今回は、③「利益を得ようとする人」の心理、を考えていきます。
つまり「正しい情報」を「拒否する心」を考えます。
また併せて「どうして思い込む」のかを考察したいと考えています。
それでは質問者さん。一緒に考えていきましょう。
私たち人間は、「物事を見る時」には、カメラのように見る訳ではありません。
感動的な写真を撮った時に、画像を確認して「あれっ」と思ったことはありませんか。
私は、先日スマホで月を撮りました。撮った後で画面を確認してみると、夜景モードで撮ったので、きれいには撮れているのですが、今見ている「感動の月の輝き」とは別の「なんだか当たり前の月の姿」が映っていました。
肉眼で見る時には、「脳」で自動的に情報を「取捨選択」しています。
意識しているものを強調し、それ以外は消してしまうのです。
つまり「見えているものも、見えていない」のです。
同じことが、「物事を見る時」にも起こります。
同じ景色を見ていても、
「見たいもの」を見て、「見たくないもの」は見ていないのです。
「無くしもの」を探すときに、よく似ています。
「目の前」に置いてあっても、「無い無い」と言って、気が付かないのです。
人は自分の頭の中で、「理性や感情」で、「何を見る」かを決めています。
「頭の中の価値観」(基準)が重要なのです。
広い視点を持っている時には(余裕のある時には、または心が穏やかな時にはと言い換えても良いかもしれません)
「愛情」や「責任」や「公のルール(法律)」等・・・を基準にして、
見るものを選ぶことができます。
しかし視野が狭くなっている時には(追い詰められている時、心が酷い感情で一杯になっている時等など)は、
「自分の打算」や「自分中心のプライド」や「自分の正義」等・・・を基準にして見るものを選んでしまうのです。
「自分の打算」で見れば、「得をするもの」は見えても「損をするもの」は無視できます。
「自分中心のプライド」で見れば、「自分のプライドを満たすもの」は見えても、「自分のプライドを傷つけるもの」は無視します。
「自分の正義」で周りを見るならば、「自分の正義に合ったもの」は取り入れますが、「自分の正義を否定するもの」は、あえて無視するのです。(恐ろしい程です)
いろいろな事例を見ていくと、
「人間とはここまで歪んでいるのだ」とため息が出る事例も多くあるのです。
(それは、人だけでなく、自分自身にも当てはまります。ですから私たちは気を付けて、「自分はどのような基準」で物事を見ているのかを意識的に「考える」必要があるのです)
今回は、③「利益を得ようとする人」の心理、の導入です。
次回から、a「自分の打算」、b「自分中心のプライド」、c「自分の正義」。
それぞれを基準にして物事を見る「心理」について分析しつつ、一緒に考えていきたいと思っています。
祝福をお祈りしてます。
箴言(旧約聖書)
11:1 欺きのはかりは【主】に忌みきらわれる。正しいおもりは主に喜ばれる。
20:23 異なる二種類のおもりは【主】に忌みきらわれる。欺きのはかりはよくない。
20:17 だまし取ったパンはうまい。しかし、後にはその口はじゃりでいっぱいになる。
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