人前では、弱いところを見せないのですが、いつも心の中には不安があります。人と会うことは楽しいのですが、他人は自分の本当の姿を知ったならば離れていくのでは、と心配しています。人前で演技することが多く、取り繕い、週末には疲れています。ブログを読ませて頂いていますが、神様を信じたならば、もっと心が安定するように感じます。神様を信じると、不安はどうなるのでしょうか。
ブログを読んで下さっているのですね。ありがとうございます。
神様を信じると、不安がどうなるのか、というご質問です。
私が感じるのは、すでに質問者さんは、神様の存在を信じておられるように思いますが、いかがでしょうか。
そして、「神様との関係」が深まったならば、不安が取り除かれるのではないかと、期待しておられるのではないでしょうか。
今回、神様(イエス様)に、
①知って頂いていること。
②思っている全ての悩みを、告げる(吐き出す)ことができること。
③その上で、慰めて頂けること。
を記していきます。
知性で理解すること、と感情で実感することは、違います。
「全て知って下さっている」という事実も、
頭で理解することと、心で理解することはかなり違います。
これから書く文章が、質問者さんの、「心の平安」に役立つことを願っています。
①神様は、あなたの全てを知って下さっている。
このことを実感するためには、質問者さんがある程度「自分を受け入れている」必要があります。
人は意外に自分を「そのまま」受け入れていません。
「理想の自分」は好きですが、「ダメな自分」は見たくないのです。
ですから、一部の自分を受け入れ、それ以外はごまかします。無かったことにするのです。
すると、あるものを無いようにしますから、演技をしなければいけません。
「理想の自分」を演出し、「本当の自分」を見せないようにします。隠すのです。(無意識にしている場合が、ほとんどです。)
ですから、疲れるのです。
本来の「素の自分」を隠すことだけでも疲れるのに、
自分がしたくもない(酷い言い方ですが)「良い自分」を演じているならば、
どこかで「もう全て辞めたい‼︎」と叫びたくなるはずです。
では、どうしたら良いのでしょうか。
それは、「ダメな自分」をそのまま受け入れ、認めることです。
「ダメ」ならば、「ダメなまま」で、受け入れるのです。
やってみたら分かりますが、これが「なかなか難しい」のです。
あなたが綺麗なところだけを、人に見せることが習慣になっているなら、
「ダメな自分」が見えた瞬間に、「見えないように隠す」ことも習慣になっています。
もし見つけてしまうと(隠せないと)「落ち込み」ます。
そして「誰かのせい」にしようとします。自分を「悲劇の主人公のように」思い込もうとします。
極端な場合、頭の中の「理想の自分」を「本当の自分」だと思い込むのです。(これは悲劇です。本人が悲劇と思っていないことが、最大の悲劇だったりします。)
「神様があなたを知って下さっている」とは、あなたの汚いところも、全て知っておられるということです。
その上で、「受け入れて」下さり、
その汚い部分を見て、
「綺麗にする方法はあるのだから、私を受け入れてご覧なさい。」と言われるのです。
イザヤ1:18 「さあ、来たれ。論じ合おう」と主は仰せられる。「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。」
「汚い自分」を、「心から受け入れる」ためには、
「それでも受け入れて下さっている存在」を知ることと、
「綺麗になる方法」を知ることが必要です。
それは、「神様(イエス様)の存在」を知り、
「十字架の赦し」を知ることです。
恐れずに、汚い自分を受け入れてみて下さい。
イエス様は、そんな心の葛藤をしている、あなたの全てを知り、理解し、
受け入れて下さっているのです。
そのことが分かってくると、演技することが減ります。
自分自身を取り繕わなくても、認めてもらえる存在、
その方が、一緒にいて下さることが分かってくると、
人前でも、堂々とできるようになるのです。
多少の演出はあっても、過剰な演技はなくなるのです。
演技しなくても、受け入れ、赦し、愛して下さっている存在、
天の神様であり、イエス様の存在は、
非常にありがたいのです。
イエス様を信じ、イエス様が一緒におられることが、
実感として分かると、不安がなくなります。(安心感、心の安定が与えられます。)
これは、信じる(体験する)者が、味わう事実なのです。
次回は、「イエス様に、悩みを打ち明けることができる」こと。
「イエス様に慰めて頂ける」ことに、触れたいと思います。
質問者さんの「心の平安」のため、
お祈りをしています。
「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」(ピリピ人への手紙4:6,7)。
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