人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から

世界のベストセラー聖書の価値観から、生きるを考えます!(モノの見方が変わると、とても楽になります)

同僚に「人を見下す人」がいます。どのように接したら良いですか。

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事務職のものです。同僚に「人を見下すような態度」をとる人がいます。表面上は愛想が良いのですが、話し始めるとマウントを取られ、「自分の方が優位」という態度で接してきます。反面自信がない様子の時もありますが、そういう時は「話しかけるなオーラ全開」で、こちらはかえって居心地が悪くなります。今までは机も離れていたのですが、最近協力して仕事をしなければならなくなりました。正直どう接したら良いか、困っています。何か良いアドバイスをお願いします。

 

ご質問をありがとうございました。

久々に、質問にお答えさせて頂きます。

 

見下す方は、大きく分けて、

①差別の心(歪んだ価値観を持つ場合)

②悪意のない場合

③悪意のある場合

に分けられると思います。

 

今回は、文面から、②に絞ってお答えさせて頂きます。

①歪んだ価値観の方。

(正社員が、非正規の人を見下すような差別の価値観の方)

③心の傷等で、人を攻撃しなければ気持ちが収まらないような方。

ではないという前提で、論じさせて頂きます。

 

もし、①や③の要素がある方の場合、参考として聞いて下されば、幸いです。

(いくつか重なる部分はあるとは思いますので)

 

②悪意のない場合

で推測できることをいくつか取り上げてみます。

 

「思い込みが強い方の場合」を考えてみましょう。

悪意がない場合で、「人を見下す」ような対応をする人は、

周りの状況を理解することが苦手なケースがあります。

(認知の偏りを持っておられる場合です)

 

「そんなことはない」と思われるかもしれませんが、

人間の認知は、バランスが悪いことがあるのです。

特に、天才肌というような「特別な感覚」を持っている人は、

「才能の突出」がある分、「凹み(ヘコミ)」も大きいケースが多いのです。

(こんなことも分からないのか、と思い「驚くこと」があります)

(こういう人は、才能がある分、弱点が見つかりにくい特徴があります)

 

天才肌でなくても、「認知の偏り」の身近な例を挙げてみます。

例えば、「方向音痴」。

読み書きや論理は抜群にシャープでも、

いつも道に迷う人はいます。

どうしてこんな道で迷うのだろう、他人は大きい思うのですが、

当人は真剣に迷ってしまいます。

 

他には「機械音痴」。

「機械」のことになると「思考停止」になってしまう人がいるのです。

 

多くの人が「当たり前」と思うことが、

「認知の歪み(特性)」によって、「努力しないとできない」または「努力しても全くできない」

という状況があるのです。

 

人間心理として、「分からない部分」は、「推測で埋めます」。

推測で埋めますから、説明を求められてもできません。

ですから、矛盾点を指摘されると、「答えられない」ので、

「感情的に」なったり、分からないことをごまかすために「高飛車に」なったりするのです。

つまり、「人を見下すような態度」を取ってしまうのです。

 

ここに①歪んだ価値観や③心の傷による攻撃性が加わると、相当にややこしくなります。

ここでは、①③はこれ以上深めません。

 

では、こういう②のタイプの場合どうしたら良いかを考えてみます。


まずは人間関係が大切です。

「高飛車な人」は、意外と「孤独な人」の場合が多いようです。

同僚であるなら、お菓子を差し入れしたり、お茶を入れたり、飲み物を買ってきたり、

何気ない心遣いをしてみましょう。

あなたのことを意識している、大切にしているというメッセージを伝えましょう。

一緒に食事に行けるのであれば、行きましょう。

コミュニケーションの土台は、信頼関係です。

 

◯フィードバックをする。

相手が不安な顔をしていたり、明らかな誤解をしている場合、

確認を怠らないことです。

口頭が難しければ、メール等で、

「〇〇は、こういう判断で宜しいですよね。確認で連絡です」

と送ってみたならば、宜しいでしょうね。

小さな「確認の積み重ね」を「習慣化」していけば、

誤解が減ります。

誤解が減れば、確実に「人間関係」は、良くなっていくのです。

そして、人は「良い人間関係を持ちたい人」には、「見下す態度」は取りませんので。

 

◯事実(データ)と共に、感情の会話をする。

「分からないこと」を「推測で埋める」ため、

見ているデータから、その人は「あなたが考えている結論」に至らない可能性があります。

「この事実情報を伝えた」のだから、当然「この結論になる」が、

「当てはまらない(通用しない)」ことが起こり得ます。

 

データだけ、では「足りない」のです。

(どこが分かり、どこが分からないかを見つけることは、実は至難の業ですが、、、)

 

一番まずいのは、ミスや誤解を「論理で説得」しようとすることです。

分からない部分を論理で迫られたら、自己防衛から、

ほぼ感情で反発してしまいます。

 

ですから、

「私は、このことを通じて「こう考えた」「こう感じた」と、

当人に優しく冷静に伝えると、

「分かってもらえ」、簡単に修正できる可能性が高くなります。

 

「人を見下す人」は、「認知の歪みがある人」という観点で、まとめてみました。

そういう方の場合、当人も困っている場合が多いですから、

最終的な目標は、その方が「自分の個性、特性」を自覚し、

「周りに適応するために修正する」意識を持つ方向に持って行けることが願わしいです。

(当人の意欲次第という部分もありますから、遠目で余裕を持って関わり続けることが、得策です)

 

「人を見下す人」は、

今回取り上げた要因以外にも、「精神的余裕がないケース」や「自己受容ができていないケース」

「自己防衛のケース」等があるでしょうが、

それらの場合は、また別の機会に取り上げたいと思います。

 

質問者さんのご参考になれば、幸いです。

祝福をお祈りしています。

 

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