仕事上のミスをして、降格してしまいました。頑張って成績を上げ、それなりの成果を出した後の降格でしたので、正直、へこんでいます。まるで仮面を外され、丸肌の自分をさらしているようです。昔から、人の目を気にして生きてきました。役割を与えられると頑張れるタイプで、休みの日は「抜け殻」のようにぼんやりすることが多かったです。こんな私ですから、今の状況はとてもつらいです。仮面を外され、支えを無くし、素の自分は「空っぽで、何もない」と感じています。新しい何かの支えがあれば、頑張れるような気がしますが、しかしそれも無くなるかもしれないと思うと、絶望的な気分になります。どう考えたら良いのでしょうか。
ご質問をありがとうございました。
今はとても苦しい状況ですね。自分の支えが無くなることはとても辛いことです。
しかし、ここを乗り越えたならば、質問者さんは「芯の強い人間」になれます。
今までよりも、充実感のある人生を送り、「見える景色」が変わってくるはずです。
これから書かせて頂く文章が、何かの参考になることを願っています。
今回も、いつものように3つの点で考えてみます。
①人生には、「仮面を外される」ようなことが、必ず起きること。
②「本当の自分」を自覚する時に、人生の喜びが見つかること。
③「仮面」ではなく「その奥の自分」にエネルギーを注ぐこと。
しばらくお付き合い下さい。
①人生には、「仮面を外される」ようなことが、必ず起きること。
「謙遜な人はいない。謙遜になる環境があるだけだ」という言葉があります。
普通、人は「仮面」で、自分の価値を測ります。しかし仮面を外されると、自分の価値を見失うのです。
本当は仮面を外されても、自分の価値は変わらないのです。しかし実際に体験すると、全てを無くしたように感じます。
どうしてでしょうか。
そのことをご一緒に考えたいと思います。
質問者さんも「仮面」という言葉を使われましたが、
私なりに「仮面の定義」をしてみます。
「仮面」とは、「その人の役割を現すもの」。地位、立場、収入、家柄と言ったその人の「外から見た姿」。又は「それを自覚する自分自身の姿」。
質問者さんは、「今までそれなりの成果を出してきた」と書いておられましたから、順調な人生を送ってこられたのでしょう。
仕事上、失敗はつきものです。失敗がなかったとすれば、幸運なだけであって、すべての人がその幸運を味わう訳ではありません。
要領良く、失敗を誰かに押しつけることができたとしても、(そういう人が出世しやすいのですが)、必ずどこかで恨みを買います。
仮に全てを上手くやって、頂点に到達しても、どこかで引退しなければなりません。
肩書きではない「素の姿」になる(戻る)のです。
その時に、ある意味「本当の人生」が始まります。
肩書きで「下駄を履かない(水増ししない)」自分です。
「質問者さん=仮面」ではないのです。
質問者さんが、「いくつかの仮面」を外したり、はめたりできるだけなのです。
仮面を外してもはめても、「質問者さんの価値、本質」は変わらないのです。
そういう意味では、引退後ではなく、まだ若い時期に「仮面を外す(外される)」体験ができることは、実は素晴らしいことなのです。
すべてを無くしたように感じても、実際は、今まで気づかなかった素晴らしいものを見つけるチャンスなのです。
②「本当の自分」(仮面の下の自分)を自覚する時に、人生の喜びが見つかること。
「仮面」で生きていると、頑張った自分を演出します。
頑張った自分をアピールします。(心の奥ではアピールをしています。)
すると評価された時に、「頑張ったから、評価されたのだ」となるのです。
これは実は「危険な考え」です。
つまり、頑張らなかったら「価値がない」
「良い仮面、を演じなければ価値がない」と思い込む危険性があるからです。
ですから「仮面の下の自分」無視をしてはいけないのです。
仮面の下の「素の自分」を大切にしなければなりません。
仮面の下の「自信がなく、不安で、力がない」つまり「空っぽな自分」を自覚するのです。
なぜなら「仮面の下」を意識して生活するとは、
「自分の弱さ、悲しさ、意気地なさ」を認める生活だからです。
あなたが「自分の弱さを自覚」すると、(自分の弱いところを思い起こしてみて下さい)
もし、そこで許して貰ったり、親切にされたならば、
そこで与えられた愛情は、心の奥にしみてきます。
すると、「仮面のレベル」ではない、「素の自分のレベル」での、「喜び」を味わうことができるのです。(理解して頂けますでしょうか。)
つまり、質問者の今の状況は、(仮面を剥がされた状況は)、
「人生の本質」を悟る上で非常に大切なプロセス(過程)なのです。
③「仮面」ではなく「その奥の自分」にエネルギーを注ぐこと。
今の質問者さんにとって大切なことは、肩書きではない「素の自分」を意識することです。
そして、そこにエネルギーを注ぐようにするのです。
繰り返しになりますが、
「素の自分」を意識すると、「人の優しさ」が見えてきます。
役割や義務感ではない、あなたのことを心配してくれる人がいることに気がつくのです。
周りを良く見て下さい。
あなたに肩書きがあったから付き合っていた人と、肩書きが無くても関係を持ち続ける人が、はっきりと分かれるはずです。
「どうせ、いつかはその会社を退職する時が来るのだから」と割り切って、周りを見てみましょう。
本当に優しい人を見つけることができたなら、肩書きがあっても無くても、そういう人とお付き合いをしたら良いのです。
「素の自分」を楽しみましょう。そこにエネルギーを注ぎましょう。
肩書きではなく、一人の人間として、今の会社に仕えていきましょう。
今できる、今すべき仕事は、コツコツと実行するのです。
もしかすると「肩書きではない」質問者さんをじっと見ておられる方がおられるかもしれないのです。
(そういう人は、質問者さんを引き上げて下さいます。しかしそのような期待をせずに、自然体でいきましょう。)
「そんな人はいない」「皆自分のことしか考えていない」
もしかすると、周りを見るとそう思われるかもしれません、、、。
しかし少なくとも、これだけははっきりと言えます。
良い悪いを全てみておられる「天の神様」(そしてイエス様)が、あなたの仮面ではない「心の奥」を注目しておられます。
イエス様は、「天の神様は、お願いする先に(言葉に出す前に)、私たちの必要を分かっておられる」(マタイ6:8)と言われています。
ですから、天の神様は(イエス様も)、あなたの「心の奥」をすべて知っておられ、正しく報いて下さいます。
その上で、必要な力を与えて下さるのです。
イエス様の言葉です。
「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているように、その人の腹(直訳)から、生ける水の川が流れ出るようになる。(ヨハネ7章37‐38節)」
イエス様と「仮面」ではなく、「素の自分」で信じてお関わりをすると、信じる人の「腹」から、いのちの力が流れ出るのです。(分かりにくい表現かもしれませんが、あるということだけでも受け止めて下さい。)
私のプログの最後は、いつもながらですが、イエス様のことにつながります。
なぜなら、空っぽになった心を、本当の意味で満たして下さるのは、神様(イエス様)しかおられないと信じているからです。
イエス様の愛と支えは、「仮面で大丈夫」と思っている間は、決して気がつかないものです。
(太陽の光のようなものです。自分でできるという「プライド」を持っている間は、光はあっても当たり前だと考えて、気がつかないのです。)
しかし、自分を支えるものが一つもない、という「仮面が剥がされた」状況下では、気がつきやすくなります。
「謙遜な人はいない。謙遜になる環境があるだけだ。」
苦しみの中で、人は謙虚になり、本当に大切な大きな支えに、出会うことができるのです。
人は謙遜になった時に、愛や慰めと言った「大切なもの」を受け取ることができるようになると思うのです。(そうではないでしょうか。)
「空っぽ」と感じておられる質問者さんの心が、満たされますように。
「仮面で、生きていた時」には感じられなかった「深い癒しと慰め」を経験できますように。
祝福をお祈りしています。
「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているように、その人の腹(直訳)から、生ける水の川が流れ出るようになる。」(ヨハネ7章37‐38節)
「イエスは言われた。『わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。』(ヨハネ6章35節)
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