自分の中の「汚い、 見たくない心」を消す方法、克服する方法のご質問、
23歳の学生の方へのお答えの第2回です。
①「自分の中の闇」に気がつくこと、認めること。
②闇を克服する「処方せん」を知ること。
③解決の力を持った、「光の助け」を受けること。
先回は、①と② の導入まで書かせて頂きました。
「心の闇」を克服するには、「闇を直視する」必要があります。
しかし、これがなかなか難しいのです。
それは、闇を直視すると、「恐ろしい」と感じるからです。
闇を直視したら、「自分がどうかなってしまうのではないか」、と言う「本能的、直感的な恐怖」があるからです。
特にプライドが高いと(自分を正しいと思いたい人は)、自分が処理できないものは、無意識のうちに避ける傾向があります。
そういう方の場合、「闇を直視」できません。
「直視」できないと「対処」できません。
手がつけられないまま、泥沼化します。
すると今度は、少しでも「闇」が見えると「パニック」になります。
人によっては錯乱し、「わめき散らし」ます。
これも、見ないための「無意識の防御反応」なのです。
質問者さんは、「自分を嫌な奴だと思う」と、
「闇を直視」しておられます。
それはとても素晴らしいことです。
本日は、その上で、
②闇を克服する「処方せん」を知ること。
③解決の力を持った、「光の助け」を受けること。
を書いていきます。
②闇を克服する「処方せん」を知ること。
「闇を直視」する時、質問者さんは「どんな気持ち」になりますか。
「辛い気持ち」ですか「落ち込み」ますか。
「闇」を見続けると「闇の奥、深み」が見えてきます。
また人生でやってしまった「他の闇、失敗」を思い出します。
闇がどんどん「膨れ上がる」のです。
それが、あなたのキャパシティ(度量)を越える瞬間がやってきます。
それでも「闇を直視」できるには、自分の力を超えた「絶対的な支え」「赦し」が必要です。
先回ブログの最後に、以下の文章を書きました。
「陸」から「水に落ちた人」を助けようと思うなら、しっかりと「陸」につながっていなければなりません。いざとなれば、すぐに安全なところに行ける準備(装備)ができていないと、危険です。
闇を直視しようとする場合、「直視ても大丈夫」と言う「絶対的な安心材料」が必要です。
この安心材料(処方せん)が「イエス様」なのです。
イエス様は、あなたの「すべての罪」を知り、その上で「受け入れ」「愛して」「赦して」下さる存在です。
1ヨハネ3:20 「たとい自分の心が責めてもです。なぜなら、神は私たちの心よりも大きく、そして何もかもご存じだからです。」
自分自身が「自分を受け入れられない」としても「自分を許せない」としても、
イエス様は、私より「大きな心」で、あなたを「受け入れて、愛し、赦して」下さっているのです。
「このような存在、考え方があるのだ」と、「知る」だけでも「人生が変わり」ます。(自分の愛、人間の愛を越えた愛です。)
イエス様はきっとこう言われます。
「この誘惑に乗ってしまったんだよね」
「ここが問題だったね。」
あなたが直視できない、「あなたの闇の奥、その構造」までも、
イエス様は直視され、あなたに手を伸ばされるのです。
(この愛情に触れて頂くと、心が融けてしまいます。)
自分の一番酷いところを見て、その上で「受け入れてくれる存在」は、とても有難いのです。
「荒海の港」のような存在です。
怖いことが起きたなら、港に逃げ込めば良いのです。
小さな子どもは、お母さんに抱っこされていたら「怖くない」のです。
それが仮に「崖の上」で、一歩踏み外すと死んでしまう恐ろしい場所でも、笑っておれるのです
そんな支えを「知っている」ことも素晴らしいですが、
「体験できること」は、もっと素晴らしいのです。
③解決の力を持った、「光の助け」を受けること。
ヨハネの福音書 1:4-5
「この方(イエス様)にはいのちがあった。このいのちは人の光であった。光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。」
体験するための聖書の答えは、シンプルです。
「知った」なら、「求めれ」ば、「体験できる」のです。
マタイ7:7
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」
「イエス様の支え(愛情)」は、有ることが分かったら、「欲しいです」と求めたら、「頂ける」のです。
こんな祈りはどうでしょうか。
「イエス様、私はあなたの愛情が欲しいです。あなたの絶対的な支えが必要です。あなたがおられるなら、分かるように私に与えて下さいませんか。お願いします。」
求めることは、、、
ただです。(コストがかかりません)
どこでもできます。(場所を選びません)
デメリットは一つもありません。
ぜひ、やってみられることをお勧めします。
質問者さんの上に、「闇があっても大丈夫」という「心の平安」が与えられることをお祈りしています。
今回、触れられなかった、
「心の闇をコントロール(克服)する方法」については、別の機会にまとめてみる予定です。
祝福をお祈りしています。
1コリント1:28
「また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。 」
(「絶対的愛情」を体験すると、自分が「取るに足りないもの」と悟っても、「堂々と生きていける」のです。)
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