人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から

世界のベストセラー聖書の価値観から、生きるを考えます!(モノの見方が変わると、とても楽になります)

その6 「人を下に見る」心理「自分を正しいと思いたい人」

クリスチャン作家、三浦綾子さんのエッセイの中に、こんな文章があります。

「人間はとても自己中心である。集合写真を見ればまず第一に自分を見る。髪の毛がちゃんとしていたか。目はつぶっていなかったか。必ず自分をチェックする。また大事な花瓶を自分で割ってしまったら、惜しいことをした、と思うが、他人が割ったならば、徹底的に攻撃をする。そのように自己中心なのである。」

秀悦な文章です。

 

私たち人間は、悲しいことに皆「自己中心」です。

聖書はその理由を、霊的死、神様から離れてしまったことによる罪の結果だ、と記しています。

「義人はいない。ひとりもいない。悟りのある人はいない。神を求める人はいない。すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行う人はいない。ひとりもいない。」 ローマ人への手紙3章10~12節

 

自己中心、「自分が一番」ということは、他の人は「それ以下」になります。

自分が尊敬する指導者や、目上と考える方以外は、

基本的に「人を下に見ること」は、堕落した人間の「自然な考え」なのです。

 

「このこと」を自覚する必要があります。

なぜなら、自分が正しい人、良い人だと「思いたい人」は、

「自分が悪い人間である」ことを認めたくありません。

 

見下しているのに、「私は、見下していない。いつも平等に見ている」

と言い切ってしまい、「自分の本音」を見ようとしないのです。

 

そういう人は周りにいませんか?

ちょっと問題点を指摘をするだけで、物凄い反発をする人です。

「正しくなければならない」と、頑張り過ぎている人です。

 

そういう人は、全てを抱え過ぎて「神様のように」なろうとしています。

そのプレッシャーは、相当な重圧です。

だから早く、諦めて(白旗を上げて)、自分の歪んだプライドを捨てた方が良いのです。

そうすれば、重圧から解放されて、楽になります。

 

イエス様を信じる、とは、

自分の歪んだ罪を認めて、自分の罪を十字架につけることです。

罪を渡してしまうのです。素直に渡すと赦されます。

そして、その赦しを受け入れられるならば、深い部分で癒され、解放されるのです。

 

今回のポイントは、(イエス様のお考えを知ることを通じて)

①自分が一番と考えて、人を見下している事実を認めること。

②聖書を読むことで健全な考え方を知り、心を変えて頂く。(赦し、癒しを体験する)

 

①は、すでに書いてきました。

ですから、後は「自分の正直な姿」を認めるかどうかなのです。

② について考えていきます。

 

自分が、「人を見下している」ことを本当に気がつくと、

「どうしたら良いのだろう」と真剣に考えるようになります。

 

そういう時は、聖書の言葉が役立ちます。

ピリピ2:3-5

「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。

自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。

あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。」

 

聖書の言葉を読む時は、姿勢が大切です。

単なる「情報」ではなく、「神様の言葉」として読むのです。

自分の価値観よりも「上位の尊重すべき言葉」として受け止めるのです。

 

そういう姿勢で読めば、考え方にバランスが取れるようになります。

人間は重ねて言いますが、自己中心です。

自分が一番上なのです。

 

しかし、神様は「それ以上の存在」であることを認めた人は、

「自己中心」の壁を乗り越えて、より健全な「心の持ち主」になれるのです。

 

エレミヤ書17:9-10

「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。

わたし、主が心を探り、思いを調べ、それぞれ生き方により、行いの結ぶ実によって報いる。」

 

箴言16:20

「みことばを心に留める者は幸いを見つける。主に拠り頼む者は幸いである。」

 

ヘブル人への手紙10:22

「私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか」

 

※自分の力では、自分の心を綺麗にすることはできません。

イエス様を信じ、神様が「自分の上」におられることを認めた者たちは、

「神様の言葉を聞いて」変えられていくのです。

祝福をお祈りしています。

 

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その5 いつも正しいところに立とうする心理「自分を正しいと思いたい人」

「勝てば官軍」という言葉があります。

勝ってしまえば、思い通りにすべてを支配出来るという意味です。

「勝ち馬に乗る」という言葉もあります。

(人は自分の身が可愛いので)、勝った側について、優位に立とうという心理を表す諺です。

 

今回は、「正しいところにいつも立とうとする心理」を考えていきます。

人間はとても弱いです。

ある状況では、自分の身を守るために「何でもする」という弱さがあります。

 

自分の言動を、後から悔いることが無いために、

いくつかのポイントを考えていきます。

事前にシュミレーションをすると、失敗が少なくなると信じています。

 

①正しいことだけを言う心理

②正しいところにいつも立とうとする人の心理。自分の弱さを認められない。

③違いを、相手の間違いだと決めつける心理。

 

神様を信じるということは、自分を越えた存在を「受け入れる」ということです。

それは、自分が「間違えることがある」と「受け入れる」ことでもあります。

 

しかし、「自分を神様」のように考える人たちもいるのです。

そう言う人は、「自分が正しくあろう」とします。

(その志は、立派ではあります。)

しかし残念ながら、人間は完璧ではありません。

自分を神様のように考えると、ズレが起こります。(無理が起きるのです)

 

行動が一見正しくても、考えていることが邪(よこしま)ならば、

演技をしなければなりません。

 

①正しいことだけを言う心理

「自分が正しくあろう」と考える人は、無意識のうちに言葉を選んでいます。

自分の「都合の良い」ことだけを、「言葉にする」のです。

それは、

自分が「批判をされない」ためであり、自分が相手よりも「優位に立つ」ためです。

 

②正しいところにいつも立とうとする人の心理。

そして、いつも自分は正しいところに立とう、とします。

自分を「安全な場所」に置くのです。

(処世術としては必要な場合もあるでしょう。)

しかしタイミングを間違えると、信用を無くします。

 

「自分をいつも正しいところに置こう」とする人が失敗するのは、

イソップ寓話の、コウモリのようになる時です。

 

あなたに考え方の芯があって、行動しているならばまだ理解されますが、

その都度コロコロと、「自分を守るために意見を変える」ならば、

人は、その人を信用しません。

 

時には損をしても、自分が正しいと思うことを主張する人を、人は信用します。

状況ではなく、理念で動く人を信用するのです。

別な言い方をすれば、

敵がいても、あなたの味方になってくれる人を、人は信用するのです。

 

そのためには、理念が必要です。

状況でコロコロと変わらない、「芯」が必要なのです。

 

③違いを、相手の間違いだと決めつける心理。

人にはそれぞれやり方があります。

同じ仕事をするにも、多少の違いがあることは当然です。

しかし「いつも自分を正しいと思いたい人」は、その違いが認められません。

少しの違いを、個性ではなく、間違いだと決めつけるのです。

 

ではどうしたら良いのでしょうか。

 

「自分はいつも正しい、正しくなければいけない」という偶像(神話)を一旦捨て去るのです。

現実を直視するのです。

そうすれば、自分は正しい時もあれば、間違っている時もあると言う「当たり前の事実」にたどり着きます。

 

つまり、

自分の弱さを認め、受け入れる必要があります。

そして、

自分の弱さを認めた人が、人の弱さをも認められるようになるのです。

(相手の個性の幅を「受け入れる」ことができるようになるのです。)

 

「自分がルール」では、それは不可能です。

「自分を越えたルール」があり、

自分はできる時もできない時もあるのだ、と謙虚に認めることから始まるのです。

(それは、相手もできる時もあれば、できない時もあると「受け入れる」ことにつながります。)

 

イエス様を信じ、見えない創造主を信じる、と言うことは、

「自分を越えたルール」があることを受け入れることです。

そして、イエス様を信じると、

「私を造られた創造主は、私を愛しておられ、私の失敗を助けてくださる」、

そのことを体験できるのです。

 

創造主を知り、体験すると、

本当の自分を知ることができる(受け入れることができる)ようになります。

(そして、人も受け入れることができるようになります。)

 

それは、とても楽な生き方です。

「自分が正しく、神のようになれなければいけない」という考え(偶像)は、疲れます。

早く捨て去った方が良いのです。

 

自分の身を守るために(自己保身で)、間違った判断をしないために、

①自分が「いつも正しい」と思わない。

②自分を「いつも安全な場所」に置こうとしない。

③人の個性を「間違い」だと決めつけない。

 

そのためは、「自分の正しさ」を一旦捨て、

自分を越えた正しさ(創造主)を受け入れることが最善です。

(バランスが取れるようになります)

 

祝福をお祈りしています。

 

伝道者の書7章16節

「あなたは正しすぎてはならない。知恵がありすぎてはならない。なぜあなたは自分を滅ぼそうとするのか。」

 

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その4 出来ていない人が、人に厳しくなる「自分が正しいと思いたい人」

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○出来ていない人が、人に厳しくなる

このことに触れていきます。

 

コンプレックスという言葉があります。

心理学用語で、「感情の複合体」という意味です。

感情が無意識に絡みあって、自分でも良く分からない状態を指します。

 

自分の心がよく分かっていないと、

イライラしたり、過剰に感情的になったり、してしまうものです。

 

イライラしている時、紙にイライラの原因を書き出してみると、効果があります。

「自分はこれで、イライラしている」その原因が分かったなら、

対処ができるのです。

 

「幽霊の正体見たり、枯れ尾花」ということわざがあります。

(怖いと思ってよくみると、枯れたススキで、大したことは無かったという意味)

 

感情のコンプレックス(ごちゃごちゃしたもの)も、

その正体が分かれば、「なーんだ」となるのです。

 

さて、本題に戻ります。

「できていない人が、人に厳しくなる心理」です。

 

先回、「自分が正しい人、良い人だと思いたい人」は、

「自分の闇」を直視できるかをない、ことを書きました。

そのため、演技をして「できているフリ」をするようになることを指摘しました。

「実際の感情」と「行動」が遊離しているので、疲れてしまうのです。

 

今回は、その続きです。

上記の心理状態が、まさに「コンプレックス状態」(ごちゃごちゃ状態)と言えます。

自分の怒りや葛藤と言った「闇の部分」が、「見えていない」のです。

 

そういう人の前に、「同じようなタイプ」の人が現れたら、どうなるでしょうか。

答えは、簡単です。

感情が「引き出される」のです。

 

そういう場合、

その人の心の中の、感情の「見ないようにしている部分」が、揺れます。

すると、イライラしてくるのです。

攻撃的になります。

(それは自己防衛からです。自然なことでもあるのです)

 

その人は、自分の感情を抑えるために、

悪いのは「すべて目の前の人間のせいだ」と決めつけようとします。

それをすることで、自分の負の感情を見なくて良くなるだけでなく、

カタルシス(精神的な浄化)が、瞬間的に起こります。

 

ですから、中途半端にできていない人が、「異常に人に厳しく」なるのです。

(全く出来ていない人は、そもそも発言しません。そして良く分かっている人は、細かいことはごちゃごちゃ言いません。ポイントだけを端的に語るのです)

 

笑い話ですが、

どこに行っても嫌な人がいるので、嫌な人の特徴を考えてみたら、「自分と同じ」だった。

どう思いますか。

 

自分の心を、正直に見ることが出来ず、(見たくない)

「自分を正しい、良い人だと思いたい」人は、

「同じタイプ」の人が現れると、大変です。

感情的にイラついて、攻撃的になるのです。

 

解決策は、自分を知ることです。

良い点、悪い点をごまかさず、正直に受け入れることです。

そのために、創造主を信じることは、非常に益となります。

創造主を信じると、創造主の視点で自分を見ることができるようになります。

鏡を見るように、自分の姿を知ることができるのです。

 

2コリント3:16-18

「人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。

主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。

私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」

 

真に自分を知り、受け入れることができた人は、

「悪感情の束縛」から解放されます。

イエス様を信じ、創造主に助けて頂けると、

心の中に奇跡が起こり、人は変えられるのです。

 

祝福をお祈りしています。

 

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その3 「自分を良い人だと思いたい人」の問題点

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○出来ているフリをする。(無意識の場合が多い)

今回は、この点を考えていきます。

 

考えてみてください。

「自分が良い人」というのは、事実でなく「願望」です。

(こんな言い方をすると、身もふたもないですが、、、)

 

ちょっと意識すれば、分かると思います。

誰も見ていない時の「自分の心の動き」を思い出してください。

行動ではなく、「心の動き」です。

どんな風に考え、どう反応しているのか。

 

イエス様の言葉です。(マタイ5章です)
21 昔の人々に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。

22 しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。

 

27 『姦淫してはならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。

28 しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。

 

イエス様は、「心の中の罪も、罪なのだ」と言われています。

 

「これを直視することは、辛い」と考える人も多いのではないでしょうか。

特に、「正しい、良い人でありたい」と思っている人には、キツイと思います

(私も、神様の愛を知ってから、ようやく「本当の醜い自分」を受け入れることができるようになりました)

 

自分の「心の醜さ」を見て、

それを「受け入れられない」とどうするか。

答えは単純です。

「否認」です。(否認:無視する、無いもののように振舞うこと)

 

自分の出来ていない部分を無視し、

「出来ているかのように」考えるのです。

そして、「出来ているかのように」演技するので。

 

実はこれは、非常に「疲れ」ます。

頑張った分、後からガックリきます。

「出来ていない」のに、振舞うのですから、当然です。

 

しかし、本当の自分をごまかしているのですから、

やめる訳にはいきません。続けるしかないのです。

「人に会うのはしんどい」と思っている方は、

この点を注意すべきです。

 

「自分を良い人だと思いたい人」は、

自分の中の「悪感情」を認められません。

良い人を「演じ」ます。

とても「疲れやすい」のです。

 

これを克服するためには、

「自分の醜さ」を受け入れる「強さ」が必要です。

罪にまみれた自分を見る、「正直さ」です。

 

愛された分、愛することができる。

受け入れられた分、自分を受け入れることができる、というのは本当です。

 

しかし「自分を受け入れる」のは、自分の頑張りでは不可能です。

自分を超えた存在に、

受け入れられている、という実感が、必須なのです。

 

それができるのは、「人」では不十分です。

(親や恋人であっても、すべて知り受け入れることは不可能です)

全知全能の「神様」から「受け入れられること」、

受け入れられていることを「知ること」が最善であり、最強なのです。

 

ヘブル4:12-13

神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。

造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです。

 

創造主にすべてを知っていただいていること。

その上で愛され、受け入れられていることを知っている人は、最強です。

人生を「自分らしく」、「自由に」生きられるようになるのです。

(特に問題や否定される状況下で、その真価が発揮されます)

 

今回は「自分を良い人だと思いたい人」の問題点を考えてみました。

次回、もう少し深めていきます。

祝福をお祈りしています。

 

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その2 「自分を正しいと思いたい人」の問題点

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「自分を正しいと思いたい人」

皆さんの周りにもおられると思います。皆さんご自身がそう言う傾向があるかもしれません。

実は、私もそういう人でした。

 

①批判を聞きたくない。

②批判されると、感情的に反発してしまう。

③感情によって、「真実」が見えなくなる。

その問題点と、その課題を乗り越える方法を考えていきます。

 

①批判を聞きたくない。

「自分を良い人と思いたい」

「自分は正しい人だと思いたい」

そういう気持ちが強すぎると、「演技」をし始めます。

 

24時間正しく生きることは、人間には不可能です。

行動はごまかせても、心の中は「いつも正しく生きる」ことはできません。できないのです。

 

しかし、それでも「良い人、正しい人」でいようとすると無理が起こります。

「理想と現実」が遊離するのです。

すると「現実の酷い心」は無視して、「良い人」を演ずるのです。

(時々、「演技を本当の自分」と思い込もうとする人がいます。昔の私がそうでした。)

(どう乗り越えたかは、後で語ります。)

 

本題に戻ります。

「自分を正しい」と思い追い込みたいので、

「批判を聞きたくない」のです。

批判を受け入れると、演技している「化けの皮」が剥がされます。

いやそれ以前に、「自分自身が問題点を受け入れていない」ので、

「批判を直視」できないのです。

 

②批判されると、感情的に反発してしまう。

ですから、「感情的に反発」します。

理性的な人でも、自分のことを批判されると、イラっときます。

それが「当たっているほど」イラつくのです。

(イラつく自分を「認めようとしない」かもしれません)

 

③感情によって、「真実」が見えなくなる。

感情は理性とは違います。

嫌いなモノは、嫌いなのです。

一旦「嫌い、嫌だ」という感情に囚われてしまうと、

(まさに、囚われるという表現が適切です。)

抜けられません。

その「フィルター(メガネ)」で見るようになります。

 

いくら理性的に正しくても、

「したくない」「みたくない」のです。

そういう感情のスイッチを入れ続けていると、

その悪感情によって、

「真実が見えなくなる」のです。

(見たいものだけを見るようになります。仮に自分の身に不幸を招いても、、、です。)

 

だから、

「自分を良い人だと思いたい人」

「正しい人だと思いたい人」

は、厄介です。

そう思えば思うほど、「健全な批判も聞きたくない心理」が働きます。

 

結果、独り善がりな、一見正しいように見えて、

「評価されたいだけのエゴイスト」になってしまうのです。

 

リーダーが、良い人と思われたいと、

その組織は不幸です。

「人の話は聞いている」ようで、結局は「自己保身だけで何もできない人」となってしまうのです。

人のことが気になって、決断できません。

 

自分が正しいというのは、「幻想」です。

そこから離れないと、冷静な判断ができないのです。

 

「自己保身から離れる」には、「それ以上の崇高な目標」が必要です。

「単なる良い人」を卒業するにも、自分が投入できる「高次の価値観」が必要です。

 

私は、創造主を信じ、その価値観を知ることによって、

(創造主の光で「自分の本当の姿」を知り、受け入れることができたことによって)

自己保身から、卒業することができました。

 

箴言21章2節 
「人は自分の道はみな正しいと思う。しかし主は人の心の値うちをはかられる。」

 

次回、もう少し論を進めていきます。

祝福をお祈りしています。

 

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「自分が正しい」と思い込んでいる人が、助けられにくい点。その1。

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「自分が正しい、正しく有りたい」、そう思っている人が逆に問題を起こし、

「救いや助け、から遠い」ことを考えていきます。

 

あなたの周りに、「自分は正しく」、

心の奥では「人を見下している人」がいませんか?

そういう人は、厄介です。

人の話を聞きません。

進言を批判と考え、徹底的に攻撃してきます。

段々と周りの人が、深く関わらなくなります。

助けが欲しい時に、誰も助けてくれない、という状況になります。

(本人は、助けてもらいたいと思っていないかもしれません)

 

あなたは、「自分が正しい」と思っていますか?

正しく有りたいと思っていますか?

ここで「この質問」は意地悪だと思います。

なぜなら、人間は皆「自分は正しい」と思っているからです。

 

自分が正しいと思い込んでいる人の問題点は、

「自分がルール」という点です。

決して正しくない自分を、何か正しいかのように考えようとしている点が、

論理的に破綻しています。

 

ルールは、自分を超えたものです。

その「自分を超えたルール」に当てはめて、自分を考える。(内省する)

これが必要な姿勢です。

 

そうすると、自分は多くの点で「当てはまらない」と悟ります。

この感覚が大切です。

これが聖書で言う「罪人」の感覚です。(定義です。)

 

聖書の、イエス様の言葉です。

ルカ5:30-32

パリサイ人やその派の律法学者たちが、イエスの弟子たちに向かって、つぶやいて言った。「なぜ、あなたがたは、取税人や罪人どもといっしょに飲み食いするのですか。」

そこで、イエスは答えて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。

わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」

 

イエス様は、「罪人のために来た」

(自分が罪人だと自覚している人のために来た)

と言われているのです。

 

聖書に出てくるユダヤ人は、普通、「聖書の言葉」を学んでいます。(暗唱しています)

すると「自分は、神の律法に反している」

「罪人」である。と自覚します。

する「罪人だから、救いが必要だ」となります。

「救いを求める」のです。

 

自分がルールの人、つまり「自分が正しい」と思っている人は、

「救いを求めない」、のです。(必要ありません)

(又はプライドが邪魔をして、救いが欲しいのに、「正直になれない」、のです)

 

歎異抄の言葉、にも通じます。

「善人なおもて往生を遂ぐ、況んや悪人をや」

(人はだれでも悪人であり、そういう人こそが、信仰によって救われるべき対象なのだ、ということ)

 

日本では「恥ずかしい」という感覚があります。

理想通りになっていない自分が、恥ずかしいのです。

 

しかし、それを「健康的に自覚」できれば良いのですが、

「不健康に隠す」と、問題が複雑になります。

「正しく有りたい」と考え、「正しいフリ」をします。

ある人は、「正しいと思い込もう」とします。

「正しいと信じ切っている人」もいます。(論理的には破綻していますが、、、)

 

これから数回に分けて、

「自分が正しい」と思っている人の特徴を考えていきます。

○できているフリをする。(その理由を考えます)

○自分はできていないのに、他人を異常に批判する。

○心の奥では、人を見下す。

○プライドが邪魔をして、助けを求められない。

 

そして、

○悪人だと自覚している人が、救いにすがることができる。

等々を、考えていきます。

 

自分を知るためには、

「鏡の前に立つ」ことが必要です

そのように「神様の前に立って」、初めて本当の自分を発見できるのです。

自分では、自分のことは、分からないのです。

 

祝福をお祈りしています。

 

ルカ5:32 (イエス様の言葉)

「わたしは正しい人(正しいと思い込んでいる人)を招くためではなく、

罪人を招いて、悔い改めさせる(救いを与える)ために来たのです。」

 

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その4 「人間関係の嵐」の中で、心の平安を保つために。

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今まで「周りに否定的な人」がおられる場合の、対処法を考えてきました。

 

最初は「A、ドロ沼に落ちないために」というポイントで、

否定的な人から身を守る方法を、聖書から考えてきました。(その1、2)

 

先回は「B、(安定した精神的)陸地に留まり続ける」方法を考えました

①絶対的な支えである「創造主」を体験する時に、安定して人を助けることができることを学びました。(その3)

 

今回は、その続きです。(まとめです)

②(安定した精神的)陸地に留まり続けるために。

a落ちてしまうルール法則を知る。

b陸地に戻る道を確保する。

c危険を感じたら、直ぐに戻る。

を考えます。参考にして頂ければ幸いです。

 

しかしながら、これから伝えようとすることは、文章にすると上手く伝わらないかもしれないと危惧をしています。

これから書こうとすることは、知識ではなく、「心の動かし方」だからです。

出来るだけ順を追って説明します。

 

a落ちてしまうルール法則を知る。

こんなことはありませんか。

朝、気分良く出社したのに、同僚の一言で気分が急に落ちてしまった。

楽しいことの直後に、嫌なことが起きて、せっかくの良い気分が台無しになってしまった。

 

自分がどんな時に落ちてしまうか。どんな言葉で、気分が滅入るのか。

その特徴、パターンを知ることは大切です。

 

多くの場合、周りの状況に対して「否定的な気分で反応」する時に、落ちていきます。

周りの状況や言葉に、「否定的に裁いて」しまう時が、危険なのです。

 

その2でも取り上げた聖書箇所です。

マタイ7:1-2「さばいてはいけません。さばかれないためです。

あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。」

 

「人を裁く」と同じ物差しで、自分も裁かれます。

そして、その否定的なやり取りの中で、精神的、霊的に「落ちていく」のです。

 

「人を裁く思い」は、とても厄介です。

なぜなら、自然に湧き上がりますから。

しかし、感情を「放置」してはいけません。「躾け」なければいけないのです。

ルール法則通りにしなければ、いけません。

「そんなことを言ったって、不可能だ」そう言いたくなる気持ちはわかります。

しかし、放っておけば、「裁きと悪い刈り取り」の法則通りになるのです。

 

ですから、感謝できない状況で、敢えて「感謝をする」のです。(その1で触れました)

良く「理由がないと感謝できない」という方がおられます。

しかし理由はただ1つです。「神様の命令だから」です。

(「感謝のメガネ」をつければ、周りの「感謝できること」が見えてきます)

 

同じように、呪いたくなる場面で、祝福を祈ります。

これも理由は、イエス様の命令だからです。

そして、神様の命令は、「人間の幸せ」の為に定められています。

ですから、気が乗ろうが乗らまいが、

「感謝します!」

「祝福を祈ります!」

なのです。

 

心が折れる、落ちる法則を知りましょう。それを避けるスキルを身につけましょう。

 

b陸地に戻る道を確保する。

ドロ沼に落ちている人を助け出すには、陸地に留まることだと、その3で学びました。

しかし、関わるためには、もしかすると「一時的」にドロ沼に入らないといけない場合があります。

その場合、絶対にしなければいけないことは、「いつでも戻れるように」しておくことです。

 

問題ばかりを見ていると、戻る道を見失います。

するとあなたも、迷子になり遭難するのです。それは危険です。(問題が倍難しくなります)

それならば助けに行ってはいけません。

 

仕事ならば、まず段取りをしましょう。

解決の方策を立てるのです。

また援助してくれる人も確保しておきましょう。

いつでも助けを呼べる状況にしておくのです。

 

精神的な面では、天の神様(イエス様)への祈りです。

祈りながら、問題に対処しましょう。

「問題ばかり」を見るのではなく、

「解決を与えてくださる方」と、しっかりと繋がり続けるのです。

 

c危険を感じたら、直ぐに戻る。

最後は、実践です。

実際に危険を感じたら、直ぐに問題から手を引き、戻るのです。

そして、安全な場所で、次の手を考えるのです。

責任感は大切ですが、あなたが遭難すれば、救出に倍以上のエネルギーが必要です。

ですから、危険を感じたら、安全な場所に、出来るだけ早く避難するのです。

 

物理的に逃げることが不可能な場合は、

「祈り」が最後の助けです。

創造主に逃げ込むのです。「天の神様、イエス様」にです。

私も何度「祈り」に助けられたか、数え切れません。

 

旧約聖書、ヨシャパテ王の祈りです。

歴代誌第二20:12
「私たちの神よ。あなたは彼らをさばいてくださらないのですか。私たちに立ち向かって来たこのおびただしい大軍に当たる力は、私たちにはありません。私たちとしては、どうすればよいかわかりません。ただ、あなたに私たちの目を注ぐのみです。」

 

彼は、この祈りを通じて、創造主からの約束の言葉を頂いて、

絶体絶命の危機を助けられたのです。

 

人間関係の嵐の中で、心の平安を保つために、、、

①自分の心が落ちる「ルール法則」を知る。

②「逃げ場所」を確保すること。

③危険な場合は、「直ぐに逃げ込む」こと。

をまとめました。

実際にここで書かれたことを実行するには、スキルと練習が要ります。

しかし、自分のために、このスキルアップは、絶対に必要だと考えます。

 

祝福をお祈りしています。

 

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