先回の「人間関係のぶつかり合い、の克服」の続き(第2回)です。
先回は、①感謝をすると視点が変わること、を学びました。
今回は、②不思議な力・満たしを体験する、を学びます。
聖書の言葉です。
1テサロニケ5:16-18「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」
山の渓流をゴムボートで下る時、水が少ないと岩にぶつかって進めません。
無理に進むとゴムボートが破れてしまい、大変なことになります。
もし救助中ならば、全員死んでしまうかもしれません。
どうしたら良いのでしょうか。
(ボートを担ぐ、又は別の移動手段を使うことは考えないとします。)
可能性として、水の多い渓流に移動するか、
水が増し加わるようにするしかありません。
自分たちの力では不可能ならば、水が増し加わるのを、
「誰かにお願いする」しかないのです。
「岩」を「人間関係」と考えた場合、
「ぶつかる、危ない」と思っても、
水量が増えたならば、危険ではなくなります。
問題が問題では、なくなるのです。
「岩(人間)」は、変わっていません。
しかし、「水が増えた」だけで、景色が「別のもの」に変わるのです。
何をお伝えしたいかというと、
「心がカラカラで乾いている」と、「岩(人間関係)」にぶつかってしまいます。
しかし「心が潤い、満たされている」と、「岩」にぶつかることなく、上手に乗り越えて行けるのです。(相手の状況は、まったく変わっていないことに、注視して下さい。)
「水が豊か」だと、非常に楽になります。
「自分で、無理に頑張らなくても良くなる」ので、
問題解決を「最小限の力」で済ますことができます。
(何もしない方が簡単に解決する、恵みを経験するのです。)
「水が豊か」だと「流れに任せれば良い」ので、「全身の力を抜く」ことができます。
力を抜く分、リラックスをして、最高のパフォーマンスをすることができるのです。
(良いことしかありません。)
しかし、現実的には、
心が満たされることは、人間の力では難しい(不可能)ということが多いのです。
人間は、必死になると力が入ります。
すべての岩を跳ね飛ばしてでも、進んでいこうとします。
その結果、人間関係でぶつかり、流さなくても良い血を流し、返り血を浴びてしまうのです。
「力を抜いた方が良い」と分かっていても、
「何もしない方が上手くいく」と思っても、
強行してしまい、たくさんの岩(人間)にぶつかるのです。
(又は逃げてしまって、解決を放棄してしまいます。)
前振りが長くなりました。
先回確認したように、感謝すると「視点が変わり」ます。
そして、創造主が「私を助けようとする計画」を、
受け取り易く(気がつき易く)なるのです。
主は(イエス様は)、人間を潤し、満たすことができるお方です。
最も重要なことは、「満たし」を「体験する」ことです。
ここまでは、知識を語りました。
ここからは、体験する方法を書いていきます。(ここからが本題です。)
しかしながら、これは文章ですから、
「創造主からの満たし」があるという「弁証」と、
このように受け取れるという「導入」までしか書くことができません。
(具体的に体験するところまでは、個々の応答に委ねたいと思います。)
エゼキエル47:3-5
3 その人は手に測りなわを持って東へ出て行き、一千キュビトを測り、私にその水を渡らせると、それは足首まであった。
4 彼がさらに一千キュビトを測り、私にその水を渡らせると、水はひざに達した。彼がさらに一千キュビトを測り、私を渡らせると、水は腰に達した。
5 彼がさらに一千キュビトを測ると、渡ることのできない川となった。水かさは増し、泳げるほどの水となり、渡ることのできない川となった。
上記は、神様がエゼキエルに見せた幻の描写です。
「水」は、「聖霊の満たし」を現しています。
そして「水」は「神殿(創造主の元)」から流れ出しています。
エゼキエルは、この時、「神様の言葉に応答」して、
「渡り」ました。
最初は、足首、次は膝、そして腰、最後は「泳げるほど」になったことが書かれています。
「渡る」ことは、「実際に近づいて体験する」ことです。
水泳と同じく、「説明する」ことと、
水に入って「体験する」ことは、まったく違います。
私は、寂しくなったり、エネルギーがなくなると、一人の時間を過ごします。
祈りの時間です。
イエス様に、自分の気持ちをお話しします。
自分の中の恥ずかしい部分も、そのままお話しします。
そして、力が必要な時は、「力を下さい」と祈り、
愛情が枯渇している時は、「愛情を下さい」と祈ります。
一人でいる時は、歩いている時も、自転車に乗っている時も、運転している時も、
話しかけています。
(時々お店で、慌てて口を閉じる時があります。)
イエス様は、本当におられるので、
独り言のような祈り、にならないように気をつけています。
イエス様のことを考え、イエス様の喜ぶ気持を考え、
本気で交わろうと、心を注いでいます。
すると、不思議な力で、満たされるのです。
(コツは、イエス様に心を開くこと、そして触れて貰うまで祈ることです。)
ルカによる福音書 11章9~13節 (イエス様のお言葉です。)
11:9 そこでわたしはあなたがたに言う。求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
11:10 すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。
11:11 あなたがたのうちで、父であるものは、その子が魚を求めるのに、魚の代りにへびを与えるだろうか。
11:12 卵を求めるのに、さそりを与えるだろうか。
11:13 このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」。
「求める者」には、「聖霊の満たし」が与えられるのです。
あなたも、「聖霊の満たし」を体験してみませんか?
干上がったカラカラの岩場の渓流で、ゴムボートに乗るよりも、
溢れる水の中で、ゴムボートに乗った方が、遥かに楽で、楽しいはずです。
祝福をお祈りしています。
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