人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から

世界のベストセラー聖書の価値観から、生きるを考えます!(モノの見方が変わると、とても楽になります)

【コラム】一時的に負けても、最後に勝てばよい。

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今回は、勝利することについて考えていきたいと思います。

 

冒頭の絵画は、「デラウェア川を渡るワシントン」、1776年12月26日のアメリカ独立戦争の「トレントンの戦い」、アメリカ大陸軍とイギリス軍の戦いの劇的な勝利を題材にした、エマニュエル・ロイツェの絵画です。

それまで、何度も負けていたワシントン率いるアメリカ大陸軍は、この戦いの勝利によって、勢いを盛り返し、後に独立戦争を勝利することができました。

 

ここで事実として見ていかなければならないことは、ワシントンは戦いに何度も負けていたということです。

しかし最後には、アメリカの独立を勝ち取りました。

 

今回も三つのことを考えていきます。

①一度負けても、それで終わりではないと言うこと。

②聖書の言葉を知っている者の強み。

③正義と愛で、変わらずに前進し続けること。

 

①一度負けても、それで終わりではないと言うこと。

最近しみじみ思うことは、上手くいかなくなった時こそ、その「人間性」が明らかになるのだ、ということです。

その人が、「成し遂げたい」という「動機」が、「自己中心的なもの」か、「人から受け入れられるもの」(公けのものなのか)が明らかになります。

 

もし、上手くいかなくて「自暴自棄」になってしまうならば、それを成し遂げる動機は「自己実現の為」即ち「自分のプライド」や「自分の正しさを証明したい気持ち」になっている可能性が高いのです。

人は、認めてもらいたいという「承認欲求」があります。これは人間の自然な欲求です。しかしルールを破っても「自己実現したい」という衝動があるとするならば、その動機は「正義ではありません」。

 

また上手くいかなくなった時に、「簡単にあきらめてしまう」ならば、自分を守りたいという「自己保身の衝動」から、がんばっていたという可能性があります。

自分だけのためならば、簡単にやめることができます。

そしてやめれば、「それ以上傷つかない」かもしれません。

 

しかし本当にそれで良いのでしょうか。

人生には、「あきらめてはいけないこと」があるはずです。

 

あなたが、「心から成し遂げたい」と思っていることがあるならば、

一度や二度失敗したからと言って、「あきらめて」はいけません。

数度、失敗したって良いのです。

局地戦で負けても、最終戦で勝てばよいのです。

柔道でいえば、「一本勝ち」でなくても、「判定」でも、勝てば勝利なのです。

 

②聖書の言葉を知っている者の強み。

「人間の動機」は、意外と汚いものです。

「自分の衝動を達成したい」と思う動機は、聖められていく必要があります。

 

「自分の顔」を見るためには、「鏡」が必要です。

同じように、「自分の心」を知るためには、「自分を照らし出す言葉」が有効です。

 

小説を読んだりドラマを見たりしていて、「自分にもこういうところがある」と思ったことはありませんか。

「本当の自分」に気がつくきっかけになるものは、大切にすべきです。

 

「聖書の言葉」は、鏡として最強です。

あなたの心を映し出してくれます。


Ⅱコリント(新約聖書)

3:18 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。

 

あなたは、「本当の自分」を知りたいですか。

しかし本当の自分を知るためには、その準備として「ダメな自分でも大丈夫」という絶対的な支えが必要です。

そうでなければ、「自分を守るため」に、出てきたものを「否認」してしまいます。

否認すれば、「本当の自分」を知ることはできません。

 

私はこれが、神を信じる重要な意味の一つ、と感じるのです。
Ⅰヨハネの手紙(新約聖書)
3:20 たとい自分の心が責めてもです。なぜなら、神は私たちの心よりも大きく、そして何もかもご存じだからです。

 

たとえ「自分で自分を受けとめられなく」ても、それでも「しっかりと自分を受け止めてくれる存在がいること」を知るだけでも、自分を受け入れる支えとなるのです。

 

ここに書かれている言葉を、「思い巡らして」下さい。そして「あなたの心」で受け止めて下さい。

この小文が、あなたの何かのヒントになれば幸いです。

 

もう一つ、聖書の言葉を信じる重要な意味があります。(たくさんありますが、ここではもう一つだけ書きます)

それは、聖書は「預言の書」でもあり、これからの歴史が書かれているのです。

聖書を知り、今後の歴史がどのように進むかを知っていると、未来を受けとめる「覚悟」ができます。

現実を受けとめる「強さ」が得られるのです。

「何度失敗」しても、最終的には「このようになる」ということを信じることで、「あきらめない力」が与えられるのです。

 

聖書の中には「終わりの時代」のことが書かれています。

そこにはあまり明るいことは書かれていません。

「終わりの時代」には、多くの混乱と争いが起きるようです。


マタイによる福音書(新約聖書)(イエス様の言葉です)
24:6 また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。
24:7 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。
24:8 しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。
24:9 そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。
24:10 また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。
24:11 また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。
24:12 不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。
24:13 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。
24:14 この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。

 

これからの時代、今よりも「もっと暗い時代」がやってくるようです。

しかし希望を失っていけないのです。

聖書には、「これらの苦しみの後のこと」が書かれています。

(今回はその説明は割愛します)

その希望を知っている者は、目の前の苦しみに負けないのです。

 

「苦しみや困難は当たり前」です。

ですからその上で「希望を持って戦う覚悟」が必要です。

 

その「覚悟」を持った者が「正義と愛を明らかに」できるのです。

それは同時に「悪を明らか」にすることでもあります。

 

「終わりの時代」は、「正義と悪」との戦いの時代です。

そのため、「正義の側」に立つのか、「悪の側」に立つのかが明らかになります。

(あいまいが、段々と許されなくなります)

 

③正義と愛で、変わらずに前進し続けること。

これからの時代、悪がはびこり、信じられないことが起こります。(残念ながらそのような現実が、今すでに多く起きています)

ですから、「正義」と「悪」を見分けなければなりません。

 

そのためには、「見分ける基準」が必要です。

それを持っていないと、「悪」に「取り込まれ」「巻き込まれ」てしまいます。

 

ぜひ、「正義」と「悪」とを見分ける「ものさし(基準)」を学んでください。

これからの時代を生きる上での、必要な知恵となるはずです。

 

その「ものさし」は、「人だけでなく」「自分自身」も照らします。

ですから、そのことに「耐えられる」メンタリティを身につけて下さい。

 

人類は、歴史の最初から「悪からの攻撃」を受けてきました。

しかしキリストが悪に打ち勝ったことにより、

「悪の終わりは滅び」であることが明らかになりました。

(黙示録にそのことが書かれています)

ですから「悪がはびこって」も大丈夫です。それは「一時的」なのです。

 

それゆえ、一次的に負けたとしても、最後には勝つために、私たちはあきらめず、戦い続ける必要があります。

局地戦で負けても、最終戦で勝てば良いのです。

 

今回のコラムのまとめです。

①一時的に負けても、それで終わりではありません。

一時的に悪がはびこっても、失望しないようにしましょう。

同じ志を持つ仲間と互いに励まし合いましょう。

 

 

②聖書の言葉を知っていると励まされます。
Ⅱコリント(新約聖書)

12:10 ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。

 

私たちは弱い時があります。しかしそれで終わりではありません。

実は「弱い時」こそ励まされて、さらに「大きなことをする力」が与えられるのです。

 

③「正義と愛」で、あきらめることなく、前進し続けましょう。

一度や二度の失敗で、めげてはいけません。

私たちが見ている世界の「偉大なリーダー」たちは、今も「正義と愛」で戦っているのです。

ですから、その模範に見習って、私たちも前進続けるのです。

 

Ⅰテサロニケ(新約聖書)

5:11 ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。

 

すべての「正義と愛」を大切にする人々に、

素晴らしい、主の助けと励ましがありますように、

祝福をお祈りしています。

 

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【コラム】「知っていること」と「自分のものにしていること」の違い

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いつもブログを読んで下さりありがとうございます。

今回のブログは、「人の知識」と「心(感情)」について考えていきます。

しばらくお付き合い下さい。

 

最近しみじみ思うことは、「知っている信仰(知識)」と「自分のものにしていること(感情)」は違うと言うことです。

いくら熱心な人だとしても、「本音」つまり「自分のものにしている感情」は、意外に「気がつき難い」のです。

「知性化」と言って、「知っていること」で「分かった気持ち」になってしまうと、それ以上進まなくなります。

そして時々、「自分のできていないところ」に、気がついても、「見ないようにする(否認)」が起きるのです。

これは、無意識で起こります。ですから指摘されると「そんなことはない」と言われるのです。

 

知識で、「知っている」と、「人に教えること」ができます。

そして、「役割として」振る舞うことができます。

(ここが落とし穴です)

振る舞えると、「自分ができている気持ち」になってしまうのです。

援助者が、クライエント(相談者)に依存してしまう心理が、ここにあります。

また舞台俳優が、「役に依存してしまう」心理も、ここにあるのです。

プライベートではできなくても、仕事で「役割としてはできる」ことも、同じ心理です。

 

本当は「できていない(本音)」のに、与えられた立場の中で「振る舞うこと」により、安心しようとします。

しかし、必ずどこかで、限界が来ます。演技ができず、ボロが出る時がやってきます。

その時が、「本当の自分」に気がつくタイミングなのです。

 

今回も、3つのポイントで考えます。

①形(知識や型)から入ることも、有益であること。

②人間は、努力すると高慢になり、それを「はっきりと指摘され」て、初めて気がつくこと。

③方向転換は、「いつでもできる」こと。

 

①形(知識や型)から入ることも、有益であること。

私は、小学生の頃に剣道を習っていました。

最初のうちは、素振りや足さばきの基本ばかりを練習させられました。

「習うより慣れろ」で、基礎を徹底的に身体で覚えさせられたのです。

 

聖書の「父なる神様」も、旧約聖書では、たくさんの命令をしています。

「豚を食べてはいけない’(レビ記)」という命令もその一つです。

しかし、当時の衛生状態を考えると、理にかなっているのです。

ご存知の方も多いと思いますが、豚肉にはサルモネラ属菌や寄生虫等が繁殖しやすく、生で食べると食中毒になることがあります。

当時の人々には、「菌が繁殖するから、よく中まで火を通すように」と言っても、理解できなかったでしょう。そこで「食べるな」となったのです。

イエス様は、後に「すべての食物は食べても良い」と禁止を解除されました。ですからキリスト教では、豚も食べることができます。(ほっ)

 

ですから、初心者で良く分からない時には、すべて理解できなくても、

「基本は受け入れる」という態度と応答は大切です。

その応答で、失敗が減り、自分を守ることになるのです。

(初心者を卒業したら、次のステップに入ることになります)

 

②人間は、努力すると高慢になり、それを「はっきりと指摘され」て、初めて気がつくこと。

「型」から入った場合、最初は「理屈抜き」で受け取ります。

しかし次のステップは、「精神性」を学ぶことです。

「型」は学んでも、そこには精神性が加わって、初めて型が「生きる」(活用できる)のです。

 

武道は、「型」を大事にしますが、同時にとても「精神性」を大切にします。

「礼にに始まり礼に終わる」

「己れに克つ」

 毎回「型」を反復しつつ、絶えず「精神性」を高めていくのです。

知っていても、一生修行(学び続ける)のです。

 

明治のクリスチャン内村艦三が、「キリスト教信仰」を「武士道」で説明したことも頷けます。ちなみに私の周りの特に男性のクリスチャンの中に「剣道経験者」が多いのは、不思議です。

 

本題に戻ります。

イエス様が地上で活躍された時代、「パリサイ人」という人たちがいました。

彼らは律法を厳格に学び、行いを重視していました。

その結果どうなったかというと、「自分ができていない律法」の基準で、できていない人を裁くようになったのです。

彼らは、律法を知っていました。そして(恐ろしいことに)自分たちは「できているつもり」になって、人を平気で見下し、差別したのです。

 

イエス様は、「偽善なるパリサイ人、律法学者」と何度も彼らを批判叱責しています。

どうしてこんな激しい言葉を使うのかと思うほどです。

しかしその中の、心ある人たちは、後にイエス様の弟子となっていきました。

 

「自分の中の高慢」は、指摘されないと気がつかないのです。

努力して極めようとすると、「自分のしたこと」を基準に考えるようになります。

そして「自分の基準」で、この人は上、この人は下と考えるのです。

そして「ここまで」は「しないといけない」と押し付けてしまうのです。

 

本来それは、「恵みによってできたこと」 です。

健康、学べた環境、それができた能力、神様の助け等々、それらの条件があって初めてできたことです。

しかし、自分の努力だけを注目し、「自分の誇り」にするのです。

これは、正確な見方ではありません。自分の努力だけに「偏って」います。

すなわち「高慢」です。

 

「神様を一番上」にしていません。「自分が一番上」に来ています。

しかし「自分では、当たり前」と思っているため、人から「それは高慢ですよね」と言ってもらわないと気がつかないのです。

 

 

ダビデの詩篇です。

『神よ。私を探り、私の心を知ってください。
私を調べ、私の思い煩いを知ってください。
私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、
私をとこしえの道に導いてください。』
詩篇139:23~24

 

高慢は、「指摘される」と気がつき易いのです。

そして、それによって「心が癒され」、「愛が流れる」ようになるのです。

 

③方向転換は、「いつでもできる」こと。

 では、いつ方向転換をするのでしょうか。

人をつくり変えるのは、「神様の力」によってです。

そしてつくり変えられる時、何かの兆しがあります。

(神様が働かれる兆しです)

それを受けとめるか、無視するかで、「変えられる」か「変わらない」かが決まるのです。

 

伝道者の書3章(旧約聖書)

天が下のすべて事には季節があり、すべてのわざには時がある。
生まるるに時があり、死ぬるに時があり、
植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
殺すに時があり、いやすに時があり、
こわすに時があり、建てるに時があり、
泣くに時があり、笑うに時があり、
悲しむに時があり、踊るに時があり、
石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、
抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
捜すに時があり、失うに時があり、
保つに時があり、捨てるに時があり、
裂くに時があり、縫うに時があり、
黙るに時があり、語るに時があり、
愛するに時があり、憎むに時があり、
戦うに時があり、和らぐに時がある。
働く者はその労することにより、なんの益を得るか。
わたしは神が人の子らに与えて、ほねおらせられる仕事を見た。神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを始めから終わりまで見きわめることはできない。

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聖書の中に出てくる、信仰の父「アブラハム」は、75歳で神様の仕事を始めました。

「神様からの大きなチャレンジ」に応答したのです。

 

その結果、様々な困難は通りましたが、彼はつくり変えられ、素晴らしい働きをする人物となったのです。

 

今の時代は、本当に激動の時代です。

今これを書いている2021年1月18日現在、世界では今まで聞いたことが無いことが起きようとしています。

 

「天の父なる神様」は、国や組織、個人の考えや欲望を越えて、圧倒的な力で君臨されているお方です。

私たちが、知性ではなく、「本音」でこのお方を見上げ、交わっていくならば、

この激動の世界において、「使命を果たす人」となるのです。

 

その人は、作り変えられた人です。

正義を愛し、悪を憎み、心から人々の幸せを願う「愛の人」です。

「建前」で美しい言葉を吐き、陰で汚いことをする人ではなく、

迫害の中でも、愛と忍耐を持って、善を行い続ける「勇者」なのです。

 

そんな「勇者」の一員に、あなたも招かれているかもしれません。

アンテナを張りましょう。

今の時代を見つめましょう。

あなたが。もし招かれているならば、不思議な導きによって、

真理と善を知り、「何かの働き」をするようになっていくでしょうから。

 

ここまで読んで下さり、ありがとうございました。

きっと選ばれてるだろう「あなたの上」に

豊かな祝福がありますように、

 

お祈りをしています。

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【コラム】混乱の世の中を生きていくために。

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新型コロナの影響で、再び非常事態宣言がいくつかの都府県で発令されました。

医療崩壊が叫ばれる中、政府は十分な対応ができずにいます。

政府は、コロナを第2類から第5類への変更を検討しているようですが、様々な事情もあり、実現へとは至っていません。

コロナは、「正しく恐れ、対処すること」が大切です。

マスコミを単純に批判したくはないですが、視聴率を意識した報道が度々見られます。(批判だけの意見、増えている部分だけを放送する等々)

今は、「大手マスコミだから信頼できるという」時代ではないようです。

先日も近所の年配の方が、「テレビを見ていると気持ちが暗くなる」と言っていました。

大手マスコミ情報を一方的に受け取るのではなく、自分から情報を集取し、比較しながら、自分の頭で、健全な情報を得ていく必要があります。

インターネットをその気になって検索すれば、政府の公式サイトや専門家の記事やYouTube等での情報が、簡単に手に入ります。

判断は、「情報がすべて」です。それも、噂や伝聞ではなく「一次情報の収集」が重要です。

世界情勢の情報を見ても、大手マスコミの情報は悲しいほどの偏りがあることに気がつきます。

今回は、「混乱の世の中」であっても「前向きに生きる」ために、四つのことを考えていきます。

しばらくご一緒にお付き合い下さい。

 

①「健全な情報」を収集し、間違った情報(デマや情報操作)を見分けること。

②「人としての常識」を見失わないこと。

③「現実を受け入れる強さ」を持つこと。

④「励まし合う仲間」を持つこと。

 

①「健全な情報(価値観)」を収集し、間違った情報(デマや情報操作)を見分けること。

判断は、情報がすべてです。

正しい情報を得れば、正しい判断ができる可能性が高くなります。

その情報は、先ほども書いたように「一次情報」を集めることが大切です。

一次情報とは、最初の発信者の情報です。研究者、当事者、直接見た人等が当たります。

二次情報、三次情報になると、それを聞いた(知った人)の伝聞情報ですから、悪気はなくても、デマである可能性が高くなるのです。

 

②「人としての常識」を見失わないこと。

健全な情報の中で、人としての「健全な価値観」を持つための情報は、特に大切です。

 

過激な思想を持つ人々は、すべての伝統を破壊して、新しい価値観を作るべきだと考えています。

新しい世界建設のためには、「暴力も嘘も」正当化されるという極端な思想です。

その人たちは、「とても美しい言葉」を使うことが多いのです。

「平等な世界を作るために、現体制を破壊して、新世界を作ろう」と、人々に勧めるのです。

しかし考えてみて下さい。新しい体制もしばらくすれば、古い体制になります。

所詮、不完全な人間のすること、どこかで「ズルさ、や嘘」が混ざるはずです。

(私は、綺麗事だけを言う人を信用しません。人間はもっとドロドロしているからです)

 

私は、歴史を通じて残っている普遍的価値観を大切にしています。

私が一番大切にしている考え方は、旧約聖書にある「モーセの十戒」(出エジプト記、旧約聖書)です。

特に後半の人間関係の部分は、いつの時代にも変わらない「真理」だと信じています。

 

第五戒 両親を敬うこと。(これ人間関係の土台、幸せ(祝福)の入り口)

第六戒 人を殺してはいけない。

第七戒 姦淫(性的な不品行)はいけない。

第八戒 盗んではいけない。

第九戒 偽証をしては(嘘をついては)いけない。

第十戒 他人の財産を羨んで(権利がないのに)奪って(貪って)はならない。

 

これらは、人として生きる上で、普遍的な価値観「ものさし」だと思います。

いくら「きれいな言葉」でも、行き着く先が「ものさしの反するもの」であるならば、注意する(警戒する)必要があるのです。

 

ですから、「親子を分断する」ような考え方は、おかしいと考えるべきです。

暴動で、「人の財産を奪うこと」は犯罪です。

「嘘」をついて、権力を奪い取ることも犯罪です。

殺人も姦淫も盗みも、どんな理由をつけても、正当化はできません。

 

歴史と伝統を疎かにすることは、先人の知恵を無視することです。

自分は、彼らよりも優れているという「高慢」につながる危険な考えなのです。

(これらの罪を犯したならば、「刈り取り」があることを肝に銘じるべきです)

「人としての常識」を守るべきなのです。

 

③現実を受け入れる強さを持つこと。

デマを信じる心理は、自分の願う通りの情報を信じたいという人間心理からきています。

 

人間は、無意識に「自分の考え」を証明したいと願っています。

そのため、人は「デマに飛びつく」ことがあるのです。

ですから、「一次情報」、「正確な情報」が大切です。

そしてもっと大切なのは、「その現実」を「受け止める強さ」を持つことです。

 

自分の意に反する結果でも、「客観的情報」があるならば、誠実に受け取るのです。

「ごまかし」の誘惑を避けましょう。

その誘惑に乗ると後が、大変です。

すぐに方向転換した方が、ダメージが少ないのです。

一次的に保留(先送り)にすることは、知恵ですが、リスクを無視して「逃げ切ろう」とすることは、危険な考えです。

 

しかし希望通りでない時に、私たちは「失望」します。

「失望しない考え方」を持つことが必要です。

 

現状や環境を達観できる「知恵の言葉」が必要です。

また歴史から学ぶことも大切です。

私は、「聖書の言葉」から、「知恵」を頂いています。


箴言(旧約聖書、ソロモンの言葉)
3:5 心を尽くして【主】に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。
3:6 あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
3:7 自分を知恵のある者と思うな。【主】を恐れて、悪から離れよ。

 

これを読まれているあなたは、失望しそうな時に、支えになる言葉を持っておられるでしょうか。

現実は、思い通りにいくことは少ないものです。

しかしそれでも私たちは、生きていかねばなりません。

 

ですから、苦しみの時、失望の時に「乗り越える」ための「力になる言葉」を、いくつか持つことをお勧めします。

 

私たちは失望の中でも、

できるだけ正しい判断をして、今よりもさらに素晴らしい現実を期待しつつ、進まなければならないのです。

あきらめてはいけないのです。あきらめたならば、すべてがとまってしまいます。

そしてそのことは「悪の思うつぼ」なのです。

 

良い考え方(思想・哲学)を持つことは大切です。それによって「良い悪い」が判断できます。

しかし人間はそれだけでは支えられないのです。

 

 ④励まし合う仲間を持つこと。

先ほどから何度も書いているように、

残念ながら、現実の世の中は、いつも正しいことだけがある訳ではありません。

闇の勢力があり、むしろ不信や不幸があふれているのです。

ですから、悪い情報を集めれば集めるほど、気持ちが暗くなります。

 

しかし、私たちは前に向かって進まなければなりません。(その気持ちがわかなければ、落ちてしまいます)

そして、もしあなたに「励まし合う仲間」がいたならば、苦しみの中でも乗り越えていく力が与えられるのです。


Ⅰテサロニケ(新約聖書)
5:11 ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。

 

これは使徒パウロの言葉です。彼の実感だったと思います。

今の時代、苦しみと混乱の中では、

やはり同じ価値観を共有している者同士が、励まし合うことは大変力になると思います。

 

いつも正確な情報を収集しましょう。

人として大切なことを、見失わないようにしましょう。

辛くても、現実を受け入れましょう。

そして、励まし合いながら、希望に向かって一歩ずつ進みましょう。

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「苦しみ」の中で、「希望」を握って、「精一杯」歩んでいる「すべての方々」に、

神様の素晴らしい助けと導きがありますように、

祝福をお祈りしています。 

 

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いつも喜ぶことは、本当にできるのですか?

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聖書に「いつも喜んでいなさい。」とありますが、苦しい時に喜ぶことは難しいのではないでしょうか。喜べない時に喜ぶのは、偽善のように思えるのですが…。

 

 

ご質問をありがとうございます。

誠実なご意見だと思います。

喜べない時に、「喜ぶように」と勧めるのは、正直な心を「偽らなければならない」ように感じることは、当然な気持ちだと思います。

 

「いつも喜んで生きること」は、確かに素晴らしい生き方ですが、それが「演技」であるならば、とても虚しいことです。ある人はそれを見てガッカリするでしょう。

「本当に喜んで生きる」ために、二つのポイントを考えていきたいと思います。

しばらくご一緒にお付き合い下さい。

 

今回は、以下の二点です。

①「喜ぶ」から「笑うことができる」のか、「笑う」から「喜べる」のかを考える。

②「良い言葉」を「心に植えること」の力。

 

①「喜ぶ」から「笑うことができる」のか、「笑う」から「喜べる」のか。

以前ブログで書いた、先輩のお話です。

その方が老人ホームでお話をする時、いつも最初に皆で声を合わせて「ワッハッハ」と笑わせるそうです。

「さあ、みんなでワッハッハと笑いましょう。笑うと身体から良い物質が出て、健康になります。免疫力がアップして、風邪をひいてもすぐ治ります。免疫力アップはコロナ対策にもなります……」

そう言って、半ば無理矢理に「ワッハッハ」と笑わせるそうです。

すると渋い顔をしていたおじいちゃんおばあちゃんも、穏やかな顔になり、話をよく聞いてくれるようになるそうです。

 

私もこの話を思い出す時、人がいない場所で(変な人だと思われないように)、小さな声で「笑ってみる」ことがあります。

確かに、心がスッキリして、気分が変わります。

(一度、試しにやってみて下さい)

 

行動療法という治療法があります。

心と身体は影響しているので、行動を変えると、気持ちにも影響があるのです。

 

榎本恵牧師の ブログの中に、こんな話がありました。

ある先輩が、会社の研修で「お客様に笑顔を向けることは大切です」と話した時、

一人の女性社員が手を挙げ、

語気強く「作り笑いは、かえって失礼なのではないでしょうか」と言ったそうです。

会場は凍りつきました。

するとその先輩は、穏やかに、

「いつも笑顔でいると、心もついてくるものですよ。一度やってみてください」

と優しく答えたそうです。

 

実際、そんなものだと思います。

これも、試してみる価値はあると思うのです。

 

「喜ぶ」から「笑うことができる」のか、「笑う」から「喜べる」のかを考えてきましたが、

人は、「形から入って」も、「心に影響」を与えることができるものです。

 

もう少し深めていきます。

しかしながら、質問者さんが言われるように、

もし「形だけ」で、「ずっと」心が伴っていなければ、

「喜び、感謝」(の演技をし続けること)は、虚しいことです。

 

私は、「人の心」は、イソップ寓話の「北風と太陽」のようなものだと思っています。

北風で寒い時には、マントを離さなくても、太陽が出て暑くなると、自然とマントを脱ぐようになるのです。

つまり、強引でも「笑ったり、笑顔になること」によって、「心の周りの空気」を一瞬でも、温めることができたならば、

そのことによって、こわばった緊張が緩み「心自体」も穏やかになるのです。

 

最後に、最も大切なポイントをお語りします。

 

②「良い言葉」を「心に植えること」の力。

言葉には、力があります。(言霊と言われるほどです)

 

こんな話を聞いたことがあります。

小さな女の子が、「カタツムリ」を手に乗せて遊んでいたそうです。

するとその近くに、殻がない「よく似た生き物」がいました。(ナメクジです)

女の子は大声で、「お家がないカタツムリだ!」と言って、手に乗せて遊び始めました。

 

それを見ていたお母さんが、ナメクジを見つけるなり、

「きゃー、ナメクジ」と言って、手からナメクジを払い落としたのです。

女の子はそれ以降、ナメクジを見ると「きゃーナメクジ」と言って逃げるようになったのです。

 

これは、どういうことでしょうか。

どうして、こういうことが起きたのでしょうか。

 

お母さんの「恐怖心」が「きゃーナメクジ」という言葉によって、

女の子の心に移ってしまったのです。

 

別の話をします。(逆の話です)

お母さんが、「きれいな花ね」と言って、感動して、その花を女の子に渡します。

するとその女の子は「きれいな花ね」と言って、その感動を受け取るのです。

 

言葉には、力があります。

(心を開いている時に)

「ある言葉」が語られることを通じて、「ある感情や価値観(心の動かし方)」が、

ビデオや写真のように、別の人の心に「コピー」されるのです。

 

ですから、(いつも信じ、心を開いている)、「小さい時の体験」は強烈です。

柔らかな心に、たくさんの「言葉」によって「様々な価値観」が、移されていくのです。

 

「いつも喜んでいなさい」

これは、「言葉」です。

もし、この「良い言葉」を通じて、その「価値観」が、

あなたの「心の真ん中」に「移される」ならば、

あなたは「喜ぶことができる人」に変えられるのです。

 

とても単純なことです。

心の真ん中に「喜びなさい」という言葉を「収める」だけです。

すると「その価値観」を通じて、すべてを見ることができるようになるのです。

 

それが「感謝のメガネ」という考え方です。

「不満のメガネ」を脱ぎ捨てて、「感謝のメガネ」で見るようにすると、

いつも「感謝」で考えるようになるのです。

 

では、喜べない時に、どの様にしたら良いのでしょうか。

その答えは、「喜べない」時にこそ、「喜びなさいという言葉」を心に植えることが重要です。

 

私がクリスチャンになった20代に、こんなことがありました。

当時、中学の教員をしながら、小学校免許を通信教育で取ろうとしていました。

仕事をしながら、レポートを書き、定期的にスクールングを受けました。

一日、2、3時間の睡眠時間が続いた頃、心も身体もボロボロで、体力の限界を越えていました。

そんな時、あるキリスト教の集会に参加したのです。

それは、「感謝する」と「人生が変わる」という、マーリンキャロザース師(実はとても有名な方)のお話でした。

たくさんの絶望的な環境の人々が、「感謝する」というその単純な選択によって、

「不思議な奇跡」を体験したというお話でした。

私は、そのお話を聞きながら考えました。

「こんな限界にきている、自分の今を『感謝』できたら、『いつでも感謝できる』のではないだろうか」

そして、心の中で神様に「今の状況を感謝します」と何度も繰り返し祈ったのです。

その後、なんだか心の中が軽くなったのを感じました。

(私の心が「感謝のメガネ」に変わった瞬間でした)

 

次の日です。

職場で、上司から、「あれ、どうしたの今日は気分が良いみたいだね」と言われたのです。

よく話を聞いてみると、昨日まで死んだような暗い顔をしていたとのことでした。

(死んだような顔って、どんな顔なんだ、と心の中で突っ込んでしまいましたが)

確かに、前の夜、睡眠時間が短い割にぐっすり眠れましたし、

頭もスッキリとしていて、心の中から力が湧き上がるような気分でした。

 

どん底で「感謝する」と、こんなに気分が違うんだ、と驚いた体験でした。

聖書の言葉です。

1テサロニケ(新約聖書)

5:16いつも喜んでいなさい。17絶えず祈りなさい。18すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・ イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。

 

クリスチャンは、この言葉を「神様からの言葉」として、「どんな時」も自分の心に受け止めようとしています。

素直に「その言葉」を受け止め、その背後の「価値観」を心に収め続けるです。

 

「感謝のメガネ」で生きるには、「信じる心」と「受けとめる(収める)努力」が必要です。

「感謝」を「バカにしていると」その言葉の背後の「素晴らしい力」を受け取れません。

「信じる心」と「受けとめる(収める)力」が必要なのです。

(苦しい時にその決断ができれば、それに相当する効果と恵みがあります)

 

「感謝すること」だけでなく、

良い言葉、すなわち質問者さんが知っておられる金言などを、思い巡らすことも、同じ効果があると思います。

「良い言葉」を信じ、「心に収める」のです。

 

ぜひやってみて下さい。

「良い言葉」をたくさん見つけて下さい。

そして、単純に、黙々と「その言葉の力」を信じて、「心に収めて」みて下さい。

きっと、始めた直後から、あなたの人生が変わっていくと信じます。

 

「感謝すること」のヒントをつかむことができましたか?

祝福をお祈りしています。

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【コラム】悪を悪として認識すること。一年の始めに、心のメンテナンスを。その3

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世界情勢、特にアメリカ情勢が慌ただしくなっています。

混乱があっても最終的には、正義と平和的解決を願いますが、悪に対しては、しっかりとした視点を持たなければならないと思わされます。

 

今回は「悪を悪として認識すること」というテーマで考えていきます。

①悪には「パターン」があるということ。

②「親しい人」や「権威ある力」からの考え(価値観)であっても、悪ならば「悪として認識」しなければならないこと。

③動く時には、TPOがあること。

 

①悪には「パターン」があるということ。

「あの人言うことは綺麗だけれど、腹の中は分からない」

「言っていることは立派だけれど、やっていることは信用ならない」

そういうタイプの人が身近にいると、大変です。

 

「偽金」を見つけるには、「本物のお金」に触れ続けることが大切と言われますが、

「精巧な偽金」を発見するには、「偽金の特徴」をインプットして、識別すると言われています。

善と悪の戦いは、「情報戦」です。

どんなやり方で人を騙そうとするのかの「悪のパターン」を知ることができると、悪を見極め易いのです。

 

a悪は、「一部の情報だけ」を語ります。

悪は、一部だけを切り取って、一方的な情報を流します。そして自分はすべて知っているかのように振る舞います。そして相手を信用させ、自分の価値観を押し付けるのす。

(結果的に、バレなければ嘘を平気でつきます)

 

b悪の価値観は、「憎しみ」であり、「分断」です。

悪の主張を聞くと、最初は、素晴らしく理想的に聞こえます。しかし後に、攻撃的な言動、分断や不信が生まれます。

 

c悪が主権を握ると、「恐怖政治」が始まります。

一旦、悪の支配に入ると、従う者には蜜を、従わない者には徹底的な攻撃が始まります。

「従わない者への攻撃」を見ている者たちは、その恐怖から権威者に従順になります。

そして生き残るために「これでいいのだ」と思うようになるのです。

 

よくドラマで描かれる、ママ友クループの「イジメ」のようなものです。

その輪の中で生き残るために、強い者と一緒に弱者をいじめ、それを正当化するようになります。(刷り込まれていくのです)

 

香港の民主派53人が、アメリカの混乱に乗じ、1月6日に逮捕されました。

香港国家安全維持法(2020年6月成立)に違反し、政権転覆を計画したという容疑です。昨年8月に民主派が行った、予備選の参加(参加だけです)がその理由だとなっていますが、なぜ半年後の今になって大量逮捕を香港警察がしたのか。どう考えても民主派勢力の一掃をねらった、中国共産党政府(CCP)の計画が露骨に見えてきます。

 

ママ友の「イジメ」と同じ構図が、ここにあります。

最初は善人にように振舞っても、一旦、人心を握り実権を持つと、恐怖政治が始まるのです。(香港だけでなく、カンボジアのポルポト政権、北朝鮮もその実例です)

 

②「親しい人」や「権威ある力」からの価値観あっても、悪ならば「悪として認識」しなければならないこと。

 

国際政治学者の藤井厳喜氏が、ジョージ・オーウェル原作の「1984年」を解説しています。(「1984年」はもしイギリスが共産主義国家になったとしたらその行き着く先、というテーマでオーウェルが書いた架空の物語です)

 

その解説で、藤井氏は「二重思考」について説明しています。

「1+1=2」が正解なのに、

尊敬する人が、みんなのためにということで、「1+1=3」と主張し、マスコミも答えは「3」だと宣伝し続けると、

本当の答えは「2」だと知っていながら、

「1+1=3」と考えた方が、みんなが幸せになると刷り込まれて、

いつの間にか、答えの「3」が正解になるというものです。

 

現在の状況を考えると、危機意識を持たされます。

一部(あえて一部と書きます)のマスコミのコロナ報道、中国旅行者やインパウンドの報道、中国の人権迫害の報道、アメリカ報道・・・、大手のマスコミと、専門的に調べ発信している情報では、びっくりするほどの違いがあることを感じるのです。

(もちろん、陰謀論と一般に言われる類の情報には、裏を取る等の細心の注意は必要ですし、他の複数の情報を比較して、本当に正しいものを見極めることは必要です)

 

今の時代は、素晴らしい時代です。世界中の最新情報が、ネットを通じてリアルタイムで伝わる時代です。(それらを集め、できるだけ正確に発信しようとしておられる方々もおられます)しかしそれと明らかに違う情報が、一般に「1+1=3」のように伝えられている現実も「確かにある」のです。

 

今の時代は、自分の頭で考え、自分自身で情報を見つけていかないと、「1984年」の本のように、情報操作をされることがあり得ます。

(かつて、第二次世界大戦中の日本では、そのような情報操作が起こっていました。)

 

皆が権力への忖度をして、おかしいと思いながら、「3」が正しいという世界にならないことを願っています。(日本人は。同調意識が強いので、一旦そのような状況になると恐ろしいと思います)

 

③動く時には、TPOがあること。

聖書には「すべてのことには時がある」と書かれています。

 

伝道者の書(旧約聖書)
3:1 天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。
3:2 生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。・・・・

3:7 引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。黙っているのに時があり、話をするのに時がある。
3:8 愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある。

 

「戦う」のに時があり、「和睦する」のに時があるのです。

 

自分の衝動に任せて、状況を考えずに、無策で戦いに出るほど、愚かなことはありません。

戦うならば、「しっかりと作戦を練ってから」始めるべきです。

 

正義のため、平和のため(狂信的な集団の自己実現のためではありません)

人々の自由のためであっても、

「綿密な計画」が必要です。

(悪の策略に負けないための計画です)

 

事実を確実に情報収集し、分析し、仲間と協力し、時を待つのです。

 

非合法の戦いは、いけません。

「聖書は上からの権威を尊重するように」と書いています。(ロマ13章)

「現在の法律(憲法)」にのっとって、大義により粛々と物事を進めていくのです。

 

2021年は、激動の年になると思われますが、

「悪を悪と認識」し、「悪を退け」、「悪と戦う者」の上に、

必ず助けがあると信じています。

 

この地が「平和」で満ちますように、心からお祈りをしています。

 

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【コラム】一年の始めに、心のメンテナンスを。その2「感謝のメガネ」

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今回は、「感謝すること」を取り上げたいと思います。

 

皆さんの身近な人が、「あなたの為」に、流し場の食器を洗ってくれたとします。

しかし、ゴミが残っていました。

その時「あなたの心」は、どう「感じる」でしょうか。

(「あなたの心」は、自然にどう動くでしょうか)

考えてみてください。

 

「洗ってくれてありがとう」と思うか。

それとも「ゴミも捨てておいたら良いのに」と思うか、です。

 

きっちりしている人は、洗い方にも「流儀」があります。

その「流儀」から外れた仕事を見た時、どう「感じる」かです。

 

「感じる」ことは、理屈ではありません。

「感じる」時には、自然にそうなります。

 

正直、私自身、自分のやり方でない方法をされた時、「イラッ」とすることがあります。

先日もこんなことがありました。

夕食に生麺でラーメンを作りました。

麺は市販のものを買いましたが、スープは天理スタミナラーメンのような、豚肉と白菜ベースのニンニクの効いたスープを自作しました。

ガスのレンジには、左に麺を煮る用の大鍋、右にスープの入った鍋を置き、どちらも弱火で温めて置きました。

味は好評でした。

用事があったので、子どもに「お代わりは、生麺がテーブルにあるので、鍋で茹でて食べてね」と言って席を離れ、10数分後に戻ってくると、生麺が全部鍋に入っていました。それも、苦労して作った「スープの鍋」にです。正直、イラっとしました。

 

理屈は、分かります。美味しかったので、たくさんお代わりをしたい、ということだったのでしょう。よく冷凍うどんや冷凍蕎麦を食べさせていたので、生麺というものがどういうものか、分からなかったようです。(後でそう主張していました) 悪気はなかったのは分かります。

 

しかし正直、イラっとした感情は、否定できませんでした。

(おいおい。生麺は沸騰したお湯で茹でるのは、常識だろう)(スープの味がまずくなるじゃないか)

言葉を選んで、「左のお湯の鍋で茹でて欲しかった。   これは生麺だから」と冷静に言いました。

そして苛立ちを抑えて、麺をお湯の鍋に移しました。(まだほとんど生だったことが幸いでした)

結果、美味しい美味しいと言って、全部食べてくれました。

 

自分と相手の「考え」は、違います。

しかし、それぞれが「その考え」によって「自分の感情を持っています。(感情は否定できません)

 

「自分の感情を持つ」ことは、自然なことですが、「相手を攻撃する言葉を出す」のは注意が必要です。(相手の気持ちや状況が分からずに、負の反応をすると、意図せず人を傷つけ、人間関係を損なうことがありますから)

 

私は、「感謝のメガネ」で、周りを見ると、自分の感情は持ちつつも、ワンクッションを持つことができるような気がします。相手の考えや感情を見る「ゆとり(余裕)」ができるのです。

 

喜んで食べてくれて感謝。

一緒に食べることができて感謝。

 

その様な「感謝の心」で接すると、

私が一番大切にしていることは、「家族とのつながり(楽しい交わり)」であって、

自分の考え(料理)を押し付けることではないことが、分かってきます。

 

そして意識して「感謝のメガネ」で見る時に、そのことが結果として実現するのです。

(最初は、練習が必要ですが、慣れると無意識となります)

 

冒頭の質問に戻ります。

 

あなたは、身近な人が、食器を洗ってくれた時、しかし「あなたの意に反して」ゴミが残っていた場合、どんな気持ちになりますか?

 

「感謝のメガネ」で周りを見ると、「感謝できること」が見えてきます。そして「相手の事情や気持ち」を受け取る余裕ができるのです。

しかし「不満のメガネ」「自己義のメガネ」で周りを見ると、人の欠点やアラが見えて、「人を攻撃したく」なります。

 

自分の心がけ、(つけるメガネ次第で)、最初の感情は止められませんが、その後の感情や、語る言葉や行動も、コントロールすることができるのです。

 

人は「一人」では生きていません。「周りの人との協力」で生きています。

「感謝のメガネ」を使って周りを見ることが、人間関係の「潤滑油」になると信じています。

 

一年の始め、「感謝のメガネ」を使って生きていくことを、心がけてみませんか。

きっとあなたの人間関係の良いスキルになると信じます。

 

聖書の言葉です。

1テサロニケ(新約聖書)

5:16いつも喜んでいなさい。17絶えず祈りなさい。18すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・ イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。

 

「感謝のメガネ」で、周りを見ることは、スローガンや掛け声ではありません。

(スローガンでは、実際には使えません)

いつもそのように見て、考えて、生きることです。

生活化するには、少しの練習が必要ですが、その方法については、次回以降にまとめたいと考えています。

 

一年の始めの、祝福をお祈りしています。

 

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【コラム】歴史をつくる人(大義の大切さ)

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今回は、「大義の大切さ」に焦点を当てて考えていきます。

そして「大義を果たす」者が、歴史をつくること。

しかし邪悪な存在は、人々を失望させ、諦めさせ、「悪のなすがままに」させようとすること。

そのため「諦めてはいけない」ということを強調したいと考えています。

 

今回のポイントは、3つです。

①人は「大義」が無ければ動かないこと。

②その大義が「本当に正しいか」を「絶えず吟味する必要」があること。

③健在な大義を「実現する」為には、逆境に対して「諦めてはいけない」こと。

 

①人は「大義」が無ければ動かないこと。

人は「大義」が無ければ人が動きません。その最たる例が、選挙運動です。

候補者は、自分の「大義(公約)」を主張します。有権者は、その言葉を信用して、票を投じるのです。

しかし、本当の評価は、次の選挙の時に明らかになります。

その「大義(公約)」をどこまで実現したかで、有権者は同じ人に投票するか、別の人に投票するかを自由に選択できます。

ですから、候補者の実績情報は、「正しく伝えられる」ことが基本ですし、投じられた票は、公正にカウントされることが最低条件です。しかし、もし候補者の情報操作があったり、投票が改ざんされた場合、有権者は大きな怒りを感じます。それは、民主主義の根幹を否定することだからです。

 

しかし歴史上、自由が踏みにじられることが起きています。

香港の民主活動家が、逮捕されている事実に、自由を尊重する多くの人々は悲しんでいます。

「どうしてこんなことが」と思える状況が、現実に起きているのです。

 

②その大義が「本当に正しいか」を「絶えず吟味する必要」があること。

しかし人は、よく嘘をつきます。

人は目的の為には、「情報を操作する」ことがあるのです。

自分の押し切りたいことを通す為に、「情報の一部だけ」を語るのです。

そして「自分の主義主張」を「あたかも正しいもの」のように正当化するのです。

 

その嘘をチェックするためには、「正しい情報」と「時間の経過」が必要です。

(残念ながら、すぐ見分けられないことが多いのです)

しかしどれだけ隠そうとしても、時間と共に、(必ず)「正しい情報」が明らかになります。

 

そして、事実を突きつけられた時、その時の反応で、その人が「真実を求める人」か「自分の利益の為に情報を操作する者」かが、明らかになるのです。

「都合の悪い真実でも受け止める」のか、

「都合の悪い真実を無視し、消し去ろうとする」のかで、その人の「人間性」や「考え方」が分かります。

前者ならば、「真実を求める人」で、後者ならば、「情報を操作をする者」です。

その時は分からなくても、時間の経過と共に、

その人が「信用できる」か、「信用できないか」、が明らかになるのです。

 

③健在な大義を「実現する」為には、「諦めてはいけない」こと。

現在起きている、アメリカ大統領選挙の問題の根は、ここにあります。

「正義や憲法」を大切にする立場と、

「自分たちの義、利権」を大事にする立場との戦いです。

どうしてこんな明らか証拠を無視できるのだろう、と思えるのですが、

自分たちの利権の為に、「真実」を意図的に無視しているのです。

 

一番恐ろしいことは、正義(大義)を求める人たちが、

「こんなことをしていても何も変わらない」と諦めることです。

ですから、沈滞ムードに流されてはいけません。

理性的に平和的に、「正しいこと」をし続け、真実を語り続け、「大義」を主張し続けることです。

 

悪の勢力は、執念深いのです。

皆さんの周りに、自分の主張を通す為に、自己主張を繰り返し「電話やメールをし続ける人」はいませんか。

「何でこんなに執着するエネルギーがあるんだろう」と首をひねることも多いのですが、そういう人は一定数います。

「自分の義」に執着する人は、自分を正当化する為に、あらゆることをするのです。

しかしそれは、「大義」ではありません。

 

「大義」とは、ヒモにつながる鉄球の、要(カナメ)のようなものです。 

高いところにある「大義」があれば、バランスが取れるのです。

皆が一つにもなれます。

カナメが、人々をつなげるのです。

 

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しかしカナメが、自分自身という人もいます。(このような人が、情報操作をし易いです)

そういう人は、自分でヒモを引っ張り、人をコントロールしようとします。

そして自分の不都合な情報は消去します。そうしないと、バランスが取れないからです。

時には自作自演をして、自分(たち)の素晴らしさを演出します。

 

しかし、時間が経ち、真実が明らかになると、そういう人の矛盾が明らかになていくのです。

 

だから「大義で行動している人」は諦めてはいけません。

策略で陥れられても、批判されようとも、「大義」を持ち続けるのです。

 

何度も書きますが、悪の勢力は、強烈な執着心を持っています。

ですから、「大義を実現する」には、それ以上の「情熱」が必要なのです。

諦めてはいけません。

悪の勢力も「大義」を語ります。大義という言葉で、自分たちの欲望を語っています。

きれいな言葉に騙されてはいけません。

 

健全な情報が必要です。善と悪を整理する、知恵の言葉が必要です。

私は、そのような意味でも、毎日聖書の言葉(価値観)に触れています。

そしてできるだけ正確な情報をつかむことを心がけています。

 

リーダーにこのような「大儀を持つ人」が起こされることも大切ですが、

同じく「大義」でリーダーを支え、「草の根で動く人々」がいて、歴史が作られるのです。

 歴史はリーダーだけではつくれません。「大義」を持った「たくさんの支援者」がいて歴史が動くのです。

 

どんな人も、次の時代をつくる「当事者」です。

家族の歴史、地域の歴史、会社の歴史,、時には世界史に残るような仕事をする人もいます。

それらの「歴史」を、良いものにするか、悪いものにするかは、「私たち自身」にかかっているのです。

 

・・・現在、必死に「大義の実現」のために頑張っておられる方々のために、

祝福をお祈り致します。

共に頑張りましょう!

諦めないで、今できることを黙々と続けていきましょう!

支えられますように!

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