
イエス様に近づいたならば、必ず助けて頂けるのです。
一度や二度のチャレンジで諦めないで下さい。
もし習慣的に悪魔の言葉を受け入れていた場合、引っ張る力を振りほどいて、
イエス様に近づくには、かなりの力が必要です。
それは選択の力です。
方向転換です。(これを「悔い改め」と言います。)
悪魔は、総攻撃をしかけてきます。
しかし、あなたがイエス様に飛び込めば、すべてが静かになるのです。
次回は、「自分の人生を祝福で歩むのは、自分自身である」
(悪魔の誘惑を聞く必要がない)
という観点で、続きを書く予定です。
祝福をお祈りしています。
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