今回で、一旦まとめたいと思います。
(神様から離れてしまった、人間は、すなわちアダムとイブの子孫は、)
誰もが、自衛本能を持っています。自分を守ろうとします。
ですから、根本的に「自分は正しい」と思っています。
そうすると自然に、「人は間違っている」という結論になるのです。
普通、人はバランスを取ろうと思います。
またプライドや恥ずかしいという思いがあるので、自己中心の言動は控えます。
しかし、根本のところでは、「自分は正しい」と思っているのです。
心をえぐるような聖書箇所ですが、敢えてもう一度掲載します。
エレミヤ17:9-10
「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。
わたし、主が心を探り、思いを調べ、それぞれ生き方により、行いの結ぶ実によって報いる。」
人間は、残念ながら、心の奥深くまで「自己中心」なのです。
では、どうしたら、「自己中心の壁」を乗り越えることができるのでしょうか。
私がずっと主張していることは、創造主の存在を知って、信じることです。
私は、学生時代に剣道をしていました。
剣道では、審判は絶対です。(他の競技、特に武道では同じ感覚だと思います)
審判が、一本と言えば「一本」なのです。
(そのため審判には、高い判断力が要求されます)
私の判断でも、敵の判断でもないのです。
「審判の判断」で、すべてのことが進みます。
審判者がいるので、精一杯のことをして、全力で相手に戦い挑むのです。
人生にも、実は審判者がいます。
ヘブル9:27-28
「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、
キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、、、」
結局のところ、「自己中心の壁」を乗り越えるには、
自分を越えた審判者を知り、受け入れるしかないのです。
私は、死後に天国と地獄があることを信じています。
だから、そのジャッチをする権限を持つ「創造主」を信じて、罪の赦しを求めます。
そうすると、「自分だけが正しい」という考えを持つことはできません。
創造主が存在する以上、私は創造主のルールで判断され、正しく裁かれるのです。
そして私は、罪(神様から離れて、自己中心に生きてしまう性「さが」)を、
赦して頂くという恵みを、
イエス様の十字架を信じることによって受けているのです。
(この「赦し」の安らぎは、言葉にできないほどの「喜び」を伴います)
「自己中心の壁」を越える方法は、創造主を信じる以外にはない、と私は考ています。
それが聖書の主張であり、罪の赦しを受けるためには、この道しかないと、
私は結論づけています。
ローマ6:23 罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
今まで、8回に渡って、「自分を正しいと思いたい人」「自分を良い人だと思いたい人」
の特徴と、課題について書いてきました。
これを読まれた方が、私と同じように「罪からの解放」という平安を頂き、
罪(自己中心)から自由になって、喜びと愛の人生を歩めますように。
祝福をお祈りしています。
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
もし気に入って頂けたら、たくさんの方に読んで頂くために、クリックの御協力をして頂けると幸いです。(一日一回カウントされます)
読者登録をして下されば、新しい記事を自動的に知らせてもらえます。(無料ですが、はてなブログの登録が必要です。)
もう一つ別のブログランキングです。(こちらもクリックして頂くと助かります。一日一回カウントされます)
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
↑↑↑↑↑↑
こちらをクリックすると記事一覧を見られます。