今回は、③-c「正しさ(正義)に執着する心」への解決策を、一緒に考えていきます。
ポイントは「光の下に出したときに通用するかどうか」になります。
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「質問者さんの文章」(再掲)
職場に「思い込みの強い」同僚(女性)がいます。
感情の上がり下がりが激しく、時々「思い込み」で感情的になることがあります。
「自分はいつも正しい」と思い込んでおられるようで、
周りが「それはこう言う事情で」と説明しても、「自分なりの正論」を言い続けて聞こうとしません。
特に「自分の利益」に関わることには、執着が激しく、主張を譲りません。
そして他を陰で徹底的に批判するので、職場ではかなり問題になっています
どう対応したら宜しいでしょうか。
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お答え、その7で書かせていただいた(「正しさ(正義)に執着する心」の分析)のまとめです。
人は「自分の正しさ」を正当化するために、
何をするかというと、、、「他者への攻撃」です。
相手は「間違っている」と言い続けるのです。
それによって「自分の正しさ」を主張します。
人を徹底的に攻撃をして「悪だと決め付け」、
自分は「正義の座」に居続けようとするのです。
そして恐ろしいことに、自分には「自分用」の甘いものさしを使うので、
内省は起こらないのです。
「自分のことは棚」に置いて、
「他者を徹底的に攻撃」できるのです。
これが「自己中心性のバイアス(偏り)」です。
これによって、「内省の欠如」と「他者への共感不全」
が起こります。
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(ここからが、本論です。)
では、このような「偏り」を持ち、「自分の正しさに執着する人」に対して、
どのように関わったらよいでしょうか。
今回は、そのことを考えていきます。
お付き合い下さい。
今回もABCで考え考えます。(A「目的論」、B「課題の分離」、C「励まし」)
A「目的論」
今回の目的(目標)は、
「光の下に出した時に通用するかどうか」をチェックする。
別な言い方をすれば、「一つのものさし」で考える、(ごまかしを許さない)ことを、Cさんに考察していただく・・・これらを目標としていきます。
会社で経理に経費を請求をしたとします。
それが、許可された範囲で、正しい運用をされていれば、
監査が入っても、全く問題はありません。
しかし「後ろ暗いこと」をコソコソとごまかしていたならば、
光の下に出された時に、その「悪事」が明らかになるのです。
多くの人は、「他人用」「自分用」の「ものさし」を持っています。
そして「あの場合」、「この場合」と、別のものさしを当てはめることは、多くあります。
その結果、何が起こるかというと「ごまかし」です。
「本来一つのルール」ならば確実にアウトの案件でも、自分独自の「甘いルール」で、「この場合は、大丈夫」と解釈してしまうのです。
そのため「自分には甘く許せ」ても、「人は徹底的に攻撃し許せない」ことが起こります。(その結果、人を批判し無視する心理が正当化されます)
この「犯罪」の防止(あえて犯罪と書きます)の「カギ」は、
「光の下(もと)に出す」ことです。
エペソ(新約聖書)5:11-14
実を結ばない暗やみのわざに仲間入りしないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。
なぜなら、彼らがひそかに行っていることは、口にするのも恥ずかしいことだからです。
けれども、明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らかにされます。
明らかにされたものはみな、光だからです。
光の下に出して、問題がなければ・・・説明できるならば、大丈夫なのです。
つまり「公のルール」(一つのルール、つまり、ごまかしのないルール)
に照らし出して、問題がないかをチェックするのです。
そのために、会社では上司の決裁や、書類や会計の監査があるのです。
表に出す(光の下に出す)ことによって、ごまかしを撲滅していくのです。
このような「公の手続き」(光の下に出す作業)をしている中で、
もしミスに気が付いたなら、
「ミス」を認めて、「修正すれば良い」だけなのです。
要は、光の下に出されたときに、
「隠そうとするか」(ごまかそうとするか)
「堂々とするか」(堂々と修正するか)
の違いです。
光に照らされた時、悪は隠れようとします。(明らかになることを恐れます)
そのため、ごまかし続けようとします。
しかし最後まで、ごまかしきることはできないのです。
「正しくあろう」(ごまかさない、一つのルールで対応しよう)と思って対応する人は、恐れないのです。
繰り返しますが・・・ミスを指摘されたならば、直せばよいだけですから。
(何を恐れなければならないのか・・・ということです)
B「課題の分離」
しかし、Cさんには、明確な「課題の分離」が必要です。
今まで、「課題の分離」を、
自分ことをしっかりして、人を思い通り動かそうとしない(コントロールしない)
という使い方をしてきました。
今回は、別の観点でお話しします。
それは、「課題の分離」責任の明確化です。
「自分の課題」は自分自身で実行するが、
「相手の課題」には基本的には干渉しない。(助けても良いですが、、、)
それは突き詰めると、
「人から言われて」自分を直すのではなく、
「自分自身で気が付いて」自分の落ち度を直す・・・ということになります。
「自分の頭」で考えて、「自分で自分を修正する」のです。
つまりそれは「誰から教えてくれなかった」とか、「誰かの言い方が悪かった」とか、
そういう言い訳は通用しなくなります。
「自分の課題」は、「自分で責任を持つ」ことを、しなければならないのです。
(これはとても厳しいことでもあります)
Cさんには、そういったことも含めて
自分のしていることを、隠さず、表に出すことが要求されます。
C「励まし」
そんな風に、「課題を明確化」されていくと、
追い詰められます。
今まで複数のものさしで、いい加減にできていたことが、
できなくなります。
するときっとCさんは「泣き言を言いたく」なるはずです。
もし質問者さんに、Cさんが「泣き言」を告げてきたならば、
「よく話を聞いてあげてください」
「批判する」のではなく、「どんな風に考えているのか」よく確認をしてあげてください。
そしてA「光の下に出すべきである」ことと
B「課題の分離」の考え方を伝えながら・・・
「結局、現実を受け止めていくしかない」こと、
「逃げることができない」こと、
「誰かのせいにしても、まったく解決しない」こと等を
優しく伝えて上げて欲しいのです。
今まで「ごまかしながら」でもできたことは
もう「卒業しなければならないタイミング」に来ていること、
「ここで逃げてしまった」なら、
「人間的な成長がない」こと等を、
伝えて上げて欲しいのです。
Cさんは、その厳しさを受け入れられないかもしれません。
(本当は、厳愛という、やさしさの一種なのですが)
Cさんが受け入れるかどうかは、「Cさんの課題」です。
「質問者さんの課題」は、Cさんに優しく関わり、
Cさんが乗り越えていけるように「サポートする」ことだと思います。
その課題を明確に「分離」することです。
そして質問者さん自身ができることを、コツコツとしていくのです。
エペソ(新約聖書)5:11-14
実を結ばない暗やみのわざに仲間入りしないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。
なぜなら、彼らがひそかに行っていることは、口にするのも恥ずかしいことだからです。
けれども、明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らかにされます。
明らかにされたものはみな、光だからです。
以上。長い時間をかけて、Cさんの分析と解決策を考えてきました。
参考にして頂ければ、幸いです。
質問者さんとCさんの、今後の祝福をお祈りしています。
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