人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から

世界のベストセラー聖書の価値観から、生きるを考えます!(モノの見方が変わると、とても楽になります)

「自分のため」に生きるのか、「誰かのため」に生きるのか?

人生には、方向性(ベクトル)があります。

「自分のため」に生きる人は、どこまでもその方向に向かいます。

「誰かのため」に生きようとする人は、ニーズに応えよう、自分の役割を果たそうとします。

今回は、「人生の方向性」について考えてみます。

 

①「自分のため」に生きる人。

自分のために生きている人は、多くは自分が大好きです。

自分の容姿や自分の才能、能力を誇っています。

人は、「自分のために存在している」という、間違った思い込みに生きています。

多くは、幼児体験からきています。

何でも許され、認められるだけで、「適切な躾(しつけ)」が成されなかったことが原因です。

要は「わがまま」に育ってしまったのです。

良い悪いを、体にたたき込まれずに、育ってしまったために、

「自己実現」が当たり前であり、目の前の人は「自己実現の道具」だと、心の奥では思っています。

頭が良い人ならば、表には決して出しません。(しかし、心の奥では本気で考えています)

 

論理が自己中心なのです。

そういう人も、「誰かのため」に行動する「ふり」はします。

なぜなら、それをすることで「自分の評価」が上がることを知っているからです。

人に食べ物を勧めるのも、プレゼントをするのも、計算尽くです。

「自分の利益」をまず考えています。

「自分の優しさ」さえ、「優しい人間」と認められるための、努力なのです。

どこまで行っても、自己中心なのです。

そしてその自己中心性に、気がついていない場合がほとんどです。

(気がついたならば、自分の醜さに耐えられなくなります。そのため無意識に無視することも多いのです)

 

②誰かのために生きる。

聖書は誰かのために生きることを主張します。

 

1コリント10:24

『だれでも、自分の利益を求めないで、他人の利益を心がけなさい。』

 

1コリント13章の有名な「愛」の箇所です。

4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。

5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、

6 不正を喜ばずに真理を喜びます。

7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。

8 愛は決して絶えることがありません。

 

神の栄光を現す

1コリント10:31「だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。」

 

○聖書の結論は、自分のためではなく、「誰かのために」に生きることが、

「正しい生き方」です。

あとは、それを実行する努力をすることです。

 

ところが、ここに「罪の問題」が出てきます。

この指摘が、キリスト教の特徴です。

聖書は「自分の力では、正しいことを実行するのは、不可能だ」と、主張しています。

(下手に、自分の力で頑張ってしまうと、自分の正しさを誇り、出来ていない人を強烈に批判をし始めます。昔の私がそうでした)

 

○神様を愛して、助けて頂いて実行できる。

アガペの愛というものがあります。

(アガペ:自己犠牲、命がけの愛、与える愛)

アガペの愛で、行動するには、自分の力ではできません。神様ともう一度つながり、愛を頂く必要があります。

 

そのために、絶対必要なことは、不完全な自分を認めることです。

(正しいと思っている間は、受け取れません)

自分の不十分を認め、へりくだって、主とつながるのです。

それが「主を愛すること」です。

 

マタイ22:37-40
そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』

これがたいせつな第一の戒めです。

『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。」

 

人生を豊かに過ごしたいと思うならば、

「主を愛する」ことです。

そして、自分を大切にすると同じように、「隣人を大切にする」こと、です。

時間を割き、心を注いで、その人のことを意識し、考え、大切にすることです。

 

繰り返しになりますが、

「自分のためだけに生きる」ことは、方向性(ベクトル)が間違っています。

神様を意識し、人を愛し、「自分が役に立つ働き」に意識を向ける時に、

「的を射た」人生を歩むことができるのです。

 

あなたは、どちらを向いて生きて行きたいですか?

「自分のため」ですか? 「誰かのため」ですか?

祝福をお祈りしています。

 

にほんブログ村 その他生活ブログへ

にほんブログ村

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

もし気に入って頂けたら、たくさんの方に読んで頂くために、クリックの御協力をして頂けると幸いです。(一日一回カウントされます)

人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から - にほんブログ村

読者登録をして下されば、新しい記事を自動的に知らせてもらえます。(無料ですが、はてなブログの登録が必要です。)

 

もう一つ別のブログランキングです。(こちらもクリックして頂くと助かります。一日一回カウントされます)

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓


人間関係ランキング
人気ブログランキング

 

 

PVアクセスランキング にほんブログ村

↑↑↑↑↑↑

こちらをクリックすると記事一覧を見られます。

「愛すること」と生きる力

今回は、「愛することの力」について考えてみます。

人間には、生きる為の活力が必要です。

「何のために生きているか」の答えを持っている人は、強いです。

それが霞のような「不完全なもの」でも、支えになります。

人は、何か目標がないと生きていけません。

 

だから、頑張るものを探すのです。

達成すべき目標を見つけようと躍起になります。

一つを達成すると、次の目標を見つけようとします。

エンドレスです。

 

しかし実際のところ、一番満足できる達成感は、私はこう考えます。

それは、誰かに喜んでもらうことです。

自己満足では、虚しいのです。

そのために、神と人を愛するのです

今日は、この点を考えてみます。

 

愛されること、愛することは、人生最大の喜びです。

考えてみてください。

あなたを本気で愛してくれる方との交わりは、とても心地が良いものです。

それだけでなく、あなたが愛する人との交わりも、とても楽しく幸せな時間です。

 

そして「人を愛する時、自分が愛されていたことを悟る」ことも多いのです。

「子を持ってはじめて分かる親の恩(愛)」という言葉の通りです。

 

今回は、「愛することの力」がテーマです

 

聖書を提示します。

イエス様が最も大切なこととして語られた箇所です。

 

マタイ22:37-40
そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』

これがたいせつな第一の戒めです。

『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。」

 

神様を愛すること、隣人を愛すること。

この二つが最も大切な教えだと、イエス様は言われました。

 

では、見えない神様を愛するとは、どういうことでしょうか。

神様はすでに、「あなたのことを愛して」おられます。

恐ろしいほどの大きな愛で、あなたを見ておられます。

問題は、それに気がついていない、ということです。

 

大きな断絶があるのです。

だから、関係修復には、イエス様から近づいて下さいます。

 

イエス様の弟子、ペテロの話です。

彼は十字架前、自分が逮捕されそうな状況下で、

「私は、イエスを知らない」と三度否定してしまいました。

このことは有名な話です。

彼は、そのことで、ひどく自分を責め、落ち込みました。

イエス様に顔向けできないと思いました。(ルカ22章を読むと、ペテロの心理描写が詳しく書かれています)

 

三日後、イエス様が復活された後も、彼は自分を許せずにおり、

イエス様に対しても(申し訳ない気持ちから)、複雑な思いを持っていました。

 

しばらく経った時、イエス様は個人的にペテロと話をされました。(ヨハネ21章)

イエス様は、食事をもてなされ、ペテロの心が開くようにされてから、こう言われたのです。

「ヨハネの子、シモン。あなたは、この人たち以上にわたしを愛しますか。」

(アガパオー、命がけで愛するという意味)

ペテロは、愛しますとは言えませんでした。

しかし、実際はイエス様のことが大好きでしたので、

「イエス様、あなたが大好きなことは、あなたがご存知です」と答えたのです。

(フィレオー、大好きという意味)

こんなことが、三回ありました。

その時、ペテロはイエス様から、もう一度使命を与えられました

 

そして、このイエス様との交わりによって、ペテロは回復しました。

不十分な愛でも、イエス様に「大好きです」と告白することで、

イエス様との関係が一歩、回復したのです。

 

愛するとは、「関係を保つ、作る」ことです。

愛すると不思議なことが起きます。

それは、相手の考えや愛情が分かる(悟る)のです。

 

特に、イエス様を愛すると特別なことがおきます。

「自分で自分が愛せなくても、イエス様は愛しておられることが分かる」

「自分は自分を許せなくても、イエス様は赦しておられることが分かる」

それらが、実感として分った時、ペテロは癒されたのです。

罪や罪責感から、解放されたのです。(後に聖霊に満たされて、強められました)

 

イエス様との関係が回復すると、

更に不思議なことがおきます。

愛されたことが分かる分、人に対する愛情が湧き上がるのです。(ペテロは生涯、自分の使命を果たしていきました)

 

人との関係が良好になると、

人を愛した分、良い反応が返ってきます。それが生きる上での、充実感や力になるのです。

 

ネヘミヤ8:10に

「主を喜ぶことは、あなた方の力です」とありますが、

「主を愛すること」も、力となるのです。

主を愛すると、主の喜びの中に入ることができるからです。

 

私は、「イエス様を愛すること」が、人生の一番の基本だと思っています。

それは、愛し易い時だけではなく、むしろ誤解されたりややこしくなってしまった時こそ、

イエス様を愛し、イエス様から愛を頂くと、周りの人を愛する心が湧き上がるのです。

(だから常に「イエス様愛します」と告白します)

 

周りの人を愛していくと、必ず良い結果が起こります。

それらが、「生きる力」につながるのです。

 

イエス様を愛し、隣人を愛することは、生きる上での「最重要課題」です。

祝福をお祈りしています。

 

にほんブログ村 その他生活ブログへ

にほんブログ村

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

もし気に入って頂けたら、たくさんの方に読んで頂くために、クリックの御協力をして頂けると幸いです。(一日一回カウントされます)

人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から - にほんブログ村

読者登録をして下されば、新しい記事を自動的に知らせてもらえます。(無料ですが、はてなブログの登録が必要です。)

 

もう一つ別のブログランキングです。(こちらもクリックして頂くと助かります。一日一回カウントされます)

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓


人間関係ランキング
人気ブログランキング

 

 

PVアクセスランキング にほんブログ村

↑↑↑↑↑↑

こちらをクリックすると記事一覧を見られます。

自分の思いと「真逆」の方が、最善ということがある。

今回は、「自分の思いと『真逆』の方が、最善ということがある」を考えていきます。

 

「自分のの正しさ」に執着することは、危険です。

一度決めた方針を大切にするのは、初志貫徹で素晴らしいことですが、

新しい情報が入っても、

融通がきかず、執着し突き進むならば、おかしな方向に進みます。

 

聖書を読むと、イエス様は時に、後ろから語られて、

「そちらではない。こちらだ。わたしを見なさい」と語られることがあります。

黙示録1:10-11

「私(ヨハネ)は、主の日に御霊に感じ、私の『うしろ』にラッパの音のように大きな声を聞いた。

その声はこう言った、、、。」

 

私たちは、物事を能率良く、上手く進めたいと考えます。

できれば、失敗はしたくありません。

だから、計画し熟考します。最善を考えます。

 

しかし、今見えている情報がすべてではないのです。

新しい情報が入ったならば、「真逆に向かう」ことも有り得るのです。

 

ですから私たちは「正しさへの執着」を克服する必要があります

そのために、イエス様を信じる「聖書信仰」は非常に役立つのです。

 

①自分の正しさよりも、上位の価値観を持つこと。

「自分が一番正しい」と考えることは、危険です。

聖書では、自分が正しいと考えることは、「偶像」であり、「自分を神」とすること、と教えます。

自分が神ならば、一番ですから、他人の言葉を聞きません。

 

しかし良く考えれば分かりますが、私は神ではありません。

(もし、その立場に立ったなら、プレッシャーで一瞬で潰れてしまうでしょう)

 

実際、「神の立場」に立たない方が簡明です。

創造主にすべてをお任せして、一人の被造物(人間)として、その下に仕えていた方が、何百倍も楽で、平安が保たれるのです。

(それが、本来の姿です)

「上位の価値観」を受け入れることができたならば、

「自分の正しさ」を越えることができます。

 

②聖書をよく読むこと

よく取り上げる聖書です。

ヨハネ10:27 「わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。」

 

「良い神様の声」を聞き分けるには、

その言葉を聞き続けて、慣れるしかありません。

 

もし、本当にイエス様の声を聞いて「助けて頂きたい」と願うならば、

そのお声を聞き続けることです。

 

毎日聖書を読むことをお勧めします。

本になっている聖書を読むのが一番宜しいですが、

検索すれば、アプリやサイトでそれを助けてくれるツールも、たくさんあります。

それらも助けになります。

(ただし正統的でない団体もありますので、その点はご注意下さい)

 

気をつけないといけないことは、

「聞いてはいけない言葉」があることです。(これも、聖書を読む中で見極められます)

1ペテロ5:8 「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。」

 

後ろから語られる言葉が、確実に「イエス様の語りかけ」である必要があります。

それを見極めるために聖書を読むのです。

イエス様がどういう方かを、出来るだけたくさん知るのです。

 

良く言われますが、

ふっと心に浮かんだ言葉には、

三つあります。

○自分の思い。

○イエス様の思い。

○悪魔(悪霊)からの思い。

 

それを見極めることができたならば、人生は非常に楽になります。

「良い、大切な言葉だけ」を選ぶことができるのです。

 

戦いをする時、「参謀本部」が大切です。

「良い戦略」を選ぶことができれば、戦いは勝利しやすいのです。

 

箴言3:5 -8

「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。

あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。

自分を知恵のある者と思うな。主を恐れて、悪から離れよ。

それはあなたのからだを健康にし、あなたの骨に元気をつける。」

 

「自分の正しさ」を乗り越えて、柔軟な発想で、「最善の選択」ができますように、

「上からの助け」を頂けますように、

祝福をお祈りしています。

 

にほんブログ村 その他生活ブログへ

にほんブログ村

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

もし気に入って頂けたら、たくさんの方に読んで頂くために、クリックの御協力をして頂けると幸いです。(一日一回カウントされます)

人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から - にほんブログ村

読者登録をして下されば、新しい記事を自動的に知らせてもらえます。(無料ですが、はてなブログの登録が必要です。)

 

もう一つ別のブログランキングです。(こちらもクリックして頂くと助かります。一日一回カウントされます)

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓


人間関係ランキング
人気ブログランキング

 

 

PVアクセスランキング にほんブログ村

↑↑↑↑↑↑

こちらをクリックすると記事一覧を見られます。

「イエス様の語りかけ」を聞ける恵み

クリスチャンは、自分がなりたくてなれるものではありません。

イエス様からの「個人的な語りかけ」を聞いて、信仰を持てるのです。

 

自分から求めて信仰を持った人も、実は「語りかけ」を聞いています。

イエス様の語りかけです。


ヨハネ15:16 「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。」

 

イエス様の選びが、「まず最初」なのです。

「選ばれている人」は、イエス様から「覚えられて」いますので、

必ず「語りかけ」を受けます。(感謝なことです)

 

しかし残念ながら私たち人間は、基本的に「目が曇って」います。

そのため、語りかけにまったく「気がついていない」ことが多いのです。

又は無意識になんとなく、行動していることも多いのです。

(自分で選んでいるようで、いくつかの目に留まったものの影響で、選ばされていることも、多くある のです。人為的にそのテクニックを使って人を誘導する悪人も、いるほどです。イエス様は良い方ですから、安心ですが、、、)

 

イエス様の復活後の「弟子たちの様子」を通じて、

「イエス様の語りかけに気がつくプロセス」を考えていきます。

 

①身近におられていても、「気がつかない」

弟子たちは、イエス様の十字架の後、イエス様が亡くなったと考えて失望していました。(目が曇っていました)

イエス様が事前に「三日後に、復活する」と言われていましたが、信じることができませんでした。

今回は聖書箇所を列挙しませんが、

すべての箇所で、

弟子たちは皆、最初はまったく気がつかなかったのです。(ヨハネ20-21章、ルカ24章等参照)

 

②それでも「イエス様が近づき、語りかけて」くださった

失望し、イエス様が近づいてくださっても「気がつかない」弟子に、

それぞれの場所で、イエス様は「語りかけ」てくださいました。

しかし彼らは、イエス様と気がつかずに「会話をしていた」のです。

 

③ある瞬間に、「イエス様の語りかけだ」と気がつく。

弟子たちの状況によって十人十色ですが、

会話をしているどこかのタイミングで、弟子たちは「ハッと」気がついたのです。

目の前の語りかけの主は、「イエス様なのだ」と。

 

すると、「喜び」が湧き上がりました。

「感激」で言葉が出ませんでした。

私を愛してくださるお方、

天地を造られた王の王であるお方が、

「私を見て、私のことを考えてくださる恵み」の「大きさ」を実感できたからです。

 

これを「知識だけ」で理解しようとしても、分かりません。

イエス様からの語りかけは、実際のところ、体験です。

これを読まれている方で、実際に「イエス様からの語りかけ」を受けている方は、

はっきりと理解できると思います。

その人はすでにクリスチャンです。(またはクリスチャンになる人です)

 

「そうあったらいいな」と思われる方ならば、

その方も、語りかけを受けている方である可能性があります。

またぼんやりとしか「感じられない」段階なのです。

ですから、これから「はっきりわかる」ことを期待したら宜しいかと思います。

 

知識だけで信じたと思っている人は、よく吟味する必要があります。

信じていると自分では思っていても、イエス様と「まったく関係がない」生活をしている人がいるのです。(実はこのことは「非常に恐ろしいこと」なのです。マタイ7:23参照)

 

イエス様を信じることは、知識だけではありません。

イエス様と「目と目を合わせるような体験」であり、「深い関係」です。

 

あなたがイエス様から選ばれた方ならば、次第にイエス様との関係が深まります。

大事なことは、

イエス様を意識して祈る(会話する)ことです。

そして、会話を通じて、関係が深まったら、応答することです。(自然に行動が変わるはずです)

 

そして応答することによって、ますます見える景色が変わり、

生き方考え方が変わります。

 

イエス様についていくと、人生の冒険が始まります。

自分を大切にし、人を愛し、神様に感謝をしながら生きる生活に、

(自然に)なっていくのです。

自分の理解を超えた素晴らしい、人生を歩み始めるのです。

 

イエス様についていく人生は、素晴らしいです

 

ヨハネ10:27-28

「わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。

わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。」

 

祝福をお祈りしています。

 

にほんブログ村 その他生活ブログへ

にほんブログ村

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

もし気に入って頂けたら、たくさんの方に読んで頂くために、クリックの御協力をして頂けると幸いです。(一日一回カウントされます)

人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から - にほんブログ村

読者登録をして下されば、新しい記事を自動的に知らせてもらえます。(無料ですが、はてなブログの登録が必要です。)

 

もう一つ別のブログランキングです。(こちらもクリックして頂くと助かります。一日一回カウントされます)

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓


人間関係ランキング
人気ブログランキング

 

 

PVアクセスランキング にほんブログ村

↑↑↑↑↑↑

こちらをクリックすると記事一覧を見られます。

イエス様の「平安」を頂くには、どうしたら良いでしょうか。

本日は、イエス様の平安を頂く方法について、まとめたいと思います。

イエス様は目には見えませんが、私たちが出会うと、人生が変わります。

失望の中にいても、暗い闇の中にいても、関係ありません。

イエス様の力は、闇の力以上なので、難しい状況でも問題はないのです。

(むしろ簡単より、難しい方が、必死になるので、出会いやすいのです)

 

イースターをご存知のでしょうか

2022年は、4月17日がイースターでした。

イースターとは、イエス様のよみがえり(復活)をお祝いするお祭です。

イエス・キリストは、十字架の三日後に復活された、というのが聖書の主張です。

 

弟子たちは皆、イエス様の十字架で失望と悲しみの中にいました。

信頼していた先生が亡くなられたのですから、当然ではあります。

そして自分たちも逮捕されて、殺されるのではないかと、恐怖に怯えて集まっていました。

 

マグダラのマリヤという、女性がいました。

彼女は、イエス様から人生を変えて頂き、その感謝によって、心よりイエス様を慕っていました。

(師弟愛です)

 

①イエス様を愛している、または心から会いたいと思う人が、イエス様に出会って平安を受ける。

マグダラのマリヤは、イエス様を心から愛していました。

だから十字架の近くにもいましたし、お墓にも香料を塗ろうとやってきました。

 

イエス様を愛している人は「行動」します。

現在の私たちで言えば、どうなるでしょうか。

きっと、聖書を読む、キリスト教関係の文章を読む、クリスチャンに会う、教会に行って見る、、、

とにかく「求めて、行動すること」が、重要です。

 

使徒17:27 「これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。」

 

②そういう人に、イエス様は近づいてくださる。

マグダラのマリヤは、お墓でイエス様に出会いました。

しかし彼女は、その方がイエス様とは、気がつかなかったのです。

 

ここで重要なことは、「イエス様の方から」近づいてくださったという点です。

求める人には、神様が近づいてくだいます。

(神様が近づいてくださらなければ、私たちは、出会えないのです)

 

ヤコブ4:8 「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心ある人たち。心を清くしなさい。」

 

しかし私たちの目が鈍いので、最初は神様に気がつきません。

 

③イエス様は、語りかけてくださり、私たちは、目が開かれて気がつく。

マリヤは、イエス様を園の管理人と思って話しかけます。

「あの方の身体をどこに置いたのか教えてください。そうすれば、引き取ります」

するとイエス様が、「マリヤ」と、いつものあの懐かしい声で語りかけてくださったのです。

彼女は、目が開かれました。

そして「ラボニ(先生)」と呼びかけたのです。

 

今年のイースター礼拝会で、私たちの教会のある女性が、

集会中、急に右肩を叩かれたそうです。

彼女は「そこに誰かがいる」と思ったそうです。

その時「大丈夫だから」と声が聞こえました。イエス様だと思いました。

その瞬間、涙が止まらなくなりました。

そして急に心が軽くなりました。

彼女は長い間「イエス様が身近におられることを教えてください」と祈っていました。

それ以降、イエス様が益々身近になったそうです。

 

イエス様の平安が欲しい、本気で体験したい、と願うならば、

①求めることです。

すると②イエス様が近づいてくださいます。

そして③ある瞬間に語りかけてくださります。

そうすると、目が開かれるのです。

 

このパターンは、ルカ24章のエマオの途上の弟子たち、にも共通するパターンです。

(この時は、イエス様がパンを割かれたことがきっかけで、目が開かれました)

 

この世界を造られた創造主を信じるあなたは、求めさえすれば、出会うことができます。

それが聖書の主張であり、信じるクリスチャンの体験なのです。

 

あなたも、イエス様に出会って「深い平安」を頂けますように。

祝福をお祈りしています。

 

にほんブログ村 その他生活ブログへ

にほんブログ村

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

もし気に入って頂けたら、たくさんの方に読んで頂くために、クリックの御協力をして頂けると幸いです。(一日一回カウントされます)

人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から - にほんブログ村

読者登録をして下されば、新しい記事を自動的に知らせてもらえます。(無料ですが、はてなブログの登録が必要です。)

 

もう一つ別のブログランキングです。(こちらもクリックして頂くと助かります。一日一回カウントされます)

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓


人間関係ランキング
人気ブログランキング

 

 

PVアクセスランキング にほんブログ村

↑↑↑↑↑↑

こちらをクリックすると記事一覧を見られます。

その8まとめ 「自分だけが正しい」という考えを乗り越えるには。

今回で、一旦まとめたいと思います。

(神様から離れてしまった、人間は、すなわちアダムとイブの子孫は、)

誰もが、自衛本能を持っています。自分を守ろうとします。

ですから、根本的に「自分は正しい」と思っています。

そうすると自然に、「人は間違っている」という結論になるのです。

 

普通、人はバランスを取ろうと思います。

またプライドや恥ずかしいという思いがあるので、自己中心の言動は控えます。

しかし、根本のところでは、「自分は正しい」と思っているのです。

 

心をえぐるような聖書箇所ですが、敢えてもう一度掲載します。

 

エレミヤ17:9-10

「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。

わたし、主が心を探り、思いを調べ、それぞれ生き方により、行いの結ぶ実によって報いる。」

 

人間は、残念ながら、心の奥深くまで「自己中心」なのです。

では、どうしたら、「自己中心の壁」を乗り越えることができるのでしょうか。

私がずっと主張していることは、創造主の存在を知って、信じることです。

 

私は、学生時代に剣道をしていました。

剣道では、審判は絶対です。(他の競技、特に武道では同じ感覚だと思います)

審判が、一本と言えば「一本」なのです。

(そのため審判には、高い判断力が要求されます)

私の判断でも、敵の判断でもないのです。

「審判の判断」で、すべてのことが進みます。

審判者がいるので、精一杯のことをして、全力で相手に戦い挑むのです。

 

人生にも、実は審判者がいます。

ヘブル9:27-28

「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、

キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、、、」

 

結局のところ、「自己中心の壁」を乗り越えるには、

自分を越えた審判者を知り、受け入れるしかないのです。

 

私は、死後に天国と地獄があることを信じています。

だから、そのジャッチをする権限を持つ「創造主」を信じて、罪の赦しを求めます。

 

そうすると、「自分だけが正しい」という考えを持つことはできません。

創造主が存在する以上、私は創造主のルールで判断され、正しく裁かれるのです。

 

そして私は、罪(神様から離れて、自己中心に生きてしまう性「さが」)を、

赦して頂くという恵みを、

イエス様の十字架を信じることによって受けているのです。

(この「赦し」の安らぎは、言葉にできないほどの「喜び」を伴います)

 

「自己中心の壁」を越える方法は、創造主を信じる以外にはない、と私は考ています。

それが聖書の主張であり、罪の赦しを受けるためには、この道しかないと、

私は結論づけています。

 

ローマ6:23 罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

 

今まで、8回に渡って、「自分を正しいと思いたい人」「自分を良い人だと思いたい人」

の特徴と、課題について書いてきました。

これを読まれた方が、私と同じように「罪からの解放」という平安を頂き、

罪(自己中心)から自由になって、喜びと愛の人生を歩めますように。

 

祝福をお祈りしています。

 

にほんブログ村 その他生活ブログへ

にほんブログ村

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

もし気に入って頂けたら、たくさんの方に読んで頂くために、クリックの御協力をして頂けると幸いです。(一日一回カウントされます)

人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から - にほんブログ村

読者登録をして下されば、新しい記事を自動的に知らせてもらえます。(無料ですが、はてなブログの登録が必要です。)

 

もう一つ別のブログランキングです。(こちらもクリックして頂くと助かります。一日一回カウントされます)

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓


人間関係ランキング
人気ブログランキング

 

 

PVアクセスランキング にほんブログ村

↑↑↑↑↑↑

こちらをクリックすると記事一覧を見られます。

その7 プライドが邪魔をして助けを求められない「自分が正しいと考える人」

「自分が正しいと考えたい人」は、色々なところで損をしています。

まず、できていないことを、できているかのように振舞うので、とても疲れます。(演技は長続きしません)

「人が適当にやっている姿」を見ると、異常に腹が立ちます。(当人の強迫観念やコンプレックスが刺激されるのです)

「頑張り過ぎる」と、人から煙たがられます。

努力が、報われないのです。

 

今回取り上げたいのは、「不健全なプライド」です。

普通、健全なプライドを持つ人は、安定しているので、柔軟性があります。

原則は持ちつつも、臨機応変の対応ができるのです。

 

しかし「正しさを求める」不健全なプライドを持つ人は、

「正しいこと(正しさを求めること)」を支えとして執着しているので、

「正しさから離れられない」のです。

(分かりますでしょうか?)

 

人に頭を下げることや、謝ることが、苦手です。

教えを請うことや、助けを求めることも、苦手です。

「不健全なプライド」が邪魔をして、素直になれないのです。

謙虚になれません。

 

だから、損をします。

そして、どうしてもお願いしないといけない時には、異常なストレスを味わうのです。

精神的にも、大きな損失です。

 

では、どうしたら良いのでしょうか。

それは、より大きな視点で、物事を見ることです。

 

会社であなたがある部署で、ある企画を出したとします。

優れた企画でしたが、

しかし会社全体で考えると、ボツになりました。

その時、あなたがどう考えるかです。

「自分の視点だけ」で考えるなら、反発しても、

「より全体の視点」で考えるならば、納得するしかありません。

 

自分の執着心を越えて考えるためには、神様の視点で考えるのです。

聖書の御言葉を意識して、結論を出すのです。

 

マタイの福音書7:1〜2

「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです」

 

自分の視点では、裁くことは当然でも、

より高い視点から見ると、裁くことは、損失につながるのです。

私たちも、他人が人を裁いてドロ沼に入っていくのを見て「良くない」と思うのですが、

自分のこととなると「見えなくなる」のです。

 

高い視点で見るためには、人生のどこかで、

「自分の正しさでは無理」とギブアップしなければなりません。

考える軸を、自分自身から、神様に移行するためです。

 

ギブアップには、2つの可能性があると思います。

①死を意識するような苦しみを経験すること。

②圧倒的な助けを体験すること。

 

①死を意識するような苦しみを経験すること。

「大成する人は、闘病生活か、監獄生活、大きな挫折、又は身近な人の死を経験する」と言われます。

「死を意識した限界」を通過する時に、人は「自分の殼を越えます」

自分の殼を越えないと、生きる意味を見出せないからです。

 

「小さなプライド」を捨てないと助けられない、という限界を通過して、

「自分のプライド」を捨てて、飛び込むのです。

これを通過した人は、「中途半端なプライド」に執着しなくなります。

 

②圧倒的な助けを体験すること。

辛いだけでは、人は変わりません。

やはり助けられたという、体験が必要です。

自我を捨てて、飛び込んだなら「助けられた」という成功体験が必要です。

 

旧約聖書にヒゼキヤという王様がいました。

強国アッシリヤからの脅迫を受けた時、彼は神殿に行って「創造主に祈り」を捧げました。

死に物狂いの祈りをしました。

その後、不思議な助けを体験し、国は守られたのです。

 

私の友人の宣教師は、数年前に奥さんが肺癌にかかりました。

友人は、こう祈ったそうです。

「全能者の神様。あなたにとって、風邪を治すのも肺癌を治すのも同じです。ですから、癒されることを感謝します」

しばらくすると、主治医から「癌が消えている」と言われたそうです。

先日もその奥さんにお会いしました。

 

圧倒的な助けを体験すると、

同じような苦しみがやってくると、必ず「助けて下さった方」のところに行きます。

「小さなプライド」簡単に捨てられるのです。

 

「不健全なプライド」に執着するよりも、「確実に助けてくださる存在」に、

「素直に助けを求める」方が、何倍も得策です。

 

あなたの苦しみの時に、「助けを経験」できますように。

祝福をお祈りしています。

 

「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」       

(マタイによる福音書7章7節)

 

にほんブログ村 その他生活ブログへ

にほんブログ村

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

もし気に入って頂けたら、たくさんの方に読んで頂くために、クリックの御協力をして頂けると幸いです。(一日一回カウントされます)

人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から - にほんブログ村

読者登録をして下されば、新しい記事を自動的に知らせてもらえます。(無料ですが、はてなブログの登録が必要です。)

 

もう一つ別のブログランキングです。(こちらもクリックして頂くと助かります。一日一回カウントされます)

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓


人間関係ランキング
人気ブログランキング

 

 

PVアクセスランキング にほんブログ村

↑↑↑↑↑↑

こちらをクリックすると記事一覧を見られます。