今回は、③ーb「自分中心のプライド」について考えます。
「自分のことばかり」を考えている人は、ある種の盲目になっています。
「見えている」はずなのに、「見えていない」状態です。そういう人への対応と解決策を考えていきます。
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「質問者さんの文章」(再掲)
職場に「思い込みの強い」同僚(女性)がいます。
感情の上がり下がりが激しく、時々「思い込み」で感情的になることがあります。
「自分はいつも正しい」と思い込んでおられるようで、
周りが「それはこう言う事情で」と説明しても、「自分なりの正論」を言い続けて聞こうとしません。
特に「自分の利益」に関わることには、執着が激しく、主張を譲りません。
そして他を陰で徹底的に批判するので、職場ではかなり問題になっています
どう対応したら宜しいでしょうか。
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分析③ーb「自分中心のプライド」(以前の、お答えその6の分析)
「不健康なプライド」を持っている人は、自分の意に反することは無視をします。
自分の主張ばかりを考えて、他人の気に入らないことは無視できるのです。
そういうプライドを持っている人は、「自分を正しく」しないと生きていけません。正しくなければならないのです。
この偏った「正義のものさし」は実は自分自身にも当てはまります。
すなわち「自分の気に入った部分」は受け入れることができますが、
「自分の中の気に入らない部分」は瞬殺します。無視します。
これは自分自身を苦しめることになるのです。
それは、「自分の強い部分」は受け入れられても、「弱い部分」は受け入れられないからです。
そうするととても不安定になり、ますます自分の正しさに執着するようになります。
(「偽りの自分だけ」を注目していくのです)
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(ここから、今回の内容です)
ではこのように苦しんでいる人をどうしたら、解決へと手助けすることができるのでしょうか。
自分の中の「弱い部分」を受け入れるには、どうしたらよいのでしょうか。
今回もABCで考え考えます。(A「目的論」、B「課題の分離」、c「励まし」)
A「目的論」
今回の目的(目標)は、
「自分と他人へのものさしは、同じである、と自覚して頂く」ことです。
人を厳しく批判し、受け入れない人は、
自分を厳しく批判し、受け入れていないのです。(同じものさし、です)
しかし、この簡単な理屈に「気がついていない人」が意外と多いのです。
ルカの福音書 6:37
さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。
「自分のものさし」と「他人へのものさし」は、一つなのです。
世の中は、良くしたもので、「人を裁く人」は「同じような人」とぶつかります。
先日、Cさんと「よく似たタイプ」の方とお話をしました。
その方は、真面目な方なのですが、人を辛辣にいつも批判していました。
その方からこんな話を聞いたのです。
「ある人から批判をされたのだが、理解できない。人間は完璧でないのに、どうして私のミスをそこまで指摘しないといけないのか!」
かなり憤慨された様子でした。
私はこんな風に応じました。
「そうですよね。そんな風に批判をすると、実は本人も辛くなりますよね。自分へのものさしと人へのものさしは、実は同じですから、そんな風に人を批判すると言うことは、自分自身を同じように裁くでしょうから、苦しくなりますよね。本当はそんな風に批判しない方が、ご本人のためにも、いいんでしょうけどね」
「人間は、完璧ではないのに、人を批判することは、おかしいですよね」
(怒りが収まらない様子でした)
「本当は、ものさしは一つですから、許すことが大事なんですけどね。自分も許して、人も許せたら、かなり(心が)楽になるんでしょうけどね」
笑いながら立ち話をしましたが、その方は「いろいろ『思い巡らして』おられたよう」でした。
実は、以前から「その方」のことは「考えて」(祈って)いたのです。
「人を辛辣に批判すると言うことは、自分を批判することになるから、お辛いだろうな」と。
「良い関わりができたらいいな」と。
(祈って、思い巡らしている中で)、
「その方」に、このタイミングで、第三者の話をしながら、「その方の心」に向けてお話ができたのです。
(私の考え方をはっきりとお伝えしたことで、今後は「同じ視点」で話ができますから、今後の成り行きを見守るつもり、です。)
「目標」を持っていると、
意外と自然に「語るチャンス」がやってくるものです。
「語るチャンス」に語れば、無理がありません。
自然に「目的」を伝えることができるのです。
聖書は、口を開くのに時があると語ります(伝3:7)。
ソロモンは、「時宜にかなって語られる言葉は銀細工に付けられた金のりんご」(箴25:11)と語りました。
語るべき「タイミング」があります。
そのチャンスを逃がさないことです。
B「課題の分離」
今回も「課題の分離」を考えます。
私が上記の方とお話しした時、
「許したほうが、本人も楽になる」とお話ししました。
しかしその方は「よく分かっていないようでした」(あまりピンときていないようでした)
「人を許す」のは、「自分の許し」のためなのですが、
このことに気づくには、時間がかかることがあります。
ですから「課題の分離」です。
相手が分からなくても「イライラしない」ことです。
分かるにはタイミングがありますから。
あなたは、許そう、受け入れよう、と努め続けていれば、
(あなたの課題に集中していれば)
「ご相手の課題」がはっきりする時に、「良い関わり」ができるのです。
Cさんが、「人を受け入れ、許す」ことが出来るようになれば、
Cさん自身も「自分を裁く癖」から解放され、楽になりますし、
人の言葉を聞き入れない「思い込みの強さ」からも、
段々と自由になっていくのです。
今回も、C「励まし」は上記の内容に含まれていると思いますので、割愛いたします。
次回は、③-c「正しさ(正義)に執着する心」への解決策を、一緒に考えていきます。
祝福をお祈りしています。
ルカの福音書 6:36-37
36 あなたがたの天の父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くしなさい。
37 さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。
コロサイ人への手紙 3:13
互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。
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