人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から

世界のベストセラー聖書の価値観から、生きるを考えます!(モノの見方が変わると、とても楽になります)

蒔く種と刈取りの法則「蒔く種(言葉や感情)を吟味する」

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今回は、「蒔く種を吟味する」というテーマで考えます。

「種」とは「言葉や感情」と言い換えても良いのです。

 

「売り言葉に買い言葉」という表現があります。

小さな火が、炎上して大火になることもあります。

「火に油を注ぐ」言い方もあれば、「沈静化する」言い方もあるのです。

 

蒔く種の「良し悪し」で、「結果」が確実に変わります。

良い種蒔けば、良い刈取りができます。

しかし反対に、悪い種を蒔けば、確実に悪い実を刈取るのです。

 

今回は「種蒔き」がテーマです。

蒔く種の良し悪しを「吟味する」ことを考えます。

①蒔く種(言葉や感情)の良し悪しの「基準」が必要。

②基準は、聖書の言葉。そして聖書に向かう姿勢。

③「怒ることは当たり前」と思わない(問題提起)。

しばらくお付き合い下さい。

 

①蒔く種の良し悪しの「基準」が必要。

人は普通、誰も「自分」が基準です。

韓国のことわざに、「人なら不倫、自分ならロマンス」という言葉があります。

人間は残念ながら、根本は「自己中心」なのです。

誰もが、自分にとって都合のいい「耳障りの良い」言葉は受け止めても、「耳に逆らう」言葉は無視します。

 

ですから、そんな「自分が基準」では、

良い種と悪い種を「見極められない」のです。

 

ではどうしたら良いのでしょうか?

種の良し悪しを見極めるには、

自分を客観的に判断する「基準」が必要です。

感情で行きたくても、絶対に行ってはいけないと判断できる「基準」です。

これは、「自分を超えた」基準でなければなりません。

自分の利益で、簡単に「書き換えられない」ものでなければいけないのです。

 

「傍目八目(おかめはちもく)」と言う言葉があります。

碁で、当事者よりも、横で見ている人の方が、八目分のハンディを持つぐらい優位である、という意味です。

人は自分の利益になると、冷静な判断ができなくなるのです。

そのため棋士は、「定石」を覚えます。

自分を律し、客観的に判断できる「基準」です。

 

その「基準」によって、今の手の良し悪しを判断するのです。

感情的になっても、「定石」を思い出すならば、「良手」か「悪手」かを区別できるのです。

そのような「定石」が、人生にも必要です。

それが「聖書」なのです。

 

②基準は、聖書の言葉。そして聖書に向かう姿勢。

聖書には様々な「基準」(価値観)が書かれています。

長い歴史の中で生き残った教えには、「普遍的な真理」が書かれています。

(クリスチャンは、聖書を「神様の言葉」と考えています)

 

イエス様の教えは、一言で言えば「愛しあうこと、許しあうこと」です。

また旧約聖書のモーセの十戒には、

「創造主を敬うこと。両親を敬う大切さ。殺人や姦淫、盗みや妬みは悪であること」が書かれています。

人が生きる上での「基本的な原則」が書かれているのです。

 

そしてイエス様は、「偽善」を厳しく指摘します。

表面上は綺麗に取り繕っていても、

心の中は嘘で固まった「偽善」について、特に権力者の偽善については厳しいのです。(私たち人間が持っている「偽りの性質」です)

 

マタイ5:28
 「しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。」

 

マタイ23:27-28

「わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは白く塗った墓のようなものです。墓はその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいです。
 そのように、おまえたちも外側は人に正しく見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです。」

 

聖書の言葉は、創造主の思想、価値観です。

人間を超えた「基準」、「聖さや善」「愛や義」という普遍的価値観です。

聖書を理解するには、その基準を「認める」ことです。

そして、その基準に当てはめて「自分を吟味する、謙虚さ」が必要です。

 

注意して頂きたいのは、

「自分」が基準ではないのです。

「聖書の価値観(創造主)」が基準です。

自分が基準だと、ゴールポストを動かすことを「平気」でします。

 

聖書(創造主)の基準に対する「姿勢」が大事なのです。

聖書が中心か、自分が中心かという「立ち位置」の視点です。

 

聖書(創造主)が中心なら、自分の価値観を吟味できます。

しかし、自分が中心なら、基準を批判し始めます。

(この違いは大きいです。)

 

③「怒ることは当たり前」と思わない(問題提起)。

ムッとすることが起きたとします。

怒るのは当然だと考えたとします。

 

それでは、「良い種」と「悪い種」を見極められません。

一歩立ち止まることです。

自分の感情にゴーサインを出す前に、これで大丈夫だろうかと考えるのです。

 

私は毎日聖書を読みます。

何度も読んでいる箇所も、再読します。

それを通じて、自分の心を吟味するためです。

 

ヘブル 4:12

「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」

 

聖書の基準(光)を心で受け止めると、「自分の心」を吟味することができます。

そして心の中にある「良い種」を、積極的に蒔くのです。

そして悪い種は、イエス様にお祈りして小さくして(聖めて)いただくのです。

(イエス様の十字架には、そのような力があります)

 

神様がおられることが分かると、

だんだんと神様の摂理に沿って生きていくようになるのです。

(「良い種を蒔くように」心がけるようになるのです)

①蒔く種の良し悪しには「基準」が必要。

②基準は、聖書の言葉。そして聖書に向かう姿勢。

③「怒ることは当たり前」と思わない。

 

良い種を蒔き続けていけば、必ず人生は好転します。

祝福をお祈りしています。

 

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