人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から

世界のベストセラー聖書の価値観から、生きるを考えます!(モノの見方が変わると、とても楽になります)

心の中に「良くない思い」が湧き上がります。(その2)弱さを直視できる力。

f:id:jesuslovesmeus:20211116160424j:plain

自分の中の「汚い、 見たくない心」を消す方法、克服する方法のご質問、

23歳の学生の方へのお答えの第2回です。

①「自分の中の闇」に気がつくこと、認めること。

②闇を克服する「処方せん」を知ること。

③解決の力を持った、「光の助け」を受けること。

 

先回は、①と② の導入まで書かせて頂きました。

「心の闇」を克服するには、「闇を直視する」必要があります。

しかし、これがなかなか難しいのです。

それは、闇を直視すると、「恐ろしい」と感じるからです。

闇を直視したら、「自分がどうかなってしまうのではないか」、と言う「本能的、直感的な恐怖」があるからです。

 

特にプライドが高いと(自分を正しいと思いたい人は)、自分が処理できないものは、無意識のうちに避ける傾向があります。

そういう方の場合、「闇を直視」できません。

「直視」できないと「対処」できません。

手がつけられないまま、泥沼化します。

すると今度は、少しでも「闇」が見えると「パニック」になります。

人によっては錯乱し、「わめき散らし」ます。

これも、見ないための「無意識の防御反応」なのです。

 

質問者さんは、「自分を嫌な奴だと思う」と、

「闇を直視」しておられます。

それはとても素晴らしいことです。

本日は、その上で、

②闇を克服する「処方せん」を知ること。

③解決の力を持った、「光の助け」を受けること。

を書いていきます。

 

②闇を克服する「処方せん」を知ること。

「闇を直視」する時、質問者さんは「どんな気持ち」になりますか。

「辛い気持ち」ですか「落ち込み」ますか。

 

「闇」を見続けると「闇の奥、深み」が見えてきます。

また人生でやってしまった「他の闇、失敗」を思い出します。

闇がどんどん「膨れ上がる」のです。

それが、あなたのキャパシティ(度量)を越える瞬間がやってきます。

 

それでも「闇を直視」できるには、自分の力を超えた「絶対的な支え」「赦し」が必要です。

先回ブログの最後に、以下の文章を書きました。

「陸」から「水に落ちた人」を助けようと思うなら、しっかりと「陸」につながっていなければなりません。いざとなれば、すぐに安全なところに行ける準備(装備)ができていないと、危険です。

闇を直視しようとする場合、「直視ても大丈夫」と言う「絶対的な安心材料」が必要です。

 

この安心材料(処方せん)が「イエス様」なのです。

イエス様は、あなたの「すべての罪」を知り、その上で「受け入れ」「愛して」「赦して」下さる存在です。

1ヨハネ3:20 「たとい自分の心が責めてもです。なぜなら、神は私たちの心よりも大きく、そして何もかもご存じだからです。」

 

自分自身が「自分を受け入れられない」としても「自分を許せない」としても、

イエス様は、私より「大きな心」で、あなたを「受け入れて、愛し、赦して」下さっているのです。

 

「このような存在、考え方があるのだ」と、「知る」だけでも「人生が変わり」ます。(自分の愛、人間の愛を越えた愛です。)

 

イエス様はきっとこう言われます。

「この誘惑に乗ってしまったんだよね」

「ここが問題だったね。」

あなたが直視できない、「あなたの闇の奥、その構造」までも、

イエス様は直視され、あなたに手を伸ばされるのです。

(この愛情に触れて頂くと、心が融けてしまいます。)

 

自分の一番酷いところを見て、その上で「受け入れてくれる存在」は、とても有難いのです。

「荒海の港」のような存在です。

怖いことが起きたなら、港に逃げ込めば良いのです。

 

小さな子どもは、お母さんに抱っこされていたら「怖くない」のです。

それが仮に「崖の上」で、一歩踏み外すと死んでしまう恐ろしい場所でも、笑っておれるのです

 

そんな支えを「知っている」ことも素晴らしいですが、

「体験できること」は、もっと素晴らしいのです。

 

③解決の力を持った、「光の助け」を受けること。

ヨハネの福音書 1:4-5

「この方(イエス様)にはいのちがあった。このいのちは人の光であった。光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。」

 

体験するための聖書の答えは、シンプルです。

「知った」なら、「求めれ」ば、「体験できる」のです。

 

マタイ7:7

「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」
 

「イエス様の支え(愛情)」は、有ることが分かったら、「欲しいです」と求めたら、「頂ける」のです。

 

こんな祈りはどうでしょうか。

「イエス様、私はあなたの愛情が欲しいです。あなたの絶対的な支えが必要です。あなたがおられるなら、分かるように私に与えて下さいませんか。お願いします。」

 

求めることは、、、

ただです。(コストがかかりません)

どこでもできます。(場所を選びません)

デメリットは一つもありません。

 

ぜひ、やってみられることをお勧めします。

質問者さんの上に、「闇があっても大丈夫」という「心の平安」が与えられることをお祈りしています。

今回、触れられなかった、

「心の闇をコントロール(克服)する方法」については、別の機会にまとめてみる予定です。

 

祝福をお祈りしています。

1コリント1:28

「また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。 」

(「絶対的愛情」を体験すると、自分が「取るに足りないもの」と悟っても、「堂々と生きていける」のです。)

 

にほんブログ村 その他生活ブログへ

にほんブログ村

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

もし気に入って頂けたら、たくさんの方に読んで頂くために、クリックの御協力をして頂けると幸いです。(一日一回カウントされます)

人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から - にほんブログ村

読者登録をして下されば、新しい記事を自動的に知らせてもらえます。(無料ですが、はてなブログの登録が必要です。)

 

もう一つ別のブログランキングです。(こちらもクリックして頂くと助かります。一日一回カウントされます)

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓


人間関係ランキング
人気ブログランキング

 

 

PVアクセスランキング にほんブログ村

↑↑↑↑↑↑

こちらをクリックすると記事一覧を見られます。