新しい年、ワクワク感を持って生きたいですよね。
今日は、結論が多分ありません。何となく読んで下さればと思います。
小さい頃は、毎日が感動で、一日が長く、ワクワクして生きていたと思います。
小学校の時、冬の寒空のもと、
友だちと、下校後もう一度学校に戻り、下水の溝に入って遊んだ記憶があります。
今考えると「何が楽しかったのか」と思いますが、
当時はワクワクしていました。
家の前のドブ川を、上流まで遡って、友だちと探検したこともあります。
楽しくってたまりませんでした。
毎日が、感動の連続でした。
夏休みも、毎日がキャンプのようでした。
だから、夏休みが終わると、とても寂しくなったのです。
どうして毎日が感動だったのか。
「新しいこと」「知らないこと」の連続だったからだと思うのです。
(みずみずしい感性も、影響しているとは思います)
大人になると、先が見えてきます。
感性も鈍ります。
毎日、同じことの繰り返しになります。
そこには、冒険も感動もありません。
冒険せず、無難に過ごそうとするのです。
ですから、たまに旅行に行くと、楽しいのです。
新しいこと、知らないことに出会います。
日常では得られない、感動があるのです。
「冒険心」と「感性」
これが、大人になると、少なくなるような気がします。
私はクリスチャンですから、
イエス様に祈ると、この感覚が「少し回復」するような感じがします。
イエス様に祈り、イエス様が一緒に居られることを感じることができると、
「ワクワク感」が再燃します。
夕焼けを見ると、
「イエス様、凄いですよ。綺麗ですね。こんな凄いものを造られたのですね。」
雪景色の山を見ると、
「感動ですね。厳かです。存在感が圧倒的ですね。」
と呟きます。(祈ります。)
イエス様と一緒に感動を共有する、感覚です。
クリスチャンは(普通)、イエス様が生きておられ、共に居られることを信じています。
そして、ある時期を過ぎると、祈りが深まります。
すると、幼い頃の感動が蘇るのです。
「年をとると、残りの人生が短くなり、楽しいことがなくなる」
という人がいます。
しかし、クリスチャンになると、変わります。
天国の希望を持ちます。
死んだ後も、まだまだ先が長い(永遠)ということに気がつくのです。
すると、幼い頃かのワクワク感が、再燃するのです。
(永遠から見れば、80も100もまだまだ幼児です。)
そして、生きている間に、まだまだ冒険が続く、と思えるのです。
身体は弱ったとしても、心は希望に燃え、元気になるのです。
また、最高の感動は、
死んだ後、天国で「イエス様に会える」
「私の愛する方にお会いできる」
これほど、身が引き締まり、ワクワクすることはありません。
それまでの人生で、イエス様が与えて下さったものを、
「たくさん体験する」
これが、人生の意味でもあると思えるのです。
新しい年、新しいワクワク感をもって、スタートしませんか?
祝福をお祈りしています。
2コリント4章
4:16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。17 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。18 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。
5:1 私たちの住まいである地上の幕屋がこわれても、神の下さる建物があることを、私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です。2 私たちはこの幕屋にあってうめき、この天から与えられる住まいを着たいと望んでいます。3 それを着たなら、私たちは裸の状態になることはないからです。4 確かにこの幕屋の中にいる間は、私たちは重荷を負って、うめいています。それは、この幕屋を脱ぎたいと思うからでなく、かえって天からの住まいを着たいからです。そのことによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためにです。5 私たちをこのことにかなう者としてくださった方は神です。神は、その保証として御霊を下さいました。
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