人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から

世界のベストセラー聖書の価値観から、生きるを考えます!(モノの見方が変わると、とても楽になります)

「いつも喜んでいなさい」と聖書に書いてあるそうですが、そんなことできるのですか。

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私の先輩の女性牧師で、ユニークなキャラの方がおられます。

その方が、老人の施設でお話しする機会があると、

最初に「まず笑いましょう。」とおススメするそうです。

「ワッハッハと笑いましょう。笑うと明るく元気になります。悲しくても笑いましょう。笑っていると風邪もひきにくくなります。だから笑いましょう」と言って、無理やり笑わさせるそうです。

しかし不思議なことに、全員で声を合わせて「ワッハッハ」と笑うと、渋い顔をしていた方もとても穏やかな表情になり、その後お話しをニコニコして聞いてくれるそうです。

ですから、皆さん、理屈は置いておいてまず「ワッハッハ」と笑いましょう!

 (笑うと心も明るくなります。免疫力も向上すると証明されています・・・)

 

けれども、理由も理屈もなく、「すっと喜び続けること」は難しいことでもあります。

今回は、ご質問にあるように「どうして、いつも喜ぶことができるのか」の理由(理屈)を、聖書から考えてみたいと思います。

 

今日も、ダビデの詩篇を見ていきます。(103篇)
103:1 わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。
103:2 わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
103:3 主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、
103:4 あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
103:5 あなたの一生を良いもので満たされる。

 

ダビデは自分自身に「主をほめたたえよ」と語っています。

その理由は、

咎(罪)の赦し

病の癒し

穴から救い出された体験

恵みと憐れみを受けたこと

一生を良いもので満たされること

です。

 

「神様から自分自身が受けた恵み」が「大きい」ことが分かるほどに、

ダビデは「神様をほめたたえられる」つまり「感謝し、いつも喜ぶことができる」

と言うのです。

けれども、「自分自身に語る」ということは、それをするのが「難しい状況下」にいるということでもあります。

彼は「自分自身を説得している」とも言えるのです。

 

ハーベストタイムのスタッフで、佐野剛史さんという方がおられます。

同志社大学4年生で受験した「外交官試験」に失敗して、失意のどん底にいた時、月額4000円という安さにひかれて、教会の英会話教室に通い始めたそうです。

英会話教室の最後には、英語で語られるバイブルタイム(日本語通訳付き)がありました。最初は英語の聞き取りとしてしか聞いていなかったそうですが、語られるバイブル(聖書)意味が分かるにつれ、次第に興味がわいてきました。

 

ある日のテーマが「The Greatest Sin(最大の罪)」というものだったそうです。

牧師によると、その最大の罪が「高慢」でした。

箴言16:18「高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ」

 

佐野さんはこれを聞いて「頭を殴られたような」衝撃を受けました。この聖書の言葉が、「今の自分の姿をそのまま言い当てている」と感じたからです。

外交官を目指している理由を、口では「国のため」と言いながら、心の中では「自分の名を歴史のどこかに残したい」という功名心や、「自分は人より優れていることを証明したい」という高慢な思いで一杯だということが、見透かされたように感じました。

彼は教会に来るまで「自分は良い人だ」と思っていたそうですが、聖書の言葉を通じて心の中をのぞいてみると、自分の「良い人だ」を思い込んでいた心の奥には「汚い思いで溢れた心」があることに気がつかされたのです。


マルコ7:20 また(イエス様は)言われた。「人から出るもの、これが、人を汚すのです。7:21 内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、7:22 姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、7:23 これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」

 

佐野さんは、上記の聖書を読む中で、認めたくなくても、自分は聖書のいう「罪人」であることを認めさるを得なくなりました。

そして学ぶうちに、聖書の別の言葉も教えられたそうです。

詩篇34:18「【主】は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を扱われる」

罪人であることを、認めた者には「赦しは大きい」と佐野さんは悟ったのです。

 

佐野さんのお話にあるように、「罪を認めた者」が「赦しを体験する」と、「大きな感謝」がわき上がります。

 

seishonyumon.com

 

「いつも喜んでいなさい」という「喜びの理由」がここにあります。

「罪を自覚し」「赦しを体験した」者には、「どんな時にも喜べる理由」があるのです。

 

クリスチャンは、よく「罪赦された罪人である」と言われます。

「罪の赦し」が分った人は、自分がどれほど「愛され助けられているか」を知るようになります。

すると、ダビデのように「わがたましいよ。主をほめたたえよ」を感謝を叫ぶことができるのです。

 

いかがだったでしょうか。

聖書の言う「最大の感謝の理由」を受けとめて頂けたでしょうか。

 

辛いことが多くある、今の時代です。

しかし「感謝して生きること」ができる人は、

荒海の中でも、「光」を見つめて、まっすぐに「歩むべき道」を進むことができるのです。

お祈りをしています。【あなた】も光を見つけられますように。

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