人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から

世界のベストセラー聖書の価値観から、生きるを考えます!(モノの見方が変わると、とても楽になります)

職場に「思い込みの強い」同僚がいます。***お答えその4

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今回は、③「利益を得ようとする人」の心理、を考えていきます。

つまり「正しい情報」を「拒否する心」を考えます。

また併せて「どうして思い込む」のかを考察したいと考えています。

 

それでは質問者さん。一緒に考えていきましょう。

 

私たち人間は、「物事を見る時」には、カメラのように見る訳ではありません。

感動的な写真を撮った時に、画像を確認して「あれっ」と思ったことはありませんか。

 

私は、先日スマホで月を撮りました。撮った後で画面を確認してみると、夜景モードで撮ったので、きれいには撮れているのですが、今見ている「感動の月の輝き」とは別の「なんだか当たり前の月の姿」が映っていました。

 

肉眼で見る時には、「脳」で自動的に情報を「取捨選択」しています。

意識しているものを強調し、それ以外は消してしまうのです。

つまり「見えているものも、見えていない」のです。

 

同じことが、「物事を見る時」にも起こります。

同じ景色を見ていても、

「見たいもの」を見て、「見たくないもの」は見ていないのです。

「無くしもの」を探すときに、よく似ています。

「目の前」に置いてあっても、「無い無い」と言って、気が付かないのです。

 

人は自分の頭の中で、「理性や感情」で、「何を見る」かを決めています。

「頭の中の価値観」(基準)が重要なのです。

 

広い視点を持っている時には(余裕のある時には、または心が穏やかな時にはと言い換えても良いかもしれません)

「愛情」や「責任」や「公のルール(法律)」等・・・を基準にして、

見るものを選ぶことができます。

 

しかし視野が狭くなっている時には(追い詰められている時、心が酷い感情で一杯になっている時等など)は、

「自分の打算」や「自分中心のプライド」や「自分の正義」等・・・を基準にして見るものを選んでしまうのです。

 

「自分の打算」で見れば、「得をするもの」は見えても「損をするもの」は無視できます。

「自分中心のプライド」で見れば、「自分のプライドを満たすもの」は見えても、「自分のプライドを傷つけるもの」は無視します。

「自分の正義」で周りを見るならば、「自分の正義に合ったもの」は取り入れますが、「自分の正義を否定するもの」は、あえて無視するのです。(恐ろしい程です)

 

いろいろな事例を見ていくと、

「人間とはここまで歪んでいるのだ」とため息が出る事例も多くあるのです。

(それは、人だけでなく、自分自身にも当てはまります。ですから私たちは気を付けて、「自分はどのような基準」で物事を見ているのかを意識的に「考える」必要があるのです)

 

今回は、③「利益を得ようとする人」の心理、の導入です。

次回から、a「自分の打算」、b「自分中心のプライド」、c「自分の正義」。

それぞれを基準にして物事を見る「心理」について分析しつつ、一緒に考えていきたいと思っています。

 

祝福をお祈りしてます。


箴言(旧約聖書)
11:1 欺きのはかりは【主】に忌みきらわれる。正しいおもりは主に喜ばれる。
20:23 異なる二種類のおもりは【主】に忌みきらわれる。欺きのはかりはよくない。

20:17 だまし取ったパンはうまい。しかし、後にはその口はじゃりでいっぱいになる。

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