今回は第6回目です。
質問者さんの職場に「思い込みの強い」同僚がおられます。
今まで、そのCさん(仮称)の考え方を、可能性として分析をしてきました。
それは一緒に「対策を考える」ためです。
先回は、③「利益を得ようとする人」の心理のうち、a「自分の打算」について考えました。
今回は、b「自分中心のプライド」について考えていきます。
誰もがプライド(自尊感情)を持っています。
人間が生きていくためには、「健全な」自尊心は、大切です。
それによって、「自分の尊厳」を保ち、「相手を尊重する」気持ちを持つことができます。
ですから、「健全」な自尊感情は必要なのです。
しかし、「不健全」な自尊感情(プライド)は、人間関係を破壊します。
「自分のことばかり」を考えている人は、ある種「盲目」になります。
「見えている」はずなのに「見えていない」状態になるのです。
心理学で言う「自己中心性のバイアス(偏り)」の状態です。
「自分だけ」を大切にすることで、考え方が歪む(偏る)のです。
自分を「不健康」に大切にすることによって、
「他人の考えが分からなく」なります。(他者への共感不全)
また「自分を振り返ること」ができなくなります。(内省の欠如)
(この偏りの説明は先回行いました)
「不健康なプライドを持つ人」は、
「自分を正しく」しないと生きていけません。
(耐えられないのです)
ですから、気に入らない相手のことは、「無視」します。
気に入らない情報は「シャットアウト」します。
結果「正確な情報」を入れないので、「思い込みが強く」なるのです。
それは「自分のプライド」を守るためです。
しかし、これは恐ろしいことが起こります。
つまり「自分自身」においても、同じ基準が適応されるのです。
すなわち、自分の中の「気に入った部分」は受け入れても、
「気に入らない部分」は、受け入れないのです。(深層心理、無意識であっても)
つまり、自分の弱さや失敗は「無視」してしまうのです。
たまに思い出しても、「考えない」ようにします。
これをしてしまうと、
「自分を受け入れていません」ので、
心が、とても「不安定」になります。
するとますます「自分の正しさ」に執着し、自己保身をするようになるのです。
(悪循環です)
そういう人の「ものさし(基準)」は、2つです。
自分用と他人用です。
いわゆる「自分には甘く」「人には厳しく」なるのです。
「自分はできていなく」ても、「人には厳しい」のです。
そして「自分はできていない」のに「人を批判する人」の言葉を、
第三者は信用しません。
イエス様は、他人の「おが屑のような問題」(小さな問題)を批判する人に対して
「まず自分の目から『大きな丸太』を取り除くように」と言われました。
ルカによる福音書(新約聖書)
6:41 なぜ、兄弟の目にある塵(おが屑)を見ながら、自分の目にある梁(丸太)を認めないのか。
6:42 自分の目にある梁は見ないでいて、どうして兄弟に向かって、兄弟よ、あなたの目にある塵を取らせてください、と言えようか。偽善者よ、先ず自分の目から梁を取り除けるるがよい、そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にある塵を取り除ける事ができるだろう。
「ものさしを1つ」にしなければいけません。
そして、「1つの基準」を「自分自身」に当てはめ、「他者」にも当てはめるのです。
内省をし「自分の丸太」を引き抜くと、「相手のおが屑」が上手に取れるのです。
繰り返しになりますが、
「プライド高く」不健康な自尊心を持っている人は、
2つのものさしを持っています。
自分には「甘いものさし」を使い、
他人には「厳しいものさし」を使います。
その非合理性と、非論理な考えを持つために、
「自分」と「相手」の考えを無視してしまい、
「思い込みが強く」なってしまうのです。
ですから解決策は、「1つのものさし(基準)」で考えるようにすることです。
(言うは易く、行うは難し…ですが)
次回は、「正しさ(正義)に執着する心」に触れて、
分析を終えたいと思います。
祝福をお祈りしています。
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