「40代主婦です。かつて希望した大学を卒業し、ある程度の会社に就職し、結婚退職をしました。今は子育ても一段落し、充実した毎日を送っているはずなのですが、最近虚しさを感じます。子どもも夫も私のする家事を、当たり前のように見ていて辛くなります。コロナで自粛が続く中、趣味や友だちと会うこともなかなかできません。発散する場所がない中で、毎日の家の用事をするにも、ため息が出てきます。最近何のために生きているのか分からなくなってきました。」
お辛いところを通っておられますね。質問して下さった方は、今まで頑張って生きてこられた方だと思います。
今はコロナ禍で、ストレス発散もままならず、気持ちが萎えてしまっておられるのでしょうか。
文面から、「こんな筈ではない」「もっとしっかりしなければ」という気持ちが滲み出ているように感じました。
もっと向上したい、もっと頑張って充実したい、でも「思い通りにならない」「できない」という虚しさが伝わってくるようです。
かつて高度成長の時代、頑張れば報われる時代がありました。ベビーブームにもなり、子どもたちがたくさん誕生しました。結果、熾烈な受験戦争となり、「友だちよりも一点でも多く」点数を取った者が受験の勝者となりました。良い大学、良い就職を勝ち取り、人生の勝者となれるという構図でした。その弊害からバブル以降「ゆとり世代」が生まれました。(1987〜2003年度生まれ)
そのバブル時代までの空気を成長期に吸った者たちは、「頑張れば認められる」「頑張らなければ認められない」という感覚を無意識のうちに持っています。
しかし今の時代の雰囲気はまったく違います。頑張っても認められないことが当たり前となり、「ゆとり世代」から「さとり世代」を経て現代に至るのです。
今は小さくまとまる時代と言えましょう。外は荒海で不安定なので、身近な確実な所に安定を求めるのです。そのため、会社での出世よりも自分の趣味やプライベートを重要視する人々が増えました。
あなたの「安定の土台」は、何ですか。
趣味でしょうか。ご家族の安らぎでしょうか。友だちでしょうか。
どれも大切です。
しかし実は、何かを支えにして生きていると、その支えがなくなった時に、落ち込んでしまいます。
聖書の中にこんな例え話があります。
岩の上に建てた家、砂の上に建てた家、どちらも変わらなく見えるが、雨が降って洪水が押し寄せると、砂の上の家は、簡単に倒れてしまった。
アメリカに行くと、「あなたは何を信じていますか」と時々聞かれます。
それは人間には「精神的バックグラウンド」が必要であるという前提があるからです。
「目に見えるもの(土台)」が無くなったとしても、それでも自分を支える「確かな土台」。
仕事が無くなっても、経済的に困窮しても、家族と別れ、友人と疎遠になっても、
あなたが立ち続けられる土台が必要なのです。
これは知識にレベルではありません。心の拠り所、本当に信じるものがあるかどうかの問題です。
クリスチャン作家、三浦綾子さんの小説に「道ありき」があります。
三浦綾子さんの自叙伝小説です。
綾子さんのクリスチャンになるまでの心の軌跡が描かれています。
軍国主義どっぷりに浸って、教え子を戦争に送ることを使命と純粋に考えていた綾子さんは、終戦で価値観が崩壊します。そして何も信じられないと虚無主義になります。その時だけ楽しけれ良いと考え、婚約を二股かける自堕落な状態の時、不治の病にかかります。(彼女はこれを自分への罰だと受け止めました)
そんな時、入院先に幼なじみの前川正という青年がやってくるのです。彼はクリスチャンで、綾子さんの自暴自棄を心配します。散々クリスチャン信仰を批判する綾子さんに対して、青年は誠意を尽くして対応します。
最後に綾子さんは「この人が信じる神様を信じてみよう」と思うのです。
「綾ちゃん。人間はね。一人一人に与えられた道があるんですよ」と優しく語られる言葉が、本書の主題です。
もし創造主である神様を信じ、そのアガペの愛(無償無限の愛)を知ることができたなら、あなたの生活は激変します。
人に認められなくても生きていけます。
「愛に溢れる」ので、その「愛」で人に接することができるようになります。
「岩の上」家を建てた「人生」となり、
どんな時にも穏やかに、「愛し続ける」ことができるのです。(祈りからくる神様の力によってです)
多分、あなたが願っている「どんな時にも穏やかに人と接すること」「いつも人と良い関わりをすること」が実現できるようになります。
あなたも、こんな生き方をしてみたいと思いませんか。
今は、不安定で、お辛いところを通っておられると思います。
しかし、もしかすると、今の不安定感は、本当の「岩の上」に自分を置くきっかけとなるのかもしれません。
信仰は無理に持つものではありません。
しかし人間にとって必要なものでもあります。
何のために生きるかは、あなたが自分をどう考えるかで決まります。
それは、「自分で生きている」と考えるか、「誰かに生かされているか」と考えるか、です。
誰かに生かされている、すなわち「自分を造った創造主がいる」と信じるならは、
あなたの人生の目的は、「創造主に聞く」のが一番です。
そのために「聖書」が書かれ、2000年以上も「キリスト教会」が存続しているのです。
クリスチャンになるとは、素晴らしいことです。
創造主なる神様が「あなたの人生」を導いておられることを信じ、祝福をお祈りしています。
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