「30代男性です。会社で一人の上司から目の敵にされています。以前仕事上で問題点を指摘したことがありました。他の同僚は、よく言ってくれたと感謝してくれたのですが、それ以降、その上司からは嫌味を言われるようになりました。その上司は会社ではあまり評価されていません。気にしないようにとしていますが、やはり目の前で嫌みを言われ続けると嫌な気持ちになります。しかし挨拶だけは、こちらからするようにしています。どう対応したらよいでしょうか。アドバイスお願いします。」
ご質問、ありがとうございます。
人から「否定的な態度」を取られることは、あまり気持ちが良いものではありませんね。状況的に見て、その主な原因は、質問者さんではなく、その上司ご自身にあるようです。
けれども質問者さんは「嫌みを言う上司にも、自分から挨拶をするようにしている」と言われます。とても立派な行動だと思います。ご自分で、既に解決のための努力をしておられるのですよね。
きっと、ご質問者さんは既にお気づきになっていると思いますが、「嫌みを言う上司の方」は何かのコンプレックスを抱えておられるような気がします。
失礼ながら、その方は、仕事上評価されていないと、書かれていましたから、性格的にルーズな方なのかもしれません。
そういう方は、やるべきことをやらず、自分を正当化してしまう癖を持っていることが多いです。心の中では「しなければならない」と思っていても、「めんどくささ」に負けてしまうのです。
そういう方が、人から正論を言われると、「正しいと分かっていても」感情的に反発してしまいます。しかしこれは人間として自然なことでもあります。ですから、対応するには「智恵」が必要です。
聖書に「正し過ぎてはいけない」という言葉があります。
伝道者の書7:16 あなたは正しすぎてはならない。知恵がありすぎてはならない。なぜあなたは自分を滅ぼそうとするのか。
一点、気になったので「気づき」のため敢えて指摘いたします。
もしかすると、あなたはその形を「見下している」のではないでしょうか。もしそうだとしたら、「その点(その感情)」は対処していかなければいけません。
人は「見下している」と、その相手の言動を無意識のうちに否定します。人によっては存在さえも否定しようとします。つまり「無視」です。
あなたが、「そんな感情」を抱えて、その人と接しているならば(そうでなければ聞き流してください)、その感情は相手にも伝わるはずです。もしそうならば、その相手はあなたのことを「嫌な奴だ」と思うことでしょう。嫌みを言われる原因の一つは、あなたが作っておられるかもしれないのです。
「ご自分から挨拶されている」ことも、そういう動機でしているならば、相手にはあまり良い影響を与えません。
「そんな気持ちを持っていない」とおっしゃるならば、大変失礼な返答をしているのかもしれません。しかし、私は「人間の心はそんなに清いものではない」と感じていますので、失礼ながら、気づきのためのヒントとして書かせていただきました。(もしそうではないならば、聞き流して下さいね)
今日も、聖書の中で取り上げたい人物は、ダビデです。
ダビデは「非常に優秀な人物」でした。
そして「神様を愛する」心のとても純粋な人でした。
しかし彼は、前の王サウルから、嫉妬と誤解によって、何度も殺されかけたのです。
しかし、ダビデは、サウルを殺すチャンスがあったにもかかわらず、手を下しませんでした。
その最大の理由は、彼が「神様を愛していたから」です。
彼は神様が「サウルも愛していること」を、知っていました。だから個人的には様々な感情を持っていても、神を愛するゆえに、サウルを自分で「罰しなかった」のです。(彼は自分の心を制しました)
・・・しかし「正しい神様」は、最後に「サウルを罰し」ました。このことは良く覚えておくべきです。
サウルが殺された後の話にも、私は注目します。
ダビデはサウル王が亡くなった時、そのことをとても悲しんだのです。
ある人は、彼は演技(パフォーマンス)でそれをしたと言いますが、私は、修羅場でその言動が取れると言う事は、やはり彼の心の中に、サウルへの「尊敬と愛」があったからと思います。
ダビデは、「神様を愛する」が故に、自分に敵するサウルでさえも、「尊重し、愛していた」のです。
ここに、「人から否定された時にどう対処するか」のヒントがあると思います。
一番の、原点は、「神様を愛する心」です。そのため、人ではなく、神様が、良いと思うこと、第一と、していく心です。(究極の答えですが、、、実行は難しいことです)
これから質問者さんが、その方と良い対応をしていくために、
三つのチェック項目を書かせていただきます。(理性的に受け取って下さい。感情面は最後に触れます)
第一に、視点を「高い位置」に持っていくことをお勧めします。
あなたの感情でもなく、上司の方の感情でもなく、視点を「少し高いところ」に持っていくのです。
自分がしている事は、「神様が喜ばれること」だろうか。「公義にあっていること」だろうか。
そのことをまず第一に考えるのです。
「大きな目的(公義)」のために、一生懸命考えていますと、「私的な小さなこと」は意外と目に入らなくなるものです。
第二に考えて頂きたいことは、「あなたの心」についてです。
その方の存在を、尊重しているかどうかを、自分自身でチェックしましょう。
「悪いところ」「悪い噂」だけに意識が向くと、結果は「批判的な心」にしかなりません。本当にそうなのか、ともう一度考えてみましょう。
「明るい」とか「意外と優しい」とか、「その方の持っている良い個性」に目を向けて、その方を「正当に評価する」のです。(神様を愛し、神様側に立ちたいならば、心の動機チェックは不可欠です)
しかしそれは「問題点を見逃す」ということでは「ありません」。問題点は問題点として「冷徹に分析」すべきです。しかしそれを「愛を動機」として分析するように努めるのです。
第三のチェックは、愛を動機とした、良い種まき、言動をしているかどうかです。
裁きの思いで行動すると、結果は悪いタネを蒔くことになります。
(興味のある方は、以前の記事「やられたら、やり返す、倍返しについて(心の法則)」をお読みください。)
「自分はその方のこと」を考えて行動しているだろうか。そのような「愛の動機」で言動するならば、必ずどこかであなたの動機は実を結びます。(その結果、その方がその後どういう態度を取られるかは、その方の責任です。あなたは、「良いタネを巻き続けること」です)
この3点を、チェックしてした上で、行動していくならば、きっと、今後、良い関わりができるはずです。
けれども、最後に感情について考えてみます。
ここまで読みながら、「そんなことは、やってられない」「ワタシは正しいことをしている。悪いのはあいつじゃないか」という感情が湧き上がってきた、かもしれません。
「理屈で正しい」と分かっていても、感情が「納得できるか」は別のことです。
私は、そのような状況になった時に、まず「祈り」ます。
そしてそれでも納得できない時には、私のことを心配してサポートしてくれる「恩師」に連絡をして、話を聞いて貰います。(恩師もクリスチャンです)
すると考えが整理されて、「正しい理屈」が見えてくるのです。
感情は、時に「非常に厄介」です。しかし「感情に流されて」はいけません。
あなたは「自分の感情」を支配しなければなりません。(感情を納得させるのです)
その上であなたが「正しいこと」をしていくならば、環境は好転していきます。そして「最善のゴール」に到着できるのです。
向上心を持ち、良心的な、あなたであるならば、今後、ますますの良い関わりができると、信じています。
祝福をお祈りしています。
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