人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から

世界のベストセラー聖書の価値観から、生きるを考えます!(モノの見方が変わると、とても楽になります)

【コラム】天の願いを考える人は、どのような人か(本題その3)

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 「天の願いを考えることができる人」は、どのような人かについて考察してみます。

 

今回は最初に聖書の一節を掲載します。
Ⅰヨハネ(新約聖書)4:20
「神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。」

 

この聖句から分かることは、

「人を愛すること」と、「見えない神様(天)を大切にすること」は、「比例する」という事実です。

 

もしあなたが「優しい人」であり、「周りのことを考えて」生活している人であれば、

「神様の願いを受け取る」ことができる確率が、非常に高くなります。

 

「人のニーズ」に応えようと考える人、

つまり「人から願われた役割」を果たしたいと考えている人は、

「神様からの使命」を知る可能性が、非常に高くなります。

 

何でも受け入れる「イエス・マンになれ」ということではありません。

(「イエス・マン」では心の奥の感情が伴いませんので、最終的には爆発したり反抗するようになります。)

 

はっきりと知らなければならないことは、

神様は、私たちを「奴隷のように支配」したいのではありません。

私たちが「自分の意志」で考えて、「主体的に行動する」ことを願っておられるのです。

(そういう意味では、「支配欲を持った人間に依存する」関係とは全く違うのです。)

 

神様は「私たちの意志を尊重」されますから、

神様は最初に、あるアクションをされて「しばらくそのままにしておく」ことがあります。

私たちが「本当は何を考えているのか」「本当はどうしたいのか」、

それを明らかにするまで、「待っておられる」ことがあるのです。

 

その期間は「見捨てられた時」ではないのです。

神様は目を開いて「あなたを見守っておられる時」なのです。

 

ここには、人間側の「成熟」が要求されます。

「承認欲求が強い人」の場合、待てません。

彼らは、自分をゴマ化している場合があります。

「人のニーズに応える」と言いながら、

実は「自分の利益」のために行動していることが、多いのです。

(だから待てないのです。)

 

「あなたのため」と言いながら、

利用するための「美しい言葉」だったり、

自分は優しい人、良い人だと思われたいという「人からの評価のため」だったり、

自分は優しくて素晴らしいという「自己のイメージを、証明するため」の行動だったりすることがあるのです。

(これを「偽善」と言います。)

 

人を願いを知るためには、「感情の成熟」と共に「理性的な働き」が必要になります。

 

古典的名著のエーリッヒ・フロムの「愛するということ」の中で、

「愛することは技術である」という指摘があります。

相手のことを知り、分析し、理解するためには、衝動や感情だけではない、

「知識や努力」つまり「技術」が必要である、という指摘です。

(本当だと思います)

 

普通人は「自分の物差し」で人をはかります。

自分が好きなものは、人は好きで、

自分の常識は、人も同じように常識だと考えると、思い込んでいるのです。

そして親しくなると「こんなはずではなかった」と失望します。

しかしこれは「現実が見えただけ」なのです。

(そのため、感情とは違う、理解のための「技術」が必要なのです。)

 

このような時、前提として「知りたいという、意志と努力」が必要です。

(自分を受け入れてほしいという甘えは、邪魔になります)

その上で、人のニーズを「冷静に観察」し、

「情報収集をし、分析する」という技術が必要になるのです。

(承認欲求や依存心を克服した、大人としてのメンタルが必要なのです。)

 

 

「天の願い」を考える時にも、同じことが言えます。

神様は「あなたの意見」を追認するイエス・マンではないのです。

神様の意見は、あなたの意見と明らかに違います。

 

「あなたの願い」があり、(それとは明らかに違う)「神様ご自身の意志」があるのです。

そして、その神様の意思を「受け入れる気持ち」を持っているかどうかで、

あなたが「神様(天)の願いを知る」ことができるのか、できないのかが、

明らかになるのです。

 

ですから、何度も書いているように、

「人のニーズを知ること」も、「神様の願いを知ること」も、成熟が要ります。

人間的な成長がないと、受け取れません。

頭でわかっても、感情がついていかない、のです。

 

イエス様は、一番弟子のペテロに、こんな言葉を言われました。
ヨハネ(新約聖書)21:18

「まことに、まことに、あなたに告げます。あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の歩きたい所を歩きました。しかし年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行きます。」

 

ペテロは、若い時には「自分思いのまま」に生きていました。(ある意味当たり前です)

しかし晩年は、「他人のニーズに応えて」生きるようになると言われたのです。

しかも「自分が行きたくないところ」に行くようになる、と言われたのです。

(実際彼はこの後、若い弟子たちのために多くの苦労をし、最後には殉教の道を歩みました。)

 

「自分の願い」でなくても、

「神様の願いであり、自分がしなければならない道」であるならば、

「黙々と従っていく」、これが晩年のペテロの考え方だったのです。

(彼は、若い時には失敗をしましたが、訓練の中で、成熟の道を歩んだのです。)

 

「天の願いを考える」とは、綺麗ごとではありません。

自分が立派な人間だと証明するための、「証明書」でもないのです。

 

「天の願いを考える」とは、

感情と共に、知性で理解し、

「人の願いを受け止め」「神様の願いを考える」中で、

必要なことを「コツコツ」としていく、

毎日の生活の中で、「見えてくるもの」なのです。

 

あなたは「天の願い」を知りたいですか?

 

そのような「尊い気持ち」を持っておられる「あなた」の上に、

豊かな祝福があることを、お祈りしています。


マタイ(新約聖書)7:7-8
「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。」

 

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