いつも応援して下さり、ありがとうございます。
55歳の誕生日を迎えました。
妻がケーキを買ってきてくれ、ささやかな楽しい時間を持つことができました。
もう人生の半分は過ぎてしまったのだろうな、と思うと、感慨深いものがあります。
これからの人生を思い巡らす中で、頭の中に「自分の使命を考え、果たすこと」というタイトルが思い浮かびました。
今回はそのことを、まとめたいと思います。
今、コロナの第3波で、社会全体にストレスが蔓延しており、心がささくれ、人に攻撃的になっているような気がします。多くの人の心は、悪いほう、低いほうに向いています。
衝動的、刹那的な雰囲気に巻き込まれ、したくないこと、してはいけないことを、考えてしまいそうな風潮です。
しか、だからこそ「自分の使命(生きる方向性)」を考える時だと思うのです。
何もせず、何も対策を打たないならば、悪い力に煽られると、心は低いほうに自然と落ちてしまうでしょう。
しかし「自分の使命」を考える時に、低い方に流れる濁流に逆らうことができます。
そして、逆に高いほうに向かうと信じるのです。
そう思いませんか。
今回も3つのポイントです。
①「自分のできること」で「人が喜んでくれること」を継続する。
②「身近な人」を大切にする。(愛の言動一致)
③「心の状態」を整える。(心のきよめ)
①「自分のできること」で「人が喜んでくれること」を継続する。
「自分の使命」のことを考えるとは、仰々しい、堅苦しいと感じるかもしれません。
そんなことは分からない、と思われるかもしれません。
しかし見つける道筋はあります。
「自分の使命」を考える時、
「自分ができること(得意なこと)」、
「人が喜んでくれること」の中に「自分の使命(生きる方向性)」あると考えた方が自然です。
つまり「状況証拠」です。
(神様は「これをさせたい」と計画しておられるならば、それができる能力を備えて下さると信じるのです)
(聖書を読んでいて、祈りの中で「これが私の使命ではないか」と受け取ったことがいくつかありますが、しかしそれは別に機会に触れたいと思います)
「自分ができること(得意なこと)」で「人が喜んで下さること」を考えると、
皆さんは、何を思い浮かべますか。
今まで何をした時に、人が喜んでくれましたか。
また自分自身で、何に喜びを感じましたか。
思い起こしてみて下さい。
人にはいろいろなタイプがあります。
楽器をしている人なら、ギターやサックスは、「目立つことが好き」な人が多いです。
ベースやドラムは、反対に「縁の下の力持ちが好き」な人が多いです。
自分がやっていて「充実感」があること。
それを人が「喜んでくれる」こと。
そんな中に「自分の使命(生きる方向性)」があると考えてみると、興味深いと思うのです。
②「身近な人」を大切にする。(愛の言動一致)
先日新聞を読んで「セミを助けた話」に目が止まりました。
朝のラッシュ時に、道にいて轢かれそうだったセミを助け、庭の木にとまらせた話でした。
「小さな頃は、虫を平気で殺せたが、大人になると、殺せなくなった。特にセミの儚さは、戦争で死んだ人の命の儚さに重なるので、どうしても助けたくなる」というものでした。
その文章に流れる「優しさ」を感じ、暖かいものを覚えました。
明治時代のクリスチャンで内村鑑三という人がいました。
彼の有名な講演に「後世への最大遺物」というものがあります。(岩波文庫にあります)
「お金を稼ぐこと、教えること……しかし最も大切な遺産は、高尚な生涯(人の生き方)である」というのが主旨です。
私たちは、自分の生き方を通じて、周りに影響を与えるのです。
聖書の中に、「愛」についての言葉がたくさんあります。
「愛は結びの帯として完全である」
「愛はすべての罪を覆う」
「愛がなければすべてが虚しい」
……「愛」には力があります。
しかし「本当の愛」は思想でも哲学(考え方)でもありません。
行動です。
口先だけで綺麗な言葉を言っていても、実際の生き方(行動)と違っていたら、虚しいことです。
「愛を身につけている」なら、身近な人に「実践する」ようになります。
もし身近な人に「できていない」なら、理屈で知っているだけで、「身についていない」ことになるのです。
私も以前は家族に対して、(恥ずかしいですが)「思ったまま」のことを話していました。
今は「相手に伝わるような言い方」を考えて話すようにしています。
(神様の助けと訓練によって、少しづつです)
最近気になることがあります。
それは、傷つけられた(被害者)なら、傷つけた(加害者)を「徹底的に攻撃して良い」という風潮です。
特に第三者が、当事者を守るためという「名目」で攻撃に加わる場合、過激になることが多いのです。
これは世界的な風潮のようです。
2020年5月の「フロイド事件」をきっかけに始まった「ブラックライブズマター」の運動が暴徒化した件は、その典型例です。
ミネソタ州で起きた、黒人のフロイド氏が、白人警官に殺された事件は、全米に大きな反響を与えました。しかし極端な左翼勢力が関わることにより、平和と真逆の方向に向かったのです。暴力と犯罪により、シアトル市では一時、無政府状態になりました。
気をつけて読んで頂きたいのですが、
今の時代、「怒りや悲しみ」を煽って「自分の味方につけよう」という力が世界中で働いています。
しかしその「方向性(目的)」問題なのです。
一見正しく見えても、その目的を「吟味して」、
活動に賛成するかどうかを決める必要があります。
どれだけ煽(あお)られても、
それが、「愛とは真逆」の方向に向かっている場合、
気をつけなければなりません。
怒り、攻撃、正当化……、
もし動機(方向性)がそのようなものならば、距離を置くことが大事なのです。
そこから出てくる「言葉と行動」が、「愛する家族」にできるかどうかで考えてみましょう。
もしできないようなものならば、一旦立ち止まって「本当に加わるべきなのか」を考える必要があります。
日本での、第三者の「不倫へのパッシング」も同じ構図です。
全く関係のない人々が、評論家のように(悪い意味で)、正義感を振りかざして、罪悪感を感じることなく、加害者を攻撃できてしまうのです。
「煽(あお)られたら、煽(あお)り返す」
これは、低いほうに向かう行動です。
私たち一人一人が、反応しなければ、「悪い力は自然消滅」するのです。
しかし反応する人が多ければ、炎上します。
個々人の反応が、社会に「良い結果」も「悪い結果」も与えるのです。
ですから、一人一人の考え方が、実は非常に大切なのです。
あなたは、煽られて攻撃する人ですか。
煽られても、反応せず、立ち止まる人ですか。
「自分の使命」を考え、果たそうとする時、
内村鑑三の言うように、
「高尚な生涯(人の生き方)」を考え、一人一人の行動が吟味される」
(つまり、愛によって行動するようになる)と、信じるのです。
③「心の状態」を整える。(心のきよめ)
心の状態を整える上で、「ストレスの軽減」と「心の癒し(きよめ)」を取り扱うことになりますが、
「ストレスの軽減」は、他の箇所でも触れているので、
今回は、心の癒し(きよめ)」のみに注目します。
実は苦いものがあると、悪い力で煽られ時に、「心が反応」します。
そのような時、心が「ザワザワ」します。
そして、きよめられていない(対策が打てていない)と、
理性でやめておこうと思っても、衝動的に行動してしまうのです。
自分のことを振り返っても、いくつかの失敗をした原因は、
状況判断(知性)の間違いというよりも、
それを選んでしまった、心の未熟さ(むさぼり、や正当化やごまかし等の誘惑)によるものだと分析しています。
つまり、心がきよめられていないと、
悪い衝動で行動し、どこかでボロが出るのです。
人間の心の中には、意外と「多くの闇」が存在します。
そしてその闇に「気がついていない」ことが多いのです。
自分の使命を果たすためには、この「心の闇」のきよめが必要なのです。
ではどうしたら良いのか。
これが重要です。
分かりやすい言い方をするならば、
「ものさし」と「光」が必要です。
ものさしは、歪んでいるかどうかを測るため。
光は、はっきりと見るため。
(暗い部屋の中では、ものさしは見えません。光の下に行く必要があります)
これは、自分だけでは不可能なのです。
(自分一人で瞑想しても解決しません)
時計が壊れた時、自分で直すことはできないと同じです。
(直った気になるだけです)
本格的に治すには、設計図(基準)を知っている、「時計職人」に助けて頂かなければなりません。
そして、壊れたことを自覚して時計職人にお願いする(光の下に出す)、
「あなた自身の決断」が必要なのです。
あなたは、自分の心の中に「煽られた時に、反応してしまう傷(歪み)」を自覚しますか。
これを聖書では「罪、咎」と言います。
この部分の修復がなされると、歪みが取れ、楽になります。
(その方法は、別の箇所で取り扱います。ここでは「修復することが可能」である、と受け止めて下さい)
これから、世の中が「ますます悪く」なっていくとするならば、
「悪に煽られる」ことがますます頻繁になっていくでしょう。
その時、「精神面の対策」が一つもないと、簡単に「悪に巻き込まれてしまう」のです。
(怒りや攻撃、自己保身や批判への対策です)
「自分の使命を考え、果たす」
その気持ちを、いつも持っているなら、
簡単に悪に揺さぶられ、支配されることが少なくなると、私は考えます。
悪の力は、巧妙です。
傷や罪悪感を煽りながら、一見正しいような形でやってきます。
ですから、「これは悪である」と言う
聖書の真理(ものさし)が必要です。
そして、絶対的な光(神様の光)が必要です。
あなたが、「自分の使命」を果たしていけますように、
あなたが、善のものさしに沿った「満足できる人生」を歩まれますように、
祝福を祈っています。
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