人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から

世界のベストセラー聖書の価値観から、生きるを考えます!(モノの見方が変わると、とても楽になります)

「できていないこと」を、「できている」と平気で嘘をつく人がいます。どう対応すれば良いでしょうか?

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私の職場に、「平気で嘘をつく人」がいます。

自分の頭の中で、「都合の良いストーリー」ができているようで、指摘をしてもいつもごまかします。

人の目をとても気にしているようですが、嘘ばかりつくので、周りは呆れています。本人は、おどおどしながらも、ごまかし切れると思っているようです。また時々逆ギレしています。(完全に「オオカミ少年」になっています。)

同じ職場ですから、無視する訳にもいかず、対応を苦慮しています。アドバイスを頂けますでしょうか。

 

 

ご質問をありがとうございます。

「平気で嘘をつく」方への対応ですね。

「自分の頭の中で都合の良いストーリー」をつくっているということです。

闇が深い、と思います。

具体的な対応は、かなり難しいとは思いますが、ヒントとなればと思い、いくつかのポイントを書かせて頂きます。

 

その方(Bさんとお呼びします)の立場に立って、考えてみます。

①「都合の良いストーリー」をつくるのは、自分を守るため。

自分を守る(保つ)ために、人間は大きく分けて二つに分かれます。

a、「自分の信念を保つこと」で自分を守る人と

b、「人から評価されること」で自分を保つ人。

(実際は、どちらも混ざっているというのが現実のところですが、分かりやすくするために分けて考えます。)

しかし、その二つともに、努力が必要です。

「自分の信念を保つこと」を求めると、極端な場合、修行僧のようになります。

様々なことを犠牲にして、「信念を優先」します。時には、人から嫌われることも覚悟しなければなりません。

 

一方「人から評価されること」を求めると、自分を犠牲にしなければなりません。極端な場合、自分の信念に反することもしなければならないケースもあるのです。

 

多くの人は、葛藤しながら「そのバランス」を作ろうとします。

自分の欠点や弱い点を反省し、愛情の足りなさに、悲しくなりながらも、前を目指すのです。

 

しかし、実は「とても簡単な方法」があるのです。

(それをBさんは選んでいると思われます。)

それは、c、「都合の良いところだけを集めて、都合の良いストーリーをつくること」です。

(人間性が問われますが、それさえ無視できれば、最も簡単な方法です。)

 

その場合、「結論」が、最初にあります。

「自分は正しい、良い人」という結論です。

そしてその根拠になる材料を集めます。当然「自分に都合の良いもの、だけ」を集めます。

見つからない場合は「願望を創作(嘘の脚色)」をします。

「自分ができていないこと、問題点」は、無視します。

そして問題を見なければならない場合は「すべて人のせい」にします。(結論が、自分は良い人ですから、悪い材料は、あってはならないのです。)

 

「都合の良いストーリー」ですから、その矛盾を突かれると、理屈では簡単に破綻します。

その場合、破綻させないために、さらに嘘(創作)を重ね、それでも難しい場合は、逆ギレをし自分は被害者と主張し始めるのです。(これがBさんが逆ギレする心理だと思われます。)

 

そして現実を無視し「自分はできている、つもり」になっています。

苦しみを伴う「地道な努力」は嫌いなのです。

 

②考え方の芯がありません。

a「自分の信念」でもなく、b「他者への奉仕」でもない、

c「怠け者で嘘でごまかす考え方」ですから、

当然考え方に「芯」がありません。

楽な道があったり、人からプレッシャーを受けると、簡単に方針を変えてしまいます。

 

一個人なら悪影響は小さいですが、仕事で責任ある立場になると、

芯のない生き方は、通用しません。

責任者は、自分の理念を持ち、自分の責任で決断をするのが仕事です。

それができないと、組織は空中分解します。

 

ここまで書きましたが、私はまだ質問者さんの「Bさんへの関わる方針」を示し切れていません。

Bさんのような方は、実はとても厄介です。

 

③では、どのような方策が考えられるか。

3つほど、問題解決のために、使えそうな考え方を記してみます。

a、ルールを確認する。

b、逃げられないように、証拠を固める。

c、適度な距離を保つ

 

a、ルールを明確にする。

Bさんのようなタイプの方は、「ごまかすことが癖」になっている場合が多いです。

こういう方に有益な方法は、ルールを明確にすることです。

逃げられないように、外堀を埋めていくのです。

仕事ならば、マニュアルをもう一度確認しましょう。

その通りしていれば、OKですが、できていなければOUTです。(誰が見ても同じ基準で判断できるというルールが必要です。)

 

b、逃げられないように、証拠を固める。

Bさんが改善するためには、「正直になること」が本来は最も大切なポイントです。

しかしBさんは、「逃げること」が癖になっているようです。

そういう方と関わるためには、逃げられない(正直になるための)客観的な事実をつかんでおくことは、必須になります。

(必要ならば指摘をすることができます。しかしあえて指摘をしないこともできます。)

 

もし、Bさんと「対面」で話をしなければならない時があったならば、

「確実な証拠となる情報」を入手しておきましょう。

知恵深く「事前の準備」はしておくべきでしょう。

 

c、適度な距離を保つ

しかしながら、先回のブログでも指摘しましたが、質問者さんが過剰に感情的になることは避けるべきです。(あくまで穏やかに関わることを目指しましょう。)

Bさんの人生は、Bさんのものです。

仮にBさんが、問題を起こして仕事を辞めることがあっても、それはBさんの責任と判断です。(質問者さんの責任ではありません。そう考えると肩の力が抜けます。)

 

質問者さんができることは、指摘をするところまでです。

「穏やかな気持ち」で関わりましょう。

Bさんの負の判断に、質問者さんは責任を持つ必要はないのです。

それが理解できると、Bさんの負の反応に一喜一憂しなくなります。

(以前から書いている「境界線・バウンダリー」の概念ですが、ここでもこの概念はとても大切です。)

 

人間は理屈通りには、生きていけません。

(Bさんも質問者さんも、人間はすべて同じです。)

理想はあっても、現実の足りない自分を自覚しながら生きていくのです。

(ですから・・・できていないのに、できているふりをすることは、フィクションであり、都合の良いストーリーなのです。これが今回のブログの強調点です。)

 

問題に出会った時に、問題から逃げず、

揉まれながら、改善を努力しながら、

人間的にも成長していくのです。

 

「自分は良い人」という前提は、あり得ません。

(人間は、問題を犯します。自分も含めてです。)


エレミヤ(旧約聖書)17:9

「人の心は(陰険で)何よりもねじ曲がっている。それは癒やしがたい。だれが、それを知り尽くすことができるだろうか。」

 

「表面だけを取り繕えば良い」という考えも、危険です。

(冷静に考えれば、最も損な選択です。ばれた時に、確実に信用を無くします。)

 

Bさんが、フィクションの世界ではなく、現実を直視していけることをお祈りしています。

 

また、これらのやりとりを通じて、関わろうとする質問者さんご自身が成長していけますように、

祝福をお祈りしています。

 

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証拠が明らかでも「逃げ続ける人」がいます。どうしたら良いですか。

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私の職場に、「明らかな証拠」が上がっても、「逃げ続けよう」とする人がいます。以前は、役職がなかったため、そんなに影響がなかったのですが、現在は、責任を持つ立場で「逃げ続けよう」とするので、カバーしきれなくなってきています。何回か話をしようとしたのですが、すでに意固地となっており、正論が伝わらない状況です。どう対応したら良いでしょうか?

 

ご質問をありがとうございました。

「種蒔きと刈り取りの法則」があります。

人は、蒔いた種の「刈り取り」をするという、現実的な法則です。

その方はすでに「意固地」になっているということですから、行くところまで行かないと、分からない(行動を変えられない)のかもしれません。

その段階では、かなり「悲惨な結果」になる可能性があります。

 

しかし「現段階」で対処できるポイントをいくつか書いてみたいと思います。

 

「逃げる」ということは、習慣性を持っています。

「逃げるは恥だが役に立つ」これは元々はハンガリーのことわざで「恥ずかしい逃げ方だったとしても、生き抜くことの方が大切」という意味です。

しかし、しかし「事実に目をつぶって」逃げ続けて良いと言うことではありません。

 

今回書きたいことは、

①事実を受け入れる「誠実さ」を持つこと。

②先を読む大切さ(危機管理)

についてです。

しばらくお付き合い下さい。

 

①事実を受け入れる「誠実さ」を持つこと。

人は「見たいものだけを見ようとする」傾向があります。

自己防衛の観点から見ても、自然なことではあります。

しかし、「限度」があります。

 

「細かいこと」は無視することはできるでしょうが、

「大事なポイント」は、見たくなくても無視してはいけません。

感情的に受け入れられなくても、「事実として認識」はしなければ、対処できないのです。

 

手元に、受け入れられない情報も、「判断材料」としてストックしておくことは、大切です。

その上で「受け入れる」かどうかを判断すべきです。

 

職場の同僚の方(A さん)は、逃げることが癖になっているならば、そう至ったAさんなりの経緯はあるでしょう。

しかし、それが「事実を受け入れなくても良い」理由にはなりません。

 

数字、顧客からのクレーム、改善案、、、

見なければならないポイントを、Aさんは無視しているのでしょうか。

質問者さんは、それらを「見ておられる」と思います。

 

結論的に言えば、

質問者さんが、「見ている事実」を、

淡々と伝えることしかできないと思います。

 

それを受け入れるかどうかは、Aさんの判断です。

ですから、ここで「大事なこと」は、質問者さんご自身の「精神状態です。

Aさんに「ネガティブな気持ち」で対応をしないようにしましょう。

 

事実を淡々と伝える、できれば善意で伝える、、、

そうすれば、質問者さんは「良い種を蒔くこと」になります。

「良い動機で、言動」すれば、仮にAさんが崩れていっても、質問者さんは冷静に対応できます。(崩れません。)

苦い気持ちで悪い種蒔きで言動するならば、

Aさんが崩れると、「それ見たことか!」と一緒にネガティブな反応をしてしまい、

質問者さんも、「微妙に崩れていく」のです。

 

ガラテヤ(新約聖書)6:7-9
「思い違いをしてはいけません。

神は.人から侮られることはありません。

人は,自分の蒔いたものを,また刈り取ることになるのです。

自分の肉に蒔く者は,肉から滅びを刈り取り,

霊に蒔く者は,霊から永遠の命を刈り取ります。

たゆまず善を行いましょう。

飽きずに励んでいれば,時が来て,実を刈り取ることになります。」

 

「心の動機」には、敏感になりましょう。

質問者さんは、「良い種蒔き」を意識するのです。(悪い種蒔きをしてはいけません。)

 

②先を読む大切さ(危機管理)

質問者さんの文章を読ませて頂くと、Aさんは「危機管理」ができていないようです。

「危機管理」とは、問題が起きることを予想して、事前に対処することです。

 

Aさんが、気がつかない(もしかすると、分かろうとしない)ならば、

誰かが伝えなければならないです。

(個人的なことなら伝える必要はないでしょうが、チームの場合は、触れなければ、全体が迷惑します。)

 

この場合も、質問者さんの言葉に、Aさんが「どんな対応」をするかは、一旦横に置いておいて、

質問者さんが、「どういう動機」で対応するかに注目すべきです。

 

心は「見えない」ですが、ある動機で行動していけば、どこかで「目に見える形」で、表面化するのです。

これは例外はありません。Aさんも質問者さんも、同じです。

(だから、「自分の心」に注意しなければならないのです。)

 

箴言(旧約聖書)4:23

「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。」

 

人生は、「修行のようなもの」です。

特に、ややこしい問題に接した時に、良い決断をするならば、飛躍的に成長できるのです。

その時に、あなたが「大人心」で「問題を受け止め、対処できる」かどうかが、問われます。

 

単に批判をするだけは、実は簡単です。(問題点を指摘するだけで、良いのですから)

しかし、問題をきっかけに成長をしていけるならば、素晴らしいことです。

(それが、仮にAさんが自滅する結果になったとしても、それはAさんの責任です。当然、質問者さんは煽る発言ではなく、愛と慎みでの対応は必須です。)

 

質問者さんが、気がついている情報、危機管理を「愛と慎みの動機」で、分かち合いましょう。

(教え込むと言う視点よりも、分かち合うと言う視点の方が、伝わり易いですから)

そして、事前に上司や然るべき人と、相談や情報共有をして、事に当たりましょう。

(単独での行動は避けた方が良いでしょう。)

 

最後になりますが、

真理に対する「誠実さ」は、特に重要です。

間違っていたことに気がついたならば、「瞬時」に「潔く」自分を変える決断が重要なのです。

 

今回のことを通じて、質問者さんもAさんも成長していけることを願っています。

祝福をお祈りしています。

 

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【地頭を鍛える】ドラゴン桜(漫画、13巻)・・・見たくないものを見る

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ドラゴン桜(漫画、全21巻)を読みながらしみじみ思います。受験とは「人生の大事なことを学ぶ」チャンスなのだ、と。

受験では、追い詰められながら、目標に向かって必死に進みます。合格するために「新しいことを学ぶこと」に貪欲になります。

それは即ち「自分を変える」ことができる、チャンスなのです。

 

人間は「頑固」です。

通常は、「自分が大事」で「自分が一番」です。

ですから「自分を変える」ことはしたくありませんし、しようとしません。(当然です。)

しかし、進むべき「目標」があると、「頑固な自分」を捨てることができます。

なぜなら、自分の考えにこだわって「捨てられない」と、「目標」に行くことができないからです。

 

ドラゴン桜、13巻は、神巻です。もし一冊だけ買うとしたら13巻はオススメです。

いくつかのポイントがありますが、

今回は、矢島勇介の家庭教師、東大生、本田美智子(26)の言葉を取り上げます。

 

本田が矢島を諭した言葉です。

「勇介君、情報に触れた時、一番大事なのは、決して損をしないこと。

信じたいものだけを信じる、、、これでは何も得られない。何一つ進歩しない。

逆に、信じたくないものを、知る。本当の利益はそこにあるのよ。」

 

矢島の家はお金持ちです。

矢島はその環境に反発しています。(両親に反発し、お金は汚いと思っています。)

 

その感情的な矢島に、意図的に国語教師、芥山龍之介が授業中、

「東大に合格する家は、年収1000万以上、は正しいかどうか調べるように」と宿題を出しました。

 

その夜、本田と一緒に、ネットでのデータを見た矢島は、

「くだらない」と吐き捨てたのです。

 

そのデータとは、「東大入学家庭の平均年収は約1000万でも、750万円以下が約30%、450万円以下が約10%」という数字でした。(つまり、一般庶民の家庭からも多く東大入学している現実を表すもの)

 

矢島は「しょせんは、お金じゃなく個人の頑張りだろ」と主張したのです。

 

しかし本田は諭すのです。

「でも環境も大事よ。それを支える経済力も重要よ。(その事も否定できない。)」

そして先ほどの言葉を勇介に語ったのです。

 

「勇介君、情報に触れた時、一番大事なのは、決して損をしないこと。

信じたいものだけを信じる、、、これでは何も得られない。何一つ進歩しない。

逆に、信じたくないものを、知る。本当の利益はそこにあるのよ。」

 

そしてこの言葉を続けました。

「感情で物事を処理すると、真実は何も見えない。

真実が見えなければ、絶対に損をする。」

 

「損をしないために、信じたくないものを知ることが大事」

「世の中に騙され、利用されないために、常識を疑って客観的に学ぶことは大切。」

これが、本田の主張でした。

 

矢島は、葛藤しながらも、その言葉を素直に受け入れたのでした。

 

みなさん、いかがでしたか?

13巻では、他に「学力とテクニックの関係」、「学力を目標にすることと人格バランスの関係」

「危機的状況では、ものさしを一つにすることの大切さ」

など、受験用だけでなく、人としての考え方を刺激されるトピックに満ちています。

またどこかで、取り上げたいと思っています。

 

祝福をお祈りしています。

 

箴言(旧約聖書)4:7
「知恵の初めに、知恵を得よ。
あなたのすべての財産をかけて、悟りを得よ。」

 

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「本当の自分」を知るには? 心を写しだす「鏡」

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今回は、「鏡」の話です。普通の鏡ではなく「心を写しだす鏡」の話です。

(漢字の「写す」の意味は、「もとの姿・形をそのとおりに、絵や文字や画像などで表すこと」。「映す」の意味は、「ものの姿を光の反射で鏡や水面に投影すること」。ここでは内面そのものを取り扱いますので、写すという漢字を使っています。)

 

「自分の心の状態」を自分で確認することは、案外難しいものです。

「大丈夫」と言っている人が、まったく「大丈夫でない」ことも多くあります。

また、「理想の自分」を「本当の自分」と思い込んで、

「演技をしながら」生きている人もいます。

そういう人は、いつも演技をしているので「疲れ易く」「問題を起こすこと」もあるのです。

(今回は、そのあたりがテーマです。)

 

先回は、

①「光の中」で自分を見るようにする。

を考えてみました。

自分の心の「良い部分」だけでなく、「悪い部分」も受け入れること、を考えました。

そのために「どんな時でも自分を受け入れてくれる存在を知る」ことが有益であることにも触れました。

 

ある人から聞いた話です。

その方の職場に、嘘つきでいつもごまかして生きている、Aさんという人がいるそうです。

やるべき仕事を、他人が見ていないとズルをして、

問い詰められると、言い訳をして、その場だけ過ぎれば良いと考えているようです。

しかし当人は、「自分は良い人」で「思いやりがあって優しい人」だと思っているのです。

 

「出来るだけ楽をしたい」「人とは揉めたくない」

そして「人から良い人だと思われたい」

お話を聞いていると、Aさんは、「自分の見たい自分」だけを見ている典型例のように感じました。

 

見たくない、「自分の弱さ、ごまかしの心」は、いつも後回しにしてしまい、

結果的に、人からその嘘を指摘され、「信頼をなくす」のです。

優しいのではなく、「本当の自分の酷さ」を直視できない弱さなのです。

問題を「直視できない」ので、「ごまかし、逃げ出す」のです。

 

その悪影響が、他人に強く言えない点として、通常は現れてきます。

「自分がごまかしている」ので、「他人のごまかし」に対処できないのです。

問題を見過ごすことを「やさしさ」として勘違いしているのです。

 

 

Aさんの件は少し極端な例ではありますが、

しかし本当の自分(自分の弱さ)」を受け入れられないと、「人間関係に問題」が起きてくることは通常のことです。

 

②「自分を写し出す鏡」に気がつく。

2コリント (新約聖書)3:18

「私たちはみな、「顔のおおい」を取りのけられて、「鏡」のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」

 

「自分を写し出す鏡」とは何でしょうか。

 

聖書から考える前に、一般的な観点で考えていきます。

 

a,自分自身を考えてみます。

自分で洗面所の鏡を見ていると思ってください。

鏡に映った姿は、左右対称です。

人から見える姿ではありません。

「あなた自身の価値観」であなたを見ますから、「あなたが見たいように見る」ことになります。

好き嫌い、良い悪いも、あなたの基準で判断します。だから人からはすごいと思われている点でも、あなたは良くないと判断することがあるのです。

 

b,人間関係を考えてみます。

他人の感情に触れた時に、あなたの感情が動きます。それによってあなた自身に気がつくことがあります。

(本を読んで、自分に気がつくことも基本同じです。作者の感情や心の機微に触れる時に、あなたの感情が反応をするのです。)

 

よくこんなことを言う人がいます。

どこに行っても嫌な人がいる、でもその嫌な人を特徴を考えてみたら、それは自分だった。

人を通じて、自分の良い点、悪い点がはっきりとすることが多くあります。

そういう意味では、「人間関係」も「あなたを写しだす鏡」であることが分かります。

 

しかし人間は完ぺきではありません。

私に、いつも良い関わりをしてくれるとは限りません。

時に、毒親やフレネミー(友達のふりをした敵)のような存在もいるのです。

あなたを陥れ、あなたが苦しむことで喜ぶような人もいます。

そんな人を鏡にしていたなら、あなたは確実に歪みます。

 

 

c,神様のことを考えていきます。

ではどうしたら良いのか、ここで「神様の存在価値」が重要になってきます。

神様は「あなたを愛して」おられ、「未来の輝く姿を知って」おられ、「現状の課題を知って」おられるのです。

その神様のことを考えて、自分を思いめぐらすことが、

「最高の鏡」になるのです。

 

具体的にはこういうことです。

自分の中に弱いところがあります。自分ではどうしようもありません。しかし神様の鏡を見ると「別の視点」が見えてきます。

 

あなたが「自分を愛せなく」ても、神様は「あなたを愛して」おられます。

(これを実感として伝えることは、与えられた文字数では足りません。)

あなたは「自分がマイナス」だと思っていても、神様は「プラスと考えて」おられます。

あなたは「こんな自分は価値がない」と思っていても、神様は「あなたは高価で尊い存在だ」と言われるのです。(たくさんの聖書の言葉があります。)

 

「神様の鏡」で自分を見ると、「元気」になります。

そして「自分の欠点や課題」さえも、「別の視点、別の解決法」が与えられるのです。

「自分のどうしようもない愚かさ」や「罪」さえも、「赦される道があり、聖められ、変えられる方法がある」ことが分かるのです。

 

「自分でつくった鏡」で自分を見ても「新しい発見は一つもありません」

「人間関係の鏡」も健全な時と不健全な時があります。

しかし聖書を通じて「神様からの鏡」を見る時に、あなたの奥底の存在がはっきりと分かってくるのです。

 

それは「痛痒い」かもしれません。

「見たくないもの」かもしれません。

しかし神様が見せて下さる「将来のあなたの姿」を通じて「今の自分」を見る時、

絶望ではなく、目標と希望を持つことができるのです。

 

具体的には、どこか別の機会に掘り下げたいとは思っています。

ご質問があれば、コメント欄からお尋ねください。

(承認制ですので、掲載可能と書いて下さった方のみ、掲載するようにしています。)

 

祝福をお祈りしています。


Ⅱコリ ント(新約聖書)5:17

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」

 

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「本当の自分」を知るには?

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今回、二回に分けて「本当の自分」を知る、発見するヒントを考えていきたいと思います。

「自分探しの旅」で、海外で放浪する人がいます。

しかし、お金と時間を使って、わざわざ海外に行かなくても、自分を見つけることはできます。

 

なぜ「海外」に行くのでしょうか。

それは「非日常」だからです。(国内であっても同じです。)

 

「非日常」とは、日常ではないことです。

テンションが上がり、ワクワクして、いつもなら「しないこと」ができるのです。

つまり、「演技」ができるのです。

そうすると、新しい環境で、「新しい自分」を発見したような気持ちになります。

「演技の自分」も自分の一部ですが、しかし「演技の自分」ばかりを追い求めると、

逆に「分からなくなる」ことがあります。

アドレナリンが湧き上がる「興奮状態の自分」は、いつかは覚める時がやってきます。

しかしそれを避けていつも「興奮を追い求める」ならば、実は「本当の自分」から目を避けていることにもなるのです。

「本当の自分」とは、服で言えば「普段着」の自分です。

気を抜いており、「見っともない恥ずかしい部分」でもあるのです。

 

今回、「本当の自分」を確認する上で、

①「光の中」で自分を見るようにする。

②「自分を映し出す鏡」に気がつく。

を焦点としながら、いくつかのことを考えていきたいと思います。

 

「自分を知る」ことは、「知りたい」と思う部分と「知るのが怖い」部分の二面性があります。

youtubeで、通常のチャンネル動画以外に、家でくつろいだり、普段の様子をアップしている動画を上げている人がいます。それが再生回数が多かったりもします。

視聴者は、「本当の〇〇さんを知りたい」と思って見ていたり、投稿者も再生回数を稼げると、「認められると感じ」嬉しくなったりもするのです。

しかしながら、「不用意な発言が炎上」したりもします。

 

「自分を知る」とは、「良い部分」だけでなく、「悪い部分」も受け入れなければなりません。

それは、自分を「光の下に連れて行く」作業なのです。

 

夜中に、電気をつけると、

「今まで見えなかったもの」が見えてきます。

一晩だけの放置なら、ゴミや気づかない荷物は「少ない量」でしょうが、

何年も暗いままですと、(もしかすると人生で初めて電気がつく状態ですと)

「びっくりするような荷物」を発見するかもしれません。

まるで、池の水を全部抜くと、ゴミやら外来種やらがいっぱい出てきて、驚くようなものです。

 

光の下に出た時、「すべて受け入れる覚悟」を持つことは大切です。

「本当の自分」を知ろうとする時に、

「良い部分」は受け入れることができても、「悪い部分」は無視するとは、正直ではありません。

 

②でも触れますが、自分を知るには、「人間関係という鏡」が用いられることがあります。

「他人」と関わる時に、「自分の性格や気質」が浮かび上がります。

この時、「浮かび上がった性質」を隠さない(ごまかさない)ことが大切です。

(それが光の下に置くということです)

無視して、見ないようにすることは、「闇の中」に置くことになります。

「闇の中」に逃げていこうとする「あなたの心」を、追いかけて「光を照らす」のです。

 

エペソ(新約聖書)5:11〜13

「実を結ばない暗やみのわざに仲間入りしないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。なぜなら、彼らがひそかに行っていることは、口にするのも恥ずかしいことだからです。けれども、明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らかにされます。」

 

○明るみに出された時が、「明らかになる」時です。

ですから、隠しているものが「バレた時」は、実は「自分を知るチャンス」です。

「汚いものがバレた時」それが、自分の中に「汚いものがあること」を認める、絶好のチャンスなのです。

 

隠したって無くなりません。気がついていないのは「自分だけ」ということもあり得るのです。

「認めて受け入れた方」が、得策です。

 

「自分を知る」大前提は、汚いものが出たとしても、受け入れる覚悟から始まります。

そしてその覚悟は、自分の恥部を「光の下に出す」ことから始まるのです。

 

ここからは、少々クリスチャン向けになります。

自分の恥部を、「他人の前」で明らかにすることは、諸事情から難しいことがあります。

人に話すこと自体、抵抗があるでしょうし、話した後に関係が壊れることだってあるからです。

 

しかし、イエス様や天の神様には、「素直にお見せする」ことができます。

神様は私をつくり、大事に考えて下さっていますから、この方には「すべてを安心して語れる」のです。

 

とにかく大事なことは、自分の見たくない恥部を「隠さない」ことです。

イエス様には(天の神様には)、すべてが「お見通しである」ことを受け止めるのです。

「隠しても隠せない現実」を認めるのです。

 

自分の心の奥を「天が知って、認めて下さっている。」

、、、このことが「自分を知る上」で、最も重要なポイントです。

それが分かっている人は、「驚くような自分」を発見しても、

ごまかさず無視せずに、「受け入れる」ことができるからです。

 

(そのような人や存在に、出会っている方は、幸いな人です。)

 

今回は、

①「光の中」で自分を見るようにする。

自分を知る上で、最も大事なことを考えて見ました。

 

次回は、②「自分を映し出す鏡」に気がつく。

を考えていきたいと思います。

 

祝福をお祈りしています。

 

2コリント (新約聖書)3:18

「私たちはみな、「顔のおおい」を取りのけられて、「鏡」のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」

 

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【地頭を鍛える】ドラゴン桜(漫画、第5巻)・・・国語力をつける

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先日お約束した、【地頭を鍛える】シリーズです。

現在、私はドラゴン桜1の漫画を読破中です。(全21巻)

今回は5巻に登場する、国語教師「芥山先生の言葉」から、そのエッセンスを抽出したいと思います。

 

「国語力をつける」

二人の生徒、矢島と水野の前に、国語の特別講師がやってきました。

教師、芥山です。

 

彼は、二人の前で、「受験国語の勉強は、国語の魔法にかからないこと」と説きました。彼は「愛情、正義、善意、良心など、くそくらえ!」と静かに叫ぶのです。

二人はとても驚きます。

(後ろで見ていた先生たちも驚きました。)

水野が「国語の先生がそんなこと言ってもいいの?」と反発すると、

芥山は「国語の授業、特に現代文では、名作の鑑賞会になっており、感動のマニュアルを一方的に生徒に流すだけになっており、つまらなく、教師の自己陶酔の世界になっている」と指摘したのです。

 

それを打ち壊すために、芥山は「生徒の心に、毒を染み込ませる」と語ります。

「怒り、憎しみ、コンプレックス、エゴイズム・・・それによってわき上がる葛藤、そういう負の感情を人間は面白いと心躍らせるのだ!」

そして文豪の名作20作品から、刺激的な部分を選んでまとめたプリントを渡したのです。

 

私も以前、国語の教師をしていたので良く分かりますが、

実は国語のテストは、感性が豊かな人は「点数を取りにくい」のです。

国語の答えは、基本的には「文章の中」にあります。それを「正しく読み取る」のが国語の問題の解答であり、「読み込んでは」いけないのです。

感性が豊かな人は、本文を読んで「想像力」が広がってしまい、「筆者が述べていないこと」を解答してしまうのです。(当然、答えは×になります。)

 

「受験の国語」は、「論理性を問われる」ものであって、「感性を磨く場」ではないのです。

 

芥山は、次の授業で「正しく読む」ための授業を始めました。

SHE MISSED HIMの歌詞の日本語訳を、二人に読ませました。

(このタイトルを二人は知りません)

 

彼女は彼のひげを剃る

彼の髪を梳く

彼がいすを探すのを手助けするし

彼のために料理をする

彼の口を拭いてあげるし

外が見えるように窓も拭く

 

彼のために本を読むし

彼に呼びかける

毎日同じ繰り返し

彼女は、深いため息をつく

彼はいなくてさびしいから・・・・

 

この詩を読んだ感想として、

水野は「ひげを剃ったり、料理をしたり・・・なんか幸せそうじゃん! いい彼女ね彼のために尽くして・・・」と言うと、

矢島は「あ、でも終わりはさびしいってことだから、失恋の歌だよね。彼には好きな人はいるんだよ」と応じました。

しかし、実際は「認知症を患った夫」のことを描写した歌詞だったのです。

 

「読む」ということは、普段は無意識で行っていますが、実際は「難しい」のです。

「表面をさっとなでたような読み方」では、「大変な間違い」を犯します。

 

芥山は、二人に「正しく読むとは、筆者との心のキャッチボールなのだ」と言いました。

絶えず「なぜ」と行間を読みながら、「書いてある内容と、筆者の意図をしっかりと把握する。これが『正しい読み方』なのだ。」と伝えたのです。

 

これは「国語の試験」のこと、だけではないですよね。

「仕事や日常会話」にも、当てはまることではないでしょうか。

「自分の感動」は大切ですが、それ以上に「相手のことを正しく理解する」ことは、さらに重要です。

(特に、コミュニケーションを取り、伝えたいと思うならば、不可欠です)

 

受験勉強は、無意味に思えるかもしれませんが、

勉強を通じて、「地頭を鍛える」つまり「人としての基礎的な力を鍛える」ことにもなっているのだと、改めて気がつかされました!

 

 

次回、ドラゴン桜シリーズ(漫画、ドラマ)を通じて、「発見」があれば随時お伝えします!

 

祝福をお祈りしています。

 

箴言(旧約聖書)

3:15 知恵は真珠よりも尊く、あなたの望むどんなものも、これとは比べられない。

4:6 知恵を捨てるな。それがあなたを守る。これを愛せ。これがあなたを保つ。

8:33 訓戒を聞いて知恵を得よ。これを無視してはならない。

 

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「心に決めること」、居場所、人生の大きな選択について

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「イスラムからキリスト教に、入ることはできますか?」

コロナ前まで数年間、キリスト教会に通っていた者です。洗礼は受けていません。

教会に通っていた頃は、年が一番若かったせいもあり、居場所がありませんでした。旅行でイスラム教に興味を持ち、日本のモスクに通い始めました。そこで出会った外国人男性に「イスラム教徒だ」と嘘をついてしまいました。彼とはその後婚約に発展しました。嘘をつき続けることが苦しくなり、悩んだ結果、嘘を嘘でなくするために、イスラムに改宗しました。しかしムスリムと関わる機会が増すにつれ、イライラすることが増えたのです。1日5回の祈り(信仰が大事であって、あの動作は私には必要ない)、善行に励むと天国で高いレベルに入りやすくなる等の言葉を聞くと、違和感を覚えました。(行いではなく内的動機づけ(信仰)が最初で、信仰によって聖霊が与えられ、その結果、善行ができるのであって、外的動機づけ(行い)が最初ではないはず、、、) その他、食事や服装、数多くの戒律に対しても、戒律ではなく、聖霊に満たされれば自然に悪いものは必要なくなるのではないかと思えました。モスクの仲間といても、寂しさを感じるようになりました。最近同じ神様でも、やっぱり私に必要なのはキリスト教の神様なのだ、と思うようになり、そう思えた時から寂しさがなくなりました。イスラムからキリスト教に入ることができますか?

 

ご質問をありがとうございました。

頂いた文章をここに載せるに際して、文字数の関係で編集し、後半の一部を割愛させて頂きました。

読みながら、「とても聡明な方」だと感じました。ご自分の状況、イスラムとキリスト教の教えの違いを冷静に分析されておられます。

 

一般の方も読まれるブログですので、ここでは簡潔に書く予定です。

ご質問の文章から、質問者さんは、すでに「お気持ちの整理」が、いくつかできているようには思います。そして、「今後の方針」も、心の奥では「腹は決まっておられる」のではないかと思えるのです。

ポイントは「居場所」のような気がします。

 

お気持ちの整理の「確認」の意味で、ここでは3つの観点でまとめたいと思います。

①通った道を修正するには「多少の波風」は起こる、ということ。

②「仲間意識、コミュニティ」が人には重要である、ということ。

③自分の気持ちを「偽ること」はできない、ということ。

 

①通った道を修正するには「多少の波風」は起こる、ということ。

私がよく通る道で、いつも渋滞する箇所があります。

左折でコンビナートに入る車が多いため、左側の走行車線がいつも渋滞しています。結果、右側の追越車線も渋滞するのです。

車線変更する時は「大変」です。車の間に入れて貰わないといけません。無理やりはいられると人はムッとします。親切な人はスペースを空けてくれますが、意地悪な人は詰めてきます。

しかしそのままにしていては、「目的地に行けない」ので、どこかで「車線変更」をしないといけないのです。

タイミングが合えば、ラッキーですが、だんだんと交差点が近づくと、最後は「無理にでも」車線変更をするのです。

 

もし「今までのやり方」を変えようと考えているなら、

どこかで必ず、「車線変更」をしなければなりません。

しかし「タイミング」をみて「然るべき決断」をすることになります。

ただし、多少の波風は「覚悟」しなければならないでしょう。

「目的地」があり、「行こう」とすれば、必ず「課題」に立ち向かわなければなりません。

モスクに行っている質問者さんが、キリスト教会に行くことは、まったく問題がなく可能ですが、その「行き方」が大切なのです。

 

②「仲間意識、コミュニティ」が人には重要である、ということ。

以前教会に通っていた時、「居場所がなかった」とありました。

きっと「モスク」で居場所を見つけられたことでしょう。

しかし、今再び「居場所がない」感覚を持っておられるようです。

 

イスラムに改宗した経緯を読ませて頂きました。

割愛した部分に「イスラム教と関わることを通じて、洗礼は受けてなくても、心はクリスチャンになっていると気がついた」と書いてありました。

 

人は「平穏無事な時」より、実は「逆境の時」の方が、成長できます。

自分を直視し、深めていけるからです。

質問者さんにとっては、今の環境がそのような時だと思います。

 

自分が「クリスチャンである」と気がつかれたならば、それを否定することはできないでしょう。

もう既にしておられるかもしれませんが、親しい友人とは、本当に思っていることを分かち合っても宜しいかとは思います。少なくとも婚約された方とは、本音で充分に話し合うべきでしょう。

 

クリスチャンであることと、ムスリムのお友だちがいることは、共存できます。まったく問題がありません。

しかし、そのことをコミュニティが受け入れてくれるかどうかは、別問題です。(人間はそれぞれの思い込みがあり、自分がイメージする帰属意識を守るために、時に感情的な反発をします)

 

人は、社会的な存在です。「居場所」を必要としています。

ですから、質問者さんには、どんな時でも大丈夫である「絶対的な居場所」が必要なのです。

仮に、ムスリムのお友達から拒否されたとしても、これから新しく出会うだろうクリスチャンから辛い言葉を言われたとしても・・・、

絶対に自分を支えてくれる存在がいると、とても強いのです。

 

質問者さんは、今の環境の中で「自分がクリスチャンであることが分かった」と書かれていました。

それはつまり、教会を離れても、イスラムに改宗しても、嘘を言っても、それでも質問者さんを、離さず握り続けて下さった「イエス様」を言うお方を、質問者さんが「どこかで感じているから」なのではないでしょうか?

 

実は、人間関係は、状況が難しくなると、とても脆いものです。

夫婦であっても、追い詰められると、自分のことしか考えられなくなります。

しかし、そんな時に、イエス様との関係が深まるのです。

 

婚約者との関係は、「居場所」として大きな支えでしょう。

しかしそれを安定したものにするためには、その関係がなくなっても大丈夫という「居場所」が必要なのです。

それが「イエス様との関係」です。

 

私は「きれいな言葉で説得」している訳ではありません。

もう少し、話を進めていきます。 

 

③自分の気持ちを「偽ること」はできない。

すでに質問者さんは、ご自分の気持ちに気がついています。

これは素晴らしいことです。

 その気持ちを「そうだ」と言って受け止めて下さる友人はおられますか?

ぜひそのような方を見つけて下さい。

そして感情を聞いてもらってください。

その上で「イエス様」は、すべての友人が理解する以上に、質問者さんの気持ちを分かって下さるお方だと「悟ること」が大切です。

その「絶対的な支え」があることが分かると、完璧な応援団を抱えるようなものです。

 

「あなたの気持ち」をどんな時でも「分かっておられるイエス様」

このことを体験しますと、誰も自分のことを理解してくれない状況下でも、

穏やかな気持ちで「自分」を見ることができ、「他人」を見ることができるのです。

 

自分の感情は、誰も否定できません。

「イエス様」が認めておられることを知り、

(良い点であろうと悪い点であろうとも)

「あなた自身」が自分を認めることができれば、

世界のすべてを敵に回しても(極端な表現ですが)、

怖くはなくなるのです。

 

「車線変更」をする場合は、目的意識とタイミングが重要です。

ですから「自分の信念」を発言をする場合、よくよく状況を見て発言するのです。

(場合によっては、今は発言しないということも選択肢です)

コミュニティが大切です。

出来れば、キリスト教会のコミュニティに加わって下さい。

そのことを通じて「イエス様との関係」を深めることができますから。

 

「イエス様との関係」が深まるならば、誤解を受けたり否定されたとしても、

「大きな後ろ盾」を持つように、穏やかに相手のことを考えながら、あなたご自身の気持ちを伝えることができるはずです。

 

究極の「居場所」は、イエス様なのです。


Ⅱコリント(新約聖書) 5:17

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」

 

祝福をお祈りしています。

もし補足の質問があれば、コメント欄(管理者が承認の上、表示されます。)かメールでご連絡下さい。

 

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