今回は、「透明な人間関係」について考えていきます。
嘘をついてごまかし、最後にバレてとんでもないことが起きるより、
(仲間同士であるならば)
できたこと、できなかったことを、正直に分かち合って、
対策を立てることの方が、現実的であり、能率的です。
「透明な人間関係」です。
サッカーの試合を考えてみると、分かりやすいです。
パスをミスしたら、「ごまかすこと」は無意味です。
言い訳を言っている間に、敵はボールを持ってどんどん攻めてきます。
瞬時に仲間に謝罪をして、失敗に対応していくことで、ゲームが進行するのです。
「失敗をなかったことにする」するとか、
「味方に失敗を隠す」とか、
「人のせいにして、自分の正しさを主張し続ける」など、
これらは、試合に勝とうとする為には、「不要な行為」です。
しかし意外と普段の人間関係には、
この手の「じゃまする心(こだわり)」が多いのです。
サッカーの試合では、相手チームに勝つという「共通目標」があります。
そして、失敗にも理性的に対応する(感情的にならない)という、
「大人対応」が、要求されます。
つまり「人格的に大人であること」が要求されるのです。
(これは、対人関係でも同じなのです)
感情面で、「大人であること」は、年齢とは関係がありません。
年収や役職とも、(ご理解頂けると思いますが)
関係がないのです。
その人が、人格的に「成長しているかどうか」で決まるのです。
人格的成長は、「選択の結果」です。
選択には、「意志」と「決断」が必要です。
「自分の感情」を治めなければなりません。
ある時には「猛獣使い」のような作業です。
ムチを持って、ピシャリと「自分の心」を「治めなければならない」時が、あるのです。
その「感情の決断」をし続ける時に、「大人としての成長」ができます。
(一朝一夕にできるわけではありません。葛藤の度にいつも決断するのです)
(それプラス「神様の助け」が必要であることも、ここに加えておきます)
「言わなくても良い言葉」を、言ってしまいそうな時、
「感情が暴走しそう」な時、どうしたら良いでしょうか?
もう一度、サッカーの試合から、ヒントを考えてみましょう。
(相手が味方であるなら)
①共通の戦いのゴールを確認すること。
②大人対応すること。
相手が味方であるならば、もう一度「共通の課題(敵)」を確認し、
クールダウンし理性的になる必要があります。
(相手が敵ならば)
より慎重に言葉を選ぶ必要があります。
その言葉(感情の判断)が、「致命傷」になることがあります。
「感情的になること」は、「絶対に避け」なけれなりません。
(敵である場合は、別の機会にまとめます)
相手が味方である時の「結論」です。
配慮して「言わない」よりも、
愛を持って伝えて、「お互いに修正する」方が、
解決は、早いですし、確実です。(透明な人間関係です)
そのためにお互いが、まず「気持ちを出して」
「出した後」に、
お互い「受け入れあい」、「許し合う」ことが大切です。
しかし、何度も書きますが、
そこには、双方が「大人である」ことが、
要求されるのです。
「透明な人間関係」
青春ドラマに出てきそうな言葉ですが、
あなたは、どう思われますか?
「目指す価値」があると思いませんか?
聖書の言葉です。
箴言(旧約聖書)27:5-6あからさまに責めるのは、ひそかに愛するのにまさる。
憎む者が口づけしてもてなすよりは、愛する者が傷つけるほうが真実である。
エペソ人への手紙4:15(新約聖書)「愛をもって真理を語り‥‥」
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