人は、人生に何度か「荒野を通る時」があります。
韓国のクリスチャンミュージシャン「ジャン・ジンスクさん」
の人生のお証を聞きました。
「なぜ闇のなかに、深き闇みに
一人で捨てられたのか
私はなぜ寂しくなり、低くなり、
頼りなくなったのか
荒野、荒野にいる」
(ジャン・ジンスク 「荒野をとおって」)
彼女は、父親が肺がんで音楽大学生の時に亡くなり、その後も父親の闘病の影響で、貧しい生活を余儀なくされました。
ある日、バス代が足りなくなり、
惨めで悲しくなって、泣きながら主に祈りました。
「どうして私はこんな惨めな生活を送らなければいけないのですか。人生は辛すぎます。あと20万ウオン(2万円)必要です。天の神様が私のパパなら、願いを聞いて下さってもいいじゃないですか。父親は娘のために助けて下さいますよね。あなたが良いお父さんならば、娘を助けて下さい。」
そう祈った直後に、携帯に電話があり「子どもを教えて欲しい」と言われ、その報酬が20万ウオンだったのです。
彼女は、心の中に不思議な温もりを感じました。お父さんである神様が共におられる、という感覚でした。
彼女は、神様に必要な金額を祈るようになりました。
多くの場合、それは満たされたのです。
この後彼女は、自分の日記の中に書いた詩に曲をつけるようになり、楽譜に起こし始めました。
特に、苦しみや絶望の中で、父なる神様に慰めを受けた「信仰の思い」を多くの歌にしたのです。
自費でCDを作成すると、ガンで死の床にいる方や、夫を事故で亡くした方、様々な苦しみ悲しみの中にいる方々から、メールが来るようになりました。
アルバムは、二枚三枚と増えていき、現在に至るのです。
(背後で神様の導きとしか思えない、不思議な体験があったようです。)
「苦しみの中」で、私たちは混乱し、絶望します。
いくら気力を振り絞ろうとしても、
穴に落ちたような時には、這い上がることができず、泣いてしまいます。
(むしろ泣ける時は健全かもしれません。混乱し、自分の気持ちが分からない時には、泣くことさえもできませんから。)
そんな時、「誰か」があなたのすぐそばで、
「寄り添って」「助けて」下さるならば、、、
「その温もり」を、一瞬でも感じることができたならば、
人は「生きていける」のです。
「荒野」とは、そのような体験をする場所です。
街中では、色々なものがありすぎて、見えなくなっているものが、
「荒野」では、「はっきりと見える」のです。
むしろ荒野とは、「本当に自分を助けてくれる存在」を見つけなければ、
「いのちを保つことができない」という、究極の状況下です。
そこで「必死に求めた末」に出会うことができた助けは、
「本物の助け」です。
その出会いを、温もりを、体験した人は、
「荒野でも」生きていけるのです。
「荒野」とは、「本当の助け」に「出会う場所」なのです。
詩篇121:1‐2
「私は山に向かって目を上げる。私の助けはどこから来るのか。
私の助けは【主】から来る。天地を造られたお方から。」
ローマ8:28 「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを私たちは知っています。」
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