人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から

世界のベストセラー聖書の価値観から、生きるを考えます!(モノの見方が変わると、とても楽になります)

「祈りとは何か?」大きな神様に期待をして、祈る

f:id:jesuslovesmeus:20210713152518j:plain

今日は、祈りについて考えていきます。

クリスチャンでない方にも、分かりやすくなるように努めます。(できるだけシンプルに。)

「祈り」を知ると、素晴らしい体験ができます。

「心の平安」が与えられます。(精神的な安定です。)

そして「祈りの答え」を受取ることができるのです。(これが瞑想と異なる点です。)

 

実は、クリスチャンでも、「よく分からず」に「盲目的に」祈ってしまうことがあるのです。

今回は、この辺りも整理していきたいと思いいます。

 

①祈りは、大きな神様(創造主)と語り合う行為である。

②祈りは、神様(創造主)を直視しなければ、ぼやけてしまう。

③信仰をもって祈る、ということ。

(神様=天の父なる神様=創造主で表現しています。)

 

①祈りは、大きな神様(この地の創造主)に語る行為である。

クリスチャンの祈りは、「瞑想」ではありません。「心を空にすること」でもありません。

また、「自分自身と語り合うこと」でもないのです。

 

よく祈っていると「雑念が湧き上がる」と言われる方がいます。(食べ物のことや仕事のことが心に浮かんで、集中できない状態です。)

しかし、この時間は、厳密には祈りではありません。

自分の中の「雑念」に「注目しているだけ」です。

時計を見ながら、「時間になったら終える」という行為も、注目しているのは「時間」であり「創造主ではない」のです。(これも祈りではありません。)

ですから、祈るためには、「神様に注目」しなければならないのです。

 

初めてお友だちになった方と「仲良く」なるためには、お友だちのことを「知る」必要があります。

その方と親しい会話、心の交流をしたい場合は、なおさらです。

もし、その人の前で「独り言」を言っている人は「おかしな人」です。

しかし、「見えない神様への祈り」には、このおかしなことが、結構起きているのです。

 

②祈りは、神様を直視しなければ、ぼやけてしまう。

ですから、「神様を直視する」必要があります。「神様に焦点を当てる」のです。

焦点を当てるには、その方「創造主」を知る、必要があります。

自分の考えとは違う、「別人格である創造主」です。

その方の「考え方」を知れば、「祈りの焦点」が定まります。

 

イザヤ書(旧約聖書)55章8~9節

「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。
・・主の御告げ。・・
天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」

大切なことは、「自分の思い」と「神様のお考え」を切り離すことです。

「自分の思い」よりも、創造主のお考えは「遥かに高いもの」だと悟ることです。

 

創造主を良く知らない場合、

「自分に自信があり過ぎる人」、「自分を愛し過ぎる人」は、気をつけなければなりません。

自分を一番にしていると、創造主が一番であることが、分かりません。「心で受け取れ」ないのです。

そうすると、「創造主に祈って」いるようで、「自分に祈って」いるのです。

(分かりますでしょうか。、、、独り言です。)

 

「創造主」に祈っていませんから、「祈り」は届きません。

その「祈り」は聞かれません。ただ「呟く」だけで、時間を空転しているだけなのです。

「祈り」は、「誰に祈るか」が、非常に大事なのです。

 

③信仰をもって祈る、ということ。

信仰をもって祈るためにも、「創造主がどういうお方なのか」「創造主が何をしてくれるのか」、を良く知ることが大切です。

 

マルコの福音書の中に、テマイの子、バルテマイという人物が出てきます。

彼は盲人でした。そして「イエス様が盲人を癒す」という話を聞き、「自分も癒して欲しい」と思いました。

彼の近くにイエス様がやってきた時、彼は大声で「ダビデの子、イエス様、私を憐れんで下さい」と叫んだのです。

(彼は目が見えませんから、誰かに助けてもらうしかなかったのです。)

周りの弟子たちは、彼を止めましたが、ますます彼は叫びました。

 

その時、イエス様が声をかけて下さいました。

(つながった瞬間です。)

 

マルコ(新約聖書)10章50〜52

「すると、盲人は上着を脱ぎ捨て、すぐに立ち上がって、イエスのところに来た。

そこでイエスは、さらにこう言われた。「わたしに何をしてほしいのか。」すると、盲人は言った。「先生。目が見えるようになることです。」

するとイエスは、彼に言われた。「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」すると、すぐさま彼は見えるようになり、イエスの行かれる所について行った。」

 

はっきり言えることは、「イエス様はとても優しいお方」です。

バルテマイは、イエス様に声を掛けてもらい、

イエス様のその働きかけによって、「イエス様に、つながった」のです。

そして彼は「信仰の言葉」で、「先生。目が見えるようになることです。」と、切望しました。

、、、その結果、癒やされたのです。

 

イエス様は、「大きなことをして下さる」神様です。

その方を知り、信じて求め、つながったならば、「奇跡が起きる」のです。

 

「奇跡」をいただける秘訣は、

「イエス様を知ること」と「信仰」です。

そして、求めて「つながること」です。

 

イエス様は、(そして創造主である父なる神様は)

私たちの考えよりも「遥かに大きなお方」です。

 

「その方」のことを、

昨日より今日、今日より明日。

「知った分」、「信じ求めた分」、「つながった分」、、、

あなたも「奇跡を頂ける」のです。

その奇跡は、「人間の常識を超えた」ものなのです。

 

あなたも、そんな神様を知って、祈り求めてみませんか?

祝福をお祈りしています。

 

にほんブログ村 その他生活ブログへ

にほんブログ村

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

もし気に入って頂けたら、たくさんの方に読んで頂くために、クリックの御協力をして頂けると幸いです。(一日一回カウントされます)

人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から - にほんブログ村

読者登録をして下されば、新しい記事を自動的に知らせてもらえます。(無料ですが、はてなブログの登録が必要です。)

 

もう一つ別のブログランキングです。(こちらもクリックして頂くと助かります。一日一回カウントされます)

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓


人気ブログランキング

 

 

PVアクセスランキング にほんブログ村

↑↑↑↑↑↑

こちらをクリックすると記事一覧を見られます。