今回は、相手のことを理解するには「愛情」が大切であること、を考えていきます。
才能や能力ではない、ということに触れます。
「自己保身の壁」を超える方法です。
【自己義と自己保身】
先日ある会議で、Aさんから、一人の責任者(Bさん)が問題点を指摘されていました。
しかしどうしても、かみ合わなかったのです。
それはあるイベントの年齢制限の話だったのですが、
Aさんは、年齢制限が本来と違ったので困った、と主張し、
責任者Bさんは、そうなった経緯を長々と弁明していました。
Bさんは、言い訳を語り続け、
自分の立場ばかりを主張していました。
そのため、Aさんは納得できず、何度も同じことを言い続けていたのです。
Bさんは、頭が良い方です。
相手の言っていることは理解できるはずです。
しかし、まるで「理解できない」かのような言葉を言い続けたのです。
Aさんは、段々と感情的になり、
色々な事例を挙げてイライラと説得し続けてました。
私はこの様子を見ながら、
「BさんはAさんの言っていることを受け止め、謝罪をして、今後の解決案を出せばこの議論は直ぐにでも終わるのに」と思っていました。
しかし良く考えてみると、Bさんのような立場になったなら、私たちも同じことをしてしまうのではないかと思うのです。
それは、自己保身の為です。
今回は、自己保身の壁を超える方法を考えていきます。
クリスチャンの立場からは、「神様に助けて頂く」ということにはなるのですが、
そのプロセスをまとめていきます。
①相手の主張を理解に努める。
②相手の立場に立って考える。
③納得できない部分は、祈って心の整理をする。
分かったふりをしても、本当の解決はありません。
(むしろ相手を怒らせることが多い)
不十分でも、理解しようとする姿勢が、解決に向かうと信じるのです。
①相手の主張を理解に努める。
問題の解決をしたいと考えるならば、自分の立場だけを主張していても、解決はできません。
相手の主張を良く聞くことです。
それは、「すべてに同意する」ことではありません。
情報として「客観的に聞く」 のです。
「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」とあるように、
解決したいと願うならば、相手の事情を良く知ることが大切です。
相手の主張の中に、解決の材料があります。
そういう気持ちで、情報収集に努めるのです。
②相手の立場に立って考える。
情報を集めたならば、それを組み立てます。
この時大事な感覚は、「一旦、自分の考えを横に置いておく」ことです。
AさんとBさんは、人格が違います。考え方も、重要だと考えるポイントも違います。
もし、「自分の考え」に固執していたならば、「相手の考え」は理解できません。
数学で、公式を見つけ、それを解くように、
「相手の考え」を見つけるべく努め、その主張をじっと観察するのです。
すると「見えてくるもの」があります。
③納得できない部分は、祈って心の整理をする。
相手の考えが見えても、「納得できない部分」が必ず出てきます。
クリスチャンである私は、このような状況になると、必ず祈ります。
納得できる部分、できない部分をすべて祈ります。
(恩師やカウンセラーにお話をする感じです)
すると、段々と気持ちが整理されていくのです。
ニーバーの祈りです。
神よ
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気を。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えて下さい。
私は、祈ることで「神様から、相手を受け入れる愛情を増し加えて頂ける」と信じています。
神様から「愛情」を増し加えて頂けるならば、
相手の主張が分かり、その考えが理解できます。
すると、自分を守ろうとする、自己保身の壁を超えることができるのです。
自分の壁の「中も外も」視野に入れて対応することができれば、
謝るべきことは、謝り、
主張すべきところは、主張することができます。
そういう広い視点を持つことができれば、
問題を通じて、むしろ、相手とより理解し合い、仲良くなるチャンスも与えられるのです。
相手と和合するには、能力ではありません。
(むしろ小手先の能力で、心が伴っていない場合、相手を怒らせ、失望させます)
相手を理解しようという、気持ち(愛情)が重要なのです。
祈りを通じて、
神様から、「愛情が与えられる」と信じて、祈ってみませんか?
「自己保身の壁」を超えることができたならば、
私たちは「自由」になります。
祝福をお祈りしています。
マタイ22:37-40
そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
これがたいせつな第一の戒めです。
『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。
律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」
ヨハネ8:32
「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」
Twitterにこんな文章を書いてみました。(興味があれば検索して下さい)
「自己保身の壁」を超えるのは、
能力ではない。
神様から頂く「愛情」によるものである。
それを頂けば、
私たちは「自由」になる。
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