人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から

世界のベストセラー聖書の価値観から、生きるを考えます!(モノの見方が変わると、とても楽になります)

イエス様が「弟子の足を洗った」そうですが、どういうことですか?

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イエス様が、最後の晩餐で、弟子たちの足を洗ったと聞きました。

何か「深い意味」があると思いますが、どんな意味でしょうか?

 

「洗足式」の意味ですね。

イエス様は、十字架にかかられる直前、最後の晩餐で、弟子たち全員の足を洗いました。

その中には、イエス様をこの後裏切る、ユダも含まれていました。

イエス様は、ユダが裏切ることを知っていながら、足を洗われたのです。

 

今回、お伝えしたいポイントは、「自分の汚いところに触れて頂くと、人はその人を愛するようになる」ことです。

弟子たちが、イエス様を後に命がけで愛した秘訣(理由)を見ていきます。

しばらくお付き合い下さい。

 

①【愛は関係性が大事である。】

弟子たちは、イエス様のことを当時、スーパーマンにように思っていました。

「素晴らしいお話」をされ、「病気を奇跡で癒し」、「自分たちをローマ帝国の圧政から助けてくれる解放者」と考えていました。

「自分たちの罪を赦して下さる、救い主」とは思っていなかったのです。

 

ユダが、イエス様を裏切った理由は、一つです。

「イエス様が逮捕されたならば、イエス様は武力蜂起をして、ローマを攻撃し、我々を解放してくれる」「貧しく弱い人たちから、手を引いて、本来の仕事をしてくれる」と思ったからです。

彼は、イエス様が「武力蜂起」をすると思い込んでいました。

(だから、本当に十字架にかかってしまうと分かった時、絶望し、自殺をしてしまったのです。)

(彼も、実はイエス様を愛していたのです。)

 

一番弟子のペテロの足を、イエス様が洗おうとした時、

ペテロは「先生、私の足を洗わないで下さい。」と拒否しました。

しかしイエス様は、「わたしがあなたの足を洗わないと、あなたとの関係性がなくなってしまう。」と言われたのです。(深い意味ですので、解説を後の②でします。)

ペテロは、イエス様のことが大好きでしたので、それでは困ると思って、「では、足だけではなく、手も頭も洗って下さい。」とお願いしました。

(しかしイエス様は、「わたしを信じている者は、足だけ洗えば良い」と言われ、ペテロの足を洗われたのです。)

 

ここからがポイントです。

イエス様は、「足を洗う」という象徴的な行為を通じて、「弟子との関係」を作られた、のです。

 

②【罪をぬぐい、赦されたという体験が、イエス様を愛する動機となる。】

当時、道は砂利道で、砂埃が舞っていました。靴はサンダルのようなもので、その足は泥だらけでした。

その「自分の足」を、先生である「イエス様」が、片方ずつ丁寧に洗われたのです。

足の指の間も、一本ずつ丁寧に洗われました。そして優しく手ぬぐいで拭かれました。

弟子たちは、申し訳ないと思いつつも、気持ちが良かったはずです。

 

これは私たちの「罪の赦し」を現しています。

イエス様は、足を洗うことを通じて、体験的に、「罪の赦し」を味わせたのです。

 

「その恥ずかしさ」「その申し訳なさ」「その有り難さ」、、、、

弟子たちは、この時に「実感」しました。

足を洗って貰った「気持ち良さ」を通じて、「汚いものを、綺麗にして貰った喜び」を感じたのです。

 

それが、十字架と復活の後になって、聖霊が「弟子たちの心」に働いた時に、

弟子たちは「その真意」(罪の赦し)を悟ったのです。

 

「イエス様は、私の罪のために死んで下さったのだ。」

「イエス様は、私の足を洗い、本当に汚い私を綺麗にして下さったのだ。」

その真意を悟った弟子たちは、

「十字架上で、命をかけて自分を愛して下さったイエス様」に対して、

文字通り「命をかけて、イエス様を愛し」、「命をかけて、イエス様からの使命に従おう」としたのです。

 

これが、イエス様のために、死んでいった(殉教した)「弟子たちの心」です。

 

イエス様との(体感するほどの)、関係があり、

そのイエス様から、最も汚いところを「触れられ」、「認められ」、「赦され」、「綺麗にして頂いた」、、、

その体験が、「イエス様を愛し」、「お従いしよう」という心に繋がったのです。

 

イエス様を信じ、自分の罪を悟り、体験的に「イエス様の愛と赦しに触れられた者」は、

当時の弟子たちと「同じ体験」をします。

(私も、その体験をした一人です。)

 

これが、イエス様が「弟子の足を洗った」意味です。

(イエス様の愛は凄いですよね。)

祝福をお祈りしています。

 

「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。……わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マタイ9:12~13)

 

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