「周りの大人がみんな混乱してるのを見て、大人が何年も生きていても、こんなに動揺するのかと思いました。長く生きていても意味がないように感じます。こんな状態でも生きていかないといけないのでしょうか。長く生きることの意味はあるのですか。」(M.K.中学2年女子)
ご質問をありがとうございます。
現在は、新型コロナの影響で、感染予防のストレス、それに伴う生活や仕事の混乱、経済状態の危機が起こっています。平静を装っている大人でも、心の奥では皆が動揺しています。
今まで、確かだ、当たり前だと思っていたことが、当たり前ではなくなりました。
いのちの危険を感じる中で、恐怖と不安が人々の心に満ちています。
「確かな支え」が無くなった喪失感は、大人でも耐えるのが難しいことです。
質問者さんは、中学2年生ですから、未来に「夢や希望」を持ちたいと願う年齢だと思います。
小さな頃は、大人は何でもできると思っていたでしょうから、
現在の大人が混乱する姿を見て、動揺するのは当然です。
長く生きても、意味がないのではないか、と感じるのも自然なことかと思います。
今は非常事態です。コロナ戦争と言っている大人もいます。(ほとんどの大人は戦争未経験者です...つまり非常時を経験していません)
そんな不安な時代の雰囲気を、質問者さんは、感じておられるのです。
とても繊細な質問者さんだと思います。
今回私は、1つのことだけお話するつもりです。一緒に考えて頂けると嬉しいです。
白い画用紙を頭の中にイメージしてみて下さい。
そこに、一本の木を描いて下さい。(実際に画用紙に描いてもらっても構いません)
どんな木が、そこに描き出されましたか。
その木のサイズは、葉の繁り具合は、根はどうでしょうか。
直接お会いすることができないので、その絵を実際に描いて頂き、見ることができないのですが、
心理テストでは、木は「あなたご自身」を象徴すると言われています。
木が大きければ、エネルギーに満ちており、とても小さければ、エネルギーが枯渇していると言われます。
あなたの「木の大きさ」は、どれぐらいですか。
今回お話したいことは「木のお話」です。
旧約聖書、イザヤ書37章に、
(30) あなたに与えるしるしはこれである。すなわち、ことしは落ち穂から生えた物を食べ、二年目には、またその落ち穂から生えた物を食べ、三年目には種をまき、刈り入れ、ぶどう畑を作ってその実を食べる。(31) ユダの家の、のがれて残る者は再び「下に根を張り」、「上に実を結ぶ。」
これは、ヒゼキヤという王様が、助けを求めた中で与えられた「回復のメッセージ」でした。
苦しみが過ぎ去る約束でした。
しかし、神様が手を打たれても、根が張るまで、しばらく時間がかかり、その後に回復が与えられるという、約束だったのです。
つまり、インスタントで簡単には回復されなかったということです。
実際に、地面を掘り下げ、根を張ることは、「苦しみ」を伴います。
しかし、根を張ることなく、木が枝を伸ばし実を結ぶことはないのです。
根が弱ければ、風が吹くと、簡単に倒れてしまいます。
いくら一瞬実を結んだように見えても、その重さに耐えられず、木は倒れ、生きていけません。
木は根を張らなければ、長く生きていけないのです。
そして、もう一度書きますが、根を張ることは「苦しいこと」なのです。
人生には、「楽しいこと」がたくさんあります。
しかし、根を張る時期が必ずあるならば、「苦しみ」も「必ずある」のです。
人生は、「苦しい時期」を必ず通るのです。
一つ質問です。
「根を張る、最も良い時期は、いつだと思いますか」
(少し考えてみて下さい)
答えは……「それは、………一番苦しい時です」
地上で楽しいことがあれば、そちらに目が行きます。(先送りができます)
しかし、本当に苦しい時には、「根を張ること」に「集中」しなければ、生き残れません。
「逃げられない」のです。
「生き残る」ためには、根に集中しなければならないのです。
ゆえに、根を張る一番の好条件は、「最も苦しい時」です。
「根を張ること」を考えてみます。
根とは、水分を吸収する器官です。管(くだ)、ホースです。
具体的には、「何かとつながる心」です。「祈り」と言い換えることもできるでしょう。
自分の「本当に支えになるもの」とつながる力なのです。
不安定な「砂の上」に、自分が立ち、つながっていることに、気がついたなら、
根を掘り下げて、その下にある「確かな岩」を見つけるのです。
岩の「安定感」を自分のものとし、岩から湧き上がる「水脈(力)」を感じるのです。
それが「根を張ること」です。
(どのように「安定感、安心感」を心に根から吸い上げるかは、詩篇63篇等で学べますが、それは別の機会に取り上げます)
根を通じて「心が満たされた」なら、あなたも、今まで以上に「強い人」になれます。
(自分は弱くても、岩が強いから、私は強い、という境地です。)
(カラ元気で、強いふりをすることではありません)
ぜひ、「苦しみ」を楽しんで下さい。
(そんなことは、可能か、と思われるかもしれませんが、可能です。苦しみの意味が分かり、確かなものにつながる喜びが分かれば、少しずつできるようになります)
冒頭のご質問に「大人は、動揺している(答えを持っていない)。だから長く生きる意味を見出せない」
ということが書かれていました。
最後にこの事に触れさせて頂きます。
皆が、同じものを見て、同じように動揺しているように見えても、
実は、個々人が抱えている荷物(重荷)は、
中学生である質問者さんと、ご両親や学校の先生方は、違うのです。
山をイメージして下さい。
木がたくさん植わっています。
山道の入り口と山頂近くは、見える景色が違ってきます。
登山の最初に聞いていたことも、実際高いところまで登ってみると、(下界にたくさんの木が見えて)印象も感じ方も違ってくるのです。
家族のことを考え、会社や役割やお金のことを考えると、当然、重荷が増えていきます。
見える景色、支える責任が、立場によって異なってきます。
「一人分」の支える根は持っていても、高い場所に登り、家族のこと会社のことが見え、それらを考えると、「すべて」を支えるだけの根を持ち合わせていない、だから動揺してしまう、ということも十分考えられるのです。
質問者さんは、聡明で、観察力の鋭い方だと、私は感じます。
頭の回転も速い方でもあると思います。
頭の回転の速い人は、傾向として「結論を素早く出せる」という特徴があるようです。
しかし「見るべき材料がそろわず」に「結論を出す」と悲劇的な結論を出してしまう場合があります。
聡明な質問者さんには、ぜひ今の「苦しい状況下」で、根を深く掘り下げてほしいと願います。
(確かな支え、価値観を身につけ、どんな嵐が来ても倒れない生き方を身につけて欲しいのです)
そして、山道を登った時、(もう少し経験を積んだ時)、「多くの人を支えることができる人」となって欲しいのです。
人生には、「苦しみ」があります。
あなたにも、あなたの周りの人にもあるのです。
今の時代は、人々は「自分のことで精一杯」です。
しかし「確かな根を持っている人」は、
「隣の倒れかかった木」さえも、支えることのできる存在になれるのです。
どんな時も崩れない「絶対的な岩」、支えを見つけて下さい。
そしてそれを「吸収する根」の力を強めて下さい。
聡明な質問者さんなら、そのことができると信じています。
祝福をお祈りしています。
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