パート先の職場に、年下の上司がいます。まだ始めたばかりで慣れていないのですが、色々と指導される中で、時々厳しいことを言われます。
パートということで、気楽な気持ちで始めたので良くないのかもしれませんが、「そこまで言われなくても良いのでは」と思っています。年下の上司は「今伝えておかないと後で大変なことになると困るから」というのですが、「パートでそこまで責任を持たなくていいのでは」と正直思います。どう思われますか?
新しいパートを始められたのですね。
新しい職場では、新しい人間関係を作らなければなりませんから、気もつかわれるでしょう。
慣れない環境ですから、ストレスも溜まることでしょう。
せっかく新しく始めた仕事ですから、気持ちよく続けていけたら良いですね。
いくつかポイントを絞って考えてみたいと思います。
パートを始められて、どれくらいの期間が経ちますか?
人には相性というものがありますから、その上司の方と質問者さんとは、上手く意思の疎通ができていないのかもしれません。
一つ質問をしたいのですが、上司の方は、どちらかと言うと「親切な人」ですか「意地悪な人」ですか。(ここから始めます。)
まず「意地悪な人」の場合です。
どういう立場でも、上司は責任を持たされます。
会社では、その上の上司から、必ず「責任を追及」されます。(それが組織というものです。)
(「年下の上司」と敢えて書かれたのは、その方が精神的に未熟という意味でしょうか。)
もし上司が、精神的に未熟で、自己中心的な人であるなら、
指導上の「言い方も未熟」になります。
その場合、「言われた事実(ポイント)」だけを受け取りましょう。(それが理にかなっている場合はです。)
言い方は「無視する」のです。
時給分だけは、仕事をしましょう。(私はいつも「こういう言い方」をしています。)
嫌な言い方をされることも、「時給分」と考えて、割り切って仕事をするのです。
質問者さんは、年上なのですから、ぜひ大人対応をしてみましょう。
(もし、上司の責任を一方的に押し付けられたり、人格的な否定など、時給に合わない負担だと冷静に思ったならば、始めたばかりの職場であっても、進退を考えても良いとは思います。)
次に、どちらかと言うと「親切な人」の場合です。
その場合、少しじっくりと考える必要がありそうです。
聖書の中では、指導者は「模範」を求められます。
しかし、同時に部下にも「模範」が求められるのです。(パートでそこまで求めらるのか、と思わないでくださいね。時給分の責任は与えられます。)
人間は、神様から造られたと言う「存在価値」は同じですが、
一人一人の「役割」は異なります。
上司は上司の役割を果たし、部下も部下の役割があります。
給与が発生する以上、
その「責任」と「厳しさ」は、立場が違っても、存在します。
1ペテロ5:2〜3 (指導者に対する言葉)
2 卑しい利得を求める心からではなく、心を込めてそれをしなさい。
3 あなたがたは、その割り当てられている人たちを支配するのではなく、むしろ群れの模範となりなさい。
ヘブル13:17 (指導を受ける立場への言葉)
17 あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。、、、ですから、この人たちが喜んでそのことをし、嘆いてすることにならないようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益にならないからです。
上司にも、部下にも、期待されるべき「役割」があるのです。
(「会社」だけでなく、個人として集まる「教会」も当然同じです。)
(特に「教会」では、神様から与えられた役割を責任を持って果たす時に、悔い改めと人格的な成長が与えられます。)
もし年下の上司が「親切な人」な場合、
「質問者さんご自身の心」を内省する必要があります。
人は、自分の欠点を指摘されるのは、苦手です。
プライドがあるので、自分の身を守ろうとするのです。
下手をすると、「正当な指摘」に対しても、「怒り」を感じます。
その結果、「相手を攻撃」したり、言われた指摘を「無視しよう」とします。
(表面では「笑顔」でも、心の中は「嵐」です。)
こういう時は、「言われた指摘」より「大きなもの」を考えると、
指摘を受け取り易くなります。
上司や周りの人の「評価」とか、
指摘によって改善する「仕事の向上」とか、
それによって与えられる「収入」とか、
自分の「人格的成長」とか、です。
私なら、こう言う辛い時、「イエス様のこと」を考えます。
そして「自分が愛されていること」「守られていること」を思い起こします。
そして「心が満たされる」まで祈ります。
「大きなもの」に包まれると、(私の場合は、イエス様です。)
「小さなもの」はそんなに重要ではなくなります。
自分の欠点も、言われた事実も、失敗の悔しさも、「自分の存在を左右するものではない」ことに気がつくのです。
(心が安定していると)「指摘」は、むしろ改善によって状況が劇的に良くなる「有り難い助言だ」とも思えてくるのです。
「大きなもの」に包まれると、「指摘」も受け入れ易くなります。
「大きな支え」がある分、余裕をもって、指摘してくれた人と関わることができるのです。
繰り返しますが、
「大きな支え」があることは、重要です。
それがあると、「批判」に一喜一憂しなくても良くなるからです。
「支え」があるので、「批判」を受けても「自分の価値」が貶められません。(低くなりません)
すると「批判(指摘)」を、自分の益となることとして「取り込める」のです。
上司がどんな人でも、(親切でも意地悪でも、年が若くて未熟でも)
質問者さんの「心」が安定しているならば、
その「小さな批判」を、
質問者さんの人生を「豊かに生きるため」の肥やしにできると思いますが、いかがでしょうか。
神様は、すべてのことを「益」にできるお方です。
神様の「助け」を受けたならば、マイナスさえもプラスに変えられるのです。
ローマ人への手紙8:28
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを私たちは知っています。」
質問者さんの「心の支え」と、
「職場での祝福」を、お祈りしています。
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