今回は、勝利することについて考えていきたいと思います。
冒頭の絵画は、「デラウェア川を渡るワシントン」、1776年12月26日のアメリカ独立戦争の「トレントンの戦い」、アメリカ大陸軍とイギリス軍の戦いの劇的な勝利を題材にした、エマニュエル・ロイツェの絵画です。
それまで、何度も負けていたワシントン率いるアメリカ大陸軍は、この戦いの勝利によって、勢いを盛り返し、後に独立戦争を勝利することができました。
ここで事実として見ていかなければならないことは、ワシントンは戦いに何度も負けていたということです。
しかし最後には、アメリカの独立を勝ち取りました。
今回も三つのことを考えていきます。
①一度負けても、それで終わりではないと言うこと。
②聖書の言葉を知っている者の強み。
③正義と愛で、変わらずに前進し続けること。
①一度負けても、それで終わりではないと言うこと。
最近しみじみ思うことは、上手くいかなくなった時こそ、その「人間性」が明らかになるのだ、ということです。
その人が、「成し遂げたい」という「動機」が、「自己中心的なもの」か、「人から受け入れられるもの」(公けのものなのか)が明らかになります。
もし、上手くいかなくて「自暴自棄」になってしまうならば、それを成し遂げる動機は「自己実現の為」即ち「自分のプライド」や「自分の正しさを証明したい気持ち」になっている可能性が高いのです。
人は、認めてもらいたいという「承認欲求」があります。これは人間の自然な欲求です。しかしルールを破っても「自己実現したい」という衝動があるとするならば、その動機は「正義ではありません」。
また上手くいかなくなった時に、「簡単にあきらめてしまう」ならば、自分を守りたいという「自己保身の衝動」から、がんばっていたという可能性があります。
自分だけのためならば、簡単にやめることができます。
そしてやめれば、「それ以上傷つかない」かもしれません。
しかし本当にそれで良いのでしょうか。
人生には、「あきらめてはいけないこと」があるはずです。
あなたが、「心から成し遂げたい」と思っていることがあるならば、
一度や二度失敗したからと言って、「あきらめて」はいけません。
数度、失敗したって良いのです。
局地戦で負けても、最終戦で勝てばよいのです。
柔道でいえば、「一本勝ち」でなくても、「判定」でも、勝てば勝利なのです。
②聖書の言葉を知っている者の強み。
「人間の動機」は、意外と汚いものです。
「自分の衝動を達成したい」と思う動機は、聖められていく必要があります。
「自分の顔」を見るためには、「鏡」が必要です。
同じように、「自分の心」を知るためには、「自分を照らし出す言葉」が有効です。
小説を読んだりドラマを見たりしていて、「自分にもこういうところがある」と思ったことはありませんか。
「本当の自分」に気がつくきっかけになるものは、大切にすべきです。
「聖書の言葉」は、鏡として最強です。
あなたの心を映し出してくれます。
Ⅱコリント(新約聖書)
3:18 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
あなたは、「本当の自分」を知りたいですか。
しかし本当の自分を知るためには、その準備として「ダメな自分でも大丈夫」という絶対的な支えが必要です。
そうでなければ、「自分を守るため」に、出てきたものを「否認」してしまいます。
否認すれば、「本当の自分」を知ることはできません。
私はこれが、神を信じる重要な意味の一つ、と感じるのです。
Ⅰヨハネの手紙(新約聖書)
3:20 たとい自分の心が責めてもです。なぜなら、神は私たちの心よりも大きく、そして何もかもご存じだからです。
たとえ「自分で自分を受けとめられなく」ても、それでも「しっかりと自分を受け止めてくれる存在がいること」を知るだけでも、自分を受け入れる支えとなるのです。
ここに書かれている言葉を、「思い巡らして」下さい。そして「あなたの心」で受け止めて下さい。
この小文が、あなたの何かのヒントになれば幸いです。
もう一つ、聖書の言葉を信じる重要な意味があります。(たくさんありますが、ここではもう一つだけ書きます)
それは、聖書は「預言の書」でもあり、これからの歴史が書かれているのです。
聖書を知り、今後の歴史がどのように進むかを知っていると、未来を受けとめる「覚悟」ができます。
現実を受けとめる「強さ」が得られるのです。
「何度失敗」しても、最終的には「このようになる」ということを信じることで、「あきらめない力」が与えられるのです。
聖書の中には「終わりの時代」のことが書かれています。
そこにはあまり明るいことは書かれていません。
「終わりの時代」には、多くの混乱と争いが起きるようです。
マタイによる福音書(新約聖書)(イエス様の言葉です)
24:6 また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。
24:7 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。
24:8 しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。
24:9 そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。
24:10 また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。
24:11 また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。
24:12 不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。
24:13 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。
24:14 この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。
これからの時代、今よりも「もっと暗い時代」がやってくるようです。
しかし希望を失っていけないのです。
聖書には、「これらの苦しみの後のこと」が書かれています。
(今回はその説明は割愛します)
その希望を知っている者は、目の前の苦しみに負けないのです。
「苦しみや困難は当たり前」です。
ですからその上で「希望を持って戦う覚悟」が必要です。
その「覚悟」を持った者が「正義と愛を明らかに」できるのです。
それは同時に「悪を明らか」にすることでもあります。
「終わりの時代」は、「正義と悪」との戦いの時代です。
そのため、「正義の側」に立つのか、「悪の側」に立つのかが明らかになります。
(あいまいが、段々と許されなくなります)
③正義と愛で、変わらずに前進し続けること。
これからの時代、悪がはびこり、信じられないことが起こります。(残念ながらそのような現実が、今すでに多く起きています)
ですから、「正義」と「悪」を見分けなければなりません。
そのためには、「見分ける基準」が必要です。
それを持っていないと、「悪」に「取り込まれ」「巻き込まれ」てしまいます。
ぜひ、「正義」と「悪」とを見分ける「ものさし(基準)」を学んでください。
これからの時代を生きる上での、必要な知恵となるはずです。
その「ものさし」は、「人だけでなく」「自分自身」も照らします。
ですから、そのことに「耐えられる」メンタリティを身につけて下さい。
人類は、歴史の最初から「悪からの攻撃」を受けてきました。
しかしキリストが悪に打ち勝ったことにより、
「悪の終わりは滅び」であることが明らかになりました。
(黙示録にそのことが書かれています)
ですから「悪がはびこって」も大丈夫です。それは「一時的」なのです。
それゆえ、一次的に負けたとしても、最後には勝つために、私たちはあきらめず、戦い続ける必要があります。
局地戦で負けても、最終戦で勝てば良いのです。
今回のコラムのまとめです。
①一時的に負けても、それで終わりではありません。
一時的に悪がはびこっても、失望しないようにしましょう。
同じ志を持つ仲間と互いに励まし合いましょう。
②聖書の言葉を知っていると励まされます。
Ⅱコリント(新約聖書)
12:10 ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。
私たちは弱い時があります。しかしそれで終わりではありません。
実は「弱い時」こそ励まされて、さらに「大きなことをする力」が与えられるのです。
③「正義と愛」で、あきらめることなく、前進し続けましょう。
一度や二度の失敗で、めげてはいけません。
私たちが見ている世界の「偉大なリーダー」たちは、今も「正義と愛」で戦っているのです。
ですから、その模範に見習って、私たちも前進続けるのです。
Ⅰテサロニケ(新約聖書)
5:11 ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。
すべての「正義と愛」を大切にする人々に、
素晴らしい、主の助けと励ましがありますように、
祝福をお祈りしています。
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