人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から

世界のベストセラー聖書の価値観から、生きるを考えます!(モノの見方が変わると、とても楽になります)

心の中に「良くない思い」が湧き上がります。どうしたら良いのでしょうか。

f:id:jesuslovesmeus:20211116160424j:plain

23歳の大学生です。心の中に時々「訳の分からない思い」が湧き上がります。怒りや暴力的だったり、相手を馬鹿にして見下す思いだったり、口にするのも恥ずかしい思いも、湧き上がります。それを実行することはほとんどありません。しかし人が見ていない、気がつかないことなら「やっても良いのでは」というズルイ考えが浮かびます。自分のことを「嫌な奴」だと思います。この嫌な考えを消したいです。もし消せないなら、飲み込まれずに上手に付き合う方法はあるのでしょうか。

 

ご質問をありがとうございます。

このテーマは、すべての人間に当てはまる、共通の重要な課題です。

多くの人は、「このような負の思い」が湧き上がると、

「無視をし、考えないように」します。

しかし「消える」ことはないのです。

 

こういうことを悩むことが、「未熟だ」と言う大人がおられますが、高齢になってもこの問題は解決することはありません。老人にも「良からぬ思い」は、湧き上がります。

むしろ老人の方が、長く生きた分「自分の中の闇」に気がついているのです。

(自分をごまかして生きている人は、別ですが、、、。)

 

聖書はそのような闇を、「罪」と言います。そしてそれを持つ人を「罪人(つみびと)」と言います。

聖書は、人類すべて「罪人」だと言うのです。

 

ローマ3:10-12、13-14、23

「義人はいない。ひとりもいない。悟りのある人はいない、神を求める人はいない。すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行う人はいない。ひとりもいない。」

「彼らのくちびるの下には、まむしの毒があり、彼らの口は、のろいと苦さで満ちている。」

「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず」

 

それは、「凶悪犯罪を犯した人」という意味ではありません。(面と向かって、あなたは罪を犯した人と言えば、怒り出す人がいるでしょう。」

それは「心の性質」なのです。

 

つまり「罪を犯したから罪人(つみびと)ではなく、罪人だから罪を犯す」のです。

繰り返します。「罪の性質を持つ、罪人」だから、罪を犯すのです。

 

良く犯罪を犯した人が、「自分はあの時、魔が差した」と言うことがあります。

理性で抑えていても、「ふっと悪の思いが降りてきて、それを止めることができなかった結果」です。

 

残念ながら質問者さんの最初の質問「良からぬ思いは消えますか」は、

「消えない」が答えです。

しかし「罪に飲み込まれず、打ち勝つ方法」はあります。

「鳥が頭の上を飛ぶことは止められなくても、鳥が頭に巣を作ることは止められる(西洋のことわざ)」なのです。

 

今回は、以下の三つを考えていきます。

①「自分の中の闇」に気がつくこと、認めること。

②闇を克服する「処方せん」を知ること。

③解決の力を持った、「光の助け」を受けること。

しばらくお付き合い下さい。

 

①「自分の中の闇」に気がつくこと、認めること。

ここまで読みながら、ある人は、「もう読みたくない」と思われているのではないでしょうか。

解決法が無い中で、「罪の性質」を見るのは、苦痛でしかありません。拷問です。

解決法は②で扱いますので、もう暫く我慢して下さい。

 

自分が癌だった場合、どこに癌があるかが早く分かれば、手を打つことができます。

私の身内に、検査で大腸ガンが分かり、早期だったので、手術で完全に切除できた人がいます。

今も定期的に病院に行っています。それは、もし数値が悪くなれば、直ぐに手を打つためです。

 

「自分が大丈夫だ」と過信する人が、危ないのです。

自分の中に、闇に対する「弱さ」があると自覚することが重要です。

自覚する人は、気をつけるからです。

 

そう言う意味では、質問者さんは「自分の弱さ」を自覚されています。

ですから、今持っておられる、「その悩み」は大切です。

「その悩み」がない人の方が危険なのです。

 

「自分が正しいと思っている人」がいるとします。(一般論で考えます。)

その人は、もし問題が起きたら、「誰かのせい」にします。

自分は間違えるはずがないのだから、自分が間違えてしまったのは、「環境が悪い」か「誰か相手が悪い」と考えます。

 

もし誰のせいにもできない場合は、どうなるでしょうか?

「自分のせい」だと逃げられないと、極端に徹底的に「自分を責める」のです。

(パニック状態です。)

しかし、そうは言っても「そんな自分」を受け入れることができません。

「正しいはずの自分」が間違えたので、「そのままの自分」を受け入れることができないのです。

そして、自分を受け入れられないので、責めながら「見ないよう」にします。

そしてある方たちは、自己憐憫に入って行くのです。(「自分はこんなに可哀想なのだ」、と。)

かなり「危険な心の動き」です。

 

ですから、質問者さんのように、自分の弱さを「正直に見つめる(自覚する)」ことは、とても大切であり、健康的なことです。

その上で、「闇を克服する方法」に触れていきます。

 

②闇を克服する「処方せん」を知ること。

「陸」から「水に落ちた人」を助けようと思うなら、しっかりと「陸」につながっていなければなりません。いざとなれば、すぐに安全なところに行ける準備(装備)ができていないと、危険です。

 

闇を直視しようとする場合、「直視ても大丈夫」と言う「絶対的な安心材料」が必要です。

、、、少し長くなりましたので、一旦ここで中断します。

 

次回は、闇を克服する「処方せん」に、詳細に触れたいと思います。

祝福をお祈りしています。

 

ヨハネの福音書 1章4~5節

この方にはいのちがあった。このいのちは人の光であった。
光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。

 

にほんブログ村 その他生活ブログへ

にほんブログ村

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

もし気に入って頂けたら、たくさんの方に読んで頂くために、クリックの御協力をして頂けると幸いです。(一日一回カウントされます)

人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から - にほんブログ村

読者登録をして下されば、新しい記事を自動的に知らせてもらえます。(無料ですが、はてなブログの登録が必要です。)

 

もう一つ別のブログランキングです。(こちらもクリックして頂くと助かります。一日一回カウントされます)

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓


人間関係ランキング
人気ブログランキング

 

 

PVアクセスランキング にほんブログ村

↑↑↑↑↑↑

こちらをクリックすると記事一覧を見られます。