本日は、ダビデの詩から、「恐怖とプレッシャーの乗り越え方」を考えてみます。
詩篇23篇4節
「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。」
人生の中で、一度や二度は、「死の影の谷」を通ることはあります。
谷の中腹の細い、下を見れば「落ちたら確実に死ぬ」という崖の道を通る時には、「足がすくみ」ます。
ちなみに私は「高いところが苦手」です。
時々、非常階段を上らなければならないのですが、下を見て、階段が崩れるような感覚になると、泣きたくなります。
特に「下り」が泣きたくなります。(上がったら、必ず下らないといけないからです。自宅のマンションの屋上です。)
そういう時には、周りを見ずに、「階段に集中」するようにします。
そして、この階段は頑丈だから「絶対に壊れない」と「自分に言い聞かせる」(笑)のです。
自分でも笑えてきます。
そうすると、階段が「頑丈に思えて」きます。(元々頑丈ですが、、、)
そして、ソロソロと、手すりを握って、下るのです。
今回、「死の影の谷の歩き方」として、、、
①細くても「確実な道」を見つけること。
②「助けてくれる存在」を見つけること。
③「あきらめない」こと。
を考えていきます。
しばらくお付き合い下さい。
①細くても「確実な道」を見つけること。
思わぬトラブルに出会った時、普通はパニックになります。
「助からない」と思えてしまうと、本当に足がすくみます。
しかし、そういう時こそ、「脱出の道」を必死に考えるのです。
あらゆる可能性を考えて、考え尽くすのです。
「完璧」でなくても構いません。
今置かれている状況で、最善策を考えるのです。
「行ける、行けない」は横に置いておきましょう。
とにかく「助かりたい一心」で、考え尽くすのです。
しばらく必死にもがいていると、必ず状況が変わります。
その時「一度でも考えている道」だと、
「道が見えた瞬間」に勇気を持って飛び込みやすくなるのです。
ですから、「助かりたい」ならば、考え尽くしましょう。
そして、「見えた脱出の道」を一歩でも歩みましょう。
この時、周りの嵐を見てはいけません。(足がすくむだけです。)
ただただ「細くても、確実な道」に集中するのです。
②「助けてくれる存在」を見つけること。
「死の影の谷」の道は、普通、「自分の力量」を越えています。
手も足も出ない、ということが多いのです。
必ず、人に相談しましょう。
しかし、「誰に相談するか」は、選ばなければなりません。
愚痴を言い合う仲間は、やめておきましょう。
(生きるか死ぬかの状況では、愚痴を言う余裕はありません。死に絶えてしまいますから。)
自分の成功体験だけを主張する人も、やめておきましょう。
(あなたの話ではなく、自分の話しかしない可能性があります。)
できれば、失敗から乗り越えた人、苦痛を乗り越えた人が良いです。
必要なら、お金をかけて、プロにお願いしましょう。(解決の覚悟です。)
「自分が気がつかない観点」で「脱出の道の可能性」を示唆して頂きましょう。
そして「定期的にサポート」して貰いましょう。
何度も書きますが、
「死の影の谷」の道は、普通、「自分の力量」を越えています。
ですから、乗り越える目星がつくまでは、「定期的にサポート」して頂くことが大切です。
遠慮をしてはいけません。死の影とは、本当に死の影ですから、、、生きるか死ぬかの状況ですから。
危機的状況では「今助けを求めずに、いつ求めるのか」と思って、お願いし続けるのです。
そして、ここから、神様、イエス様の観点となります。
人間は助けてくれますが、絶対にどこか足りないところが出てきます。
人に言われた通りのことをしても、解決できるとは限りません。
ですから、全能者の神様に、祈るのです。必死にお願いするのです。
先ほどの詩篇23篇4節 です。
「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。」
イエス様は、間違った道を歩んでいたならば、優しく「むち」で、修正しようとされます。
(イエス様は、羊のことを大切にされていますから、優しく正して下さいます。)
道が分からない時には、「杖(権威の象徴)」で、導いて下さいます。
(羊が迷った時には、声を掛けられます。)
イエス様が関わって下さる時、それが「死の影の谷」でも、
いやむしろ「死の影の谷」だからこそ、「大きな慰め」を感じるのです。
その神様について行くならば、「緑の牧場」に行けます。
イエス様は、羊飼いとして「完璧なお方」なのです。
「本当かな」と思われる方もおられると思います。
しかし、「もし、助けを求めたい」と思われるならば、
ぜひ一度「本気で信じて」みて下さい。
(信じることは、コストはかかりません。やってみるだけの価値はあります。)
キリスト教が、「イエス様の十字架と復活」以降、2000年以上存続しているには、
「それなりの理由」があります。
それは、「祈ったら助けて下さった」という体験があるからです。
「死の影の谷」でも、決して見捨てずに「共にいて」下さるイエス様の「実存」を、
「祈りと、その後の現実の中」で体験できるからです。
ぜひ期待して「祈られる」ことをお勧めします。
③「あきらめない」こと。
次回、この点に触れて終わります。
祝福をお祈りしています
詩篇23篇4節 ダビデの賛歌
1 主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
3 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
5 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。
6 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。
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