「28歳の女性です。同じ部署に定期人事で同年代の女性が配属されました。今まで和気あいあいとした雰囲気だったのですが、その人が入ってから、職場が「ギスギス」するようになりました。彼女はあからさまには言わないのですが、陰で「これってイヤーね」と口にします。そして同調する人をお茶に誘い、職場や上司の悪口を言っているようです。(私はあまり誘われません)。頭の回転が速い人なので、仕事はそつなくこなすのですが、自分の失敗は人のせいにします。それもとても上手に・・・です。その人を見ていると、「モヤモヤ」します。最近、その人が、私に距離をあけているように感じます。その人と仲の良い人からも距離を感じますので、悪口を言われているように思えて、少々「被害妄想気味」です。アドバイスを頂けませんでしょうか。気持ちの整理をしたいですし、今後の対応のヒントを頂けれたら思います。よろしくお願いします。」
職場の雰囲気に、悩んでおられるのですね。
毎日顔を会わせる人たちですから、できるだけ仲良くしたいですよね。
「気持ちの整理がしたい」とおっしゃっていますから、少し論点を明確にしてみましょう。
ます、質問者さんはとても「優しい方」だと思います。
「和気あいあい」だった職場の雰囲気を良いものだと考え、「ギスギス」した雰囲気を悲しんでおられます。
そして、もう一度、元の良い雰囲気に戻したいと願っておられるのでしょう。
少しでも好転すると良いですね、お祈りをしています。
「モヤモヤ」の原因について考えてみたいと思います。
まず「聖書の価値観」で、はっきりと言わせて頂きます。
「自己本位の裁きの心」は、「悪」であり「罪」であるということです。
これは、厳しいと思われるかもしれませんが、「聖書の価値観」です。
マタイの福音書 7:1 さばいてはいけません。さばかれないためです。
7:2 あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。
質問者さんの文章をお読みしますと、「同僚の方」の心の中に、「裁きの思い」が流れているような気がします。
これは、自分の正しさを主張する思い(自己防衛)から来るものだと考えられます。
「動機」が「裁きの心」ですと、
それを聞いた人は、嫌な気持ちになります。
良心的な人間は「自己本位の裁きの心」を、直感的に「悪いもの」である、と感じます。
(いくら美しい言葉でも、理屈が通っていても、感じるのです)
(一方逆に、同じ裁きの心を持っている人は、磁石のようにくっ付く傾向があります)
ですから、質問者さんは、同僚の「裁きからくる言動」に、モヤモヤを感じたのです。
またその傾向の方は、物差しが2つ(二枚舌)あることが多いです。
人には厳しく、自分には甘いと言う物差しです。(これが自己本位、自己中心性の正体です)
これも「罪の性質」のため、目の前でそのことが起こると、心が「モヤモヤ」してくるのです。
聖書に「義人はいない。一人もいない。」と書かれています。
この「基準(ものさし)」からすると、「すべての人が、罪びと」になります。
ですから人間には「救い」が必要なのです。
それは「罪の赦しの救い」だけでなく、「罪の性質、からの救い」も含まれているのです。
さて、私が今回、お伝えしたいことは、二つです。
①裁きに「同調しない」こと。
②「上の視点に立つ(視点を高いところに置いて考える)」こと。
「優しい」「前向きな」質問者さんのことですから、
この二つを思い巡らし、思索していく中で、具体的な解決の知恵や方法を見つけることができると信じています。
最後に、私なりの示唆も、書き加えたいとも思っています。
①裁きに「同調しない」こと。
人は、「他人から批判される(裁かれる)」とその人を「批判したく」なります。
これは、自己防衛本能からも、当然のことですが、
これを「感情のまま」にすると、「返り血」を浴びることとなります。
そして「裁きの心」は、「伝染」します。
誰かが、「裁きの思い」で、言動しますと、周りの人が「共鳴」するのです。
(人は、多かれ少なかれ「裁きの思い」を持っているからです)
ですから、気を抜くと(自然な流れで)、簡単に引きずられるのです。
「対策」は、裁きに乗らないと心に決めることです。(簡単に書いていますが、難しいことです)。
「売り言葉に買い言葉」というように、売られた喧嘩は買ってしまうものだからです。
どうして買ってしまうのか。
それは「私の心の中に、裁きの思いがある」からです。
引き出されるのです。
ではどうしたら良いのか。
「裁きの思い」を取り除くのです。
イエス様の言葉はこうです。(有名な聖書の言葉です)
マタイ 7:5 偽善者よ。まず自分の目から梁を取りのけなさい。
そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。
具体的には、私たちの心が、「心地よい感情」で満たされることです。そうすれば「否定的な感情」は、入らなくなります。
(ヨハ ネ1:5 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。)
否定的な感情、入れないためには、知識では足りません。
具体的な光が必要です。心の中が、愛と喜びの感情(光)で、一杯になっていることが必要なのです。
そのためには、良い言葉を、心の中に蓄えることが、必要です。
あなたの好きな、心が満たされる言葉を、思い起こしてください。書き出してもいいかもしれません。
しかしそれを、考えるだけでなく、味わうようにするのです。
私は聖書の言葉を思い起こします。
イザヤ 43:4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。
詩篇27:10 私の父、私の母が、私を見捨てるときは、【主】が私を取り上げてくださる。
(ほかにも、たくさんの素晴らしい言葉があります。要はそのことを心に思い巡らし、本当にそうだと心に満ちるまでやめないことです)
こころが「優しさに」満ちていると、目の前でエサのように誘惑する「裁きの思い」に引っ掛かりにくくなるのです。
(本当です。やってみて下さい)
②上の視点に立つこと(視点を高いところに置いて考える)
次に、このことを考えてみます。
上の視点に立つとは、究極的には、神様の視点に立って考えると言うことになります。
(現実的には、私たちは神様ではないので、100%神様の考えに立つことはできませんが、聖書のみ言葉が助けになります)
しかし、職場の人間関係の中では、「上司の立場で考える」と言い換えても良いと思います。
つまり、同僚同士であれば、無責任に批判することができます。
しかし、上司の立場であるなら、部下に対して、「その人の良いところ」を見つけ、「助けよう」とします。
そのことによって、部下が向上し、結束していくことができるからです。(一言でいえば、愛情です)
質問者さんが、その同僚を見るときに、そのような視点で、考えてみたらよろしいと思うのです。
その同僚の方の、良いところを、見つけるのです。
また、あなたが、もしお祈りができる方であれば、神様にお尋ねして、知恵を頂けるように、愛を頂けるように
祈ってみて下さい。
すると不思議と力が与えられることが多くあります。
悪に負けないことです。
ロマ 12:9 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。
カギは、実は「あなたの心の中」に、あります。
あなたの心が、愛に満ちるならば、「裁きに乗らず」語るべき「知恵の言葉」が与えられます。
あなたの心が、同僚に対する不信と裁きで満ちるなら、「負の感情」に巻き込まれてしまうのです。
具体的なことをいくつか書きます。
例えば、同僚の方が、上司を批判したとします。
「そういう考えもありますよね」と言ったり、「ふーん」と相槌を打って、心では同意しないことです。
①の「裁きに同調しない」ですよね。
その同僚の方のことを考えていると、(私は祈っている時に起こりますが)
「不思議な優しい言葉」が「わき上がり」ます。そしてふさわしいタイミングで「優しい言葉」を無意識に(ここが大事です)
出すことができるのです。
そして知恵の言葉が与えられます。(アイディアも与えられます)
②の「上の視点に立つ(考える)」ですね。
心は高い所から低い所に流れます。自然なことです。
あなたが、傷つき、相手に批判的な感情でいるならば、「相手の負の感情」を(低い所にいる)あなたは、かぶってしまいます。
しかしあなたが、「愛に満ち」「思いやりに満ちるならば」、
負の感情は流れてきません。むしろ「あなたの良い感情」が(低い所にいる)相手に影響を与えるのです。
頑張って下さい。(あなたの人生の訓練だと思って、前向きに捉えて下さい)
①裁きに「同調しない」こと。
②「上の視点に立つ(考える)」こと。
この二点を意識して、しばらく過ごしてみて下さい。
祝福をお祈りしています。
最後までお読み下さり、ありがとうございました。
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