人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から

世界のベストセラー聖書の価値観から、生きるを考えます!(モノの見方が変わると、とても楽になります)

定期的に「寂しさ」を感じます。どうしたら良いでしょうか。

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「急に『寂しさ』を感じる時があります。昔のことを思い出した時とか、今の生活を考えた時とか、何かの時に、定期的に「ふっと、寂しさ」を感じます。特に期待外れだった時とか、思い通りにならなかった時に感じることが多いです。理屈では「そこまで寂しさを感じる理由」はないはずですが、自分の心ながら、良く分かりません。どうしたら良いでしょうか。」(40代、会社員)

 

ご質問をいただき、ありがとうございました。

定期的に「寂しさ」を感じるということですね。そして「その理由」が良く分からないということですね。

一緒にしばらく考えていきたいと思います。

 

「寂しさ」は、理屈ではありません。

「寂しさ」は「感情」です。

ですから、理屈では、とらえられない時があります。

 

そして「感情」には、定期的に(食事を取るように)、「満たし」が必要です。

ですから、「満たし」がなければ、どこかで「不足」が起こります。

 

また、忙しさが、ひと段落して、

急に「お腹がすいている」ことに、気がつくことがありますよね。

同じように「何かのきっかけ」、「心」が飢餓状態だったことに気がつくと、動けなくなることもあるのです。

 

そんな時は、「大切な人」をいたわるように「自分自身をいたわる」ことが、大切になります。

 

今回もいつもと同じように、3つのポイントに絞って、考えていきたいと思います。

①寂しさの原因を探ること(その感情を味わうこと)。

②寂しさを受け止めてくれる存在(支え)を見つけること。

③定期的に、満たしを体験すること。

 

 

①寂しさの原因を探ること。

寂しさは「感情」ですが、やはり原因を見つける時には

「理性(理屈)」を用います。

 

「寂しさ」を感じる時は、「期待外れだった時、思い通りにならなかった時」が多い、

と書かれていました。

つまり「人に期待したこと」が、思い通りにならなかった時。

「こうあるべきだという目標」に到達しなかった時。

ということで宜しいでしょうか。

 

(理屈で考えていきます・・・)

私たちは、「いろいろな支え」を見つけながら生きています。

「うんてい」をご存知でしょうか。(公園にある遊具です)

向こう側に行くために、いくつもの棒をつかんで、ぶら下がって進む遊具です。

その時、棒をしっかり握っていないと、落ちてしまいます。

 

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「心の支え」は「うんていの棒」に似ています。

あるはずのところに、「棒がない」と、つかめずにバランスを崩してしまいます。

そして「あるはずなのに」と思いながら、感情がざわつくのです。(そして落ちそうになったり、落ちたりします)

 

特に、本来なら「絶対にあるべきもの」がない時には、衝撃が大きいのです。

「家族の支え」とか「会社で当然受けるべき評価」とか。

質問者ご自身が、「絶対に必要」「当然あるはずのこと」と思っているものが、

無くなるよ言うな感覚の時、強く「寂しさ」を感じると思います。

 

「寂しさ」を感じると、自分を守るために

「怒り」「裁き」と言った『攻撃』にでることも、多くあります。

 

『攻撃』は自分に向かうタイプの方と、

他人に向かうタイプの方がいます。

それによって、「自分を裁いたり」「他人を攻撃したり」するのです。

 

(どうせ自分はダメなのだ)

(誰も私を支えてくれない)

(あいつのせいだ)

(あいつさえいなければ・・・)

こんな感じです。

 

では「対策」を考えてみたいと思います。

 

考え方は二つです。

「あるはずの支え(棒)」を、見つけるか。

「違う別の支え(棒)で対処」して、次に向かうか。

 

でも実際は、いくら「あるはずの支え」を探しても、

無いから失望しているのであって、

見つけたくても見つけることができません。

 

会社の上司から「評価の言葉」があるべきなのに、それがなかった場合、

いくら悶々としても、評価の言葉はやってきません。

 

ですから、「上司から支えられなく」(評価がなく)ても、

別のもので十分支えられている、という「違う別の支え(棒)」を見つけ、

支えられていることを「実感すること」が現実的です。

 

そこで感情の問題になります。

(ここから理屈→感情に移ります)

上司から支えられなかった「寂しい気持ち」

(家族でも、恋人でも、友人からでも同じです)

その「感情」を無視することなく、自分で自覚し、味わうこと(受けとめる)が大切なのです。

 

プライドが邪魔をすると、

こんな程度で「私が落ち込むはずがない」と自分の寂しさをごまかそうとします。

すると「感情」が見えなくなり、分らなくなるのです。

 

「感情」が分からないと、その「寂しい感情」を、「別の新しい支え」(別の違う棒)で満たすこともできなくなるのです。

 

ですから・・・

「正直」になることです。

「喪失感」を「味わう」ことです。

「これを満たしたかったんだ」とごまかさずに、素直に「認める」ことです。

(これができるととても楽になります)

 

「私はこんな程度ではへこまない」と強がりを言わずに、

「このことがとても悲しかった」と自分でしっかりと認め、味わうことです。

 

「マインドフルネス」という心のリラックス方法が、医療や福祉の現場で取り入れられています。

それは、「自分の心を批判をせずに、ありのまま受けとめ、感じること」という心のトレーニングの一種です。(瞑想に近いトレーニングです)

その技法も、活用できます。

 

 自分の「寂しさ」を、正直に認め、味わうことができると、

次の「新しい支え」を「受け取る準備」ができるのです。

 

 ②寂しさを受け止めてくれる存在(支え)を見つけること。

自分の「感情」に「正直」になれたなら、

「新しい支え」を見つける作業です。

(もう一度、論点を「理性」に戻します)

 

あなたは、どんな支えがありますか。どんな支えによって心が満たされますか。

 

これも(理性的に)考えると、二方向が考えられます。

【自分のできる支え】(評価)

【他人から貰える支え】(評価)

 

そしてより満足度が高いのは、他人からの支え(評価)です。

 

【自分でできる支え】

「自分にご褒美を買う」ことは「お勧め」です。

仕事が終わった後、少し「おいしいものを食べに行く」ことも良いと思います。

(私はよく、自分へのご褒美で「温泉」に行きます)

「記念日」に、「自分への記念のもの」を買ってみる(自分にプレゼントしてみる)ことも良いでしょう。

それをしながら、「感情」が癒されるのを、「じっくりと味わう」のです。

 

【他人から貰える支え】

質問者さんには、「相談に乗ってくれる方」はおられますか。

両親や家族、会社の先輩、相談に乗ってくれる知人・・・

(できれば、自分より人生経験の豊富な方が宜しいです。そうでないと単なる愚痴の言い合いになってしまうからです)

 

この世界に、たった一人でも、自分の「心の奥の本音」を知っていてくれる人がいて、

その人が応援してくれていたら、

私たちは、「苦しみの中」でも「がんばることができる」ものです。

 

私も、以前も書きましたが、数人の信頼できる先輩や友人がいます。

そして、問題が山となって煮詰まると「電話」を掛けます。

その時に、頂ける評価や励まし、ヒントによって、前を向くことができたことは、何度もありました。

 

でも都合よく話を聞いてくれる人がいない場合、

または問題が大きすぎて、それを受けとめられる人が誰もいない場合、

複雑すぎて、理解してもらえない場合、

・・・どうしたらいいのでしょうか。

 

私は、その時には「イエス様」に祈ります。

(実際は、人に話す前からイエス様に祈り始めています)

 

イエス様という方は、とてもありがたいです。

私の苦しみのすべてを分かって下さる方です。

 

(これ以降は、私の個人的なイエス様との関係の話をさせて頂きます)

なぜなら、イエス様は十字架にかかり、ひどい苦しみを経験されたお方です。

弟子たちに裏切られ、人からバカにされ、(愛と赦しと癒しの行為をし続けたにもかかわらず・・・です)

そして最後は、十字架の上で、亡くなられました。

(この時の感情は、凄まじいものがあるはずです。多分その痛みの全てを感じたならば、堪えられないほど・・・、ショック死するほどのものだと思います)

 

祈りの中で、この「イエス様の存在」に触れる時、

「私の心」は「慰められる」のです。

「イエス様はもっと、ひどいことを経験された」

そう思いながら、イエス様がされたことを思い巡らすと、癒しと共に、

勇気と力が与えられるのです。

そして、「イエス様が一緒にいて下さるから大丈夫」と、心が軽くなるのです。

 

私はつらいことがあると、その度に、このイエス様に(精神的に)飛び込みます。

自分の「悲しみ」や「寂しさ」の感情を引っ提げて、

温泉につかるように、イエス様のやさしいぬくもり(と感じる感情)の中に

飛び込むのです。

 

質問者さんに知って頂きたいことは、

「支えてくれる人」が一人もいないように思えても、支えてくれる存在はあるということを、覚えて頂きたいのです。

(人間には限界がありますから)

 

聖書の約束の言葉です。
イザヤ(旧約聖書)
46:3 胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。
46:4 あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。

 

詩篇(旧約聖書)
27:10 私の父、私の母が、私を見捨てるときは、【主】が私を取り上げてくださる。
27:11 【主】よ。あなたの道を私に教えてください。私を待ち伏せている者どもがおりますから、私を平らな小道に導いてください。

 

「聖書の言葉、辛い時」で検索すれば、いくつもの励ましの言葉がヒットすると思います。(参考にしてみて下さい)

 

 

③定期的に、満たしを体験すること。

先ほど、「感情」は食事のように「定期的に満たし」を必要としている、と書かせて頂きました。

以下に、【非常事態時】と【通常時】に分けてアドバイスを差し上げます。

 

【非常事態時】

苦しい時には、あなたを支えて下さる人に、「甘えましょう」。

忙しいとか時間ないとか言わないで、すがりましょう。

 

本当に切羽詰まった感情を自覚し、抱えていたならば、そのままにしておくことはよくありません。

できるだけ早く、時間を取って頂きましょう。

(・・・本当に大変な時、私はそうしています。忙しい方が多いので、前もってメールをして都合の良い時間を確保して頂きます)

 

「感情」は生き物です。

合理的には、動いてくれません。

お腹がすいた子供のように、「早めの満たし」が大切な時があるのです。

 

【そこまで、大きな問題でない時(通常時)】

①でも書いたように、「寂しさ」の感情を「味わい」ながら、

「別の支え」を見つけましょう。

そしてその支えを味わいながら、寂しさや不足感の穴が「満たされる」体験をしていくのです。(自分へのご褒美、等)

 

定期的に寂しさを感じるということは、

きっと神様は、その寂しさを埋め合わせる「素敵なプレゼント」を準備して下さっているはずです。

「寂しさを感じる度」に対処してくならば、「心の空洞」は段々と埋められていくことでしょう。

(寂しさを定期的に感じることは、決してマイナスではなく、質問者さんの癒しにとって、プラスとなると信じています)

 

①寂しさの原因を探ること(その感情を味わうこと)。

②寂しさを受け止めてくれる存在(支え)を見つけること。

③定期的に、満たしを体験すること。

 

以上を参考にしてみて下さい。

「寂しさ」慰められ、

「空虚な心の空洞」が良いもので一杯になり、

その「良い感情」を、十分に味わうことができますように・・・、

祝福をお祈りしています。

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