23歳の大学生です。心の中に時々「訳の分からない思い」が湧き上がります。怒りや暴力的だったり、相手を馬鹿にして見下す思いだったり、口にするのも恥ずかしい思いも、湧き上がります。それを実行することはほとんどありません。しかし人が見ていない、気がつかないことなら「やっても良いのでは」というズルイ考えが浮かびます。自分のことを「嫌な奴」だと思います。この嫌な考えを消したいです。もし消せないなら、飲み込まれずに上手に付き合う方法はあるのでしょうか。
ご質問をありがとうございます。
このテーマは、すべての人間に当てはまる、共通の重要な課題です。
多くの人は、「このような負の思い」が湧き上がると、
「無視をし、考えないように」します。
しかし「消える」ことはないのです。
こういうことを悩むことが、「未熟だ」と言う大人がおられますが、高齢になってもこの問題は解決することはありません。老人にも「良からぬ思い」は、湧き上がります。
むしろ老人の方が、長く生きた分「自分の中の闇」に気がついているのです。
(自分をごまかして生きている人は、別ですが、、、。)
聖書はそのような闇を、「罪」と言います。そしてそれを持つ人を「罪人(つみびと)」と言います。
聖書は、人類すべて「罪人」だと言うのです。
ローマ3:10-12、13-14、23
「義人はいない。ひとりもいない。悟りのある人はいない、神を求める人はいない。すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行う人はいない。ひとりもいない。」
「彼らのくちびるの下には、まむしの毒があり、彼らの口は、のろいと苦さで満ちている。」
「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず」
それは、「凶悪犯罪を犯した人」という意味ではありません。(面と向かって、あなたは罪を犯した人と言えば、怒り出す人がいるでしょう。」
それは「心の性質」なのです。
つまり「罪を犯したから罪人(つみびと)ではなく、罪人だから罪を犯す」のです。
繰り返します。「罪の性質を持つ、罪人」だから、罪を犯すのです。
良く犯罪を犯した人が、「自分はあの時、魔が差した」と言うことがあります。
理性で抑えていても、「ふっと悪の思いが降りてきて、それを止めることができなかった結果」です。
残念ながら質問者さんの最初の質問「良からぬ思いは消えますか」は、
「消えない」が答えです。
しかし「罪に飲み込まれず、打ち勝つ方法」はあります。
「鳥が頭の上を飛ぶことは止められなくても、鳥が頭に巣を作ることは止められる(西洋のことわざ)」なのです。
今回は、以下の三つを考えていきます。
①「自分の中の闇」に気がつくこと、認めること。
②闇を克服する「処方せん」を知ること。
③解決の力を持った、「光の助け」を受けること。
しばらくお付き合い下さい。
①「自分の中の闇」に気がつくこと、認めること。
ここまで読みながら、ある人は、「もう読みたくない」と思われているのではないでしょうか。
解決法が無い中で、「罪の性質」を見るのは、苦痛でしかありません。拷問です。
解決法は②で扱いますので、もう暫く我慢して下さい。
自分が癌だった場合、どこに癌があるかが早く分かれば、手を打つことができます。
私の身内に、検査で大腸ガンが分かり、早期だったので、手術で完全に切除できた人がいます。
今も定期的に病院に行っています。それは、もし数値が悪くなれば、直ぐに手を打つためです。
「自分が大丈夫だ」と過信する人が、危ないのです。
自分の中に、闇に対する「弱さ」があると自覚することが重要です。
自覚する人は、気をつけるからです。
そう言う意味では、質問者さんは「自分の弱さ」を自覚されています。
ですから、今持っておられる、「その悩み」は大切です。
「その悩み」がない人の方が危険なのです。
「自分が正しいと思っている人」がいるとします。(一般論で考えます。)
その人は、もし問題が起きたら、「誰かのせい」にします。
自分は間違えるはずがないのだから、自分が間違えてしまったのは、「環境が悪い」か「誰か相手が悪い」と考えます。
もし誰のせいにもできない場合は、どうなるでしょうか?
「自分のせい」だと逃げられないと、極端に徹底的に「自分を責める」のです。
(パニック状態です。)
しかし、そうは言っても「そんな自分」を受け入れることができません。
「正しいはずの自分」が間違えたので、「そのままの自分」を受け入れることができないのです。
そして、自分を受け入れられないので、責めながら「見ないよう」にします。
そしてある方たちは、自己憐憫に入って行くのです。(「自分はこんなに可哀想なのだ」、と。)
かなり「危険な心の動き」です。
ですから、質問者さんのように、自分の弱さを「正直に見つめる(自覚する)」ことは、とても大切であり、健康的なことです。
その上で、「闇を克服する方法」に触れていきます。
②闇を克服する「処方せん」を知ること。
「陸」から「水に落ちた人」を助けようと思うなら、しっかりと「陸」につながっていなければなりません。いざとなれば、すぐに安全なところに行ける準備(装備)ができていないと、危険です。
闇を直視しようとする場合、「直視ても大丈夫」と言う「絶対的な安心材料」が必要です。
、、、少し長くなりましたので、一旦ここで中断します。
次回は、闇を克服する「処方せん」に、詳細に触れたいと思います。
祝福をお祈りしています。
ヨハネの福音書 1章4~5節
この方にはいのちがあった。このいのちは人の光であった。
光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。
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