人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から

世界のベストセラー聖書の価値観から、生きるを考えます!(モノの見方が変わると、とても楽になります)

「聞かれる祈り」を教えてください。

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私はクリスチャンです。「神様に助けられるため」に、どんな祈りをしたらよいのか、お聞きしたいです。

日常的にお祈りはしているのですが、なかなか祈りが聞かれる実感がありません。

特に問題が起きたり、忙しい時には、目の前のことに没頭してしまって、祈りを忘れてしまいます。

心が整ってから、お祈りしようとするのですが、結局整わないので、祈ることができずに終わることが多いです。(後から、祈っていなかった、と反省しますw。)

「どんな風に祈ったら良いのか」アドバイスを頂けますでしょうか。よろしくお願いします。

 

祈りについてのご質問ですね。

祈りは、知識ではなく体験ですので、

言葉でお伝えすることにはハードルが高いのですが、

できるだけ分かりやすく努めてみます。

しばらくお付き合い下さい。

 

祈りの一番大事なポイントは、「正直であること」です。

分からない時には分からないと、言える正直さです。

 

水に落ちてしまった時、本気で、助けを求める場合、水の中で叫びます。

陸地に上がってから、助けを求める人はいません。

 

水の中で、助けを「求めない」とすれば、

「自分の力で出来る」と、考えているか、

「叫んでも、助けて貰えない、聞いて貰えない」と、諦めているか。

のどちらかです。

 

ご自分の祈りが、どのようなものかを、正直に冷静に吟味する必要があります。

内省無くして、解決はありません。

 

質問者さんは、「心が整ってから、お祈りを」と書かれていましたが、

本来お祈りは、「溺れている時」にするものです。

どうして溺れている時に、お祈りをしようとしないのか、考えてみましょう。

 

今回取り上げる人物は、バルテマイと言う盲人です。

マルコの福音書10章に出てきます。

彼の祈りを通じて、ご自分の祈りがどういう祈りなのかを、考察することができれば、幸いと考えています。

 

バルテマイのお話をさせて頂きます。

彼は、盲人でした。

そしてイエス様のうわさを聞いていました。

それは、「ダビデの子孫で、聖書に預言されている、救い主がこの方である」

「どんな病気でも、癒すことのできる、不思議な力を持っておられるお方」といううわさでした。

 

イエス様の一行がある日、バルテマイのすぐ近くにやってきました。

彼は、周りの人の言葉でそのことを知りました。

千載一遇のチャンスでした。

しかし彼は盲人です。誰かが助けてくれなければ、イエス様の所に行けません。

それに助けてくれそうな人は、周りには誰もいませんでした。

彼は「あきらめた」でしょうか。

 

いいえ。あきらめませんでした。

精一杯、叫んだのです。

「ダビデの子、イエス様。私を憐れんで下さい!!」

何度も叫びました。

周りの数人の男性たちが「うるさい静かにしろ」と言いました。

しかし、バルテマイは、ますます大声を上げたのです

その大声は、イエス様にも、周りの弟子たちにも聞こえました。

 

優しいイエス様は、立ち止まって「あの人を読んできなさい」と言われたのです。

弟子の一人が彼に「心配しないでよい。さあ立ち上がりなさい。あの方があなたをお呼びになっている。」

するとバルテマイは、すぐに立ち上がりました。

上着を脱ぎ棄て、イエス様を求めて歩き出したのです。

(上着は、貧しい彼にとって、一着だけの大事な夜具でした。これがないと夜に風邪をひいてしまいます。しかし彼は上着よりもイエス様を求めたのです)

 

バルテマイを見て、イエス様は静かに言われました。

「私に何をしてほしいのか」・・・優しい声でした。

バルテマイは、大声で叫びました。「先生。目が見えるようになることです。」

イエス様はバルテマイをじっと見つめて、

「さあ行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです」

と言われたのです。

その瞬間。バルテマイの目がはっきりと見えるようになりました。

それは瞬間のことでした。

バルテマイは、驚きでポカンとした顔になりましたが、

はっと我に返ると、狂ったように叫び踊りだしました。

イエス様は、バルテマイのを見つめ、にっこり笑いました。

バルテマイは、踊りながらイエス様について行ったのです。

 

このバルテマイの姿を通じて、

祈りについて三つのことを考えたいと思います。

 

第一に「バルテマイは、目が見えない中(問題の中)で祈り求めた」のです。

目が見えないという、究極のハンディの中、

諦めることなく、求めました。

「問題の真ん中」で、祈ったのです。

 

質問者さんにお勧めします。

イエス様への祈りは、「問題の中で叫ぶ」ことであると。

 

第二に「バルテマイは、うるさいと止められても。ますます求めた」のです。

祈り始めても、すぐには答えはやってきません。

むしろ祈れなくなるようなことが、起こったりします。

しかしそれで諦めてはいけないのです。

諦めたら終わります。イエス様に助けて貰うまで、叫び続け、求め続ける必要があるのです。

 

第三に、「夜具よりもイエス様を求めた」

夜具は、自分の安心材料や支えを象徴するものです。

しかしイエス様に近づくためには「平気で夜具を捨てる覚悟」が必要なのです。

 

どうでしょうか。

バルテマイの必死の祈りと、

イエス様が「あなたの信仰があなたを救った」という言葉に注目したいのです。

 

信仰は「信じる心」「求める心」です。

それが強いほど、聞かれます。

 

先ほど、祈りは「正直であること」が大切である、と書かせて頂きました。

この文章を読みながら、きっと質問者さんは、

自分が「出来ていること」と

「出来ていないこと」

を感じておられると思います。

 

今のご自分を正直に見つめて下さい。

そしてイエス様に祈って下さい。

 

例えばこんな風にです。

「イエス様。私はあなたを信じています。しかし正直に言えば、バルテマイのように求めていません。自分の力に頼ってしまって、あなたに本当の意味で頼っていないことに気がつきました。私を助けて下さい。」

 

またはこんな風にです。

「イエス様。私に声をかけて下さい。私はあなたの所に行きたいのです。あなたに声をかけて頂かなければ、あなたの所に行くことはできません。どうか私に語り掛けて下さい」

 

大事なことは、苦しみの真ん中で、ドロドロな状態の時に

叫び求めて祈ることです。

イエス様は、そんなあなたの祈りを確実に聞いて下さいます。

 

祈りを体験する人は、だれもが、その「苦しみの中」での「答え」を受けるのです。

一度苦しみの中で「答えられた」という経験をすると、次の答えは案外早くやってきます。

「0から1」が一番難しいのであって、

「1が2」になることは、そんなに難しくありません。

 

ぜひ、バルテマイを参考にして、最初の一歩「0から1」を乗り越えて下さい。

そして祈りがいつも聞かれているという「至福の喜び」を、

経験して頂きたいと願うのです。

祝福をお祈りしています。


ヨハネ 16:24「あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。」

 

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