ご質問された、あなたは、何か悲しいことがあったのでしょうか。
これから書かせて頂くブログを通じて、心の痛みが少しでも軽くなれたなら、幸いと願っています。
私たちは人間関係ができると、相手にある程度の期待をします。
特にその人が、あなたにとって重要な人物だと、その期待は増し加わります。
相手の事情もあり、あなたとの関係もありますから、いつもあなたの「期待通り」受け応えをしてくれることは、不可能です。(理屈では分かっておられると思います)
しかし、それが満たされなかった時、私たちの「心(感情)」が、率直に悲しみや痛みを感じるのです。人によっては怒り出してしまうかもしれません。
その感情を引きずったままですと、負の循環に陥ってしまい、
最後には、哀しみのあまり、自暴自棄になってしまいます。
ですから、どこかで「負の感情をリセット」する必要があります。
そんな時には、心落ち着けて「聖書の言葉」を読むと、違う視点を持つことができるのです。
最初に私が思い出す聖書の言葉は、
「詩篇27:10 私の父、私の母が、私を見捨てるときは、【主】が私を取り上げてくださる。」
苦しい時、辛い時、父母が助けてくれることがあります。
しかし仮に助けてくれたとしても、すべてから助け出すことはできません。
どこかは、自分で乗り越えなければならないのです。
また父母も人間ですから、時に厳しいことも言うでしよう。
理解してもらえないことも、あると思います。
しかしそんな時も、【主】は、私を支えて下さり、最後まで助け続けて下さるのです。
次はとても有名な聖書の箇所です。
「イザヤ43:4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。
43:5 恐れるな。わたしがあなたとともにいるからだ。」
力強い言葉です。
しかし聖書は、ただ読むだけでは、力になりません。
心で信じて、そのことを通じて、聖霊(神様)に触れて頂く必要があるのです。
私がクリスチャンになってしばらくした時、教会に特別な講師が来られて集会が行われれたことがありました。ほとんどのことは覚えていませんが、一つの言葉だけは今でも覚えています。
「あなたは、イエス様を信じて、イエス様を心の中にお迎えしたことはありますか。もしお迎えする祈りをしていない人は、してみましょう。」
集会が終わって、私は早速、教会の庭に出て、ブランコに座りながら(教会付属の幼稚園の遊具です)一人で祈りました。
「イエス様。私はあなたを信じています。でも今まであなたを心にお迎えする祈りをしていませんでした。今、その祈りをします。あなたを心にお迎えします。どうか私の心にお入りください」
その時、心の中に不思議な暖かいぬくもりが湧きあがったのを覚えています。
今でも、辛いことがあったり、寂しさを感じた時には、聖書の言葉を思い出し「心の中にイエス様が住んでくださっている」ことを思い起こします。(そしてイエス様に祈ります)
するとその度に、暖かいぬくもりを感じるのです。
そして「イエス様は私と一緒にいて下さる。このぬくもりが証拠だ」と思える時に、
悲しみがリセットされるのです。
その時には、神様に土台を置いて考えられるようになり、その人に執着しようとする心が、ほどけて、自由になります。
そしてすでに、私を傷つけた人の影響が、「小さなもの」になっているのです。
このリセットは、本当にありがたいです。
あなたも、聖書の言葉によって「負の感情をリセット」して頂くことができます。
私たちの教会では、必要に合わせて、日曜日の集会後に祈りをする時があります。
(今は手を置いて祈ることは、コロナの影響でしてはいませんが・・・)
その時に、神様に触れて頂いて「ぬくもりを感じる人」が多くいるのです。
感情が傷ついた時、その感情が渦のようになって、止まらなくなります。
しかし聖書の言葉を通じて「神様に触れて頂く時」に、私たちは「渦」から引き上げられ、神様が与える「平安の陸地」に立つことができるのです。
あなたに、イエス様の守りがありますように、お祈りさせて頂きます。
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