今回は「心のきよい者」が得られる恵み(メリット)を、イエス様の教えから学びます。
マタイ5章、山上の説教での「イエス様の言葉」です。
「5:8 心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです。」
心がリラックスしている時に、「夕焼けや山の景色」を見ると、素直に感動します。その神秘的な美しさに触れ、心が動くのです。人によっては、「見えない創造主」の偉大さを感じることもあるでしょう。
聖書の中にも「自然を通じて知ることができる神様」が描かれている箇所がいくつもあります。
「明鏡止水(めいきょうしすい)」という言葉があります。邪念がなく、心の澄み切った心境のことを言います。対義語は「意馬心猿(いばしんえん)」煩悩や情欲、妄念のため心が混乱して落ち着かない心境を言います。
私の知っている人で、「いつも言い訳を言う人」がいました。
人が見ていないと、平気で仕事をサボり、それを指摘されると「嘘をつき」ました。嘘がバレそうになるとさらに言い訳をして、作り話をしたのです。
相手によって違う言い訳(作り話)をするので、言われた者同志が打ち合わせをすると「言っていることが違う」ことが、すぐにバレてしまいました。
その人を見ていると「いつも人の目を気にして」おどおどしていました。
その人はいつも「本当に見ないといけないこと」を見過ごしてしまったのです。
「心がざわついて」いると、雑念や煩悩に振り回されて、それを処理するだけで、「エネルギー」を使い切ってしまいます。
そのため、「目の前で起きている大事なこと」を「見るだけの余力」がなくなってしまうのです。
心の中でぐるぐると「言い訳」が回っていて、「大事な情報」が受け取れなくなるのです。
その煩悩から解放されるには、心の中の「ゴミのような不純物」を捨てる必要があります。
これは「瞑想(マインドフルネス)」では取り除けません。心を静かにするだけでは、コップの中の泥が下に沈殿するだけで、かき回されれば、また泥は浮かび上がるからです。
そのためには、「ゴミが何なのか」に気づく必要があります。
イエス様の山上の説教の言葉です。
マタイ5:34 「しかし、わたしはあなたがたに言います。決して誓ってはいけません。」
5:37 「だから、あなたがたは、『はい。』は『はい。』、『いいえ。』は『いいえ。』とだけ言いなさい。それ以上のことは悪いことです。」
当時、「誓っても合法的な理由があれば、誓いを破っても良いと言う」、口伝(言い伝え)があったようです。
(当時も「神聖な誓い」さえも、ごまかせる、言い訳と手段があったことは驚きです。人間はそれ程まで「汚れ」ていて、ごまかすことが習性になっているのです。)
イエス様は「ごまかすな」「はいははい、いいえはいいえ」と言いなさい、と言われました。
イエス様は、「ブレない基準」を持っておられます。
イエス様の言われた通りに生きると、「できること」は「できる」、「できないこと」は「できない」と言えるようになります。そして失敗をしたならば素直に「ごめんなさい」と謝れるようになります。
すると、心の中が「整理される」のです。
「基準」が明らかなので、
自分の心のゴミが、「良く分かる」ようになるのです。
聖書の中に、ゴミ(肉の心)のリストがあります。
ガラテヤ5:19-21
「19 肉の行いは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、
20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、
21 ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。」
私たち人間は「罪びと」です。(これは法律を犯していると言う意味ではなく、正しいことをしたくてもできない性質を持っていると言う意味です。)
心の中には、言い訳、責任転嫁、ごまかし、、、と言った「汚れ」、すなわち自分の「心の目を曇らせるもの」が多く存在しているのです。
ではこれらの「汚れ」をどうしたら良いのでしょうか?
そして「汚れの正体」がはっきりと分かったならば、次は「何を」したら「心がきれいに」なるのでしょうか?
それが「悔い改め」なのです。
1ヨハネ1:9
「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての惡から私たちをきよめてくださいます」
「イエス様の十字架」に自分の罪を告白すると、その罪が赦されるだけでなく、きよめられ、「汚れ」が取り除かれます。
コップの例えならば、下の方に溜まった泥が、掻き出されて消えるのです。
(凄いことだと思いませんか?)
「煩悩」が消えて、心の中でグルグル回っていたものがなくなります。そうすると、目の前の大事なものが良く見えてきます。
また「煩悩」を処理する余計なエネルギーを使わなくなりますので、すべきことに「全力で集中」できるのです。(素晴らしいことです。)
心が「きれいになった人」は、周りがどれだけぐちゃぐちゃでも「本質を見る目」を持つことができるようになります。
そして「夕焼けの厳かさ」を通じて「神を感じる」ことができるように、
「創造主を見る(体験できる)」ようになるのです。
創造主の願いです。
1ペテロ 1:16
「『わたしが聖であるから、あなたがたも、聖でなければならない』と書いてあるからです。」
「きよくなること」を求めましょう。
そうすれば、創造主を見ることができます。
そして「悪と混乱の現代」にあっても、「真実を見極める目と力」を持つことができるようになるのです。
祝福をお祈りしています。
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