今回は「『幸せ』をどうやって感じたら良いでしょうか」のお答え、3回目です。
今回は、「愛することと、自分の居場所について」を考えていきます。
少し考えてみてください、、、、
小さい頃は、私たちは安心できる場所があり、毎日が不安がなく、幸せだったと思うのです。
しかし、大人になるにつれて、現実が見えてくると、私たちは不安を感じるようになります。
それは小さい頃のように「自分を守ってくれる存在」がいない現実を悟るからです。
そして自分を愛し、守ってくれる人を探します。そのような人を見つけると幸せを感じます。
(恋人、友人、恩師、、、)
しかし、その人も「いつも自分を愛してくれる訳ではない、いつも守れない」ことにどこかで気がつくのです。
そのため、ある人は絶望します。
ある人は諦めます。「そんな存在などいない」と結論付けます。
でも心のどこかの「愛されたい、守られたい」という、本能にも似た気持ちは消えません。
だから、、、心の奥にぽっかりと穴が空いたように生きているのです。
それを埋めようと、目標の達成感を得ようとします、、、仕事、出世、貯金、資格、、、。
しかし、達成しても、また次の目標を立てないといけないのです。
「心の中には、神様にしか埋められない穴がある」とは、そのような穴です。
いつも自分のことを知ってくれる存在、愛してくれる存在、そんな存在が本当にいたら嬉しいと、誰もが思っているのです。
個人的な話ですが、
私には、「創造主である神様との関係」が、人生に不可欠です。
なぜなら、継続的に人と「愛する心」で関わるためには、
祈りの中で、創造主(イエス様)と繋がっていなければ、難しいからです。
イエス様と繋がっていれば、
人と穏やかに関わることができます。
不思議な知恵が与えられます。
気力が充実して、人と接することができます。
苦手な人や、難しい状況でも、前向きに関わることができるのです。
イエス様を信じても、最初からそのようになれた訳ではありません。
自分の足りなさを感じ、弱さや悲しみを通じて、
助けを求めて、祈り続ける中で、
「イエス様と繋がる感覚」を身につけることができました。
(訓練があります。)
今回は、「愛する時、居場所を見つける時に、幸せを感じる」がテーマですが、
私が提供できる一番の答えは、「創造主との関係」「イエス様との関係」の中で
居場所を感じ、幸せを味わうことです。
いつも書いていますが、人間の愛は不完全です。(私自身の愛も含めて)
ですから、創造主もイエス様も見えないのですが、
関わっていただかないと、継続的な「人との良い関係」が作れないのです。
(切れそうになるような酷いことをされた時に、それでも穏やかに接するためには、確かな支えが必要なのです。)
神様との関係(愛の交わり)を持つために、
以下の3つを、考えていきます。
a、人間は「与える愛」が分からない。
b、人を愛する時に「与える愛」を理解できる。
c、愛し愛される関係の中で、「居場所」を感じる。
a、人間は「与える愛」が分からない。
幸せを感じるためには、「愛されるより愛すること」です。
「受けるよりも与えるほうが幸いである。」使徒20:35
これはイエス様の言葉です。
しかし多くの人は、「与える愛」を持っていません。
「愛が欲しい」と周りを探しまわって、「見つけたら奪おう」と考える人がいます。
「愛は惜しみなく奪う」と考えている人です。
しかし、そのブラックホールに、心の健康な人は近づきません。
心が健康な人は、人を愛し、愛が溢れている所を選びます。
多少はボランティア精神で関わってくれても、ずっと奪い続けられたならば、最後は身の危険を感じて離れていきます。
再びイエス様の言葉です。
ルカ6:38 「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」
「与えて欲しい」ならば、最初にまず「与えること」なのですが、、、
どうでしょうか。あなたは「与え続ける愛」を持っていますか?
b、人を愛する時に「与える愛」を理解できる。
そして人間は、「本当に与える愛」が理解できません。
「与える愛」とはどういうものかも知りません。
1ヨハネ4:8
「愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。」
「愛が分からない」ので、神が実感として「分からない」のです。
究極の居場所は、神様との「愛の交わりの中」にあるのですが、
理性や理屈で「愛」を理解しても、実感として、「与え続ける神の愛」が分からないのです。
「与える愛」が分かるためには、逆説的ですが、
「与える愛で、愛し続ける」ことが必要なのです。
愛を学ぶ必要があります。
「子を持って知る、親の恩」と言われます。
子どもの頃は、「当たり前」のことと思っていたことが、本当は「親の愛情」からだったと、親になって初めて実感するのです。
人を愛する訓練をしていく中で、「神様の愛」が分かり、「愛の交わりの素晴らしさ」を実感していくのです。
c、愛し愛される関係の中で、「居場所」を感じる。
箴言17:17
「友はどんなときにも愛するものだ。
兄弟は苦しみを分け合うために生まれる。」
友情関係は、愛し愛される関係です。一方的に愛するだけでは、友人ではありません。
一方的に愛されるだけでも、そこには繋がりもなく居場所もないのです。
神様との関係も同じです。
愛を学び、その愛を受けたなら、神様(イエス様)を愛するという選択と決断が必要です。
また私の個人的体験ですが、
毎朝、起きた瞬間から祈り始めます。愛の関係の確認をするのです。
「主の愛を感じ」ます。
「主を愛しますと告白」します。
その感覚がないと、気持ちが悪くて1日が始められないのです。
その感覚(イエス様との愛の交わり)で1日を始めると、安心です。
主がいつも一緒にいてくださいます。
失敗をしても、主が支えてくださいます。
「本当の私」を知っておられるイエス様が共におられるので、
嫌なことを言われても、誤解されても、そんなに動揺しなくて済むのです。
この安定感は、本当に有難いです。
どんな時でも、私を支えてくれる居場所があり、この居場所は揺らぐことはありません。
(絶対的な安定感です。)
この安定感を体験したいと思いませんか?
今回は「神様との愛の交わりを体験する方法」を、まとめました。
神様(イエス様)のことを良く知らない方にとっては、
ピンとこないことも多くあったとは思います。
もしそうであっても、
幸せを感じるためには、
「居場所が必要である。」
そして居場所を確保するためには、誰かを「愛することが大切である。」
この2点を押さえて下されば、人間関係や様々な場所で、「幸せを味わう」ことができると、信じています。
そして、もしあなたが「創造主との交わり、その愛の中での居場所」が欲しいと思われたならば、
「主の愛」を通じて、
「深い平安(幸せ)」を味わえることをお祈りしています。
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