何回か、イスラム教からの回心での質問をした者です。
その後、巡回のキリスト教の宣教師にお願いをして、滞在先のホテルで洗礼を受けることができました。宣教師に「今まで通っていた教会で『嘘を言っていた』こと」もすべて告白し、「悔い改めの祈り」をすることができました。洗礼を受け、宣教師から特別な祈りをして頂いた時、「異言」というものを受けました。聖霊が内側から流れ出すような素晴らしい体験でした。
洗礼後、近所の異言を理解する教会に通い始めました。そこの牧師先生には、今までのことをすべて話し、理解をして頂きました。
宣教師のグループラインに入り、そこでは、「預言、啓示、幻」などのメッセージが送られてきます。今後、クリスチャンは、異言以外にどのようなものを頂けるのでしょうか? またそれらは具体的にどういった意味を持ちますか?
Mさん、洗礼を受けられたとのこと、おめでとうございます。
また、新しい教会に通い始められたということ、これからイエス様から与えられる恵みを期待しています。
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者 です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」 Ⅱコリント5:17
と聖書にあるように、イエス様を信じると死後に天国に行ける恵みだけでなく、生きている間もたくさんの恵みを頂きます。
それらは大きく分けると「御霊の実」と「御霊の賜物」であると、聖書には書かれています。
「御霊の実」は、精神的・人格的なもの、
「御霊の賜物」は、神様から与えられる特別な能力です。
(どちらも、普通のクリスチャンに与えられるものです。ですから積極的に求めていかれたら宜しいと思います。)
A「御霊の実」
「御霊の実」は、ガラテヤ人への手紙5章に一覧が書かれています。
ガラテヤ5:22-25
22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
23 柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。
24 キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。
25 もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。
「愛」「喜び」「平安」、、、9つの実は、どれも素晴らしいものです。
そしてこれらは、人間の「頑張り」で得るものではありません。
御霊によって「与えられる」ものです。
ただし受け取るには「コツ」があります。
それは「自分の肉の思い」(わがままな自我)の自覚と、「十字架への告白」です。
(これを悔い改めと言います。)
特に大切なことは、自分の思い(考え)が、相当なエゴで凝り固まっていることの自覚です。
人間は、自分が一番ですから、エゴイストは当然と考えます。(心の中では、自分は正しいものだと思い込んでいます。)
しかしそうではない事実に気がついたなら、(自分がエゴイストである、間違った考えがある、という事実に気がつかされたなら、、、これは「聖霊の働き」によって起きることですが)
素直に、十字架につけてしまうことです。
そうすれば、「肉の思い」が取り除かれ、代わりに「御霊の思い、実」が与えられるのです。
(一度には与えられません。毎日少しずつ与えられる類のものです。)
期待しましょう。求めましょう。求めた分「受け取り易く」なるのです。
B「御霊の賜物(プレゼント)」
もう一つの神様からのプレゼントは、「御霊の賜物」です。
実はこれは人格とは別の種類のものです。ですから人格的には問題があっても「賜物」として頂く人もいます。(旧約聖書のサムソンがその最たる例です。)
1コリント12章4〜10を見てみます。
4 さて、御霊の賜物にはいろいろの種類がありますが、御霊は同じ御霊です。
7 しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現れが与えられているのです。
8 ある人には御霊によって知恵のことばが与えられ、ほかの人には同じ御霊にかなう知識のことばが与えられ、
9 またある人には同じ御霊による信仰が与えられ、ある人には同一の御霊によって、いやしの賜物が与えられ、
10 ある人には奇蹟を行う力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。
ここには「知恵」「知識」「信仰」「癒しの賜物」「奇跡」「預言」「霊を見分ける力」「異言」「異言を解き明かす力」の9つの賜物が書かれています。(厳密なものではなく、黙示や啓示、幻なども他の箇所には書かれています。)
ただし一つ言えることは、
「御霊によって」与えられることと、
「皆の益となるため」に与えられるものなのです。
ですから、これらの賜物が欲しい人は、「自分のことだけ」を考えるよりも、
「他の人の益となること」を考えると、「受け取り易く」なります。
Mさんが、神様から与えられた使命を果たすために、「賜物」を積極的に求めていかれたら宜しいかと思います。
ただし一つ気をつけなければならないことがあります。
それは、
1コリント14:29「預言する者も、ふたりか三人が話し、ほかの者はそれを吟味しなさい。」
とあるように「聖書に合っているかどうかの吟味」は絶対にしなければなりません。
(この辺りは、今通っておられる牧師先生にお尋ねすると良いでしょう。)
霊的世界は、「ルールがはっきりさていない」と、恐ろしいことがおきます。
預言、黙示、幻は、下手をすると「肉の思い」から「何でもあり」になってしまう可能性があるのです。
ですから「聖書の基準」は絶対です。聖書の価値観から外れている場合は、「神様から」ではありません。「人間の思い」か、「悪魔の惑わし」です。
気をつけましょう。
まとめですが、
クリスチャンになると、「罪の赦しによる天国の約束」だけでなく、
「御霊の実」「御霊の賜物」が与えられます。
それらが与えられて、一度しかない人生を、
イエス様の助けの中、困難があったとしても、
「喜びと感謝」によって生きることができるのです。
それらは、「自我の頑張り」からではありません。「御霊の力」によるものです。
2コリント3:18
「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」
Mさんの今後のクリスチャン人生の、
祝福をお祈りしています。
今回は、御霊の実、賜物の一覧のみを書きました。
さらにそれらの具体例を知りたいと思われたならば、またお気軽にご質問下さい。
私が理解、体験している内容を記したいと考えています。
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
もし気に入って頂けたら、たくさんの方に読んで頂くために、クリックの御協力をして頂けると幸いです。(一日一回カウントされます)
読者登録をして下されば、新しい記事を自動的に知らせてもらえます。(無料ですが、はてなブログの登録が必要です。)
もう一つ別のブログランキングです。(こちらもクリックして頂くと助かります。一日一回カウントされます)
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
↑↑↑↑↑↑
こちらをクリックすると記事一覧を見られます。