人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から

世界のベストセラー聖書の価値観から、生きるを考えます!(モノの見方が変わると、とても楽になります)

【コラム】神様が共におられる感覚

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今年もあと僅かで終わります。

このような区切りの時には、自分のことを振り返る良い機会です。

今日は、私が感じている「神様が共におられる感覚」をお話ししたいと思います。

 

20代の頃、(まだクリスチャンになる前です)、とても苦しいことを経験した時がありました。

その最悪の状況の時に、田んぼ道を歩いていると「ある感覚」が、急にやってきました。

それは、「光に照らされている」ような感覚でした。

同時に心の中に、「わたしは見ている……」という言葉が浮かんだのです。

その……の言葉は、当時の私にとって「最も必要なもの」でした。

 

今でも、その時の風景を思い出します。

田んぼのあぜ道で、枯れた草が続いており、左側には大きな木が揺れていました。

太陽が上から照らされて、葉を揺らしており、

「不思議な光に包まれているような」感覚でした。

その時、急に涙が込み上げて来たのを覚えています。

 

その直後に、「問題解決の道」が開かれたのです。

 

今、振り返っても、強烈な思い出です。

私はその時「見えない神様が、私を見ておられる」と感じたのです。

そして、問題解決が与えられたことを通じて「神様が働かれた」「神様はおられる」と実感しました。

 

縁あって、数年後、私はクリスチャンになりました。

そして今までに、何度も「同じような感覚」を 持たせて頂きました。

 

特にこの数年、ある厳しい状況になり、もう駄目だと思えるような時にも、

聖書を読み、祈る中で、(私のために祈って下さっている牧師の言葉を通じても)、

「神様は私を、このように見ておられる」という言葉が与えられ、

乗り越えることができた、と実感するのです。

 

「イエス様を深く知る前」は、めったに体験しなかった感覚も、

クリスチャンになった「今」は、かなり日常になってきました。

 

例えてみれば、一人でいる時は不安でも、「信頼できる先輩が一緒にいて下さるから」、

「不思議な安心感がある」という感覚です。

小さい時に「お父さんと一緒だから、何も怖くない」という感覚にも近いです。

 

私は「この感覚」を大切にしています。

そして、この感覚に「磨きをかけたい」と切望しています。

「ラジオのチューニングが合ったので、この周波数を外したくない」という気持ちです。

 

「この感覚」は、今の私の生活には、絶対的に必要です。

仕事をする時、人と会う時、特に厳しい状況の中では、「この感覚」によって、

落ち着いて、穏やかに、対応できるのです。

 

そのために「2つのこと」を心がけています。

毎日、聖書の言葉を読むこと。

聖書の言葉を「神様の言葉」として、心に受け止めること。

 

聖書の中に、「神様に近づきなさい、そうすれば神様は近づいて下さる」という言葉があります。

私たちの周りには、たくさんの「雑念の情報」があるので、

雑念ばかりに目がいってしまうと、大事なものを見失ってしまうのです。

例えてみれば、部屋の真ん中に「大事な宝物」があっても、いつもゴミが部屋に入ってくるならば、

ゴミのせいで、「宝物」を見失ってしまうようなものです。

(一旦見失うと、探し出すのが大変です。だから、すぐに掘り起こせるように、毎日宝物を意識するのです)

 

イエス様は、「わたしの言葉は、いのちのパン(食物)だ」と言っておられます。

イエス様の「いのちの力」を体験するには、聖書の「いのちの食物」を取る必要があるのです。

 

「イエス様と一緒」と考える時、いつも思い出す聖書の言葉があります。

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたも「わたしのくびき」を負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。「わたしのくびき」は負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイ11:28〜30)

 

私のイメージは、こうです。

「くびき(牛や馬が二頭一緒に引っ張る時の道具」によって、イエス様と私が、一緒に歩いているので、私が歩けなくなっても、イエス様が「私を引っ張って下さる」。

 

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だから、「安心して」暗い夜道でも、歩いていけるのです。

心が震えそうな人との関係も、穏やかに、良い関わりを、することができるのです。

(私の力ではなく、イエス様の力です)

このイメージでお祈りをすると、不思議な心の安らぎがあります。

そして、「すべきこと」を「穏やかにする力」が与えられるのです。

 

フットプリント(あしあと)という、有名な詩があります。素敵な詩です。

 

【Footprint(あしあと)】マーガレット・F・パワーズ 

ある晩、男が夢をみていた。

夢の中で彼は、神と並んで浜辺を歩いているのだった。

そし ­て空の向こうには、

彼のこれまでの人生が映し出されては消えていった。

どの場面でも、砂の上にはふたりの足跡が残されていた。
 
ひとつは彼自身のもの、もうひとつは神のものだった。

人生のつい先ほどの場面が目の前から消えていくと、

彼はふりかえり、砂の上の足跡を眺 ­めた。

すると彼の人生の道程には、ひとりの足跡しか残っていない場所が、

いくつもある ­のだった。

しかもそれは、彼の人生の中でも、特につらく、

悲しいときに起きているのだ ­った。

すっかり悩んでしまった彼は、神にそのことをたずねてみた。

「神よ、私があなたに従って生きると決めたとき、あなたはずっと

私とともに歩いてくだ ­さるとおっしゃられた。

しかし、私の人生のもっとも困難なときには、

いつもひとりの足 ­跡しか残っていないではありませんか。

私が一番にあなたを必要としたときに、

なぜあな ­たは私を見捨てられたのですか」

神は答えられた。

「わが子よ。 私の大切な子供よ。

 私はあなたを愛している。

 私はあなたを見捨てはしない。

あなたの試練と苦しみのときに、

ひとりの足跡しか残され ­ていないのは、

その時はわたしがあなたを背負って歩いていたのだ」

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---もしかすると、
「 神様が共におられる感覚」は、苦しみの真っ只中では、あまり感じないかもしれません。

しかし、苦しみを乗り越えることができ、振り返った時に、多くの人々は、それに気がつくのではないでしょうか。

 

「最も苦しい時」

神様は、「あなたを背負って下さる」

このことを「信じる」だけでも、力になると思うのです。

 

新しい年が、まもなく始まります。

楽しいこともたくさんあるでしょう。

 

しかし、三密防止や社会的距離を保つ、コロナ禍の対策は、続けていく必要があります。

きっと、辛いこと苦しいこともたくさんあるでしょう。

 

しかし「私を助け、守って下さる」、神様がおられるという「感覚」を少しでも持つことができれば、きっと多くの困難を乗り越えていけると信じるのです。

 

来年が、良い年でありますように。

「助け」をたくさん経験できる素晴らしい年となりますように、皆様の祝福をお祈りしています。

 

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