友だちと喋る時や仕事の人間関係では、明るく振る舞っています。明るく良く気がつく子だと見られていると思います。しかし、素の自分はとてもネガティブで、心の中ではしょっちゅう毒ついています。こんな自分は嫌だと思い、変わりたいのですが、いつも同じことの繰り返しで、落ち込みます。アドバイスをお願いします。20歳学生
ご質問をありがとうございました。
友だちの間や仕事では、明るく振る舞っているということですから、質問者さんは、とても相手を思いやる方なのだと思います。
しかし、明るい演技に疲れ、なんとかしたいと思っておられるのでしょうか。
人は多かれ少なかれ、二面性を持っています。
そして、相手を思いやる時に、自分を偽ってしまいます。
相手を思いやる心の中には、自分を守ることも含まれているでしょうから、複雑ではあります。
最初に考えたいことは、①「ご自分を客観的に見ることの大切さ」です。
(すでに質問者さんは、ご自分を客観的に見ておられる、と思います。)
人間の心は、複雑です。単純には割り切れません。
「毒ついて」いても、「全体的には受け入れて」いることも良くあることです。
大切なことは、「否定的」「ネガティブ」に考えるには、質問者さんにとって「意味がある」ことです。
そのことをまず「考える(受け止める)」必要があります。
「否定的」でも、「そう考える」ことには「根拠がある」のです。
ですから、「ネガティブな意見」だとしても、「消して(否定)」はいけないのです。
「自分がこう思っている」と、客観的に受け止めることは、大切です。
そこを「消して」しまうと、自分の意見を「消して」しまうことになりますから、
やり過ぎると、「心が苦しく」なります。(そうなると余計にネガティブに毒つくことになります。)
「相手のことを考える傾向」の質問者さんには、「人の考えとは違う意見」を主張することは、抵抗があるかもしれません。
しかしもし「自分」で、「自分の意見を封殺」してしまうと、ますます「イライラして」しまいます。
人が否定する前に、「自分で自分を否定」してしまう、からです。
どうでしょうか?
「否定的な心」も含めて、自分を「客観的」に見ていくことは大切です。
そして「客観的」に見るだけで、「評価しない」(否定しない、裁かない)ことです。
そのまま、事実として「受け止める」のです。
ご理解頂けますでしょうか?
②「親の心」で、自分や周りを見ることの大切さ。
次に、「親の心」を考えてみます。
20歳の質問者さんには、「親の心」と言っても少し難しいかもしれません。
学校やその他で、後輩と関わって指導をしたことはありますか?
または、親戚や知人に自分より小さい子と関わったことはありますか?
その時に、その子に対して「全否定」はしなかったと思います。
(全否定をしたら、その子が潰れてしまいますので。)
「親の心」とは、人を潰さない心です。人を育てる心です。
イザヤ(旧約聖書)43:4
「わたしの目(天の神様)には,あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」
この親の心は、「天の父なる神様の心」につながります。
「父なる神様」は、質問者さんを「温かい目で」見ておられます。
命をつくって下さったお方は、質問者さんの「存在そのもの」を大切に思って下さっています。(すべての人が否定したとしても、・・・です。)
否定的でも「大丈夫」です。
質問者さんが、どんな精神状態であっても、「そのままの感情」は、大切なものです。
「感情」は、「そう感じる事実」ですから、「否定できない」のです。
そして、そのままの感情を受け止め、そこに光が当たる時、
初めて「今後の課題」が見えてくるのです。
心が変わるには、時間がかかります。
(「変わる時」には、「一瞬で変わる」のですが)、
「自分の心に気がつく」(味わう、深く受け止める)のに、時間がかかるのです。
自分で自分を変えることは、なかなか難しいものです。
以前も書きましたが、
「閉ざされた部屋」から脱出しようとする場合、
あなた以外の誰かに「外から声」をかけて、「出口を示して」貰って、初めて「抜け出すこと」ができます。(その部屋の外をあなたは知りませんから。)
ですから「信頼している人」からのサポートが必要です。
③「助けを求める」大切さ。
「自分の課題」を「自分だけ」で解決しようとすると、
「同じところ」を「ぐるぐる回って」しまうことがあります。
「自分の座標点」だけでは、「自分の位置」を把握できません。
「原点、0ゼロ」が分かると、自分が「どれだけ離れている」のかに気がつきます。
特にクリスチャンの方であれば、正直にクリスチャンの友人に課題を伝えて「祈って貰うこと」をお勧めします。
神様を信じて、祈って貰うと、自分の位置(座標点)が見えてくるのです。
「原点に気がつくこと」は、自分の根本の支点を知ることです。
すると「自分のズレ」に気がつきます。その「気づき」は、変わるため、脱出のためには避けて通れません。
クリスチャンは、ここで「十字架の力」を体験します。
「ズレ」に気がついたなら、それを正直に告白し、その罪を「イエス様」に委ねる(お渡しする)のです。
すると「罪が拭い去られる」のです。
(そのことによって、心がきれいになり、こだわりから解放されます。考え方が楽になるのです。)
使徒の働き(新約聖書)3:19-20
「ですから、悔い改めて神に立ち返りなさい。そうすれば、あなたがたの罪はぬぐい去られます。そうして、主の御前から回復の時が来て、あなたがたのためにあらかじめキリストとして定められていたイエスを、主は遣わしてくださいます。」
クリスチャンでない方(天の神様の存在を体験的に知らない方)であっても、
身近な人に「助けを求める」ことは大切です。
先ほど、お書きしたように、第三者によって「自分の立ち位置(座標点)」が分かるので、今後の対策が立て易くなるからです。
(同じところをぐるぐる回る、ということが無くなります。)
「ネガティブに考える」には、理由があります。
①「その事実を(事実として)客観的に受け止めてみましょう。」
そして、②自分を批判するのではなく、まずは「そのまま受け止めましょう。」
「親のような心で、自分を見つめてみるのです。」
③信頼できる人がいたら、「正直に気持ちを打ち明け、助けてもらいましょう。」
へりくだって、助けを求める人を、人は無碍(むげ)にはできないはずです。
(ただし、世の中には残酷な人もいるので、そういう人は避けるべきです。)
クリスチャンの方も、そうでない方も、天の神様は同じように愛して下さっています。
(見えない導きがあると信じています。)
良い助けが与えられますように、
祝福をお祈りしています。
ルカ(新約聖書)
「11:9ですから、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。」
「11:13 ですから、あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもたちには良いものを与えることを知っています。それならなおのこと、天の父はご自分に求める者たちに聖霊を与えてくださいます。」
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