人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から

世界のベストセラー聖書の価値観から、生きるを考えます!(モノの見方が変わると、とても楽になります)

「神様の導き」というのは、分かるものなのですか?

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知人にクリスチャンの方がいます。彼が、以前会社を経営していた時、ある社員のせいで、会社がつぶれそうになった時があったそうです。そして半年ほどクレームの嵐だったようです。

ところがその直前、彼は神様から、「これから試練が来るから、備えるように」という言葉を聞いていたようです。彼は祈っていると、「神様の答え」が環境や知人の口から与えられる、と言います。そして今は「神様から語られることがある」と言うのです。「ここに来るまで、時間がかかった」と言われます。クリスチャンでない私には、理解できないのですが、こんなことは起きるのでしょうか?

 

ご質問ありがとうございました。

知人の方のご相談ですね。

ご質問の文面を拝見しますと、「そう言うこともあるのか」という気持ちと「そんなことはあり得ない」という気持ちが、混ざっておられるように思いますが、如何でしょうか。

 

「神様の導き」については、クリスチャンにも色々な考え方があります。

「そう言うことは、一生に一回あれば良い」と言う考え方から、

「導きは毎日必要」という考え方まで、大きな幅があります。

 

しかし共通した考えは、「神様の導きは、ある」です。

「どのように語られるかは、千差万別」です。

夢だったり、人からの言葉だったり、何かのイメージだったり、

聖書のみ言葉を通じてだったりします。(聖書の言葉が、一番多いとは思います。)

はっきりとした声を聞いた、と言う人もいます。

 

思い込みの場合も、当然あり得ます。(後でその点に触れます。)

しかし、客観的に考えても「人間の力を超えた何か」が働いた、と認めざるを得ないこともあるのです。

 

もし「父なる神様」がおられて、私たち人間を「心から愛して」おられるならば、

「神の民」が、泣きながら助けを求めていれば、

「助けよう」と考えられるはずです。

しかし、そこには幾つかの課題があります。

 

今回は、「導きはある」という前提で、その課題について考えていきます。

①なぜ「導きがある」と言えるのか。

②その考えが「どこから来たものか」を注視する。

③「霊の世界」があることを知る。

しばらくお付き合い下さい。

 

①なぜ「導きがある」と言えるのか。

その根拠は、聖書から考えるしかありません。(もし納得できない場合は、多くのクリスチャンはこのように考えると、受け止めて頂ければ、と思います。)

イエス様の御言です。

「わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。」(ヨハネ10:37)

 

イエス様が、わたしの羊(イエス様を信じ愛する民)は、わたしの声(イエス様の声)を聞き分け、ついて行く、と言われています。

ですから「イエス様の羊」になった人は、「イエス様の声(導き)」を聞くことができるのです。

 

しかし、それを妨げるもの、イエス様の声を邪魔する(遮断する)ものがあります。

それが罪です。(罪の定義は、後で触れます。)

気分を悪くしないで下さいね。

イザヤ59:1-3

「見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。

あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。実に、あなたがたの手で血で汚れ、指は咎で汚れ、あなたがたのくちびるは偽りを語り、舌は不正をつぶやく。」

 

罪があると、せっかく神様が語って下さっても、「罪が隔て」となって、神の導き(声)を跳ね飛ばし、無視してしまうのです。

聖書で罪は、ハマルティア(的外れ、ギリシャ語)と言います。

「本来の的」を外しているのが、罪の定義です。

 

罪の根本は、「自己中心性」です。

「自分が神の位置に立つこと」です。つまり絶対的なルールを知らず、

「自分の先入観」が全てだ、と考えるものです。

 

これを乗り越えるためには、「謙虚さが要求」されます。

つまり、「事実ならば心を開いて受け取る心」です。

 

神様は語り続けています。

しかし、人間の罪(的外れの心)が妨害をして、神様の優しい声が分からなくなっている。

これが、「聖書の主張」なのです。

 

信仰は、思い込みではありません。

事実を観察する「冷徹な視点」が必要です。

 

よく「人の意見を聞けない人」がいます。

こう言う方が信仰を持って「何かを言い切る」場合があります。

それは危険です。

 

「霊の世界」は、実は恐ろしいのです。

気をつけなければ、悪い方に一気に暴走します。

(自分が正しいと言う絶対的な思い込み、高慢な心を持つと、悪魔の誘惑に乗って、滑り落ちることがあるのです。)

 

「判断基準」が必要です。

そのために私たちは、「聖書を学ぶ」のです。

「絶対的な基準」があると言う「謙虚な心」を持ち続け、真理を「絶えず学ぶ心」が必要なのです。

 

ここまで読まれて、いかがでしょうか。

知り合いのクリスチャンの方の「考えの背景」の一部を、知って頂けたでしょうか。

納得できないことも多いとは思います。

 

しかし科学者のような、冷静な視点を持って、事実を客観的に受け止めることをお勧めします。

きっと、質問者さんにも、同じように、神様のささやきがあるのではないかと、私は思うのです。

 

次回後半は、「神様の導き」が分かるために、

②その考えが「どこから来たものか」を注視する。

③「霊の世界」があることを知る。

(多少題が変わるかもしれません。)

に触れていきたいと思います。

 

祝福をお祈りしています。

 

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