昨日は、ペンテコステ の記事を書きましたが、本日は「人が変わる」「変えられる」ことに焦点を当てて、書いてみます。しばらくお付き合い下さい。
人間は、頑固です。(相当に頑固です。)
「自分の考え」を変えられません。
若いうちよりも、年を取るほどに、その頑固さは強くなっていくような気がします。
「頑固さ」は習慣です。
自分の頑固さを「指摘」されたり、頑固さによって取り繕うことができない程の大きな失敗をして「マズイ」と思わない限り、改めようとしませんし、できません。
若いうちに、事実を受け入れ「自分を変える訓練」をしていない場合、
年を取るほどに「自分を変えること」は、しにくくなるのです。(頑固が習慣となるのです。)
ですから、できるだけ早く「自分が間違っている」「ズレている」ことに気がつく必要があります。
そして気がついたら「どうするか」を見つけ、「良い習慣」とすることです。
そのために3つのポイントで考えてみます。
①自分を知るためには、「鏡」や「ものさし」が必要です。
以前にも取り上げた聖書の言葉です。
ヤコブ(新約聖書)1:23-24
「みことばを聞いても行わない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。」
人間は、自己中心的で頑固ですから、心の奥では「自分は正しい」と思っています。
指摘されると、いろいろな理由をつけて、「自分を正当化」します。
「以前は、こうだった。」
「他の人は〇〇だから。」
「こういう理由があるから、、、、」
いろいろな理由をつけるのです。
しかし、それは「できるため」の理由ではなく、「しないため、できないため」の理由だったりします。
聖書にはこんな恐ろしい言葉があります。
箴言(旧約聖書) 17: 11 「悪しき者はただ、そむく事のみを求める、それゆえ、彼に向かっては残忍な使者がつかわされる。 」
頑なに、頑固に「正しいこと」に反発し続けると、最後には、他から「残忍な使者」が遣わされるのです。(これは、本当だと思います。)
②事実を受け入れる「誠実さ」が必要です。
人の言葉や、状況から、鏡を見るように「自分の酷い姿」に気がついた時、
私たちには、「事実を受け入れる」か「無視する」かの二択があります。
心の準備ができておらず「一時的」に先送り(逃げること)は可能です。
しかし「逃げ続けること」は、危険なのです。
問題は、逃げれば逃げるほど、選択肢が狭くなり、最後はどうしようもなくなります。(本当に大事なものからは逃げられません。)
手を打つのは、ギリギリではなく「早め」の方が良いのです。
「ギリギリが習慣」になっている方は、冷静に現在の状況を見て、考え直されることをお勧めします。(これも、自分を変える一歩です。)
そして、現実を受け入れる「誠実さ」が必要です。
すべての「問題解決」は、「事実を、そのまま受け入れる覚悟」から始まります。
逃げても、逃げ切れないことを自覚することです。
自分を変えるためには、そのような「ギリギリの精神状態」が必要なのです。
(追い詰められて、自分の「この点が悪い」と本気で自覚しなければ、「自分を変えること」など、できないのです。)
「自分の仮面」を外しましょう。取り繕うことは、やめましょう。
自分の仮面の下の、「弱い正直な自分」を自覚しましょう。
「素直になる」のです。「弱い部分」は「弱い」と認めるのです。
そして「助けを求める」のです。
③第三者の助けを求めること。
自分を変えることは、実は「自分だけでは、不可能」です。
少し考えれば分かります。
「暗い部屋」にいて、そこから脱出したい場合、一人ではできません。
まず、暗い部屋の「外の世界」があることを知らなければ、「行こう」とは思いません。
誰かに「教えて貰う」必要があります。
そして、「ずっとその部屋にいた」ならは、「そこから出る方法」を知りません。
穴に落ちた時、穴の外から、ロープを投げて貰わないと出られない、と同じです。
「外の人」に助けて貰う必要があるのです。
では「誰に」助けて貰うのでしょうか。
ここが難しいところです。
その人が、穴の外に立っている人(助ける力のある人)でなければなりません。
あなたの職場や知人で、そのように「助けてくれる人」はおられますか。
もしおられたら「謙遜な気持ち」で、相談してみて下さい。
人は「自分の弱さを自覚」して、「心から助けを求める人」をほっては置かないのです。(残忍な人ではなく、良い人を選びましょう。)
仮面を外し、正直な気持で相談するのです。
「人の感情」は、吐き出し、認められ共感され、初めて「変えられて」いきます。
「感情に触れて貰う」ことで、感情に変化が生まれます。
「感情」が変わって、初めて「行動」が変わるのです。ですから「感情に触れて貰う」ことが、とても重要なのです。
クリスチャンであれば、イエス様がこの部分を担って下さいます。
人には話せない深い部分の感情を、イエス様に知って頂き、祈りの中で「聖霊に触れて頂く」ことによって、心が(感情が)変えられるのです。
「聖霊に触れて頂く」ことを求めるなら、そのような祈りができるクリスチャンに「祈って貰う」こともオススメです。
昨日書いた「ペンテコステの出来事」のように、
「弱い部分」が、神様の霊(聖霊)に触れて頂くことを通じて、
びっくりするように「つくり変えられる」ことが起きるのです。
また、人に相談する場合、セカンドオピニオンを持ちましょう。
一人だと偏ることがあるからです。
(人間を神様にように崇めることは危険です。人は皆、間違えるものだからです。)
古典や伝記など、人生訓となる本も、助けとなります。
聖書は、勿論役立ちます。
「人が変わるため」(変えられるため)何が必要か、を考えてきました。
①自分を客観的に知るための「鏡」「ものさし」が必要です。
②自分を正直に認める「誠実さ」が必要です。
そのために「心の仮面」を外してみましょう。
③他の存在の「助け」が必要です。
「感情を触れられる体験」が必要です。
クリスチャンで神様を信じておられる方であれば、信頼できる信仰の先輩に、「祈って貰う」こともオススメです。きっと「聖霊に触れられる体験」ができることでしょう。
参考にして下さい。
祝福をお祈りしています。
エレミヤ(旧約聖書)17:9
「人の心は何よりも陰険で,それは直らない。 だれが,それを知ることができよう。」
ヤコブ(新約聖書)1:23-24
「みことばを聞いても行わない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。」
箴言(旧約聖書)4:23
🌷何を守るよりも、自分の心を守れ。そこに命の源がある。🌷
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