「イスラムからキリスト教に、入ることはできますか?」
コロナ前まで数年間、キリスト教会に通っていた者です。洗礼は受けていません。
教会に通っていた頃は、年が一番若かったせいもあり、居場所がありませんでした。旅行でイスラム教に興味を持ち、日本のモスクに通い始めました。そこで出会った外国人男性に「イスラム教徒だ」と嘘をついてしまいました。彼とはその後婚約に発展しました。嘘をつき続けることが苦しくなり、悩んだ結果、嘘を嘘でなくするために、イスラムに改宗しました。しかしムスリムと関わる機会が増すにつれ、イライラすることが増えたのです。1日5回の祈り(信仰が大事であって、あの動作は私には必要ない)、善行に励むと天国で高いレベルに入りやすくなる等の言葉を聞くと、違和感を覚えました。(行いではなく内的動機づけ(信仰)が最初で、信仰によって聖霊が与えられ、その結果、善行ができるのであって、外的動機づけ(行い)が最初ではないはず、、、) その他、食事や服装、数多くの戒律に対しても、戒律ではなく、聖霊に満たされれば自然に悪いものは必要なくなるのではないかと思えました。モスクの仲間といても、寂しさを感じるようになりました。最近同じ神様でも、やっぱり私に必要なのはキリスト教の神様なのだ、と思うようになり、そう思えた時から寂しさがなくなりました。イスラムからキリスト教に入ることができますか?
ご質問をありがとうございました。
頂いた文章をここに載せるに際して、文字数の関係で編集し、後半の一部を割愛させて頂きました。
読みながら、「とても聡明な方」だと感じました。ご自分の状況、イスラムとキリスト教の教えの違いを冷静に分析されておられます。
一般の方も読まれるブログですので、ここでは簡潔に書く予定です。
ご質問の文章から、質問者さんは、すでに「お気持ちの整理」が、いくつかできているようには思います。そして、「今後の方針」も、心の奥では「腹は決まっておられる」のではないかと思えるのです。
ポイントは「居場所」のような気がします。
お気持ちの整理の「確認」の意味で、ここでは3つの観点でまとめたいと思います。
①通った道を修正するには「多少の波風」は起こる、ということ。
②「仲間意識、コミュニティ」が人には重要である、ということ。
③自分の気持ちを「偽ること」はできない、ということ。
①通った道を修正するには「多少の波風」は起こる、ということ。
私がよく通る道で、いつも渋滞する箇所があります。
左折でコンビナートに入る車が多いため、左側の走行車線がいつも渋滞しています。結果、右側の追越車線も渋滞するのです。
車線変更する時は「大変」です。車の間に入れて貰わないといけません。無理やりはいられると人はムッとします。親切な人はスペースを空けてくれますが、意地悪な人は詰めてきます。
しかしそのままにしていては、「目的地に行けない」ので、どこかで「車線変更」をしないといけないのです。
タイミングが合えば、ラッキーですが、だんだんと交差点が近づくと、最後は「無理にでも」車線変更をするのです。
もし「今までのやり方」を変えようと考えているなら、
どこかで必ず、「車線変更」をしなければなりません。
しかし「タイミング」をみて「然るべき決断」をすることになります。
ただし、多少の波風は「覚悟」しなければならないでしょう。
「目的地」があり、「行こう」とすれば、必ず「課題」に立ち向かわなければなりません。
モスクに行っている質問者さんが、キリスト教会に行くことは、まったく問題がなく可能ですが、その「行き方」が大切なのです。
②「仲間意識、コミュニティ」が人には重要である、ということ。
以前教会に通っていた時、「居場所がなかった」とありました。
きっと「モスク」で居場所を見つけられたことでしょう。
しかし、今再び「居場所がない」感覚を持っておられるようです。
イスラムに改宗した経緯を読ませて頂きました。
割愛した部分に「イスラム教と関わることを通じて、洗礼は受けてなくても、心はクリスチャンになっていると気がついた」と書いてありました。
人は「平穏無事な時」より、実は「逆境の時」の方が、成長できます。
自分を直視し、深めていけるからです。
質問者さんにとっては、今の環境がそのような時だと思います。
自分が「クリスチャンである」と気がつかれたならば、それを否定することはできないでしょう。
もう既にしておられるかもしれませんが、親しい友人とは、本当に思っていることを分かち合っても宜しいかとは思います。少なくとも婚約された方とは、本音で充分に話し合うべきでしょう。
クリスチャンであることと、ムスリムのお友だちがいることは、共存できます。まったく問題がありません。
しかし、そのことをコミュニティが受け入れてくれるかどうかは、別問題です。(人間はそれぞれの思い込みがあり、自分がイメージする帰属意識を守るために、時に感情的な反発をします)
人は、社会的な存在です。「居場所」を必要としています。
ですから、質問者さんには、どんな時でも大丈夫である「絶対的な居場所」が必要なのです。
仮に、ムスリムのお友達から拒否されたとしても、これから新しく出会うだろうクリスチャンから辛い言葉を言われたとしても・・・、
絶対に自分を支えてくれる存在がいると、とても強いのです。
質問者さんは、今の環境の中で「自分がクリスチャンであることが分かった」と書かれていました。
それはつまり、教会を離れても、イスラムに改宗しても、嘘を言っても、それでも質問者さんを、離さず握り続けて下さった「イエス様」を言うお方を、質問者さんが「どこかで感じているから」なのではないでしょうか?
実は、人間関係は、状況が難しくなると、とても脆いものです。
夫婦であっても、追い詰められると、自分のことしか考えられなくなります。
しかし、そんな時に、イエス様との関係が深まるのです。
婚約者との関係は、「居場所」として大きな支えでしょう。
しかしそれを安定したものにするためには、その関係がなくなっても大丈夫という「居場所」が必要なのです。
それが「イエス様との関係」です。
私は「きれいな言葉で説得」している訳ではありません。
もう少し、話を進めていきます。
③自分の気持ちを「偽ること」はできない。
すでに質問者さんは、ご自分の気持ちに気がついています。
これは素晴らしいことです。
その気持ちを「そうだ」と言って受け止めて下さる友人はおられますか?
ぜひそのような方を見つけて下さい。
そして感情を聞いてもらってください。
その上で「イエス様」は、すべての友人が理解する以上に、質問者さんの気持ちを分かって下さるお方だと「悟ること」が大切です。
その「絶対的な支え」があることが分かると、完璧な応援団を抱えるようなものです。
「あなたの気持ち」をどんな時でも「分かっておられるイエス様」
このことを体験しますと、誰も自分のことを理解してくれない状況下でも、
穏やかな気持ちで「自分」を見ることができ、「他人」を見ることができるのです。
自分の感情は、誰も否定できません。
「イエス様」が認めておられることを知り、
(良い点であろうと悪い点であろうとも)
「あなた自身」が自分を認めることができれば、
世界のすべてを敵に回しても(極端な表現ですが)、
怖くはなくなるのです。
「車線変更」をする場合は、目的意識とタイミングが重要です。
ですから「自分の信念」を発言をする場合、よくよく状況を見て発言するのです。
(場合によっては、今は発言しないということも選択肢です)
コミュニティが大切です。
出来れば、キリスト教会のコミュニティに加わって下さい。
そのことを通じて「イエス様との関係」を深めることができますから。
「イエス様との関係」が深まるならば、誤解を受けたり否定されたとしても、
「大きな後ろ盾」を持つように、穏やかに相手のことを考えながら、あなたご自身の気持ちを伝えることができるはずです。
究極の「居場所」は、イエス様なのです。
Ⅱコリント(新約聖書) 5:17
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」
祝福をお祈りしています。
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