「急に『寂しさ』を感じる時があります。昔のことを思い出した時とか、今の生活を考えた時とか、何かの時に、定期的に「ふっと、寂しさ」を感じます。特に期待外れだった時とか、思い通りにならなかった時に感じることが多いです。理屈では「そこまで寂しさを感じる理由」はないはずですが、自分の心ながら、良く分かりません。どうしたら良いでしょうか。」(40代、会社員)
ご質問をいただき、ありがとうございました。
定期的に「寂しさ」を感じるということですね。そして「その理由」が良く分からないということですね。
一緒にしばらく考えていきたいと思います。
「寂しさ」は、理屈ではありません。
「寂しさ」は「感情」です。
ですから、理屈では、とらえられない時があります。
そして「感情」には、定期的に(食事を取るように)、「満たし」が必要です。
ですから、「満たし」がなければ、どこかで「不足」が起こります。
また、忙しさが、ひと段落して、
急に「お腹がすいている」ことに、気がつくことがありますよね。
同じように「何かのきっかけ」、「心」が飢餓状態だったことに気がつくと、動けなくなることもあるのです。
そんな時は、「大切な人」をいたわるように「自分自身をいたわる」ことが、大切になります。
今回もいつもと同じように、3つのポイントに絞って、考えていきたいと思います。
①寂しさの原因を探ること(その感情を味わうこと)。
②寂しさを受け止めてくれる存在(支え)を見つけること。
③定期的に、満たしを体験すること。
①寂しさの原因を探ること。
寂しさは「感情」ですが、やはり原因を見つける時には
「理性(理屈)」を用います。
「寂しさ」を感じる時は、「期待外れだった時、思い通りにならなかった時」が多い、
と書かれていました。
つまり「人に期待したこと」が、思い通りにならなかった時。
「こうあるべきだという目標」に到達しなかった時。
ということで宜しいでしょうか。
(理屈で考えていきます・・・)
私たちは、「いろいろな支え」を見つけながら生きています。
「うんてい」をご存知でしょうか。(公園にある遊具です)
向こう側に行くために、いくつもの棒をつかんで、ぶら下がって進む遊具です。
その時、棒をしっかり握っていないと、落ちてしまいます。
「心の支え」は「うんていの棒」に似ています。
あるはずのところに、「棒がない」と、つかめずにバランスを崩してしまいます。
そして「あるはずなのに」と思いながら、感情がざわつくのです。(そして落ちそうになったり、落ちたりします)
特に、本来なら「絶対にあるべきもの」がない時には、衝撃が大きいのです。
「家族の支え」とか「会社で当然受けるべき評価」とか。
質問者ご自身が、「絶対に必要」「当然あるはずのこと」と思っているものが、
無くなるよ言うな感覚の時、強く「寂しさ」を感じると思います。
「寂しさ」を感じると、自分を守るために
「怒り」「裁き」と言った『攻撃』にでることも、多くあります。
『攻撃』は自分に向かうタイプの方と、
他人に向かうタイプの方がいます。
それによって、「自分を裁いたり」「他人を攻撃したり」するのです。
(どうせ自分はダメなのだ)
(誰も私を支えてくれない)
(あいつのせいだ)
(あいつさえいなければ・・・)
こんな感じです。
では「対策」を考えてみたいと思います。
考え方は二つです。
「あるはずの支え(棒)」を、見つけるか。
「違う別の支え(棒)で対処」して、次に向かうか。
でも実際は、いくら「あるはずの支え」を探しても、
無いから失望しているのであって、
見つけたくても見つけることができません。
会社の上司から「評価の言葉」があるべきなのに、それがなかった場合、
いくら悶々としても、評価の言葉はやってきません。
ですから、「上司から支えられなく」(評価がなく)ても、
別のもので十分支えられている、という「違う別の支え(棒)」を見つけ、
支えられていることを「実感すること」が現実的です。
そこで感情の問題になります。
(ここから理屈→感情に移ります)
上司から支えられなかった「寂しい気持ち」
(家族でも、恋人でも、友人からでも同じです)
その「感情」を無視することなく、自分で自覚し、味わうこと(受けとめる)が大切なのです。
プライドが邪魔をすると、
こんな程度で「私が落ち込むはずがない」と自分の寂しさをごまかそうとします。
すると「感情」が見えなくなり、分らなくなるのです。
「感情」が分からないと、その「寂しい感情」を、「別の新しい支え」(別の違う棒)で満たすこともできなくなるのです。
ですから・・・
「正直」になることです。
「喪失感」を「味わう」ことです。
「これを満たしたかったんだ」とごまかさずに、素直に「認める」ことです。
(これができるととても楽になります)
「私はこんな程度ではへこまない」と強がりを言わずに、
「このことがとても悲しかった」と自分でしっかりと認め、味わうことです。
「マインドフルネス」という心のリラックス方法が、医療や福祉の現場で取り入れられています。
それは、「自分の心を批判をせずに、ありのまま受けとめ、感じること」という心のトレーニングの一種です。(瞑想に近いトレーニングです)
その技法も、活用できます。
自分の「寂しさ」を、正直に認め、味わうことができると、
次の「新しい支え」を「受け取る準備」ができるのです。
②寂しさを受け止めてくれる存在(支え)を見つけること。
自分の「感情」に「正直」になれたなら、
「新しい支え」を見つける作業です。
(もう一度、論点を「理性」に戻します)
あなたは、どんな支えがありますか。どんな支えによって心が満たされますか。
これも(理性的に)考えると、二方向が考えられます。
【自分のできる支え】(評価)
【他人から貰える支え】(評価)
そしてより満足度が高いのは、他人からの支え(評価)です。
【自分でできる支え】
「自分にご褒美を買う」ことは「お勧め」です。
仕事が終わった後、少し「おいしいものを食べに行く」ことも良いと思います。
(私はよく、自分へのご褒美で「温泉」に行きます)
「記念日」に、「自分への記念のもの」を買ってみる(自分にプレゼントしてみる)ことも良いでしょう。
それをしながら、「感情」が癒されるのを、「じっくりと味わう」のです。
【他人から貰える支え】
質問者さんには、「相談に乗ってくれる方」はおられますか。
両親や家族、会社の先輩、相談に乗ってくれる知人・・・
(できれば、自分より人生経験の豊富な方が宜しいです。そうでないと単なる愚痴の言い合いになってしまうからです)
この世界に、たった一人でも、自分の「心の奥の本音」を知っていてくれる人がいて、
その人が応援してくれていたら、
私たちは、「苦しみの中」でも「がんばることができる」ものです。
私も、以前も書きましたが、数人の信頼できる先輩や友人がいます。
そして、問題が山となって煮詰まると「電話」を掛けます。
その時に、頂ける評価や励まし、ヒントによって、前を向くことができたことは、何度もありました。
でも都合よく話を聞いてくれる人がいない場合、
または問題が大きすぎて、それを受けとめられる人が誰もいない場合、
複雑すぎて、理解してもらえない場合、
・・・どうしたらいいのでしょうか。
私は、その時には「イエス様」に祈ります。
(実際は、人に話す前からイエス様に祈り始めています)
イエス様という方は、とてもありがたいです。
私の苦しみのすべてを分かって下さる方です。
(これ以降は、私の個人的なイエス様との関係の話をさせて頂きます)
なぜなら、イエス様は十字架にかかり、ひどい苦しみを経験されたお方です。
弟子たちに裏切られ、人からバカにされ、(愛と赦しと癒しの行為をし続けたにもかかわらず・・・です)
そして最後は、十字架の上で、亡くなられました。
(この時の感情は、凄まじいものがあるはずです。多分その痛みの全てを感じたならば、堪えられないほど・・・、ショック死するほどのものだと思います)
祈りの中で、この「イエス様の存在」に触れる時、
「私の心」は「慰められる」のです。
「イエス様はもっと、ひどいことを経験された」
そう思いながら、イエス様がされたことを思い巡らすと、癒しと共に、
勇気と力が与えられるのです。
そして、「イエス様が一緒にいて下さるから大丈夫」と、心が軽くなるのです。
私はつらいことがあると、その度に、このイエス様に(精神的に)飛び込みます。
自分の「悲しみ」や「寂しさ」の感情を引っ提げて、
温泉につかるように、イエス様のやさしいぬくもり(と感じる感情)の中に
飛び込むのです。
質問者さんに知って頂きたいことは、
「支えてくれる人」が一人もいないように思えても、支えてくれる存在はあるということを、覚えて頂きたいのです。
(人間には限界がありますから)
聖書の約束の言葉です。
イザヤ(旧約聖書)
46:3 胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。
46:4 あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。
詩篇(旧約聖書)
27:10 私の父、私の母が、私を見捨てるときは、【主】が私を取り上げてくださる。
27:11 【主】よ。あなたの道を私に教えてください。私を待ち伏せている者どもがおりますから、私を平らな小道に導いてください。
「聖書の言葉、辛い時」で検索すれば、いくつもの励ましの言葉がヒットすると思います。(参考にしてみて下さい)
③定期的に、満たしを体験すること。
先ほど、「感情」は食事のように「定期的に満たし」を必要としている、と書かせて頂きました。
以下に、【非常事態時】と【通常時】に分けてアドバイスを差し上げます。
【非常事態時】
苦しい時には、あなたを支えて下さる人に、「甘えましょう」。
忙しいとか時間ないとか言わないで、すがりましょう。
本当に切羽詰まった感情を自覚し、抱えていたならば、そのままにしておくことはよくありません。
できるだけ早く、時間を取って頂きましょう。
(・・・本当に大変な時、私はそうしています。忙しい方が多いので、前もってメールをして都合の良い時間を確保して頂きます)
「感情」は生き物です。
合理的には、動いてくれません。
お腹がすいた子供のように、「早めの満たし」が大切な時があるのです。
【そこまで、大きな問題でない時(通常時)】
①でも書いたように、「寂しさ」の感情を「味わい」ながら、
「別の支え」を見つけましょう。
そしてその支えを味わいながら、寂しさや不足感の穴が「満たされる」体験をしていくのです。(自分へのご褒美、等)
定期的に寂しさを感じるということは、
きっと神様は、その寂しさを埋め合わせる「素敵なプレゼント」を準備して下さっているはずです。
「寂しさを感じる度」に対処してくならば、「心の空洞」は段々と埋められていくことでしょう。
(寂しさを定期的に感じることは、決してマイナスではなく、質問者さんの癒しにとって、プラスとなると信じています)
①寂しさの原因を探ること(その感情を味わうこと)。
②寂しさを受け止めてくれる存在(支え)を見つけること。
③定期的に、満たしを体験すること。
以上を参考にしてみて下さい。
「寂しさ」慰められ、
「空虚な心の空洞」が良いもので一杯になり、
その「良い感情」を、十分に味わうことができますように・・・、
祝福をお祈りしています。
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